一日中収録ケーブルの配線していた

朝=コロッケパン、野菜とトマトのフォーガースープ/夜=ズッキーニとナスと唐揚げの胡麻炒め、ポテトガレット、菜の花と塩昆布の和物、センベイ汁、白米

朝から雨。来週は出かけるので、しばらくは家で過ごすことに。そうなると部屋の模様替えをしたくなる。僕の模様替えは据え付けカメラとライト位置を動かすこと。ワークショップがひと段落したのでカメラを大机と正体する位置に戻したのだが、ライトの加減が難しいので、再度斜めの位置にソニーα7Ⅳを設置した。いつも使ってるシグマfpLの方が色は好きなのだが、もう少しソニーを使い込んでみようと思ったのだ。α7Ⅳはバランスが取れた優等生で、突出したところはないが、全てにおいて平均点を超えている。趣味で写真をするならベストバイな気がするが、使い込むと多分物足りなくなると思う。もう一台ソニーのボディを増やすと考えると、何がいいか。

今年の暮れには9000万画素のモデルも出るそうだが、どうなんだろう。だいたい使う前は「こんなのオーバースペックだよ」と言うのだが、いざ使うよ「うわ、すごい!」ってなるんだよな。カメラは半導体を使う製品だから、各メーカーどんどん値上がりしている。キヤノンやライカに続いて、多分ソニーも値上がりは必至。レンズは基本ラインが揃ったので、ボディをなんとかしたいのだけど。年末までの課題。

 

<2021年8月14日の日記から>

東京は一日中、雨が降ったりやんだり。友人がやってきたり、娘が夕飯を食べに来たりで、なんとなく一日が過ぎる。Amazonで「シンエヴァンゲリオン」の配信が始まった。公開終了後、異例の早さでの配信。映画館で2回見たのだが、3回目をiPadで見る。配信で見る映画は、映画館で見るものとは別物だ。でも「第三村」のシーンだけを何度でも見ることができるのは嬉しい。

<2006年8月14日の日記から>

 2月にギャラリー冬青でやった個展は米沢の冬を撮ったものが中心だった。「夏はやらないの」というい質問に、最初は「夏はねえ…」と言葉を濁していたのだが、自分の写真を1ヶ月見ているうちに、徐々に「夏もいいなあ」と思えてきた。そこで9月28日から10月7日まで、中野沼袋の「ちめんかのや」で米沢の夏を撮った写真展をやることにした。タイトルは「da.gasitaの夏」。今年撮ったものを含めて、大全紙24枚展示の予定だ。すべてネガカラープリント。カメラはフジのGW690を使った。先週からプリントを始めている。ワークプリントからセレクトしたカットを大全紙に焼いていく。カラープロセッサーのCP51は水洗乾燥まで自動処理のため、六つ切りに焼くのも大全紙に焼くのもなんら手間に変わりがない。濃度と色を確かめながらプリントしていくのだが、モノクロと違って、焼きこみや覆い焼きはほとんどしていない。3日目でもう20枚のプリントがあがった。あと一日もあれば目処がつきそうだ。会場となる「ちめんかのや」は、地下がBarで2階がギャラリーになっている不思議なところだ。自宅から歩いて15分もかからないところにある。住宅街の分かりづらいところにあるが、雰囲気はとてもいい。夜のBarもいいが昼間のギャラリーの窓から入る光は格別だ。

アレック・ソス

朝=おにぎり/昼=「シードリングカフェ」の寝かせ玄米弁当/夜=アジとハマチと鯖の寿司、ラーメン

葉山の海岸沿いにある神奈川県立近代美術館へ、アレック・ソスの展示を見にいく。この美術館は昨年に続いて2度目。会場はかなりのスペースがある。『Sleeping by the Mississippi』から始まる、ソスのこれまでの仕事を連続的に見ることができた。今まで連続しているように感じていたのだが、ひとつひとつの作品の背景がかなり違っているのが見えてきた。

館内で、以前渋谷のアップリンクで観た映画『Somewhere to Disappear』もやっている。1時間ほどのドキュメンタリーだが、どうやらこの時に撮っていた『Broken Manual』は彼の作品性が大きく変わるきっかけだったようだ。

「ソスというとエイトバイテンのカラーでオンザロードの写真家だよね」という意識がガラッと変わってしまった。そして最新作の「A POUND OF PICTURES]」の制作意図がちょっとだけわかった気になれた。10月までやっているので是非。逗子駅からバスか車で。駐車場あり。

ギフトショップにはソスの写真集がほぼ置いてあった。その中で彼の代表作、『Sleeping by the Mississippi』『Niagara』『Broken Manual』『Songbook』『A Pound of Pictures』の5冊を1冊にコンパクトにまとまた『Alec Soth: Gathered Leaves Annotated 』をお土産に購入。

 

<2021年8月13日の日記から>

渋谷へ。今年1月にスチール撮影でちょっとだけお手伝いした映画の完成試写会だった。来年公開のため、まだ情報は公開できないのが残念。自分が参加しているからということを抜きにしても面白い映画だった。いつの時代も映画作りって人を魅了する。

夕食後、気になっていた映画「メッセージ」をAmazonで見る。これ、妻と一緒に観なかったら寝落ちしたしていたところだ。2時間の映画の中で1時間45分は何の話をしているのかさっぱりわからない。最後の最後で意味が出来上がる。過去と現在と未来が同時に存在する宇宙人の話なのだが見終わって「ああ!」ってなった。僕が写真集『demain』を作るときにずっと考えていたことと同じなのだ。宇宙ものとしては「コンタクト」「インターステラー」と似ている。宇宙人の介在によって人類の意識レベルのレイヤーが上がる。ラスト15分のための映画、いや本当に大事なのは5分間か。「ニューシネマパラダイス」的ラストシーンだ。1時間45分はよく分からない内容だけど、映像が素晴らしいので大丈夫(笑)「単線的な時間は存在しない、過去も現在も未来も同時に存在する。過去は未来を作らない」を映像で説明した映画。未来を知ってしまったら絶望でしかない。それでも生きていくという「メッセージ」だった。

 

<2007年8月13日の日記から>

 『日本カメラ』8月号誌上で「手作り写真集の作り方」の記事ページが掲載されている。デザイナーであり製本家としても活躍している津村明子さんに、僕が手作り写真集の作り方を教わるという内容だ。A4にプリントした写真を半分に折って貼り合わせて作っていく。彼女の手にかかるとあっと言うまに「本」が一冊できあがる。その本を持ち帰ってワークショップの人たちに見せたら、できばえに驚いていた。自分が作ったわけではないのに「すごいだろう、これが30分でできちゃうんだぞ」と自慢していたら、自分も作りたいから教えてと何人かに頼まれてしまった。そう言われても、僕は作っていたのを見ていただけなので、ここは津村さんをお招きして「簡単製本講座」を開いてもらうことにした。全員脱落することなくA4サイズ25枚ほどにプリントしたものが2時間で一冊の写真集にしあがった。かなり「本」である。8月号の『日本カメラ』をちゃんと読めば作れるはずだ。是非お試しを。

ギャラリー冬青で販売するためのプリントが仕上がった。最後に写真の検品とスポッティング。自分では気が付かなかったムラや汚れを指摘される。そのたびに1枚2枚と写真に×印をつけていく。販売用にはならないが、印刷用にはまったく問題ないので分けておくためだ。ギリギリ納品分は確保することができた。これでようやく冬青に持っていける。

 

 

真夏の「フォヴィオン会」

朝=おにぎり、卵焼き、味噌汁/おやつ=焼きそばパン/夜=胡瓜と茗荷の胡麻和え、味噌豚焼き、蓮根と南瓜のスパイス炒め、冷麺

朝から土田ヒロミさんのインタビュー動画の編集。割とサクサクとテロップ入れまで出来た。あとは資料としての写真を集めてインサートすれば完成。

ひと段落したところで「フォヴィオン会」に顔を出す。シグマフォヴィオンセンサー縛りのグループ展を毎年ルデコでやっている。すでに現行機種は生産中止なのだが、皆の愛は深い。先日、新型フォヴィオンセンサーの試作機が、2022年の暮れまでにできるというニュースがあり「フォヴィオン会」に希望が灯った。ちなみにこの会は、僕主宰のワークショップ2B &Hの有志によるもので一般募集はしていません。今回は地域センターの集会室を使って10数人が今年撮ったものを見せ合った。なぜフォヴィオンセンサーにこだわるかといえば、それは描写がすごいから。毎年展示をするたびに、見に来た人たちから驚かれる。メタリックなものや、植物などを撮るとどんな高画素のセンサーでも出せない写り方をする。ただし手ぶれはするし、AFは遅いし、感度は400でも怪しいし、全くもって一般的ではない。楽しみで写真に接するなら、こんなに面白いカメラはないと思う。僕もグループ展のために年に一度だけシグマのdpクワトロを持ち出すことにしている。

 

<2021年8月12日の日記から>から

キッチンの蛇口が古くなっているので業者に見積もってもらったら6万円プラス税。しかも下の方も変えたほうがいいと言われ、それが25000円プラス税。トータル10万円近くすると言われて萎えた。友人に相談し、交換できないか見てもらうことにした。

昼からアニメ。「東のエデン」の続編。そして「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」「映像研には手を出すな」2話目。押井守の「スカイ・クロラ」を見た時に何か引っかかるものがあって「うる星やつら2  ビューティフルドリーマー」をAmazonの配信で数十年ぶりに見直した。学生時代、大森一樹監督「すかんぴんウォーク」を見に行った時の併映が「うる星やつら2」だった気がする。あの頃大森一樹は自主映画出身のヒーローだった。「うる星やつら2  ビューティフルドリーマー」は、学園祭前夜を永遠にループしているという設定で、これは「スカイ・クロラ」にも通じるところがあると思ったのだ。評価の高い映画だったとは聞いていたが、30年経ってあらためて見ると、あの時拾えなかったものが見えてくる。「うる星やつら」のキャラクターを借りて、別物が出来上がっている。よくこんな企画が通ったものだ。これは押井守という監督の原点が隠されている映画なんじゃないかと思う。今見ても面白い。

 

<2008年8月12日の日記から>

 安井仲治という、大正時代に現代で通用するような作品を作っていた写真家がいる。森山大道が彼にささげるオマージュ「仲治への旅」という写真集があるほどの存在だ。数年前に回顧展で初めて全容を見たのだが、とても面白かった。写真のほとんどを空襲で失ったそうだが、わずかに残った写真のそのバリエーションの多さに驚いた。彼はプロの写真家ではなく「旦那芸」を極めた人だ。純粋に写真に取り組むにはそのほうが都合がいい。その彼が残した『写真家四十八宜』というのが今でも頷けて面白い。あるブログで前文を引用していた。

 “な”は「夏の暗室出た時よろし」とある。

 クーラーなどない時代、汗だくでプリントしていた様子が実感できる。学生時代を思い出してしまった。写真家の白岡順が新しく写真のスペースをオープンした。名前は「カロタイプ」。写真史に登場する印画技法のことで「紙ネガ」のことを指す。由来はギリシャ語の「美しい」からきているそうだ。レンタル暗室とワークショップを行っていくそうだ。展示のスペースもある。(残念ながら白岡さんは2016年に死去)。先々月、オープニング前に見る機会があったのだが、真新しい引き伸ばし機が並び、全紙までできる流しが設置されていた。ここで暗室を借りれば、もれなく白岡さんにレクチャーを受けることができるわけだ。パリでは白岡さんを知らない写真家はいない。「パリの写真を黒くした」という伝説が残っているほどなのだ。そこに行けば白岡さんに会えるという場所ができたということは幸せなことだ。

八戸は美味しい

朝=あんかけ玄米飯/夜=心太、ゴーヤチャンプル、八戸ウニの炊き込みごはん、ワカメの味噌汁

先週金曜日に八戸に入り、土曜日と日曜日、2日間に渡りワークショップをやってきた。4年前から呼んでもらっていて、企業ではなく、地元写真スタジオ「オフィス・ミュウ」さんの主催。

今回は「一日で作る写真展」と「写真集で見る大事なもの」の2本立てだった。写真展の方は大きくて独立したギャラリースペースがある「ソールブランチ新丁」を使って展示ができることになったので、参加者がその日に撮った写真を3枚選び、ギャラリーに持ち込んだプリンターでA2サイズの大きさにして印刷。即日設営。翌日にお披露目となった。

初日、外で撮影している最中に、僕がひとりひとりのポートレートを撮影していく。その時に光の使い方やポージングなどを伝えていく。秋田のGRイベントでもやったけど、これはとても盛り上がる。自分が被写体になることで、ポートレート撮影のことを実践的に覚えてもらうことができるからだ。土曜日は日差しはあるが涼しいという奇跡的な天気だった。風が吹くと気持ちがよくて、東京では感じることができない。

「写真集で見る大事なもの」は、写真集イベント。「八戸美術館」のホールを使わせてもらって、僕が自宅から持ち込んだ40冊近い写真集を、参加者に手に取ってもらう。そしてその場で僕が背景を説明していく。普段あまり目にすることのない写真集を2時間かけてゆっくり見てもらうことができた。

次のワークショップは11月の屋久島だ。

 

<2021年8月10日の日記から>

来年は八戸に行けるかな
朝 大根おろしご飯

夜 サンマの土鍋、その他諸々

八戸オンラインワークショップ。本田夫妻を迎えて3時間、30人の視聴者と9人のレビュー参加者で行った。

目の前に誰かいるだけで、気持ちが落ち着く。いつも2BChannelでひとりで配信でいるのとまったく違った。

レビューの中で子供が撮った写真があったのだが、これがものすごくいい。こんな風に撮れたらいいなと本気で思わせる。

コンテストなんかで小学校、中学校、高校生の部があると間違いなく小学生の写真がいい。中学校になると、見られることを意識し始めて、高校生は女子はマクロに、男子は望遠で部分を切り取るようになるからつまらなくなる。

土門拳は「モチーフとカメラの一致」を強調しているが小学生の写真はまさにそれ。

「写真は教育できない」と田中長徳さんがずっと言っているが、そういうことかもしれない。


<2006年8月10日の日記から>

フジGW690にネガカラーを詰めて13本撮影

ひとりで米沢に帰った。家族で行くはずが、いろいろなことが重なりひとりとなった。

もう米沢には実家がないので友人の家に泊めてもらった。大きな農家で、縁側が広い。そこで昼間から高校時代の友人を集めて飲もうということになる。

まずは近くの温泉で皆で一風呂浴びる。車で15分も走れば小野川温泉だ。無料の露天風呂もある。全て源泉掛け流し。小さい温泉街だが川沿いのいいところだ。

ビールと地元の酒を買って帰る。口々に「最近酒の量が減った」と言う。自分だけではなかったのだな。

縁側で飲む酒は旨い。つまみは胡瓜とナスの漬物。手作りのチャーシューと煮卵。

全員45歳。自衛隊幹部の者は後10年で定年だという。もう定年のことが話題になる年なのだ。皆それぞれに、家庭とか仕事とかいろいろと大変だ。

結局、酔っ払ったあげく出た結論は「人生は修行だ! 結婚は荒行だ!」ということに落ち着いた。皆で「明日からは頼らずに一人で生きていけるようにしよう」と約束する。

泊めてくれた友人に子どもが生まれていた。まだ6ヶ月。抱っこしても泣かない、人見知りのないかわいい女の子だ。

友人曰く「子どもはいいぞ。家庭のゴタゴタはとりあえず2年先延ばしになる」。45歳のお父さんはいい感じだった。

 

 

コラボ

朝=牡蠣燻製パスタ/夜=カツオの漬け丼、胡瓜とオクラの海苔サラダ

2018年から19年にかけて、いくつかの写真系のYoutubeが始まっている。それらは現在、チャンネル登録者が多い牽引車的な感じがする。

「鈴木心の写真道場」もそのひとつで、他のチャンネルとは全く異質なことをやっている。その中でも「選挙ポスターから見るポートレート講座」は出色で、写真を学んでいる人はもちろん、カメラマンなら見た方がいい。これは人物を仕事で撮る人には間違いなく面白い。

その鈴木さんから「コラボしませんか」と連絡がきた。意外だった。他のチャンネルとかは興味がなのかと思っていたから。後で聞いたら趣味で見ているわけではないが、Youtubeの特性を掴むために、他のチャンネルも見ているそうだ。何人かに声をかけたらしいのだが、返事があったのは僕だけだったようだ。なんかばさり切られるような気がするからだろうなあw

金曜日の夜に2時間半、鈴木さんの事務所から配信した。カメラマンのギャラの話から、写真のことを横断的に話していって、最後は「さとるさんに触ってほしい」と中版一眼レフを持ち出してきた。10年以上前の機種だが、これが楽しくて楽しくて。散々難しい写真の話をしていたのに最後は満面の笑みでカメラを触っていた。

Youtubeをやっていなかったら、こんなに深く話すことはなかったはず。声をかけてもらえて嬉しかった。これからは、他のYoutubeをやっている人ともコラボしてみようと思えてきた。

 


https://youtu.be/VmK3huFE8Bk

朝ご飯を食べながら映画「ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」を観る

朝=マフィンのホットサンド、トマトスープ、玄米のドライカレー/夜=玄米でガパオ、半ラーメン/デザート=アイスクリーム

週末に備えて家でじっとしている。玄米食べてお酒も控える。やらなくてもいいのに、なんとなく動画を作ってしまった。週末にアップ予定。内容は『じゃない写真』の中でも触れているが、スライドショーと音楽の関係性について。ピアノ曲をつけた僕のスライドショーを見たフランスの写真家が「なぜ、ピアノの曲を使うんだ。曲と映像の組み合わせで感情移入してしまう。僕は自分の感情を他人にコントロールされたくない」。この言葉に腰を抜かすほど驚いた。目から鱗どこじゃなくて、考え方が根底から覆った感じがした。僕はそれまで、表現とは相手の感情を自分の意図に沿って動かすものだと思っていたところがあった。そこから美術館や展示で行われている映像作品を注意深く見ていった。するとひとつの例外もなく、使われていたのはリズムもメロディも、ハーモニーもないノイズだった。心地よさは全くなく、ただ不安感しかない。でもそれを裏返すと、いかに心地よい音楽と映像によって自分の気持ちがコントロールされていたのかが理解できた気がしてきた。ただそう思ってしまうことで、それ以外は受け付けなくなってしまう。それはそれで居心地が悪い。

 

<2021年8月4日の日記から>

ワクチン1回目。妻はすでに打っていて接種後しばらくは「注射された所が痛い」と言っていたが、僕ははなんともなくて、6時間くらい経ってからちょっと腕が痛むくらいだ。そういえば注射も全く痛くない。針が昔と違うんだろうね。なんかあると嫌なので家に戻ってからはどこも出かけず映画「ララランド」を見ていた。公開直後に一度観ていて、ストーリーは頭にあるので映像を見てるだけ。冒頭の長回しといい、日没直後のシーンといい、とてもフィルムでの撮影とは思えない。2BChannnelで2年前に作った動画をアップ。まだ何も方針は決まっていなくてチャンネル名も「旅カメChannnel」にしようかと思っていた頃だ。カメラはEOS5D3と iPnone7Plus を使っている。編集はiPad。“LumaFusion“というソフトがいいと聞いて使ってみた。結局すぐにPCでの作業になったけれど。1週間以上かけて作ったので、今見てもちゃんとしてた。というよりむしろ今より編集ちゃんとしてる(笑)

 

<2003年8月4日の日記から>

 ファッションデザイナーの撮影中、EOS1nの調子がおかしくなった。バッテリーは満タンなのに1枚切るとバッテリーマークが点滅してシャッターが下りなくなる。しばらくすると復帰するが、シャッターを切るとまたおかしくなる。撮影はEOS1nを2台、D60が1台、ハッセルを2台用意していたから支障はなかった。今後のこともあるのですぐに銀座のキャノンプロサービスに持ちこむ。プロサービス登録をして毎年1万2千円の会費を払うと、修理費が格段に安くなり、代替品も貸してくれる。しかし、ちょっと前までは全部タダだったのに、この頃は決して安くないお金を取られる。ありがたいサービスなので文句は言わないが、つい「昔はよかった」と口をつく。故障したEOS1nのシャッターカウンターを調べてもらったら6万7千回だった。10万回がプロ用カメラ耐用回数だと聞いたことがあるが、それにはまだ早い。でもあんまり褒められた扱いはしていないからなあ。2台ともオーバーホールに出す。ついでに28〜70ミリズームもガタがきているので修理。13日に出来上がるがそれまで代替品を借りる。帰りがけ現像所へ。混んでいて、通常仕上がりより4時間も遅れていた。事務所に戻りコラム本の打ち合わせ。タイトルがまだ決まっていない。難航しているのだ。原稿の戻しと、掲載する写真を選ぶ。50枚のうち、48枚まで決まる。残りの2枚は今週中に手配しなければならない。夜、ホリウチカラーの配達。担当の営業マンが言いづらそうに「このご時世なので配達便を朝一回きりにさせてください」と切り出してきた。此処は本来、配達区域外なのに、わざわざバイク便で持ってきてもらっているのでしょうがない。でもそうなるとますますデジタル化が進んでしまいそうだ。

スライドショー

朝=おろし蕎麦/おやつ=スイカ/夜=「おおた」で和食いろいろ

家にいても暑い。エアコンが効かない。日が落ちてから、そーっと外に出る。日中は動画のアップロードで四苦八苦していた。2020年に作ったスライドショーをアップしようとしたのだが、上がったものをチェックすると音量が小さいので、編集ソフトで調整し、再アップ。すると今度は音割れがひどい。書き出しの方法をいろいろ変えても音がどうしても歪む。かといって小さくすると音量が足りず音の効果がなくなってしまう。数時間あれこれやってようやくアップ。

これは2020年3月末に企画されていたリコー主催の「写真を映画館で見よう」というイベントのために制作したもの。しかし残念ながら感染拡大の時期ともろに重なり中止になってしまった。せっかく作ったものなので今回アップすることにした。これを作るきっかけになったことを解説する動画も明日作ろうと思っている。「じゃない写真」の中でも書いているが「写真と音楽と感情の問題」についてだ。

 

<2005年8月3日の日記から>

モンゴル展がスタート。11時過ぎから会場入りするが、これが誰も来ない。3時までいてわずかに3人。所在なげに関係者がウロウロする。今回、どこにも告知していない。この日記とワークショップの人たちに伝えただけだ。来ないとわかっていたが寂しいぜ。会場から代官山のバーへ。クローズアップマジシャンの前田知洋の撮影。もう7年前になるが、あるパーティで前田氏のマジックを間近に見ることができた。選んだトランプを、山の中に入れても指を鳴らした瞬間に山の一番上に現れるという彼の得意技だ。破ったトランプが僕の手のひらで元に戻ったのも体験した。まだテレビに出る前の頃だったので、目の前でおこることに大興奮。その後3ヶ月くらいはことあるごとに人に話していた。今回の撮影の後でも例のマジックを見せてもらった。何度見ても凄い。
ギャラリーのニエプスが外から目立たないので、A4で20枚を張り合わせたプリントを作る。縦横1メートルの巨大サイズ。外に面したガラスに貼るためだ。近くに来た方は上を見上げてもらえば場所が分かるはずです。

玄米食復活

朝=あんかけ玄米パスタ/昼=新玉のホットサンド/夜=玄米カレー、夏野菜のソテー、ワカメと胡瓜とササミのサラダ

7月は白米食が多くて、玄米離れしていた。一度白米を食べると美味しすぎて戻れない。でも玄米の方が胃腸は確実にいい。なので八戸行きまでは玄米にして体調を万全にすることにした。夜になっても暑くて溶けてしまいそうだ。日中に外に出る気もしない。休養日と諦めてずっと家にいた。今週は木曜日に鈴木心さんの事務所からYoutube配信をするくらい。いったいどんな話になるんだろう。8月4日の20時から。

YouTubeだと話が早い。対談やインタビューがあっという間に決まる。「2B Channnel」は9月で3年目になる。きっかけはYoutubeが雑誌に代わるメディアになるんじゃないかと思ったから。始めた時は、3年後にはもっと盛り上がると思っていたんだけどな。確かに僕自身はYoutubeをやるようになってからは、それに追われる生活になったけど、1年くらいはほとんど見返りもなかった。でも僕にはSNSよりも性に合っていたようだ。

 

<2014年8月2日の日記から>

小豆島へ。昨年の夏以来だ。ちょうどよく小豆島での撮影の仕事があった。スタッフは木曜日入りだったのだが、僕は前乗りして火曜日に東京を出た。四国高松に、できたばかりの知り合いの宿があり泊まってみたかったのだ。「ちょっとこま」という少し変わった名前のゲストハウス(現在は休業中)。旅館じゃなくてホテルじゃなくてゲストハウス。一泊素泊まり2500円。ただし個室じゃなくて二段ベットのドミトリースタイル(個室もあるが)。満員でも10名。

昨年オープン以来泊まる人の多くが外国人だそうだ。しかも女性が多い。今回も3人の海外からの女性が泊まっていた。個室がないからリビングというか広間に皆集まってくる。夜に地酒をもらって飲んでいると隣に座ったオーストラリアから来た女性となんとなく話が始まった。彼女はアーティストで彫刻やペインティングをやっていて創作ノートを見せてくれたり僕の写真をiPadで見せたりして時間を過ごした。オーナーは世界中を旅したバックパッカーで、行ったことのない場所はないんじゃないかというくらい。だからどういうゲストハウスが一番いいかよく知っている。ご飯もいらないし、清潔なベットで寝るだけのスペースがあればいい。風呂はシャワーがあれば十分。その地域の情報が仕入れることができて何より値段が安い。日本にもこういうゲストハウスが増えてきてるそうだ。安く、楽しく旅をするならホテルや旅館よりいいと思えてくる。小豆島では有機野菜農園がやっている宿「コスモイン」に泊まった。昨年泊まって料理がおいしかったので再訪。夕焼けを久しぶりに見た気がする。畑の中を散歩しながらローライで撮る。結局4日で10本。仕事をしながらだからペースとしては1日5本。いつものとおりだ。でもなんとなく撮れている気がする。まあこれはいつものことだけどね。帰り道、現像を堀内カラーに出した。水曜日の仕上がりだ。

 

掌をひらひら

昼=秋田ラーメン/夜=新玉ねぎのダシ煮、ピーマンと豚肉の炒め、水キムチ、白米、シジミの味噌汁

週末の金土日と秋田。リコーのイベント「GRmeet47」に呼んでもらった。「47」ってどういう意味かと思っていたら、なんと47都道府県をすべて回るという壮大なイベントだった。毎月1回としても4年かかることになる。これまでに6県で行われていて、今回は秋田。東北では一番最初の県。

普通、この手のイベントで地方を回るというと、札幌、名古屋、大阪、福岡くらいのもので、東北だと仙台というのが定番。果たして秋田でGRのイベントをやって人が集まってくれるのかちょっと心配だった。でも多くの人が暑い中来てくれた。通常は一緒に歩いてスナップをしてそれを後で講評するというものだが、今回は「僕が全員のポートレートをGR3Xで撮ります。そしてそれをプリントして皆さんに持って帰ってもらいましょう」という提案をした。そうすれば参加者全員と言葉を交わせるし、撮影されることで撮影のポイントも伝えられる。これはどこでやっても大好評で鉄板の持ちネタになっている。

前日にロケハンをしてポートレートにピッタリな場所を探しておいて、当日順番に撮影していった。1時間半、すっとポートレート撮影。それもただ撮るんじゃなくて、なぜこの場所が適しているのかをひとりひとりに説明していく。そして撮ったものをその場で見せると歓声が上がるので、ちょっと気持ちいい(笑)。

「掌をひらひらさせて光を探す」は2B Channnelでも説明していることなのだけど、実際に現場を見てもらうと例外なく驚いてもらえる。講評会では、2年前にコロナで中止になった「GRシアター」というイベントのために作った僕の作品を、プロジェクターの大画面で見てもらう。ひさしぶりに自分でも見た。そろそろ2B Channnelにアップしようかな。

 

<2013年8月1日の日記から>

夏は好きだが今年はなんかだるい。食欲はあるのにやる気がでないから結果的に太った。就活中の娘はようやくひと段落して、いくつかもらった内定からひとつに決めたようだ。はたから見れば大変そうな仕事だが本人は初志貫徹、希望の職種なのだから頑張れるだろう。春から社会人か。

自分が社会に出たのは1984年だから今年で30年目。あらためて30年というと驚くな。写真の学校を出ても一般の企業にはまったく縁がなかった。学内に張り出された求人表がほんのわずかで途方にくれた覚えがある。当時の花形職種はなんといっても広告カメラマンで、成績のいい順に大手の広告制作会社に入社していった。糸井重里をはじめとするコピーライターという職業が注目され「1行書いて100万円」と言われていた、まさに広告の時代だ。広告が社会を変えることができると信じられていた。作家の林真理子も日大芸術学部卒業のコピーライターだったのだ。最大手の新聞社の内定を蹴って広告制作会社を選んだ同級生さえいたくらいだ。広告カメラマンというのはスタジオワークが主になる。企業に入社しても修行に近いスタジオアシスタントを3年間、そこからアシスタントフォトグラファーになり、小さな仕事をこなし、5年目くらいでメインフォトグラファーになるのが一般的だった。企業のカメラマンというのはかなり狭き門だから、そこに入れなければ貸しスタジオで働き、2〜3年の経験を積んでフリーのカメラマンのアシスタントを3年から5年ほどやったのち、フリーカメラマンになるのがひとつのルートのようなものだった。NHKのBSを見ていたら、まさに1981年に放送された糸井重里が司会の「YOU」という番組で「明日を目指すカメラマンの卵」というのを再放送していた。30年前の糸井さんはまだ若者だ。篠山紀信がゲストで、多くのカメラマン志望の若者が集まって番組は進む。過酷なスタジオマンの仕事ぶりが映像で流れ、夢と現実のギャップが浮き彫りになる。怒鳴られても殴られても、そこを乗り越えないと明日はないと彼らは信じている。頑張ればなんとかなると思えたのだから、いい時代だったんだろう。

しばらく見ていたら、何か番組進行に見覚えがある。そうだ当時オンタイムで見ていたのだ。この番組には同級生も数人出ていた。大学3年生の頃だ。そろそろ進路を決めなくてはいけない時期で、真剣に見ていたのを思い出した。僕は学生時代にスタジオマンとフリーカメラマンのアシスタントを経験したが、どちらもすぐに逃げ出した。スタジオアシスタントとして、仕事がきつくても頑張る彼らに大きなコンプレックスをいただいていた。あれから30年、あのスタジオにいた若者は今どうしているんだろう。カメラマンにはなれたのだろうか。おそらくほとんどがカメラマンにはなれたはずだ。そんな時代だったし。番組に出ていた同級生は皆カメラマンとして生きている。カメラマンにはなれるけど、それでずっと生きていくのはとても難しい。若い人に「カメラマンになりたい」と相談されても「やめたほうがいいよ」と意地悪なことしか言わない。それでもなってしまう人じゃないと続かないからだ。もう一度20歳にもどれたら今度はどう生きるかよく夢想する。でも結果はいつも一緒。写真で生きてきた経験しかないからそれ以上のことは想像できないのだ(笑)

「ぽんちゃんラーメン」

朝=ゆで卵/昼=特盛カルビ定食にタン塩/夜=さんまの炊き込みごはん雑炊、豆腐ときゅうりのサラダ、こんにゃくのごま炒め、インスタントラーメン

夏休みっぽく、昼間から焼き肉を食べて、夜はB級グルメ好きから送ってもらった「ぽんちゃんラーメン」を食べる。朝からゴロゴロしていたが、夜は7月最後のライブ配信。今まで「2B Channnel」に寄せられていたコメントに答えていった。美術史の講座でも毎週2回配信の時に質問に答え、「2B Channnel」のライブ配信でも振られたコメントに答えていく。これをずっと続けていったことで、どんな話にも即答できるようになった。ほぼ考えずに答えているので正解ではないが、周辺の事実から仮説を立てるのができるようになった。「これはこうです」とは言わない。「これと、これのことから考えると、こうなのかもしれない」という感じ。学生時代は言葉にするのが苦手だったんだけど。8月はライブ配信も3週間くらいお休みの予定。29日の金曜日からは秋田でワークショップだ。

 

<2010年10月28日の日記から>

国内の推薦者としてお願いしている方から推薦文をいただく。今回はあちこちにお願いばかりしている。応募書類には一通り必要事項を記入してみた。研修目的と研修方法は「アメリカにおける写真ワークショップ文化の調査、研究」を軸にした。アメリカではアンセル・アダムスやダイアン・アーバスをはじめ、写真家が写真を伝えるワークショップが古くから存在する。現在アメリカでは各自治体や大学、写真フェスティバルで多種多彩なワークショップが開かれ、著名な写真家も自らのワークショップを開いている。僕がワークショップを続けていて気がついたのは、ワークショップは写真家を育てるというよりも、写真を見る側を育てているのではないかということだ。アートを鑑賞するには知識と経験が要求される。「自分が感じたまま」で見ることは基本だろうが、より深く楽しむためには作品の背景を知る必要がある。なぜそれが生まれたかを知ることはアートを見る楽しみのひとつだ。ステージに上がる人は必要だが、それと同時にステージを観客席から見る人も必要だ。アメリカのワークショップはそれを担っていると考えられる。アメリカの写真文化を支えているワークショップがどのように生まれ、発展し、今後どのような方向に向かうのかを調べるのが留学の目的だ。アメリカは東の文化と西の文化がある。その両方を体験したい。そしてそれに伴う移動は自らのテーマ「traverese」に通じることになる。

昨年の「売りましょ買いましょ3000円展」で作品を購入した小山浩司さんの 写真展「遊牧家族」が小川町オリンパスギャラリーでやっている。中国四川省のはずれに住むチベット族の遊牧民一家を記録したものだ。遊牧民ということでモンゴルと似ている。彼の撮るチベットの写真は3000円展で一番目を引いた。結局彼が3000円展のグランプリだったようだ。その彼の個展とあってとても楽しみだった。3000円で買ったのは作品ではなくて作家の将来なのだ。2008年に3000円展で買ったのがまだ無名のころの大和田良、池谷友秀、PhotographerHAL。なので翌年の会場では「渡部が買った若手写真家は成功する」という伝説が生まれた(笑)小山浩司もちゃんと買っていたのでちょっと自慢である。

「すべての始まりは福引から」

朝=明太茶漬け、おにぎり/夜=肉じゃがもどき、味噌漬け鶏胸肉炒め、サンマの炊き込みご飯、わかめの味噌汁

ひさしぶりに「2B Channnel」の写真家インタビュー。お相手は田中ヒロさん。今年初めにヒロさんの写真展を見て、その写真のかっこよさに驚き写真集を購入。本人がいたので話をしたら「写真界のわらしべ長者伝説」そのもので面白いのなんの。

ショッピングモールの福引で拾ったレシートを集めて福引を回したら、見事特賞のフィジー旅行が当たる。でもフィジー島に何の興味もない。そのチケットを友人がアメリカ行きのチケットと交換してくれる。念願のパンクバンドのライブを見るためにアメリカに。そこでメンバーと意気投合。そのままツアーにくっついていくことに。でも英語が喋れないからポツンとしていたらメンバーの一人が「ひまなら写真撮ってよ」とカメラをくれる。初めて触るカメラに戸惑いながらも段々と写真の面白さに惹かれて言って、その後もアメリカと日本を往復する生活に。

撮り溜めた写真を写真集にしようとバンドメンバーやレーベルが動いてくれて、初の写真集を出版。アメリカやヨーロッパツアーに帯同している中で、撮影した写真をまとめたダミーブックが、アルルとイタリアのダミーブックアワードを受賞して写真集が2社から出版。その後もその写真集がきっかけで各地のレジデンスや写真展を開催。現在日本でも売れっ子写真家として活躍している。

「すべての始まりは福引から」なのだが、人生は全部つながっているというの見せてくれる。衝動から始まって、その衝動が次々といろんな人を巻き込んで大きくなっていく。動画では写真をふんだんに紹介しながら田中ヒロを紹介しています。本日アップ予定。

 

<2005年7月25日の日記か>

スタービルの大家さんのお許しを得て、2Bと隣の2Cとつなぐ壁を取り払った。あまりの開放感にしばし唖然。いままで使っていた2Bがとてもせまく感じる。液晶プロジェクターがあれば、パソコンをつないだり、デジカメで撮ったものをそのまま映せるので便利だなと考えていた。いまは15型の液晶テレビを使っているのだが、小さくて皆で見るのは不便なのだ。新品が10万円以下で売っていると聞いたので見に行ってきた。ところが10万円以下だと光量が足りず鮮明さにかけ、20万円以上の機種に比べ色もくすんでいる。悩んでいたら、店員が型落ち展示品ということでソニーの定価70万円の液晶プロジェクターを安くすると言ってきた。実際に点灯したのは2時間の新品同様品だ。映してみたらとてもキレイに見える。なにより明るい。これに決めることにした。早速2CでプロジェクターにミニコンポとDVDビデオプレーヤーを繋いだ。で、夜「スターウォーズ・エピソード2」を上映。2Cの白壁にドーンと映した。映画の出来はともかく、迫力はある。さすが「定価70万円ソニー製」小型で熱も出ず、ファンの音も小さい。これで、ゆったりとしたソファーがあれば言うことなしだ。でもなんか、ギャラリーとは違う方向だな。

夏休み気分

朝=イワシとキャベツのパスタ/夜=きゅうりとオクラと茗荷と帆立の和物、冷や奴、きんぴらごぼう、唐揚げ、白米

部屋の模様替え。対面ワークショップが終わったので、部屋のレイアウトを元の配信専用に戻した。

今週の金曜日に秋田入り。https://www.grblog.jp/article/18182/

リコーGRのイベント。日本各地をいろいろな写真家が回るそうで、僕は秋田担当。初日の金曜日はイオンラインライブで、土曜日がワークショップ。日曜日も会場に顔を出して交流会と盛りだくさん。こんな時期ですが、感染予防をしながら、皆さまが楽しめるように考えています。秋田近郊の方は是非ご参加ください。週末のオンライン講座の配信も最終回を終えたので、気分は夏休み。秋田や八戸は仕事だけど、なんだか林間学校みたいな感じで楽しもうと思っている。

 

〈2013年7月26日の日記から〉

新国立美術館へグルスキー展。1枚の写真では史上最高値(2012年落札当時3億3千万円)の作家グルスキーの日本初個展ということで話題になっている。世界でもっとも有名な現代写真家のひとりだ。2001年MOMAの大規模な展示から日本でもグルスキーのことを耳にするようになり、僕は2006年東京国立近代美術館でのドイツ新興写真のグループ展で初めて目にした。今回の展示では最高額で落札された「ライン川」を見られるのかと期待していた。あるにはあったのだが、幅数十センチの小さなサイズでの展示でちょっと肩すかし。以前は8x10インチの大型カメラを使って撮影し、現像後にフィルムスキャンでデータを作り、加工後銀塩プリントしていると聞いていたが、現在では中版デジタルカメラを使っているそうだ。初めてグルスキーの写真を目にしたときは、まだデジタル写真という発想が自分の中になかったので、写真が持つコントラストと彩度の高さを不思議に思っていた。当時のアシスタントに「なんでこんなにピカピカしているんですか?」と聞かれて答えに窮した覚えがある。グルスキーは、最初期からデジタルを積極的に利用した写真家で、「ライン川」も対岸の建築物は後処理で消していると解説にあった。年代ごと、シリーズごとではなく、インスタレーションに近いランダムな構成になっている。なぜかほっとするのが2000年以前のデジタルを多用していない作品だった。予想通りのすごい展示だったが、不思議と感動はなかった。

その足で竹橋の国立近代美術館のプリントスタディへ。今回はエドワードウェストンの息子ブレッドウェストンの作品を見せてもらう。エドワードウエストンは写真の教科書の最重要ポジションを占めるくらいの大御所。次男エドワードは写真の才能を受け継いだようで、小学校を出るとそのまま父について撮影旅行を重ねていたそうだ。父と息子が同じカメラを使い、同じ場所でアングル違いで撮影しているものが残されている。インタビューを読むと父親をとても尊敬していて、お互いが理解者であり、父親はブレッドのことを「ブラザー」と呼んでいたとあった。ちょっと衝撃的だったのが「父はずっと貧乏で、僕はそれになれてしまった」ということが書いてあったこと。教科書に載るほどの作家がずっと貧乏だったというのだ。このプリントスタディというシステムは素晴らしい。額やガラス越しではなく、生のプリントを直に触れんばかりの距離で見ることができる。この生を見る体験は美術館で見る写真とまったく違うものだ。そういえばグルスキー展では床の線が引いてあるところより前に出ると警報音がピーピーなる、皆、細部を見たいからついつい近寄りたくなるのだ。