戦中の『アサヒカメラ』

朝=蒸し鶏のうどん/夜=キャベツのサラダ、豚ヒレカレー、玄米/夜食=スイカ

対面ワークショップも3回目。来てくれている方たちも、ちょっと慣れてきたようで、ひとつの話題から様々な話が出てくる。こういうのやりたかった。写真は上手くならないけど、写真のことを深く考えることができるワークショップ。

参加者のおひとりが、戦前から戦後にかけての『アサヒカメラ』を数冊持ってきてくれた。戦争中の昭和17年でも発行されていたのには驚いた。表紙は当時の東條英機首相。とはいえ16年12月開戦で翌年の1月だから、まだ切羽詰まる状態でなかったんだろう。それにしてもカメラの広告が結構多かった。舶来もののライカの広告はなかった。1958年になると表紙や口絵がカラーになっている。かなり発色がいいし、内容もかなり充実している。この『アサヒカメラ』は、お借りしたので、今度の2B Channelのネタに使わせてもらおう。

 

<2007年6月27日の日記から>

アルル写真フェスティバルのポートフォリオレビュー参加費250ユーロを銀行から振り込む。公式サイトからで、クレジットカード決済がうまくいかず、結局銀行から振り込まなくてはならなくなった。手数料4000円を含むと、今日のレート169円99銭で換算すると4万5千円也。高いがそれが目的だからしょうがない。事務所に行ったら宅配便の不在連絡表が届いていた。送り主は冬青社とある。写真集だ。急いで宅配便に連絡をとって、すぐに再配達してもらうことにした。1時間後、小ぶりの段ボール1箱が届いた。写真集20冊分。ひとりで持つにはずっしりと重い。焦る気持ちを抑えつつ、カッターで箱を開け、中身を取り出す。『traverse』が出てきた。イメージ通りの表紙の仕上がりだ。1冊取り出して窓際に座ってページをめくる。米沢から始まって東京へ、モンゴルからまた米沢へ、ハワイからアジアの島へと続き、再び東京へ。その後も米沢と東京を軸に中国、台湾、ニューヨーク、パリ、ミャンマー、と写真が続く。印刷所で散々見ているはずなのに新鮮な感じだ。最後まで見終わって、やりたいことがちゃんとできたことに安堵感を覚えた。ホッとした。物はできた。後はこれを必要としてくれる人に届けなくてはならない。

「YPFアワード」受賞者決定

朝=豚肉とネギのつけ汁きしめん/夜=きゅうりとトマトとチーズのサラダ、親子丼、豆腐のお汁

屋久島国際写真祭(YPF)が募集していた「YPFアワード」のグランプリが柏田テツヲさんに決定したようだ。当初の予想を大きく上回る応募者があったそうで、ファイナリストに残ったみなさんもおめでとうございます。11月に屋久島でお会いしましょう。来週からはアルルのフォトフェスティバルが始まるが、今回は見送った。来年こそはと思っている。その代わりに、夏期の瀬戸内ビエンナーレには行く予定だ。7月から9月にかけて、僕の新作制作の正念場になる。ひさしぶりにふつふつとした衝動が沸いている。

 

<2014年6月26日の日記から>

屋久島3日目。今日は一日中雨。というより土砂降り。ところが撮影をするために現場へ向かっていると小降りになって、カメラを取り出す頃はほとんど傘がいらなくなる。雨降り女と奇跡の晴れ男、いい勝負をしている(笑)。雨が降っていいこともある。晴れていればチョロチョロとしか流れない滝が増水で轟音とともに溢れんばかりに吹き出している。場所によっては滝壺間近まで近づけるところもあって迫力満点。木々の緑も深くなって雨は雨でいいものだ。初日と2日目は快晴とまではいかないものの、時折り日差しが差し込み、山歩きにはちょうどいい天気だった。案内人が、まずは「屋久島ランド」からというから甘くみていたら、これが結構ハードなアップダウン。150分コースを4時間近くかけて写真を撮りながら歩いた。ひとつ分かったのは、足元に気を取られると周りが見えず、周りを見ようと視線を前に向けると木の根につまずくということだ。2日目はガジュマルが密生した、秘密めいた場所に連れていってもらった。野生の屋久鹿や屋久猿が目の前に出てくる森。ここは一日中いてもあきそうにない。カメラはローライの二眼レフとともにローライの一眼レフSLXも持っていった。250ミリを使おうと思ったからだ。撮りすぎないようにフィルムは40本だけ。10日間の日程で3日目を終わって15本。ソニーα7も持ってきたがまだ出番なし。宿は「まんまる」がお勧めということで基本的にそこへ連泊している。元漁師の親父さんの料理と海が見える大きなお風呂が売りなのだが、実は息子さんはドイツで写真を勉強していた、現在でも作品制作を続けている方と知って驚いた。しかもドイツで知り合ったという奥さんはロシア人。ふたりとも英語が通じるので外国からのお客さんも多い。中には有名な写真家も訪れているそうだ。写真が好きな人が案内してくれるから案内してくれる場所がツボにはまる。愛称「チッチ」。話を聞けば聞くほど味が出てくる。今回の旅の一番の収穫かもしれない。

 

実によかった「ボテロ」

朝=ホットサンド、新玉ねぎのトマトスープ/昼=「永坂更科」の蕎麦/夜=キャベツと蒸し鶏のポン酢サラダ、厚揚げとズッキーニの胡麻油炒め、玄米の人参炊き込みごはん

妻がBunkamuraでやっている「ボテロ展」みをに行こうと言う。ボテロねぇ、なんか気乗りしない。でも他の美術館を探しても、どこもちょうど架け替えの時期のようで、めぼしいものをやっていない。「ボテロでもいいか」という感じで見に行ったのだが、これが実に良かった。現役のコロンビアの作家。特徴はなんでも太らせる作風。こう書くと漫才のタイムマシーン3号みたいだが(実はファン)、ボテロはあるときに「ふくよかな魔法」を手に入れたんだそうだ。どんな者でも柔らかくふくよかにしてしまう。それが人を惹きつける。モナリザだってマリーアントワネットだって、キリストだってふっくらしている。

渋谷の東急百貨店は、来年の1月で建て替えのために閉店だそうだ。Bunkamuraで展示をみたら、百貨店8階の「永坂更科」で蕎麦を食べるという、僕たちの黄金パターンがなくなってしまう。ここの蕎麦は本当に美味しい。妻はいつもカレー蕎麦一択。ぶれたことがない(笑)。

渋谷から新宿に出て「OM  SYSTEM  GALLERY」へ中藤毅彦さんの展示を見にいく。新宿のギャラリーもエプソンが銀座に移り、リコーペンタックスがなくなり、オリンパスが「OM  SYSTEM  GALLERY」 にと様変わりしている。中藤さんが撮っているのは一貫してストリートスナップ。今回は渋谷だ。森山大道と桑原甲子雄がまじあっている。香港の紛争を撮影した写真集を購入。今度の2B Channnelライブでストリートスナップの話をしてみようかと思う。

 

<2012年6月25日の日記から>

月曜日は自分のお休みの日にすることが多い。しかし、そもそも僕の場合「お休みってなんだ」ということになる。撮影をしていても、プリントをしてるときでも、仕事をしているという感覚が希薄だ。もう少し若いころなら「仕事で撮影している」という自負も気概もあったような気がするが、そこらへんが薄れてきている。近ごろは忙しいといってもたかが知れていて、せいぜい2週間くらいスケジュールが詰まるくらいだ。暇ではないが、働いている気はしない。お昼ぐらいに家を出てプールに行ったりするときに、現場で働いている人を見かけると心の底から罪悪感に見舞われる。それはもう本当に、本当に申し訳ない気がしてくる。「好きなことをして暮らしていけるっていいですね」と言われることがあるが、とんでもない、こんな暮らし方をしていていいのだろうかと常々思っている。本当は「ちゃんと働きたい」と心のどこかで思っている。大学時代に才能の差をまざまざと見せつけられ、新聞社にもぐりこんだものの折り合いがつかず、フリーになってからは「俺って天才」と自分にいい聞かせ、なるだけ先のことを考えずに生きてきた気がする。どうやら自分には、才能ある人とはどういう人なのかが分かるだけの才能はあるみたいだ。だから余計自分との差が見えてしまうわけだ。映画「アマデウス」でサリエリが「神はモーツァルトが天才だということを理解する才能だけを私に与えた」と嘆くシーンがあるが、自分も大学時代からずっとそうだった気がして深く頷いてしまった。低気圧の月曜日はこんなことばかりを考えて、何も生産せずグズグズと一日が終わるのだ。

「つまらない」のでやり直す

朝=笹巻き、納豆/夜=セブンの坦々麺、コロッケ

早朝から妻が家にいない日は、朝ご飯と夕飯に何を食べるかというこを決めるのにとにエネルギーを使う。いろいろ考えた挙句、結局セブンで買ってきたものになった。

午前中から1本の動画を作る。座ってただ喋っているだけなので、この日記を朗読しているようなものだ。今回は「縦位置にカメラを構えるときにカメラをもつ右手は上にくるか、下にくるか?」について。Twitterにこのことについてのアンケートが出ていて、右手は上が7割、下が3割という結果だった。意外と右が下の割合が多いなと感じたので、すかさず動画を作ったわけだ。ネタ探しが大変(笑)。

その後、来月予定している、母校のオムニバス講座の資料のまとめ。できあがったのもを、時間を計りながら一度頭から話してみたのだが、20分経過した時点で「つまらない」と思ってしまった。話している本人がつまらないのだから、聞いている方は間違いなくつまらない。ということで一からやり直すことにした。オムニバスなので連続ものでない難しさがある。講義というよりトークイベントだと思えばいいと思うことにした。持ち時間は質疑応答を入れてきっかり90分。誘導がまるできかないので大変。

 

<2013年6月24日の日記から>

2日間で通常の3倍以上のアクセスがあった。SNSを通して多くの人が見てくれたようだ。週末に会った人との話題もほぼこの日記についてだった。「問題意識を持たないと写真を撮ってはいけないのか? 好きに撮ることに意味はないのか?」。そんなことはない。あくまで「現代アート」のくくりではそういったことが行われているのではないかという個人の考えにすぎず、これがすべてではないことは自明であり、もっともっと多用で複雑なはず。これで僕の写真のスタイルが突然ノスタルジーから大きく振れることもないだろうし、いきなり問題意識を持って撮影に臨むということもない。ただ、今までの「世界のどこかに自分の写真を受けれいれてくれる人がいるはず」という受け身のスタンスから、「いつ、どこで、誰に見せるか」ということを強く意識していくということ。世界には、いろいろな人がいるわけだから、考え方も多様だし、受け入れる写真も多様。それをタントテンポの杉山さんは「スロットに落とし込む」という表現をしていた。スロットに合わないものを差し込んでも弾かれるのは当然。どこにそのスロットがあるか、自分はどのスロットなのかを意識していないと「なぜ分かってくれない」と悩むことになるのではないか。それを知るには、知識として知らなければならないこともたくさんあるし、人の助けがとても必要だし、何より自分の写真を常に考えている必要があると思う。物凄い敏腕マネージャーがついていて「あなたは制作することだけ考えていれば後のことは我々がマーケットに落とし込む」と言ってくれれば別だろうが、「誰かがいいようにしてくれんかなあ」と漠然と思っていてもしょうがない。

人に見せずに撮っていてもいいと思う。それを自分だけで消化するなら、感覚だけを重視して好きにやるほうがいい。でもそれを人に見せて共有しようと思えば「自分の好きなもの撮ったから好きに見て」だけでは足りない気がしている。写真のことを考えるのは面白い。僕はずっと写真を通して世界や人生を考えている。

登録者数1万5千人に

朝=笹巻き、納豆、卵のお汁/夜=カボチャとズッキーニのオイル炒め、豚肉と長ネギの豆板炒め、胡瓜とセロリのダシあえ、笹巻き納豆

笹巻きは蒸した餅米を笹に包む簡易保存食で、米沢ではこの時期にだけ食べる。きな粉をまぶしたり納豆をからめて食べる。ぼくにとっていまでは唯一、米沢を感じる食べ物になってしまった。

2B Channnelの登録者が1万5千人になった。2019年9月1日に始めたので34ヶ月たったことになる。3年弱だ。最初に立てた目標が登録者数1万5千人。これは写真雑誌の公称発行部数。つまり1万5千人の視聴者がつけば、単純に写真雑誌というメディアと同じ影響力を持つことになるのではと考えたのだ。実際には視聴回数が1万5千回までいく動画はそんなに作れていないが、3年近く続けたことで随分と環境が変わってきた。

写大ギャラリーで、古谷誠一の写真展を見てからずっと気になってしまって。10年前に買った小林紀晴の「メモワール 古谷誠一との10年」を引っ張り出した。買ってあったけど、すっと読んでなかった。読んでしまったら何かが変わってしまいそうな気がして。2日間かけて読んで、今まで読まなかったことを後悔した。ある写真家の存在を通して、写真を選んだ者が持ってしまう「呪われた目」について考えてしまう。誰しもが持つが、写真をやっているとそれに支配されてしまう。「良い写真」を求めてまだ誰も見ぬ光景を探してしまう。アーティストとは違った「呪われた目」の持ち主が写真家なのか。小林紀晴はこの本を書くために生まれてきたんじゃないかと思う。取り憑かれたように古谷誠一を追い続けることで、写真とは何かを考え続けていたのだ。

 

<2007年6月23日の日記から>

カラーの自動現像機から大量の液漏れ有りと連絡。井の頭公園で写真を売って生計を立てている写真家がいるという話は以前から聞いていた。その作家は昨年度日本写真協会新人賞と写真の会賞をダブル受賞しているという。国内作家のオリジナルプリント相場というものがあるとすれば3万から20万円というところだろうか。決して安いものではない。1枚の写真を購入するとなるとある程度の決心が必要となる。ところが井の頭公園で売っている値段と言うのが1枚「1000円」なのだ。1万円ではない、千円だ。その作家の名前は風間健介という。夕張の炭鉱を撮った写真集は知っていた。骨太ながっしりした写真を撮る人だという印象を持った。写真賞を受賞しているのにかかわらず、1枚1000円で写真を販売して生計を立てている不思議さに、前々から井の頭公園に行ってみたかったのことが、今日実現した。

休日の公園はお天気がいいのもあって驚くほどの人出だった。公園入口の焼き鳥伊勢屋は長蛇の列。昔は閑散としていたものだったのに。写真好きな知り合い8名ほどで連れ立って、風間さんを探しに、伊勢屋を背にして池を左回りに歩いていった。道沿いにはフリーマーケットさながら色んな物を売っていたり、ところどころで演奏をしている。結構楽しい気分だ。

ふと横を見るとシートを広げて写真を並べている人がいた。風間さんだ。思わず通り過ぎてしまうところだった。挨拶もそこそこに写真を物色する。RCペーパーで焼かれたものの中にはバライタ印画紙のものもある。思わず「ここにあるもの全部1000円なんですか?」と聞いてしまった。並べてあるものもケースに入れてあるものもRCバライタ問わず、モノクロは全部1000円。カラーは2000円だった。炭鉱のバライタプリントを2枚、海が写っているものを2枚選んで購入した。4枚買っても4000円だ。

一緒に行った人たちも、それぞれ好きな写真を選んで買っていた。風間さんに聞いたら一日5枚ほど売れるということだった。ただしニコンやキヤノンをぶら下げているおじさんは見向きもしないという。なんとなくわかるような気がする。1時間ほどいろんな話を伺った。でも記憶に残ったのは写真の話ではなくて「焼酎を1日1リットル飲む。身体のためを考えてウコンで割っている。毎日5時間飲む。昔は1ヶ月で一升瓶20本の焼酎を飲んでいた」という武勇伝。なんだか昔ながらの作家のようで格好がいいではないか。今年46歳というから僕と同年代だ。風間さんは北海道の夕張に20年近く住んでいた。数年前北海道に行った知り合いは、風間さんの自宅ギャラリーを訪れている。風間さんの家の窓にはガラスがなくビニールがヒラヒラと貼られていたそうだ。冬でもそのまま。夕張の冬はマイナス20度になるはず。自分のことを「体が弱い」と言っている風間さんだが、そんな部屋に住めるのなら十分丈夫なような気がするが…  焼酎を飲む理由も寒さ対策だったのだろうな。伝説になるであろう井の頭写真販売を堪能し、帰り道「狼の毛で作った筆」を買い、吉祥寺駅前のハモニカ横町で飲んで帰った。かなり充実した休日である。

 

暗室のあとの定食

朝=おろしへぎ蕎麦/夜=高円寺「フジ」の定食、ポテトサラダ

前回現像した8x10のネガをプリントするために暗室へ。20x25センチもある大きなフィルムなのでベタ焼きを作る。なんの印画紙で焼こうかと悩んでいたら10年前に期限が切れているフォードのバラ板印画紙が15枚くらい箱の中に残っていたので、それを使うことに。ちゃんと焼けたように思えたのだが、水洗が済んで明るいところでチェックすると、かなり印画紙が劣化していて白いところが薄いグレーになっていた。それも味のような感じだし、本番プリントではないので問題はない。手持ちの8x10にストロボの組み合わせはバッチリだった。もう少し撮り溜めてみよう。13時に暗室に入って17時に終了。いま僕が暗室で集中できるのは4時間くらい。

家に戻るとすぐに銭湯へ。そして洋食「フジ」で定食にビール。ハンバーグと串カツがついていてラッキー。家に戻ると眠くてたまらない。夜9時にはベッドに倒れ込んで、結局そのまま寝てしまった。

 

<2004年6月22日の日記から>

先週の「デイズフォトギャラリー」のワークショップ第2回目の講師は、ハービー山口だった。写真集や著作も持っているファンのため、とても楽しみにしていた。第一印象は「エッ、この人がハービー山口なの?」ハービーという名前や写真から、なんとなく細身で言葉数少なく、神経質そうな人を想像していたのだ。本人はとにかくよく喋る。世間話からはじまって、病弱な少年時代、ハービーの名前の由来、ロンドン時代の体験から写真を撮り続ける理由まで。僕の好きな「それがパンクなんだ!」の話しもあった。あまりの語り口の面白さにメモを取ることさえ忘れてしまう。そして極めつけはスライドショー。山崎まさよしのCDに合わせて「代官山17番地」が流れる。写真集で知っているくせにジーンときた。感動した。スライドショーいいかも、と思ってしまう。パソコンのスライドシューではなくてガチャガチャとアナログなスライドショー。ハービーさんに見てもらった講評での写真は、元アシWの結婚式を撮ったもの。とても喜んでもらえた。このワークショップはゲスト講師が受講者の写真を講評してくれる。毎回新作を作るのは大変だが、こんなチャンスはめったにない。会が終わってからも話しはとまらない。外に出て彼がバイクにまたがるまで続いた。とってもエキサイティングな一夜だったのだ。

クリスティーネ

朝=ネギ肉ソーメン/夜=豚の角煮丼、ポテトサラダ

週末が過ぎて月曜日の午前中が一番のんびりできる。でもゴロゴロしていてもなんだか落ち着かないので、2B Channnelの動画を1本収録。フォーマットを決めて話すだけなので、割と簡単に作ることができる。1時間で原稿を書いて、リハーサルを1回、そこから本番収録。すぐに編集してアップ。3時間くらいで全て終えることができるようになった。内容は「カメラマンと写真家」というオーソドックスな物だけど、こういうものは意外と見てもらえる。たまにコメントで説教されることもあるけど、それもちょっと面白い。

午後から、東銀座の銀一cocoギャラリーに野口智弘さんの写真展「川風」を見にいく。写真集も出ていて触り心地がいいなあと思っていたら、ヴァンヌーボーだった。写真集好きにはたまらない紙なのだ。即購入。多摩川のほとりにテーブル出しておじさんが集まって飲んでいる写真があって心から「いいなあ」と思ってしまった。

銀座から中野坂上に出て写真大ギャラリーへ。古屋誠一写真展「第一章 妻 1978.2-1981.11」。工芸大が今年364枚のオリジナルプリントをコレクションし、それを展示していた。これは大変なものを見てしまった。ちょどギャラリーに誰もいなかったので、椅子を写真の前まで引っ張ってきてずっと見ていた。1枚目、1978年のクリスティーネは少女だった。くったくのない笑顔を古谷さんに見せている。そして最後は1980年、彼女は妊娠してお腹が大きくなっている。表情が固い。もしかしたらそういうカットを古谷さんが選んでいるのかもしれない。それはわからない。今回は第一章で続きがある。見るのが怖い。けれど見てしまうだろう。結末を知っているから、そこへカウントダウンされていく過程。何度も見ているのに目が離せない。https://sfumart.com/exhibition/5610/

 

<2016年6月21日の日記から>

フランスに無事荷物が到着。写真は無事事務局に届いた。やれやれ。これで一安心。

先週金曜日に『日本カメラ』、月曜日は『写ガール』のコンテストの審査だった。『日本カメラ』は8年ぶり3度目の年間審査、『写ガール』は3年ほど続けてやっている。『日本カメラ』は全て一人で見なくてはならず、編集者もいない小部屋で黙々と1000枚近い写真を見ていく。見るのはいくらでも見るが、その後の講評がまた大変。8年前の同誌の審査で「良い写真とは何か?」と結構深刻に悩んでしまった。これが金賞でこれは銀賞という判断基準がわからなくなったのだ。なので『写ガール』では話をもらった時に、毎回ゲストを呼んでもらうことを編集部にお願いした。前号は飯沢耕太郎さん、今月号は「Blitz」ギャラリーの福川芳郎さんがお相手だった。毎回自分の選んだものと、ゲストが選んだものを前に「なぜこれを選んだか」を説明しあう。写真家の大橋愛さんとやった時は お互い10枚づつ選んで見事に1枚もかぶらなかった。そうなると、どれを入賞にするかプレゼンしあうことになる。毎回暫定的に順位を決めて話をしていくのだが、順位はどんどん変わっていく。たくさん話ができた写真は上位に、良い写真だとは思うが、お互い話が弾まない写真は下位になる。良い写真の定義のひとつとして「論争がおきるもの」と考えている。話す要素が多ければ多いほど面白いということになる。反対に美しい写真は、美しいことしか話す要素がないので面白さにかけることになる。「美しい写真だよね」と言ったきり次の言葉が出てこないのだ。これではつまらない。審査を続ける中で、美しいということには注意が必要なんだと理解できた。今回は福川さんが押すポイントが鋭くて、最初は自分は選ばなかった写真がどんどん面白く見えてきた。福川さんはギャラリストというのは「見立て」をする人だと言っていた。提示があることで写真の見え方は変わる。誰が見立てるかはもちろん重要だ。審査は「良い写真とはなにか」の考えをアップデートするきっかけになっている。

センチメンタルなアーバス

朝=鮭とキャベツの玄米フィットチーネ/夜=玄米トマトリゾット/夜食=フルーツサラダ、ゴルゴンゾーラのピザ

日曜の「H+」のワークショップは、鈴木麻弓さんが急遽特別参加で、東京都写真美術館へ。20年前に僕のアシスタントしていた彼女は、現在は日大芸術学部の准教授だ。今回の「メメントモリ」の展示は、かなりお得感があると参加者全員が言っている。とても良いコレクション展だ。死と写真という切り口もいい。こういうのをもっと見たい。

ずっと写真の枠の拡張の話をしているけど、個人的に20歳の頃に触れた写真が刷り込みのようになっているのは間違いない。音楽もそうだ。40年経ってもあの頃聴いていた音楽を、今でもかけている。ただ「あの頃が最高だよね」とは言いたくないだけ。写真で生きているのだから、新しいことも知りたいし、知る必要もある。

今回の展示で一番響いたのは、荒木経惟の「センチメンタルな旅」とダイアン・アーバスだった。意外だったのは古谷誠一の「メモワール」がなかったこと。でもそれは工芸大の写大ギャラリーで、ちょうど今始まったところだから、そっちも見に行かないと。

 

<2011年6月20日の日記から>

土曜日、ギャラリーから電話があった。「ワークショップ中にすみません。渡部さん、25枚目が売れました。おめでとうございます。写真集作りましょう」高橋社長からだった。25枚目は「地獄池」だった。この写真は八甲田山登山口近くで撮った、おそらく会場でもっとも印象が強いプリントだ。ワークショップが終わってから、5時に会場に入るとたくさんのお客さんがいた。大阪からわざわざ来て来てくれた方が26枚目を買ってくれた。岩場に波が流れ込んでいるものだ。最後まで会場にいてくれた10人と中野の居酒屋へ。社長とスタッフの宮崎さんも交えて祝杯をあげた。写真集はまだ具体的なことは何も決まっていない。冬青社は現在5冊の写真集を平行して制作していて、年末から大きなイベントに関わることになっている。僕の写真集は来年から制作を始めて、10月の完成を目指す。そして11月に同名の写真展を冬青で開く。今回はパブリシティを含め、全てのことを抜かりなく行う。これが高橋社長の考えだった。1年以上の先の話だが、今まで2冊の写真集は、出すことにいっぱいいっぱいで、先のことはなにも考えられなかった。だからじっくり作るのもいいかもしれないと思えた。とにかく次の話に繋がった。今回プリントを買ってくれた方々には、次回写真集を贈呈する。それには何か特別感を持たせようと社長と相談している。

ふたたび東京都写真美術館へ

朝=焼き鮭、ナスと長ネギの生姜焼き、納豆、白米、味噌汁/夜=鯖寿司、巻き寿司

ワークショップ「H +」3回目の講座で東京都写真美術館へ。「アバンガルドの勃興」「メメントモリ」を観た後、お茶を飲みながら展示の話をする。2B Channnelで話をしている写真の枠の話と繋げながら戦前と戦後で何が変わったのかを説明していく。「メメントモリ」の展示にある写真はマスターピースそのもので、知っていると興奮するはず。翌日も日曜クラスの参加者と見にいくけど、何度見ても大丈夫。回数を重ねると違う面が見えてきそうだ。

写真家のうつゆみこさんと会場内でばったり会う。彼女のファンで、写真集を買ったばかりだったので話をしたかったのだが、あまりに突然過ぎて、あわあわして挨拶だけで終わってしまった。うーん、もったいないことした。

 


<2013年6月19日の日記から>

レビュワーへのサンキューメールも送ってサンタフェ関係もほぼひと段落した。なので今日は一日中どこにも行かず、ずっと家の中。ソファーの上でウトウトしていた。寝ても寝ても眠い。今もあくびを連発している。娘も珍しく家にいる。就活で忙しいから近頃一緒に晩御飯を食べることも少ない。中々大変なようだ。そういえばレビューって集団就職説明会に似ているとアルルの時に感じた。履歴書代りのポートフォリオ。人事の人がレビュワー。ただ、アルルは職探しという感じが色濃かったが、サンタフェはミーティングというのがしっくりきた。写真家とレビュワーだけでなく、写真家同士が情報を共有する場所として機能していた。「ミーティングプレイス」という言葉があるそうで、アメリカの東と西の写真家が意見や情報を交換できるというのはうらやましかった。写真家同士でなければわからないことというのはたくさんある。写真のことを一番考えているのはやはり写真家だからだ。東京一極集中の日本では、なかなかおこりずらい気がする。でもニューヨークとロスは飛行機で5時間。ということは東京を中心とすればアジアがほとんど入る計算になる。そんなアジアフォトグラファーズミーティングプレースが定期的にできたらどんなに楽しいだろう。しかしその場合、東京ではなく、ソウルか上海か、シンガポールということになるんだろうな。今回ほんの少しだが、日本と欧米のアートに対する前提の違いが理解できた気がする。いや、日本でも一線の人は同じ意識を前提としていることも分かった。気がついたことで、ここからスタートなんだと思うとちょっと呆然とした。この感覚は大学を卒業して10年以上たったある日、突然「プリントが分かった」と思った感覚に似ている。この分かったはというのは本質じゃなくて前提のこと。つまりここからスタートなんだと気がついて、がっかりしたのだった。だって同級生はこの感覚を学生時代に持っていたのだ。今回も同じ。他の参加者が始めた時から持っている前提を、52歳にして気がついてしまった。ああ、、、分かってしまえばなーんだ、というのはプリントの時と一緒だった。

アバンガルドとアヤ子

朝=山かけうどん、お稲荷さん/夜=豆腐とオクラの和物、温野菜いろいろ、豚とトウモロコシとズッキーニのバルサミコ炒め、ご飯

ワークショップのカリキュラムの中に美術館巡りがある。今回は東京都写真美術館なので、その下見に行ってみた。3階は「アバンガルド」2階は「メメントモリ」。最近の東写美は日本の写真史的なものと、コレクション展を中心にしている。前回は明治時代の写真黎明期のもので、今回の「アバンガルド」は、戦前の新興写真と呼ばれたものを集めている。これまた、いま2B Channnelでやっている写真の枠の話に付合していて、ちょうど見たかった内容だった。全然写真じゃない。シュールレアリスムの影響を受けていて、イメージを語ろうとしていない。この流れがそのまま戦後も続けば日本の写真は随分と変わったものになっただろうな。

恵比寿を出た後は藤岡亜弥 写真展 「アヤ子 江古田気分」へ。OGUMAG+はオープンなギャラリーでカフェもある。最寄駅はJR田端だった。山手線で今まで降りた記憶のない駅だ。藤岡さんと最初に会ったのは20年前の江古田。「プアハウス」という喫茶店だった。あの頃とキュートさが全然変わってない(笑)本人も「ずっと学生の感じのままで」と言っていた。だから 「アヤ子 江古田気分」なのか。江古田は彼女が通っていた日大芸術学部のあるところ。そこに住んでいた時代、つまり学生の頃の写真を展示している。藤岡さんは「さよならを教えて」でビジュアルアーツのグランプリを撮ってデビューし、次作の「私は眠らない」で写真協会の新人賞、最新作の「川は行く」では木村伊兵衛賞、林忠彦省、伊奈信男賞を同時受賞している。まさに日本を代表する写真家なわけだが、そんな素振りは一切見せない。いつ会ってもキュートだ。そんな人珍しい。

僕の事務所には藤岡さんの作品が飾ってある。赤々舎のギャラリーが清澄白河にあったときに購入したものだ。実はそれが藤岡さんが販売した最初のプリントなんだそうだ。額の中には販売証明書とその時添えられていた手描きの手紙が入れてある。彼女の写真の魅力を言葉で伝えるのは難しいというか、無駄。なので観に行ってみてください。19日(日)まで彼女が在廊するそうです。

 

<2012年6月18日の日記から>

近頃ずっと、iPhoneやipadにメモを残して手帳を使っていなかった。実用的にはそれでなんの問題もないが、必要事項ばかり短的に書いてあるだけで見返してもつまらないことに気がついた。尾仲浩二「あの頃東京で」を読むと実に詳細に当時の様子が書かれている。尾仲さんに「なぜこんなに覚えているの?」と尋ねたら「手帳の隅っこに書いてあった走り書きから、いろいろなことを思い出す」と言っていた。僕は2002年あたりから、ずっとスケジュール管理をあるwebサービスで行っていた。簡単に書き込めてどこからでも見れるのは便利で10年近くずっと使っていた。ところが一昨年からiPhoneを使い始めて徐々に書き込みが減っていき、iPad導入と同時に使わなくなってしまった。久しぶりにに先日開いて見たら、なんと、サービスがなくなっていた。事前に打ち切りのアナウンスが流れていたんだろうが気がつかなかった。10年分の記録がパー。ちょっとショックだった。この日記も以前は「さるさる日記」というサービスだったが打ち切りになってここに移行している。その時、2年間英語でつけていた日記を移し忘れてしまいデータをなくしてしまった。クラウド、クラウドと言われているが結構脆いものだということを実感してしまった。そこで手帳の復活を考えた。紙に走り書きをして、それをiPhoneで撮影しておく。これはいけそうな感じだ。

今日の分を写し書きするとーーーー6月18日月曜日 11時冬青社打ち合わせ 印刷テスト刷り 。印刷紙はニューエイジに決定 。ちょっとクリームがかかってきれい。サイズ 用紙 259x253 写真230x229。表紙デザイン決定。社長のアイディア。かなりいい。次回は7月2日13時 東高円寺プール1時間。血圧116ー72帰りに盛りそば大 650円。三平で買い物。カツオとイナダ。家に帰って黒ビールで乾杯。

 

カラーフィールド

朝=素うどん/昼=駅弁「牛肉ど真ん中」/夜=へぎ蕎麦、「まめた」のお稲荷さん

千葉県佐倉市にある川村美術館へ。年に一度くらいの割合で行っている現代美術館だ。広大な庭園があるので散策もできる。午前9時55分の東京駅発の直通バスが出ている。1時間くらいで着いてしまうので、都内からだとこれがいちばん便利だ。

現在は「カラーフィールド 色の海を泳ぐ」という企画展をやっている。1950年後半から60年にかけてのアメリカを中心にした抽象絵画の流れ。昨年見たのは「ミニマリスムとコンセプチュアルアート」」だったので時代はひとつ遡ることになる。絵画が枠を超えることで絵画というものを確かめようとしている時代で、ある作家の試みに刺激を受けてその手法を取り入れて、さらに高次の物を作り出すことによって、また次の作家を刺激していった時代だそうだ。ちょうど2B Channnelで写真の枠のことを話していたからタイムリーだった。広大な庭園の芝生で、持参したお弁当を食べて、展示を見て、途中でおやつタイムを挟んで、14時からのギャラリーツアーに参加して解説してもらった。なんと偶然にも案内人は2Bに参加してくれていた方だった。

川村美術館は常設展もすごい。よくまあ、こんなに現代アートを集めたものだ。あれもこれも一流作家の一流品が並んでいる。帰りのバスが3時半というのが残念なのだが、結果、通勤帰宅ラッシュにも巻き込まれずに家に着くことができた。次回の企画展はマン・レイだそうだ。彼の写真作品が15億円で落札されたばかり。今度は美術史講座のツアーとかで行ったら楽しそうだ。

 


<2013年6月17日の日記から>

帰国後に時差ぼけになるかと思ったら、夜11時に眠くなって、朝6時半に目がぱっちり覚める。極めて健康的な体になってしまった。おかげでやらなければならないことがはかどるはかどる。翌日から仕事をしたり、ギャラリー冬青に報告にいったり、土日のワークショップの後に連日餃子屋で報告会をしたりと忙しかった。話題はサンタフェで仕入れてきた「現代アートと写真」。びっくりするほど単純なキーワードで説明がついたことを話した。「考えることを共有するための仕組み」。そこにいたるまでの説明は長いのだが、結論は単純だった。というより頭で分かっていたことが体に入り込んだ感じだ。このキーワードを用いることで、今までモヤモヤしていたことが全部クリアになった。この話は求められれば何度でも話していこうと思う。数ヶ月前、母が亡くなったときに「ニュータイプ」宣言をしたが、それが形となって現れた感じ。冬青でニュータイプ宣言をしたら「えっ、作風変わっちゃうんですか?」と本気で心配された(笑)大丈夫です。意識は変わってもモノクロであることは変わりません。

カメラの話は楽しい

朝=新玉とベーコンとパプリカのパスタ/夜=ブロッコリーとカボチャの蒸し焼き、鶏肉と長ネギのサンバルチリ炒め、新玉とシラスの炒めご飯、とろろ芋のお汁

水曜日は2B Channnelライブの日。1時間話すネタを探すのがいつも大変なのだが、今回は発売されたばかりの雑誌『カメラホリックス』がライカ特集だったので、それを使わせてもらうことにした。紹介されている写真家が、55歳から70歳くらいで僕と同世代。だからいくらでも話ができる。ライカはそんなに使っている訳ではないが、折々に触らせてもらったりしているのでよく知っている。

僕は昔からライカよりもハッセルだったりローライだったりと正方形のフォーマットが好きだ。でもライカって不思議な魅力というかブランド力があって、他社と全く競合しない強みがある。今どきマニュアルフォーカスなのに100万円以上もするアポズミクロンの35mmなのに、バックオーダーが溜まりすぎて手に入れるのに数年待ちだそうだ。今回のライブは楽しかった。それが見ている人にも伝わったみたいだ。なんと言っても『旅するカメラ』の作者だからね(笑)。

2B Channnelの動画「こんなの写真じゃないと思う理由を説明してみます」が、2日間で6千回くらい視聴率されている。コメントも多くいただいたが、多くは内容に戸惑っているみたいだ。7分くらいの短い動画なので説明しきれてない面もあるので、金曜日に補足というか、再説明の動画を上げることにした。「なんで枠を考える必要があるのか」というもの。

 


<2011年6月11日の日記から>

今回は毎日ギャラリーにいくことにしている。こんなことは今まで初めてだ。本気で今年9月にアメリカに行こうとしていたので、昨年から少しづつ依頼撮影を減らして今年に備えていたのがあだになって、この不況とかさなり6月のスケジュールがぽっかりあいてしまった。それなら会場にいようと思ったのだ。来てくれた人は、平日に本人が座って待っているものだから驚いている(笑)。「結婚しました」と報告に来てくれた女性がいた。別人かと思うくらい表情が変わっている。口角が上がり、目じりが下がり、やわらかくてきれいになっている。女性にとって結婚って凄いんだなあと感じた。顔で笑っているんじゃなくて、全身で笑っているような、オーラとか自分には見えないけれど確実になんか出ている。彼のことを話すときの幸せそうな顔ったら。その彼のことも良く知っているので、今度結婚写真を撮ってあげることにした。場所はスタジオとかじゃなくて、新居のリビングがいい。それは今「消費」する写真じゃなくて、生まれてくるであろう彼等の子どもが結婚するときに見る写真。母親と父親が暮らし始めたときはこうだったと記憶をたどれる写にしたい。今回の僕の写真展で一番考えているのは「写真の消費時間」だ。それは今必要なのか、それとも何十年後なのか。「SilentShadow」は間違いなく後者だ。今は普通の東北の風景だから消費するのは今でなくていい。ずっと先のいつか、必要になってくる日が必ず来ると信じている。