「つまらない」のでやり直す

朝=笹巻き、納豆/夜=セブンの坦々麺、コロッケ

早朝から妻が家にいない日は、朝ご飯と夕飯に何を食べるかというこを決めるのにとにエネルギーを使う。いろいろ考えた挙句、結局セブンで買ってきたものになった。

午前中から1本の動画を作る。座ってただ喋っているだけなので、この日記を朗読しているようなものだ。今回は「縦位置にカメラを構えるときにカメラをもつ右手は上にくるか、下にくるか?」について。Twitterにこのことについてのアンケートが出ていて、右手は上が7割、下が3割という結果だった。意外と右が下の割合が多いなと感じたので、すかさず動画を作ったわけだ。ネタ探しが大変(笑)。

その後、来月予定している、母校のオムニバス講座の資料のまとめ。できあがったのもを、時間を計りながら一度頭から話してみたのだが、20分経過した時点で「つまらない」と思ってしまった。話している本人がつまらないのだから、聞いている方は間違いなくつまらない。ということで一からやり直すことにした。オムニバスなので連続ものでない難しさがある。講義というよりトークイベントだと思えばいいと思うことにした。持ち時間は質疑応答を入れてきっかり90分。誘導がまるできかないので大変。

 

<2013年6月24日の日記から>

2日間で通常の3倍以上のアクセスがあった。SNSを通して多くの人が見てくれたようだ。週末に会った人との話題もほぼこの日記についてだった。「問題意識を持たないと写真を撮ってはいけないのか? 好きに撮ることに意味はないのか?」。そんなことはない。あくまで「現代アート」のくくりではそういったことが行われているのではないかという個人の考えにすぎず、これがすべてではないことは自明であり、もっともっと多用で複雑なはず。これで僕の写真のスタイルが突然ノスタルジーから大きく振れることもないだろうし、いきなり問題意識を持って撮影に臨むということもない。ただ、今までの「世界のどこかに自分の写真を受けれいれてくれる人がいるはず」という受け身のスタンスから、「いつ、どこで、誰に見せるか」ということを強く意識していくということ。世界には、いろいろな人がいるわけだから、考え方も多様だし、受け入れる写真も多様。それをタントテンポの杉山さんは「スロットに落とし込む」という表現をしていた。スロットに合わないものを差し込んでも弾かれるのは当然。どこにそのスロットがあるか、自分はどのスロットなのかを意識していないと「なぜ分かってくれない」と悩むことになるのではないか。それを知るには、知識として知らなければならないこともたくさんあるし、人の助けがとても必要だし、何より自分の写真を常に考えている必要があると思う。物凄い敏腕マネージャーがついていて「あなたは制作することだけ考えていれば後のことは我々がマーケットに落とし込む」と言ってくれれば別だろうが、「誰かがいいようにしてくれんかなあ」と漠然と思っていてもしょうがない。

人に見せずに撮っていてもいいと思う。それを自分だけで消化するなら、感覚だけを重視して好きにやるほうがいい。でもそれを人に見せて共有しようと思えば「自分の好きなもの撮ったから好きに見て」だけでは足りない気がしている。写真のことを考えるのは面白い。僕はずっと写真を通して世界や人生を考えている。