写真と禅

 朝=トマトリゾット/夜=茶ぞば、お寿司

今日の20時から「無料 美術史プレ講座」申し込みform    

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エアコンが苦手で寝る時は余程のことがない限りつけたくない。妻はエアコンがないと寝れない。毎年これが大問題。

八戸ワークショップが無事終わって、なんだか夏休みが終わったような気分。しかし9月には東京と名古屋でHJの写真展が控えていて、その準備があるし、今日と4日(日)の夜20時からは、「美術史プレ講座」がある。さっきまで資料を見返していた。有料の本講座は11日(日)からスタートする。詳細は以下へ

https://satorw.hatenadiary.com/entry/2024/07/17/194208

2BChannelで山上新平さんの展示から「写真と禅」の話をしている。面白いくらい符合している。「写真と禅」はドイツの哲学者が書いた「弓と禅」からきている。最終的に弓も写真も同じところに行くのだなと山上さんの写真を見ていて思う。

「撮る」は主体の能動的な行為だと思われている。その反対が監視カメラ。客観的だ。そのどちらでもない主体と客体の間。ふたつに分つことのできない状態。そこから生まれる写真は禅的な要素がある。どうやったらそれができるかと言えば修行なんだろうね。頭で理解していては違う。そのことが「弓と禅」では師匠とのやりとりに詳しく書かれている。矢を射るのではなく、矢と自分、それ以上に全てが一体になる境地。一度得られたとしてもすぐに逃げてしまう。スポーツで言うとゾーンと呼ばれる状態なんだと思う。それを禅では「十牛図」と言うもので表している。写真集を出すと言うのは、この「十牛図」をひとつひとつクリアしていくようなものかもしれない。

「写真と禅」

https://youtu.be/An7XA9b89us