戦中の『アサヒカメラ』

朝=蒸し鶏のうどん/夜=キャベツのサラダ、豚ヒレカレー、玄米/夜食=スイカ

対面ワークショップも3回目。来てくれている方たちも、ちょっと慣れてきたようで、ひとつの話題から様々な話が出てくる。こういうのやりたかった。写真は上手くならないけど、写真のことを深く考えることができるワークショップ。

参加者のおひとりが、戦前から戦後にかけての『アサヒカメラ』を数冊持ってきてくれた。戦争中の昭和17年でも発行されていたのには驚いた。表紙は当時の東條英機首相。とはいえ16年12月開戦で翌年の1月だから、まだ切羽詰まる状態でなかったんだろう。それにしてもカメラの広告が結構多かった。舶来もののライカの広告はなかった。1958年になると表紙や口絵がカラーになっている。かなり発色がいいし、内容もかなり充実している。この『アサヒカメラ』は、お借りしたので、今度の2B Channelのネタに使わせてもらおう。

 

<2007年6月27日の日記から>

アルル写真フェスティバルのポートフォリオレビュー参加費250ユーロを銀行から振り込む。公式サイトからで、クレジットカード決済がうまくいかず、結局銀行から振り込まなくてはならなくなった。手数料4000円を含むと、今日のレート169円99銭で換算すると4万5千円也。高いがそれが目的だからしょうがない。事務所に行ったら宅配便の不在連絡表が届いていた。送り主は冬青社とある。写真集だ。急いで宅配便に連絡をとって、すぐに再配達してもらうことにした。1時間後、小ぶりの段ボール1箱が届いた。写真集20冊分。ひとりで持つにはずっしりと重い。焦る気持ちを抑えつつ、カッターで箱を開け、中身を取り出す。『traverse』が出てきた。イメージ通りの表紙の仕上がりだ。1冊取り出して窓際に座ってページをめくる。米沢から始まって東京へ、モンゴルからまた米沢へ、ハワイからアジアの島へと続き、再び東京へ。その後も米沢と東京を軸に中国、台湾、ニューヨーク、パリ、ミャンマー、と写真が続く。印刷所で散々見ているはずなのに新鮮な感じだ。最後まで見終わって、やりたいことがちゃんとできたことに安堵感を覚えた。ホッとした。物はできた。後はこれを必要としてくれる人に届けなくてはならない。