フォビオンで動画

朝=おろし蕎麦/夜=切り干し大根と胡瓜とアボガドの塩昆布サラダ、粗食

土日の夜は美術史の配信。土曜日はギャラリーに7時までいて、そこからタクシー使って帰宅してすぐに配信。日曜日は哲学の回でプラトン、デカルト、カント、ニーチェ、サルトルなどが出てくる。西洋人が考える「存在」と「認識」の話。講座でできるのは全体を通してのアウトラインだけだが、知っていると面白いと思う。いろいろな場面で、哲学が使われているのがわかるし、写真や美術を見るのにも役に立つことが多い。

映像をやっている人から「シグマのフォビオンで動画を撮ってみたい」と言われて、てっきり高解像度が欲しいのかと思いきや「フォビオンって、RGBのセンサーが3層構造になっていて独立しているから、理論上偽色が出ないでしょう。グリーンバックで撮影した時にきれいに抜けるんじゃないかと思って」と言われて、なるほどねえと感心した。そんな発想したことなかった。確かに、グリーンバックの合成ってベイヤーセンサーだと厄介だけど、フォビオンセンサーならグリーンだけきれいに抜けるはずだ。

しかしフォビオンで動画が撮れるものなのか? と思っていたら「DPメリル」という機種までは動画機能が付いていたそうだ。僕はクワトロを使っているので知らなかった。ただしメリルで撮れる動画サイズはVGAという640ピクセルの小さなもの。でも理論的にできるわけなので、技術力でなんとかなるかも。意外と需要が多い気がする。頑張れシグマ。

 

<2003年5月16日の日記から>

今日もベントレーの撮影。真っ白のボディ。サイズがでかいので、位置決めが大変。ちょっとだけ動かすというのが難しい。白で汚れが目立つから、位置決めの後その場でバケツ片手に洗車。モデルは某有名企業の社長。テレビによく出ている。ベントレーより大きな、水色のロールスロイスに乗って登場。大のベントレー好きで何台も持っているという。いっぺんガレージを覗いてみたいもんだ。今回も撮影の間だけ雨がやんだ。ハッセルに150ミリ。新緑をバックにした。現像所帰りに中野のフジヤカメラで三脚用品を買う。いま使っているベルボンのクイックシューがとても使いやすいので、カメラボディ全てにつけることにしたのだ。これで三脚とカメラの取り外しがとても楽になる。ペンタックス672のコーナーで固まる。ボディとレンズ付きで20万円弱で手に入る。よっぽど見せてもらおうか悩んだが、見せてもらったら最後、絶対買うに決まっているのでグッと我慢した。なぜなら、国税還付金がまだ戻っていないのだ。税務署に確認の電話を入れたら「フリーカメラマンとしては取引先があまりに多いので、現在源泉徴収書を発行したところに確認中」という返答。たしかに多くて所定の用紙に源泉徴収書を張り込むのが大変だった気がする。でも、なんにも悪いことはしてないよ。頼むから早く振り込んでくれ。EOS1Dsも75万円くらいで出ていたが、こちらはもう早々と熱は冷めてしまっている。

日曜は冬青はおやすみです

朝=ホットサンド、トマトスープ/昼=赤飯のおにぎり、カップ味噌汁/夜=人参ラペ、クリームチーズとアボガドといぶりがっこ和え、チキンカレー、玄米

土曜日は予報通り晴れた。ちょっと蒸し暑いくらい。会場に着くとハッセルブラッドX1D初代を持っている人が待っていた。2B Channelを見て影響を受けちゃったらしい。メールでもそういった話をたくさんいただく。

以前、僕が「2B」というワークショップをやっていた頃も、新しく買ったカメラのことを楽しそうに話すものだから、つられて買う人がたくさん出てきた。妙な才能があるようだw

「2B Channnelを見るようになって写真展に行ったり写真集を買うのが楽しくなりました」と言ってもらえると本当に嬉しい。人の役に立っていると思えると、続けようという気持ちが湧いてくる。

 

<2009年5月15日の日記から>

A3までスキャンできるスキャナーを買ったので、いままで仕事で撮影した雑誌の切抜きをスキャンすることにした。以前はこまめに雑誌をとっておいたのだが近頃はやらなくなってしまった。出てきたのは2002年から2005年くらいに撮っていたもので、ちょうどフィルム撮影の最後になる頃のものだ。2005年の暮れにキヤノン5Dが発売される。いま見ても、我ながらよく撮れてる(笑)印刷もいい。ああ、そうか。デジタルになってから雑誌の印刷のクオリティがガクッと音をたてて崩れてしまい雑誌の切抜きの保存をやめてしまったのだった。誌面を見るとシノゴで撮ったものが多い。建築、車、料理とポジを使う場合のほとんどがシノゴ。それとハッセルで撮ったモノクロとカラーネガのポートレート。他にも645に35ミリにエイトバイテンのポラロイドを使ったものもある。使っている機材のバラエティが今では考えられないほど多い。見ているういにムズムズっとシノゴを使いたくなった。現在それが許されるのは旅ものしかない。旅ものはいまでもフィルムを使うことを許されている。先日モルジブ取材の打ち合わせをしたときに、その雑誌のバックナンバーを見た。やはり2002年から2005年くらいのものだった。これがまた美しいのだ。当時は「35ミリはNG、最低645。シノゴも当たり前」だったそうだ。打ち合わせでは645のフィルムを使うということになったが、やっぱりここはシノゴでしょう! ワイドエボニーとスーパーアンギュロンという伝説のコンビ再結成である。

 

天気予報では晴れ

朝=あんかけ肉うどん/昼=クルミとお煎餅/夜=わさび菜と晩柑のごまサラダ、きり昆布の煮物、鳥肝と野菜の炒めもの、味噌汁

一日中雨。今日もギャラリーにずっと詰めていた。来てくれた人と話をしているうちに、次回作のアイディアが湧いてきた。お土産にいただいたコダックのコンパクトデジカメ「easy share」を早速使ってみた。感度は変更できないみたいだし、露出補正もできないようだ。その代わり、強力なストロボライトが付いている。雨の中「トライX」のカラーモードにしてモノクロを撮ってみたら、確かに1970年台のモノクロのように写った。「コダクローム」モードもストロボを併用すると面白い。これはいいものをいただいた。しばらくの間は、インスタにアップするのに使ってみよう。

 

<2004年5月14日の日記から>

娘と二人の夕食。カレーとサラダ。昨夜はデイズフォトギャラリー主催のワークショップ「メイキングモノクローム」の第1回目だった。ゲスト講師は本橋成一さん。毎回すごい写真家がモノクロについて語ってくれる。月一度、12回、1年かけてのワークショップだ。座学の後、合評会となり各人がそれぞれのモノクロ作品を講師に見てもらう。一流の人の話は面白い。全部がためになるというのではなく、一言が効く。その一言を聞きに行っているわけだ。合評会は緊張した。米沢の写真を12枚持っていったのだが、本橋氏が「うーん」と腕組みをして写真を見る。それだけで緊張で背中の辺りが痛い。周りの人も覗き込んでいる。ああ、この雰囲気は売り込みの時と似ている。「これだけじゃなくて、数年撮り続けた方がいいね」と言われる。そのつもりです。モノクロを始めて間もない人と、専門の教育をうけた人は半々くらい。作品の質や内容も様々だった。写真展を目標に制作している人も数人いた。雑多な感じがいい。いろいろな人がいて楽しそうだ。これから毎月新しい写真を持って行かなければならない。新作を持っていくことを自分の約束にしている。が、これは結構大変だ。講座が終わった後、懇親会で居酒屋へ。小林紀晴さんも顔を出した。ちょっとだけ話しをする。始めてだがいい感じの人だった。受講生には彼のファンも多いようだ。来月の講師はハービー山口さんだ。なにを撮って行こうか。

お土産にデジカメをいただいた

朝=鳥のそぼろ煮、納豆、白米、味噌汁/昼=おにぎり2個/夜=晩柑とチーズサラダ、とり唐揚げとブロッコリーの蒸しオイル焼き、モロヘイヤスープ、ホタルイカとトマトの玄米パスタ

普段は2食なのに、写真展が始まってから、毎日三食で、差し入れのおやつも食べてる。そしてギャラリーではトイレ以外、一歩も動かない。こころなしか、体が重い。

僕の初個展は32歳の時、銀座のコダックフォトサロンだった。たった1週間の会期だったが、初日は緊張の連続で、家に帰ったら眩暈がした。エプサイトでの展示を終えた本田光さんが冬青にやってきて「初展示の時は目眩がするよって渡部さんが言ってましたけど、あれって比喩じゃなくて本当に家に帰ったら目眩がしました」。お疲れ様、本当だったでしょ(笑)。

展示を見にきてくれた方が「お土産です」と言って10年前のコダックのコンパクトデジカメを持って来てくれた。「easy share」という機種で初めて見た。シェアと機種名にあるようにSNSに連動させることができるみたいなのだ。SNSが日本で広がるのが2011年くらいだから、時代を先取りしている。携帯のカメラの性能がまだまだで、2011年というとiPhone4sでようやく固定焦点からAFに変わった頃。コンパクトカメラが最も売れた年だ。2012年にコダックは会社再生法を申請しているから最後のデジカメになるのかな。

デジカメを発明したのはコダックで、そのデジカメの普及でフィルムが売れなくなって会社が潰れてしまった。皮肉なものだ。

その「easy share」にはカラーモードが付いていて「コダクローム」や「エクタクローム」が選べる。動画も撮れるのでコダクローム調のムービーになる。それとストロボが内蔵されていていい感じに映る。画素数は1400万画素で、ムービーはHD。これは面白そうだ。

 

<2007年5月13日の日記から>

上海。「どこか行きたい所ある?」という質問には、当然「おもしろそうなカメラ屋」とニヤリ。ホテルから歩いて10分にあった、ビルひとつが全部カメラショップという夢のような場所に連れて行ってもらう。カメラショップ、プロ機材屋、中古カメラ屋の各店がひとつのビルに集まっている。1階2階は三脚やバック、デジタルカメラといった一般向けのお店、3階4階にプロショップ、5階6階は中古カメラ屋と、階が上がるに連れて徐々にディープになる。小さいカメラ屋の集合だから同じようなものが店を変えて売っていたりする。

驚いたのが大判カメラの充実ぶりで、エイトバイテンからパノラマまで種類も品揃えも豊富なのだ。中国人は大きなカメラを使う人がまだ多いらしい。よく言えば中国オリジナル、本当はコピー商品も多く並んでいる。どうみてもジッツォの三脚としか思えないものを「オリジナルだ」と主張する。でも結構丈夫そう。値段は3分の1だ。どうやらコピー商品の値段はオリジナルの3分の1が基本のようだ。

1軒の中古屋にハッセルそっくりの使い込んだ中古カメラが置いてあった。「東風」と読める。海原さんも初めて見たと言っている。どうせキエフのようなコピー商品だろうし、値段が安かったら買ってみようかな、と店主に値段を聞いてもらった。「12万元」「エッ、」もう一度海原さんが尋ねると電卓に「120000」と数字を出した。1元が17円くらいだから2百4万円! 超レアものだったのだ。中国にはライカの完全コピー版の「紅旗」というカメラがある。報道関係者用に作られた「紅旗」は作りの良さに加えて製造台数の少なさから、今では数百万円はする。大体、市場に出ることはないので値段のつけようがないのだ。「東風」も同じようなものなのか? 「紅旗」が報道用なら「東風」はコマーシャル用か。いずれにせよありがいたいものを拝むことができた。
お土産に、中国製エイトバイテンホルダー2枚。1枚450元7,600円。「Leica」の銘が堂々と入ったアルチザンアンドアーチストそっくりの皮製ネックストラップ250元4,250円。やはり「Leica」と入った皮製ハンドストラップ2本で150元2,550円。ローライ2.8F用縮緬塗装の新品フード400元6800円。一眼レフ用のアングルファインダー350元5950円。小物がねらい目。面白い「オリジナル物」が満載だ。探せばいろいろ出てきそうだ。それと中国製大判パノラマカメラは非常にそそられる。業者になったら儲かるかな。帰りのフライト時間は、うまいこと偏西風に乗り、2時間20分で着いてしまった。それって東京から米沢までの新幹線の所要時間だ。なんだ上海、近いではないか。

 

モノクロフィルム

朝=にんじんの炊き込みご飯、蒟蒻の胡麻油煮、おくらと蒸し鶏の塩昆布あえ、山芋の味噌汁/夜=枝豆のコロッケ、米沢の牛肉弁当、鳥そば

8年前に1000円だったモノクロフィルムは、今では1500円以上。そう遠くない将来に2000円になるんだろう。写真学校で暗室実習をやるのは無理が出てきた。数本撮影するだけで1日のバイト代を超えてしまう。以前僕のワークショップでは「焼いたプリントを積み上げて膝の高さにならないと本当のプリントの面白さがわからないよ」と言っていた。

ある日突然「あ、焼けた」という感覚になる時がある。それがプリントにはまるきっかけとも言える。その感覚を知る前と知った後では写真を見る目が変わってしまうほどだ。でもそれを知るには膨大な時間とコストがかかる。フィルムも印画紙も高級品になった今では、その感覚を掴める学生はほとんどいないだろう。そうなってくると、逆張りでフィルムと印画紙にこだわることでポジションを掴める若い人も出てくるかもしれない。

僕自身、「あ、焼けた」と思った瞬間は、33歳くらいのことで、大学を卒業して10年以上経った頃だった。その時は、嬉しさよりも、同級生の中でこの感覚を学生時代に知っていたものがいたことに気がついて呆然となった。今やっている僕の写真展では、それ以降のプリントを展示している。  

 

<2014年5月12日の日記から>

4000円のマグロの刺身が1500円で売っていた。それと100円のシメサバ。コダックのモノクロフィルムが6月から現行の1.5倍以上の値段になるというアナウンスが出た。そうなると35ミリで1本1000円近くなる。ほんの数年前まで300円弱で売っていたというのに。将来的に1本1000円になり、それで上げどまりになるだろうとは予想していたが、段階が急すぎてさすがに驚いた。とにかくトライXのブローニー60本と35ミリ90本を注文。使い切ったらフジにするか、イルフォードにするか、そのままコダックを使い続けるかコストと仕上がりを試して決める。10年持つフィルムや印画紙があったら買いだめできるから問題ないのだが、ナマモノだからよくて3年持てばいいほうだ。すでに仕事の撮影はデジタルになって久しいが、曖昧な対象を撮ることが多い個人的な写真では、フィルムと印画紙の組み合わせが向いていると思うので使っている。僕のワークショップでもフィルムがメインだが、あまり負担が多くなるようだったら考えないといけないかな。

 

「全振り」

朝=サーモンのオイル焼き、ナスの生姜焼き、納豆、白米、卵の味噌汁/昼=おにぎり2個/夜=手羽元とピーマンのスパイス焼き、豆腐とキュウリのサラダ、玄米ナシゴレン、野菜スープ

写真展初日から、販売済みのプリントは展示から外して、他のものに変えていたが、来ていただいた方から「あの、写真が見たかった」という声が多かったので、本日から販売済みのプリントを再展示することにしました。

ギャラリー冬青の展示は1か月ごとに作家が交代する。架け替えの準備もあるので、実質3週間。僕はよほどの体調不良がない限り在廊することにしている。この期間は、全ての予定を空けて展示に集中している。集中と言っても会場に座っているだけだが。なのに会期序盤はヘトヘトになる。半分を過ぎるとようやく慣れてきて楽しくなり、調子が良くなったところで終了という感じ。人が多くても大変だし、少ないともっと大変。多分いちばん大変なのは誰も来ない時だろう。ありがたいことにまだ経験はないが、想像するだに辛いだろうなあ。

Youtubeを続けてみてわかったけど、登録者が3万人以上いる人はYoutubeに全力を傾けている。「全振り」できないと3万人は無理。僕は写真展期間中はそこに「全振り」して来たから、10年という長い間、展示の機会をもらえているのだと思っている。

 

<2006年5月11日の日記から>

ワークショップに参加してくれていた女性が、めでたく結婚することとなった。報告を受けたときに「結婚記念に渡部さんに写真を撮ってもらいたい」とお願いされた。おめでたいことだ断る理由はない。友人が結婚した時の撮影でずっとそうしていたように、新居で撮ることにした。仕上がりだけを考えるのなら事務所にきてもらうほうがいいのだが、僕は新居にこだわる。結婚当時の新居は数年で移ってしまうことが多い。どんなとこだったか、いつしか忘れてしまう。子どもができてその子が結婚するときに「これが私たちが結婚した時に住んでいたところ」と写真を見せてほしいのだ。だから、わざと台所やリビングなどの生活感が出る場所を探したりする。撮影にはローライ一台だけ持っていった。光のいい場所に立ってもらいゆっくり撮影した。室内はネガカラー、外の公園ではモノクロを使った。今日はそのプリント。一日かけてプリントする。仕事のプリントは印刷の時まで持てば問題ないが、彼女に渡すものは一生ものにになる。幸せそうに笑うふたりの写真は、プリントしていて気持ちがよくなる。

 

10日(火)もずっと会場にいます

朝=へぎ蕎麦/夜=青菜のニンニク炒め、豚と空豆の八角煮、帆立ラーメン、玄米、野菜の味噌汁

1年以上弾いてなかったウクレレ。以前は週末になると、ウクレレ仲間がうちに集まって皆で練習をしていたけど、コロナのせいでできなくなってしまった。しばらくはひとりで弾いていたが、なかなか続かない。いつの間にか壁のオブジェになってしまっていたが、つい先日、地域集会所の音楽室に数人が来て、一緒に弾いたらやっぱり楽しい。もうすっかり曲を忘れていた。何百回と弾いた曲ですらうろ覚え。

ミュージシャンというか音楽家と呼ばれる人たちは、数十年前のものでも覚えているというから、記憶領域が違っているんだと思う。僕は写真に関する記憶はかなり高い方だ。いつ、どんな時に、どのくらいの露出で撮ったかだいたいは覚えている。もしかして専門家の条件といのは、特定の事柄に関する記憶力なのかもしれない。スポーツマンなら筋肉の動きの記憶ということだ。写真家は文章を書く人が多いが、それも映像記憶と関係があるのかもしれない。

 

<2018年5月10日の日記から>

家のレイアウトがワークショップ用になってしまった。人が集まるからとエアコンも2機新しくしたし、A3エコタンクプリンターも買ってしまった。引っ越しもあったし、ここ数ヶ月の出費はえらいこっちゃ。しかも来週にはネコが2匹もくる。つまりネコ付きワークショップとなるわけだよ。すごいコンテンツだ(笑)。それにしてもこの家は人が集まるのにちょうどよくできている。土曜日と日曜日の午前中は写真のワークショップだけど、夜は違うことに使うつもりだ。第一弾はウクレレ。5人くらい集まってウクレレ弾いてご飯を一緒に食べる。その道を極めたりしない。友人が、そういうのを「お稽古」って言うのよと教えてくれた。仕事だけじゃなくて、家庭だけじゃなくて、集まってなにかをする。こういうのをコミニュティって言うんだろうな。10年以上前にハービー山口さんから「僕はひとつの外国語と、ひとつの楽器ができたことで、人生が豊かになった」と聞かされてずっと心に残っていた。ハービーさんの名前の由来はフルート奏者のハービーマンからきているのは有名な話で、ハービーさん自身もフルートを吹いている。それに70年代はロンドンに住んでいたから英語は堪能。それがあったから英語を始めたというのも大きい。そして今年ようやく楽器にたどりついた。英語もウクレレも趣味。

 

コダックのエクタルア

朝=ホットサンド、野菜トマトスープ/夜=玄米のドライカレー、胡瓜と切り干大根と生ハムのサラダ

冬青で展示している「午後の最後の日射」のプリントはコダックのエクタルアという印画紙を使っている。表面が縮緬状になっていて、マットとも半光沢とも違う。ベースの色は乳白色と言うよりクリーム色に近い。銀の含有量が多いから黒が締まって見える。ただしコントラストは変えられない。プリント時には明るさしか変えられないから、ネガの調子が整ってないとプリントすることはできない。

エクタルアを使うようになったのはセイケトミオさんのプリントを見たからだ。PGIというギャラリーで見た時に「こんなプリントをしてみたい」と思った。いま思えば、あの時プリントを買うべきだった。もう手の届かない値段になってしまって、いまでも後悔している。

セイケさんが使っていたのがエクタルアだった。それから全てをエクタルアに合わせて考えるようになった。オーディオでいうなら、鳴らしたいスピーカーがあって、そのためにシステムを組むようなものだ。最終的な出口がエクタルアに決まったことで、露出や明暗差というものがわかるようになってきた。エクタルアが使えるようになったことで、モノクロプリントの面白さがわかった。エクタルアを使わず、それまでのようにコントラストを変化させられるものを使っていたら、途中でモノクロをやめていたかもしれない。

それだけに、2002年頃に生産中止になった時のショックは大きかった。その後ようやく見つけたアグファMC111も2005年で生産終了というかアグファ自体が消滅してしまった。その度に次のものを探すのに時間と手間をかけることになる。正直モノクロは昔焼いたもの以上のものが作れる気がしない。

最近、カラーネガフィルムを大量に仕入れた。もうこれが最後になるかもしれないという危機感もある。5月の写真展が終わったら夏は積極的に撮影することになる。

 

<2009年5月9日の日記から>

米沢のプリントを2日間かけてプリント。ようやく調子が出てきた。「俺って天才!」と思えてきた。これで絞り、秒数、コントラスト、印画紙現像時間の基本設定が確立した。後はこのまま焼くだけ。基本的に覆い焼きも焼きこみもしないストレート焼き。こうなると焼くのが楽しい。これまで焼いたプリントはゴミ箱へ。ここで大問題が発生。印画紙のストックがもう残り少ない。後120枚ちょっと。設定を出すのに使いすぎたようだ。実は使っている印画紙がデッドストックのアグファ111。とてもいい印画紙だったが製造元のアグファが会社精算。最後の流通分200枚以上を買ってあった。サイズは大四つ切。これで25カットのプリントを作るつもりだ。販売用も考えると残りを丁寧に使わないと。でも、「俺って天才」って思えたのは大きい。少なくとも自分くらいそう思えないと1ヶ月の展示は荷が重過ぎる。7月の会期が近づくにつれ「作品できました?」と聞かれることが多くなった。実はまだギャラリー冬青には何も見せていない。何を撮っているかも言ってない。昨年パリフォトの時「渡部さんは7月だから」と言われたきり打ち合わせもしてない。7月の冬青の展示は撮り下ろし。初めての経験だ。

今日も会場にいます

朝=おろしうどん、鯖寿司/夜=キャベツと晩柑のサラダ、じゃがいもガレット、トマトとホタルイカの玄米パスタ/デザート=いただいき物のフルーツタルト

写真展「午後の最後の日射」初日。やっぱり緊張する。見てもらうためにやっているのに、じっと見られると恥ずかしいというか。ただ、今回は25年前のプリントなので、別人格が作ったものだと思うことにしている。なのでちょっとだけ客観的に見ることができる。

展示プリントは1点ものを販売しているので、売れるとその写真は外して別なプリントと入れ替えている。初日の開場直後に、DMのイメージが売れたため、その写真は外されてしまった。だからDMで使われたプリントを見れた人はごくわずか。昨年の「銀の粒」の展示でもそうだった。DMの写真が見られない展示というのも珍しいと思う。

2B Channel効果もあって、初日からひっきりなしにお客さんがきてくれた。ありがとうございます。プリントも、5点買っていただいたので、5つのイメージが別なものと入れ替えられた。7日(土)も11時から在廊しますので、なんでも聞いてください。

 

<2009年5月7日の日記から>

久しぶりにボストンのギャラリーからメールがあった。「あなたの作品が無事グリフィンフォトミュージアムのパーマネントコレクションに追加されました。あなたはそれを公式の自己紹介文に載せることができます。以下はそのレシートです。価格は1点750ドルになりました」とあった。おお、よかった。作品を受け取ったと連絡があってから時間があったので、どうなっているのかと思っていた。これでフランスとアメリカの美術館に作品が収蔵されたことになる。これで履歴書に書くことが増えた(笑)
インターネットはyoutubeで分かるように動画の配信が当たり前になってきた。サーバーを持たずともwebチャンネルのサイトで個人配信することが可能だ。POLOSという新しい動画サイトで写真家のインタビューが始まった。写真芸術の現場。肉声って生々しい。活字では感じられないリアリティがある。音って面白い。制作しているのは水谷充氏。組織ではなく個人だ。全部一人で作って配信している。これまで動画はテレビ局が大勢のクルーを使って大掛かりに作るものだったが機材の発達に伴い撮影から編集まで個人でできるようになった。配信もWEB上で行うことができる。個人のスキルがあれば一人テレビ局が開設できるのだ。五味さん、横木さんの次の回に僕が取りあげてもらえることになっている。今日最終チェックに水谷さんの事務所に伺った。
完成したばかりの動画を見る。ワークショップの様子を主に構成してある。撮影実習やプリント実習の様子、グループ展搬入などを交え僕がインタビューに答えていく。前半15分後半15分の30分番組だ。僕がインタビューに応じ、長い時間話したところを編集していくのだが、伝えたいツボがぴったりはまっている。これは彼が写真の人だから分かるツボのような気がする。彼に「何か気になるところある?」と聞かれたが僕の返事は首を大きく左右に振るだけ。リアルな48歳の自分がそこにいる。WEBチャンネルのいいところはいつでも何度でも見れることだ。近い将来には英語の字幕も付く予定だそうだ。そうなれば国境も越える。

冬青で待ってます

朝=野菜のあんかけ玄米パスタ/夜=お寿司

5月6日金曜日からギャラリー冬青で写真展『午後の最後の日射』が始まります。基本、毎日在廊しています。1993年から1999年までローライフレックスで撮ったモノクロのプリントを26セット52枚展示します。ひとつの額に2枚のプリントが入っています。「なぜモノクロで南を島を撮ったのですか?」と2000年に写真集『午後の最後の日射』を出した時によく聞かれたのだけど、最初は積極的な理由ではなくて、せっかく仕事を離れて旅に出るのにカラーフィルムを持っていくと、どこかで仕事と結びつかないか、撮ったものを出版社に売り込めないかと考えてしまうので、あえてモノクロで撮ることにしたのだ。モノクロで撮った南の島の写真には、誰も興味がないだろうから。だから8年間で撮りためた写真は、写真集が出るまではどこの雑誌にも掲載されていない。でもずっとモノクロで撮っているうちに面白くなってきて、気がついたらすっかりモノクロプリントにはまっていった。目的のために手段を選んだのではなく、手段が徐々に目的に変わっていった感じ。自分で言うのもなんだけど、味のあるプリントになっている。いま見るとかなり新鮮。

 

<2012年5月6日の日記から>

「こどじ」でハイボール。液温22度。フィルム現像にもプリントにも最適な季節となってきた。GW中ということもあって、ワークショップも通常とは違った特別講座をやってみることにした。1時間ほどかけてデジタルカメラで街中を好きなように撮って、その後お店の同時プリントで撮影した中から~30枚選んで2Lに焼いてもらう。それを2Bに持ち込んでひとりづつ大テーブルに広げ、自分が何を撮ったか説明していく。そしてどういうものに興味があって、何をどのくらいの距離(スタンス)で撮ったのかを検証していく。「こういったイメージ撮りたかった」と趣旨がはっきりしている場合は、その方向性が明確になっている写真集を2Bの本棚から引っ張り出して説明していく。気持ちの赴くままに撮った場合は、写真を分類していくことで何に興味を持っているのかをはっきりさせてあげる。実はこれと同じことを、2Bのグループ展の作品作りで最初に行う。テーマを持って撮影しようと思っても何を撮ればいいのかイメージが湧かなかったり、壮大すぎて手におえない場合が出てくる。なにせ写真はカメラを使うものだから考えたように撮れるわけじゃない。そこで「とりあえず、最近撮ったものをバサッと持ってきて」といことになる。六つ切りにプリントされたものをテーブルいっぱいに並べて作者から話を聞いていく。そして写真を分類していくことで、どのように被写体を見ているかをはっきりさせる。それを頭にいれて、もう一度撮影にでかけてもらう。そしてまた焼いたものをテーブルに並べ整理していく。それを繰り返すことで「どのように見るか」をはっきりさせていく。だから特別な風景とかではなくて、何度でも撮りに行けるところがいい。よく言うのは「まずは目の前から」。風景や物に対する接し方が決まってくれば、後はそれを外国なり、地元なり、その時興味があるところに当てはめていけばいいことになる。僕は「どのように世界を見ているか」がそれぞれの人の大きなテーマであり、コンセプトとなりうると思っている。

 

最後の1枚は何を撮る?

朝=山掛けおろしうどん/昼=鳥唐揚げ丼/夜=牛すじ煮込み雑炊

ひとりのご飯だと、どうしても肉が多くなる。作るのも面倒で。

水曜日の夜は2B Cnannelライブだし、GWの真っ只中にどこかに行く気もしないので、家で映画『浅田家』を見た。映画公開の時はコロナ禍でもあったし、なんとなく気にはなっていたけどスルーしてしまった。3年経ってAmazon Primeの配信が始まった。Twitterとかで聞こえてくる評判がとてもいい。いやー、不覚にも涙してしまった。強要される感動じゃなくて、腕時計のシーンが個人的に完全にハマってしまった。物語なんだろうが、浅田家のことが伝わってくる。浅田さんはお願い上手なんだな。これは写真家にとって重要なスキル「しょうがないなあ」と周りに言わせる「人たらし」の魅力。そして満面の笑みで「ありがとう、助かったよ」というのだ。そうすると頼まれた方は「まったく、今回だけだぞ」と言って助けてくれるのだ。浅田さんを突き動かしているのは、学生時代に先生に言われた「もし一生に後一枚しかシャッターを切れへんとしたら、お前は何を撮る?」という言葉だ。最後の1枚は大事なものを撮るだろう。その大事なものは何かと考えた結果、家族写真になった。GWに見るのにぴったりな映画だった。劇中に赤々舎の姫野さんが出てくる。これもツボでした。

 

<2005年5月5日の日記から>

近頃写真プリントの販売のことを考える機運が高まってきている。日本写真家協会の会報にも細江英公氏が現在のマーケットの動きについて解説していた。それによると、近年オリジナルプリントの値段は上昇し続け、数千万円単位での売買が行われているものもある。シンディシャーマン、トーマスルフなどは評価額をはるかに上回る額で取引され、日本の作家でも杉本博や荒木径推がオークションで高い評価を得ているそうだ。つい最近オークションで、ロベルト・ドアノーの「市庁舎前のキス」が2千万円で落札されてニュースになった。しかしあれは「写真家ドアノーとモデルになった女性本人のサイン入りの一点もの」という希少性につけられたもので、作品自体に値段がついたものではなかった。なぜ、認知度の高いドアノーの作品より、一般にまったく知られていない作家の写真が高値で取引されるのか? どんなに素晴らしい作品であろうとも「流通」していなければ価格はあいまいになる。画商が「作品」を「商品」として流通量をコントロールして購買意欲をかきたてなければならない。作家が勝手に値段をつけて売ってしまっては値段をコントロールすることは不可能だ。写真は1枚のネガから複数枚のプリントを作ることができる。そのため1点のイメージが大量に流通することにもなる。ドアノーの「市庁舎前のキス」も大量に流通しているもののひとつだ。そのため希少性を高めるために1枚のネガから何枚プリントを作るかをあらかじめ設定することも行われる、これは版画のエディション制からきているものだ。作品の端っこに23/75などと書かれているもので、これは75枚刷ったもののなかで23枚目のものだということをあらわしている。写真を商品として考えるならば、画商(ギャラリー)の存在は重要になる。個人的な売買での最大の欠点は、リセールバリューにある。画商を通して流通性のある作品(作家)であれば、数年後購入価格以上の値段で売れることも出てくる。20万円で買ったものが200万円になる夢も作品と一緒に買うことができるのだ。対して作家個人が販売している場合、流通性がないため、20万円で買った作品を、再び購入者が売ろうとしても値段がつかない。売る場所がないからだ。作家個人から作品を購入するということは、「作家を買う」行為に近いと思う。パトロンと言ってもいい。微力ながら作家活動を応援するという気持ちがなければ「購入」という行為までにはいたらないものだ。ここ数年、作品を買う行為を続けての結論だ。なかなか作品の魅力だけでは購入まではいたらない。作品の魅力プラス、画商が保証するリセールバリューなり、作家へのパトロン行為が購入決定には必要になると考える。

 

ゴールデン街へ

昼=肉野菜炒め定食屋/夜=松屋の牛丼

妻は娘と京都に遊びに行ってしまったので僕はネコ留守番。起きてからもベッドの上でグダグダして、ずっと気になっていた古い定食屋へ。昼前に入ったのだが、あっという間に満席になる。味は美味しいけど濃いめ。帰り際に他の席を見たらほとんどの人がビール頼んでた。しまった、そういう店か。味が濃いからビールが合うはずだ。

夜は数年ぶりに新宿ゴールデン街へ。大学時代の同級生中島恵美子さんが「こどじ」という店で写真展をやっている。この店の奥には写真集が山積みになっていて、写真好きが多く集まるので有名だ。行くと大概知り合いに合う。ゴールデン街には「こどじ」以外にも数軒写真関係のお店があるが、ここが一番落ち着く。

写真展と言っても店の壁にプリントをそのまま貼るだけ。店内には昔の写真やDMが所狭しと貼られていて、それらがタバコのヤニでいい感じに染まっている。ここで展示をできるのは、ある意味ニコンサロンで写真展をやるよりステータスが高い。

外で飲むのはひさしぶりだ。こういう感じをすっかり忘れていたなと思ったら、次回の「こどじ」の展示は2BChannelに出てもらった長谷川諭子さんだった。また行く機会ができた。

 


<2013年5月4日の日記から>

米沢といえばラーメンでしょう。ということで「熊分」へ。連休は母の納骨のために米沢へ。妹家族と我が家の身内だけの納骨はあっという間に済んで、お墓参りを済ませると皆で上杉神社のお祭りに出かけた。この時期の米沢は本当に美しい。町中に桜が咲いて、神社の周りには埋め尽くすように屋台が出て浮かれた気持ちになる。雪で覆い尽くされる長い冬が終わり、ようやくやってきた春には格別の思いがある。20歳の甥と、19歳の娘、17歳になった姪がじゃれ合うように歩いている。それを見ていたら歳月の過ぎる速さを感じてしまった。父と母が亡くなり順番からいったら次は自分の番なんだなと。52歳でそう思うのは早いと言われるかもしないが、確実に折り返しは過ぎている。

田中長徳『銘機礼賛』の一節に人生を時計の針になぞらえる話が出てくる。40歳を過ぎた当時の長徳さんが「20歳を正午とするなら自分の時間はすでに薄暮である」と言うものだ。この本を読んで以来自分の時間を考えるようになった。始めて読んだ時僕は30歳だった。時計の針は午後2時くらいだったことになる。正午はすでに過ぎたが、まだ日は強く差し込んでいた。今の自分は薄暮はとうに過ぎ、日はすでに沈んでいることになる。別に抗う気持ちはないし悲しいことでもない。すべての人にやってくる時間だ。それに宵の口は好きな時間だ。これから一杯飲りに行きたくなる、どこかソワソワしてくる時間でもある。

 夜は妹家族と我が家で最高級の米沢牛を食べに行った。食べ盛りの3人に「好きなものを好きなだけ食べていい」と言ったら本当にすごい量を平らげた。ついに若いものが食べるのを見て目を細める歳になってしまった(笑)。母が亡くならかったらこうやって集まることもなかっただろう。甥も娘もしばらくしたら働き始めるだろうし姪も進学のために米沢を出てしまう。もうこうやって集まって食事をすることも難しくなる。皆で食べる米沢牛はことのほかおいしかった。この日の夕食は、人生の中で1、2をあらそうほど幸せな食事だった。