フリーランスの仕事 その2

朝 大豆シリアルヨーグルトにきな粉

昼 ナムルを載せた冷やし中華

夜 粗食

 

「フリーランスってどうやって食べているんですか?」と聞かれた。たしかにフリーランスで35年生きているベテランだ。ちなみに英語を勉強しているときに「ベテラン」という言葉が「退役軍人」のことだと知った。今年還暦だが、まだ退役するわけでにはいかない(笑)もうちょっと粘らせてくれ。


26歳で会社を辞めて以来、どこにも勤めることなく生活してきた。で、35歳の頃にハタと気がついた。「50歳以上のカメラマンって見たことないけど、どうやって生きているんだろ?」

その頃、僕がやっていた雑誌、広告の仕事は同世代や、ちょっと上はたくさんいるが、20歳以上年齢が離れたカメラマンの存在はまったく見えてこなかった。だから僕もそのうち50歳になったとき、仕事ってあるのか不安に思った。

これは構造的にまずいのではないか?「フリーランスは使い捨て」って聞いたことあるし。人生設計とかまるで見えない。これじゃ家は建たないということだ。だからどこかで、今の仕事からの方向転換を迫られるんだな、ということを考えていた。

 

ところが、僕は50歳どころか43歳で一度大きな方向転換を迫られてしまった。目の病でそれまでのような仕事から一歩引かざるを得なくなったのだ。43歳ってカメラマンとして一番良い時期で、その前までは順風満帆だった。

そのあたりの日記は2003年11月末くらいのものに残っている。生々しいので閲覧注意だが。

 

僕が幸運だったのは、そのちょっと前に写真のワークショップを始めていたことと、『旅するカメラ』を出版していたこと。それによって、それまでの依頼仕事の形態が変わったことだった。本から派生した講演会、審査などそれまでとはまったく違った分野の仕事が中心になったのだ。

何よりワークショップの存在は大きかった。精神的にも金銭的にもワークショップなしの生活は考えられなかった。

そこで様々な企画をたて、人を集めて生きてきた。

 

僕はアシスタントが巣立つときに「フリーランスは30代にやっていたことで40代を生き、40代でやってきたことで50代を生きていくことになる。誰にも頼まれないことを10年間続けると、それが次の10年を支えてくれる。だから仕事をもらうだけじゃなくて、自分で作っていけ」と言っていた。

「事に仕える」んじゃなくて、「事を作る」のがフリーランスの生き方だと思う。マーケティングとか戦略とかは分からなくても、僕の場合は、好きなことを10年続けることが、次の10年に繋がってきた。