キタムラでトークイベント

本日18日(月)15時から、キタムラでトークイベントです。2BChannelで同時配信しますので、ぜひどうぞ。

https://www.kitamuracamera.jp/ja/event/kitamuracamera_2ndanniversary_talkevent_satoruwatanabe_0718

 

<2013年7月18日の日記から>

日記って習慣だから一度書かなくなると続けるのが難しくなる。どうせ大したこと書いていないわけだし、それによって報酬が得られるわけでもないから。日記を10年間も続けていられるのは「僕自身におきたことだけを書く」というスタンスにつきる。

「渡部さんって写真が撮れなくなったりすることありますか?」と聞かれた。答えは一言「ないよ」。とりあえずシャッター押していれば幸せだし、身の回りに撮りたいものがなくなったら何処かへ行くし、新しいカメラがあれば撮ってみたい。デジタルでもアナログでもどっちでもいい。写真はどんなに頭で考えたとしてもも目の目にあるものしか撮れない。いかに素晴らしいテーマがあっても、シャッターを押さなければただのアイディア(もっとも近ごろはwebから拾ってくるという技もあるが)。自分自身におきたことならいくらでも撮れる。日記と一緒。だから僕に「撮れなくなる」ということは起きない。「最近撮れなくてスランプなんです」という人には無責任に「カメラ変えちゃえば」と言ってしまう。

新しいカメラは新しい物の見方を与えてくれる。フォーマットが変われば、大げさに言えば世界が変わって見える。たとえば6x6と6x7は、たった1センチ横幅が伸びるだけなのにまったく違うアプローチを求められる。もっとも、そのくらいフォーマットというのは大事だから、簡単に変えるべきものではないと言われてしまいそうだけどね。逆に言えばそのくらい刺激的ということ。昨年の夏は8x10インチを使って毎日撮っていた。今年は4x5インチにしようかと思っている。フォーマットの比率は一緒だが、カメラのサイズは4分の1だから撮るものはガラリと変わる。カメラやフォーマットを選ぶのに、必然から生まれる場合と生理から生まれる場合がある。

今回は何かを撮るために4x5を選ぶんじゃなくて、4x5を選んだからそれに合う何かを撮る。しばらく6x6は封印だ。

この時期は、よく海外に行ってたなぁ

<2016年7月13日の日記から>

無事に帰国した。朝4時に目がさめた。

最終日前日、アルルからパリに戻ったら、サッカーユーロ2016の決勝戦でフランス対ポルトガルだった。その日は早めにホテルに戻り、惣菜とワインを買い込んでホテルでテレビ観戦することにした。時おり窓の外から歓声が聞こえる。そして落胆の声が。

翌日は帰国便が夜の11時だったので、朝食は優雅にガルドリヨン駅構内の老舗レストラン「ル・トラン・ブルー」へ。ここは内装が素晴らしい。映画にもよく使われている場所だ。ミスタービーンのシリーズで、このレストランを舞台にした短編があるが最高に面白い。オムレツとベーコン、パンとコーヒーで2000円くらい。

お昼からはポンピドーへ。昨年はオルセーだったから時代性で言えばその続きという感じ。エスカレーターで最上階まで登り特別展へ。むき出しのパイプ状の建物からはパリ市内が一望できる。こういうところでまず盛り上がれる。今回の企画展は「パウル・クレー」と「Beat Generation」。ヨーロッパ1920年代とアメリカ1950年代だ。

ジャックケルアックの「On The Road」を中心にギンズバーグやロバートフランクの写真が並ぶ。ケルアックのタイプライターやテープレコーダー、そして伝説の「On The Road」生原稿が古文書のように展示してあった。アメリカを移動しながらタイプライターで書くのに、紙の入れ替えが面倒だからと最初にテープで紙をとめて巻物にして書いたものだ。アメリカ文学のバイブルみたいなものだ。ギンズバーグの詩の朗読があったり、8ミリ映画があったりと立体的な構成になっている。ロバートフランクの「The Americans」オリジナルプリントはやっぱり凄い。ケルアックとその友人達の行動が戦後アメリカの思想や文化に大きく影響しているのが見える。

パウルクレーは昔彫刻の森美術館で見た覚えがあるが、時代の流れを把握してから見るのは初めて。ピカソとの交流やバウハウスの時代、ヒットラーの台頭による芸術家の弾圧など、作品が時代とともに変わっていく様子が現れている。。ヒットラー時代の彼の絵はかなり精神的に追い詰められてきて、それまでの柔らかさから一変して暗くて重いものになっていく。アートが時代性を孕む、アートを見れば時代が分かるというのを実感する。

ふたつの展示でたっぷり2時間以上使ってしまって常設展は駆け足になってしまった。それでもピカソ、マチス、ブラック、レジェから始まって、これでもかと作品が並ぶ。一作家数点とかじゃなくて、個展レベルの量。初めてジャクソン・ポロック大型作品も目前数センチで見ることができた。

これで企画展ふたつ、常設展合わせて14ユーロ。1500円。パリはルーブル、オルセー、ポンピドーを回ればアートの歴史と流れがどうなっているか一目瞭然で分かる仕組みになっている。ヨーロッパでアートの話をすると必ず文脈の話になるが、ベースになっているものが連綿と残っているからこそだ。

3年前に現代アートと写真の関係についてこの日記で書いたのがすべての始まりだが、ようやく知識と経験が輪になって繋がってきた想いだ。

元気です

最近、写真日記のアップが途切れ途切れになっていて、心配していただいている方、すいません、僕は元気です。毎日毎日、日記を書くのは結構たいへんで、そろそろちょっとお休みがほしいところだったので、しばらくはランダムなアップとなります。過去日記だけはなるべく載せたいと探したら、やっぱりこの時期は夏バテしていた(笑)。

 

<2012年7月9日の日記より>

なんだか週一回の更新になってしまって、、、やる気は徐々に出てきた。こういうときは大抵新しいカメラがらみだ。『旅するカメラ2』の序文にも書いたが、なにせ風邪の特効薬が珍しいカメラだったわけだから。今回の特効薬はかなり強力だ。というより巨大だ。ディアドルフ8×10。エイトバイテンと読む。知っている人はここで「おお!」と声を上げたはず。マホガニーで作られた大型木製カメラ。フィルムの大きさは約20センチ×25センチ。B5版くらいだ。六つ切りの印画紙と同じというと、プリントしたことがある人は途方もない多きさのフィルムだということが分かってもらえるはず。レンズは戦前に作られたフォクトレンダーヘリアー180ミリ。コシナ製じゃないよ。ポートレートレンズとしてつとに有名なレンズなのだ。このヘリアーというレンズを今年始めに手に入れて使ってみようとずっと思っていたのだが、シノゴのカメラで使うのは当たり前すぎる気がしてそのままになっていた。そこへ、ワークショップ2Bで大判カメラ実習をやった時に、エイトバイテンのカメラににヘリアーをつけて覗いてみた。いい!

周辺までが画像がきちんと結像せず暗く落ち込むところが萌える。写らないっていうのはリアリティがある。最近プラチナプリントやサイアノプリントといった銀以外を使うプリントプロセスの復興と相まって、大型カメラへの関心も高まってきた。そこで2B内で特別実習としてやってみたのだ。講師は「大判写真組合」のTさん。彼は現在大型カメラの第一人者みたいな存在になっている。シノゴと呼ばれるハガキ大の大きさのフィルムを使うカメラから、B5判サイズのバイテン、A3サイズの11X14 まで実際に覗いて触って、シノゴのカメラを使ってポラロイドで撮影してみた。大きなカメラでも露出の考え方は同じだし、慣れてしまえば意外と楽に撮れるものだ。大型カメラは写真を撮るプリミティブな楽しみが味わえる。実習をやっていたら自分でも撮りたくなってきた。Tさんにお願いしてディアアドルフを借りることにした。バイテンを使うのは10年ぶり。

川内倫子さんがシノゴを使って作品制作を始めたことで話題になっている。現在のカメラは「いかに使いやすく」という考えで作られているが、大型カメラはお作法が多い。その手順の多さが大型カメラを使う意味合いにもなっている。使いづらい分だけ対象物とじっくり向き合えると考えることもできる。瞬間を切り取るんじゃなくて、そのままを受け入れる感覚だ。梅雨明けも近い。バイテン持って夏の東京を撮るなんて粋じゃないか。

過去日記です

朝=根菜の味噌おじや、フルーツサラダ/夜=キュウリとササミとミョウガの黒ポン酢サラダ、豚汁もどき、鮭おにぎりとみそおにぎり

200878日の日記から>

日曜日の午前中に帰国。今回のイタリア撮影では、行きは直行便がとれず、ヒースロー経由のBA便だった。ところが往路の成田でオーバーブッキングなのでアリタリアに変更して欲しいとカウンターで告げられた。その代わり直行便になるし、お詫びとして2万5千円を支払うという。断る理由は何もない。直行なので4時間以上時間が短くなって、お小遣いまで出るのだ。幸先がいい始まりとなった。

ローマから翌日フィレンツェへ。メディチ家由来の場所を中心に寺院や美術館を撮影した。3日間撮影しピサへ。「ピサの斜塔」を見た。本当に斜めっている。下のほうはかなり無理がある構造だ。ローマに戻り最後に撮影したのはバチカンサンピエトロ大聖堂の展望台。ローマを一望するカットで終了。今回は朝から晩までずっと仕事だった。気持ちがいいくらいシャッターを切った。

東京に戻り、何より心配だったのはフィルムのこと。「カメラが壊れていたら、露出が違っていたら、X線の影響を受けていたら」心配は尽きない。久しぶりにラボに直接現像を出して仕上がるまで待っていた。こんなことは何年ぶりだろう。仕上がりは上々。フィルムって本当にきれいに写ると実感する。デジタルに慣れていると空の色やハイライトのグラデーションに驚く。100本のフィルムを重い思いをして持っていったかいがあった。

毎日ずっとイタリア料理を食べ続けた。海外の撮影で一度も中華が入らなかったのは初めてかもしれない。やっぱり麺がおいしい。味付けは濃い目だ。特にローマは塩っけが強い。一流リストランテから食堂まで、どこで食べても、毎日食べても飽きない。最後の夜に食べた頬肉を使ったカルボナーラは絶品だった。

 

アルルの日射しが懐かしい

今年は知り合いが数人、アルルに行った。フォトフェスティバルが開幕だ。報告を楽しみに待っている。

 

201877日の日記から>

Facebookのタイムラインに屋久島での合宿ワークショップに参加してくれた方のアルルフォトフェスティバル挑戦日記が上がってくる。11年前の記憶が蘇ってくきて、ついつい熱がはいる。2007年にデジカメウォッチに書いたアルルのレポートはその後アルルのポートフォリオレビューを受ける人に読んでもらえた。今では情報も古くなってきたけれど、あの浮かれた感じは変わることはない。

https://dc.watch.impress.co.jp/cda/special/2007/07/17/6654.html

 

アルル行ったからといってどうなるわけでもないが、行ったことのある人は、あの日差しの強さを思い出す。アルルに行く理由はそれで十分なのだ。ポートフォリオレビューを受けたときの期待感と緊張感と挫折感。運というものがあるんじゃないかとかと思えたり、嫉妬心やら劣等感、そそして受け入れてもらえたときの幸福感。アルルでは感情全部が出てくる。不思議な場所だ。今日の東京は雨だ。アルルの日差しが懐かしい。

モヤモヤする

朝=大根おろし豆腐豚肉の雑炊/夜=親子丼、カリフラワーとササミと茗荷の和え物

2B Channnelのコメントに「写真の地位は低い、写真学校は偏差値が低い」という書き込みがあって、腹が立った。そこでちょっと大学のことを調べてみると「Fランク大学一覧」というのがあった。最近ネットなどでよく出てくるもので「行ってもしょうがない大学」ということみたいだ。そのFランク大学のリストを見て仰天した。ほぼ全ての芸術系大学がFランクにされているのだ。武蔵美や多摩美、造形大もFランクって、、何を考えているんだ? 行く必要がないっていうのか? 

その話をワークショップですると「今は人文系の大学は軒並み大変で、文学部などは予算が集められなくて」ということだった。芸術系はその最たるものなのだろうか。西洋では、ギリシャ・ローマから始まる「リベラルアーツ」を重要視するが、日本では実学と呼ばれるものでないと、就職に結びつかないからないがしろにされている気がする。山口周の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』はベストセラーになっているのに。

なんだかモヤモヤする。僕は進学の時に「経済よりも法律よりも写真を学びたい」と、1年かけて親を説得して上京してきた。なんだかそれを全面否定される風潮は容認できない。かと言って、「いま写真学科は何を教えるべきか?」と問われても明快な答えは出ない。だから余計モヤモヤする。

 

<2017年7月4日の日記から>

東大での講座が始まった。今日のお題は「労働者としてのアーティスト」。アーティストというよりも、アートプロジェクトに関わる人たちの実情と問題についてだった。お金がなくて当たり前、好きなことをしているからタダでもいいよね、という状況は問題がある。あるけど解決は難しい。修士、博士を持っていても、常に不安定で一般よりもはるかに労働条件が悪いというのも夢がない。今回の一連の講座は、アートと社会を結びつけるのがメインだが、それをお金にする目的もある。アートプロジェクトに対し、フランスは行政がお金を大量投下、アメリカは行政は関わらず企業と個人の寄付でまかなう。イギリスはその半々で、日本はイギリスを手本と考えているが、行政は金を出さず、寄付は集まらず、だそうだ。

昨年アルルフォトフェスティバルに、当時の大統領オランドがやってきて驚いた。パリからアルルまで相当距離がある。間違いなく一日仕事だ。それくらいアルルフォトフェスティバルは重要だという認識があるのだろう。

アメリカのレビューサンタフェで「スポンサーは誰か」と尋ねたら「驚くかもしれないが全て一般の人達の寄付でまかなっている」と。寄付文化のことは話には聞いていたが、これがアメリカなんだなと実感した。アルルに行っている連中から、浮かれている写真が届く。いいなあ、楽しそうだなあ、行きたかったなあ。屋久島関連で2枚だけ展示していて、写真集を売ってもらっている。去年知り合った超有名フォトジャーナリストが『demain』を買ってくれたと連絡があった。「40ユーロは高いよ」と言ってたそうだ(笑)すまないね。台湾の展示も講座が始まったから結局いけそうもない。今年の半分は勉強だな。

 

15年遅れ

朝=カラーフィールドのきしめん、鶏ひき肉ゴーヤ/夜=ガパオライス、胡瓜とトマトの黒酢あえ、野菜のスープ

週末のワークショップは屋外で撮影実習の予定だったが、あまりの猛暑で内容を変更。各自、好きな写真集を持ってきてもらってプレゼンしてもらうことにした。これが面白い。参加者の様子もわかってきた中で、どれを選ぶのか、何がツボなのかを語ってもらうと、その人となりが出てきて面白い。僕は、ひとりが持ってきた潮田登久子『マイハズバンド』が気に入って、その場で注文してしまった。アニー・リーボヴィッツの豪華本も欲しくなった。

講座中、早くから才能が開花したある写真家の話になり、ふと思い出したことがある。僕は長い間「もやがかかった状態」で生きていたような気がしてしている。実は同じことを娘も言っていて「高校生になるまで周りがぼんやりとしか見えてなくて、みんなが何をやっているのかさっぱりわからなかった」と。僕もこんな状態で35歳まで生きていた。他の人が20歳の頃に気がつくことを15年経ってからわかるようになった。人生の中で一番エネルギーのある時期をぼんやり過ごしていたのだと、後々気がついた。気がついた時は驚いたというか、腹立たしいというか。だから僕の実年齢は15を引いた46歳になる。そう思えば、まだこれからだという気になってくる。

 


<2006年7月3日の日記から>

秋葉原の行商のおばちゃんから野菜をたくさん買った。今日の日本経済新聞に、どーんと15段全面に大きく僕の撮った写真が載っている。三井物産の広告で、社長のポートレートだ。新聞広告は久しぶり。結構ちゃんとした色がでている。駅のキオスクで買って電車内で見た。仕事でハワイに行くにあたって時計を買った。ずっと携帯電話が時計代わりなのだが、海外に行く時は不便。文字盤が大きくて暗いところでもはっきり見える時計が欲しかった。売り場で見ているとついつい高い物に目が行ってしまうので危険だ。本当はパネライが欲しいのだが、ちょっと無理目なので「SEALANE」という似たような形のものにした。値段はぐっとお安く1万5千円。でも革ベルトで結構いい感じ。ハワイを撮影する機材はハッセル+120ミリと、コンタックスAria+45ミリを考えている。ハッセルにはネガカラーを、Ariaにはモノクロを詰める。Ariaに合う純正の視度補正レンズがなくて困っていたが、何気なく付けたEOS-RTの視度補正レンズがぴったりはまった。よしよし。旅の準備をしている時が一番楽しいものだ。

Youtuberが3人

朝=バインミー、とうもろこし入りのトマトスープ/夜=キュウリと茗荷のおひたし、蒸し焼きブロッコリーのマヨネーズ和え、ゴーヤチャンプル、白米、味噌汁

家にいるだけでも体力を使う気がする。午後に、今年やる2Bルデコグループ展の相談でひとりやってきた。街中で声をかけてポートレートを撮っている彼に、工芸大でやっている古谷誠一展を薦める。その後、動画を1本アップ。3時間かからずに作ることができるようになった。最初の頃は3日以上かかったから随分と慣れてきた。内容は、ワークショップなどで話すことが多かった黄金比と構図の関係。そういったノウハウ的なものはYoutubeでどんどん公開していくことにした。

夜になって、多少は涼しくなってきたような気がするところでゴールデン街「こどじ」へ、小池さんの展示を見に行った。彼は屋久島国際写真祭のアワードでファイナリストになっている。お店には知った顔がたくさんいて、Youtuberも3人。「いわなびとん」の尾藤さんに初めてお会いした。いつも観ている人が目の前にいる不思議ってこういうことか。「こどじ」はカウンターの中の人も写真家。写真集を見せてもらったら、もろ好みで即購入。ゴールデン街を経験してみたい人がいたら是非行ってみて。お酒が飲めなくても大丈夫だから。

 

<2005年7月2日の日記から>

モンゴルは、ちょっとやそっとの移動では何も風景は変わらない。そのため毎日が移動の連続になる。レストランやドライブインなどない。昼食はウランバートルで用意したパンや野菜(レタス、大きめのキュウリ)になる。これに缶詰の鰯のスモークやサーモンのトマト煮をはさんで食べる。それとパンからこぼれそうなくらいに盛られたキャビア。今まで食べてきたキャビアの量を、一度に食べるくらいの盛り方だ。口に運ぶと端からボロボロと地面にこぼれる。こぼれるのをいとわないで豪快に口に放り込む。ロシア産、正規証明書付きの本物のキャビアだ。ねっとりとして塩辛い。なるほど、これがキャビアか。うまいかと言われれば、首をかしげる。パンにキャビアよりご飯に明太子のほうがおいしいと思うぞ。しかし、キャビアを口一杯ほうばれることなど今までなかったし、多分これからもないだろう。ということで連日思う存分キャビアを食べた。外で食べるゴハンはなんでもおいしいものだが、モンゴルの草原で食べればなおのことだ。一度だけ、おやつにウランバートルで買ってきたカレーヌードルを草原で食べた。たしかにモンゴルの羊はとてもおいしかった。でもね、本当のことをいえば、大草原でのカレーヌードルが一番おいしかったのだよ。日本では残す汁まで啜るように飲んでしまった。完食だ。ふと横を見ると、全員がカップをあおるように空に向けていた。カップヌードルをおいしく食べたければモンゴルに行くといい

6月の暑さとは思えない

朝=おろし蕎麦/夜=持ち帰りのお寿司

まだ6月だよね、と言いたくなる猛暑日。夏は好きな季節だが、最近の夏は容赦ない。打ち合わせと下見が終わってから天王洲アイルの寺田倉庫でやっている「骨董と現代アート」展と「ブルーピリオド」展をみに行ってみた。今年のはじめに放映されていた「ブルーピリオド」のアニメは面白かった。東京藝大に入学するために絵の勉強をしている高校生の物語で、かなりリアルに藝大受験を描いていている。東京藝大に限らず、絵画専攻の場合はどの大学でも実技試験があるが、写真学科の場合はない。「ブルーピリオド」展は、面白い展示構成になっていて、美大を志す高校生に向けて作られている感じだった。実際に学生が彫像をデッサンしている様子を見ることができるし、漫画の中に出てくる絵が再現されている。双方向的な仕掛けも随所にある。

いつものリコーGR3Xjyがなかったのと、届いたばかりの55mmF1.8を使いたかったので、α7Ⅳを持ち出した。サイズ感がちょうどいい。これならリュックに入れてもかさばらないし、撮っていてもハンドリングもいい。そっけないデザインのおかげで何かに引っかかることもない。写りもいいしAFもは速いし、これは買って正解だったようだ。

 

<2016年7月1日の日記から>

8時起床、仕事、11:00マルシェ、13:00ランチ、サンテミリオン観光、17:00プール、仕事、21:30日没、22:00夕食、24:00終了、天の川、25:00就寝。パリからボルドーへ。今回のアルルでの展示に一緒に参加するローンさんの別荘へ日本人5人とパリのプリンターマルティンさんと 行くことになっていた。朝食を取り、列車が出る1時間半前に我々は宿からタクシーで駅に向かった。ガルドリヨン駅までは3キロ、いつもなら10分くらいで着く距離だ。いつもなら。

パリは1月からストが断続的に行われていて、しかもテロ警戒中のため市内のあちこちに交通規制がかかっていて、いたるところで交通渋滞。しかもチケットを確認したらガルドリヨンじゃなくてモンパルナス駅である事が判明。急遽進路変更してもらうも大渋滞でまったく車は進まず。抜け道で駐車中の車につかまり万事休す。地下鉄に乗り換えることも考えたが時はすでに遅し。予定が詰まってるわけでもないので焦ることもない。結局1時間半後の14時の列車に振り替えることができて無事ボルドー駅へ。そこからまたローカル列車に乗り換え、駅から車で30分かけてようやく夜9時に到着。といってもこの時期のヨーロッパは、夜の9時になってもまだまだ明るい。ローンさんはマルチメディアの人で、写真だけではなく、ペインティングや動画の仕事も手がけているアーティストだ。現在は劇場公開用の映画製作に追われている。別荘と言っていたのは、凄まじい規模のスタジオだった。100年前の農家を改装した仕事場には、機械類が置かれていて何でも作れてしまう巨大な工作室、3セットは組める天井高3.5メートルはあるスタジオに、160センチ幅まで伸ばせるインクジェットプリンター、大きな窓辺の打ち合わせ室、作業場、キッチン、プラス4つのゴージャスなゲストルーム。まだある。外のプールにはキッチンとダイニングが付いていて、夜はそこでご飯を食べる。離れにはワインカーブがあって、毎日珍しいワインをポンポン開けてしまう。世界は広いというが、こんなアーティストもいるんだな。日本でアーティストだっていうのは貧乏だと言っているようなものだから(笑)。彼らは朝6時から夜の10時まで休まず働いている。ゆっくり話せるのは食事の時だけ。我々もアルルの準備でマルティンさんにプリントをしてもらうが、ちょっと浮かれ気分。3日間ボルドーで過ごし、これから車でアルルへ向かう。今日は途中で一泊予定だが、再び2段ベッドの宿になりそうだ。

FE55mmF1.8ZA

朝=あんかけ玄米パスタ/夜=フォーガー炒飯、小松菜の炒め物、きゅうりと茗荷と蒸し鶏の黒酢サラダ/夜食=スガキヤ本店の醤油ラーメン

レンズが届いた。ソニーα7Ⅳ用のFE55mmF1.8ZA。友人から安く譲ってもらったものだ。今年1月に思わぬことからボディが手に入り、ついでにワイドと望遠のズームレンズも購入していたのだが、標準域がなかった。ずっとシグマの35mmと65mmの2本を買うつもりでいたのだが、55mmが手に入ったのでレンズ問題はあっさり解決した。軽くてボディバランスもいい。鏡胴の作りなんかはシグマの方がずっとかっこいいね。スッキリしているといえば聞こえはいいけど。

試しに写してみたら、気持ち色味が青い気がする。ホワイトバランスをオートにしていても若干青に引っ張られるが、悪い感じはしない。肌色は試せてないけどどうだろう。ソニーは割と極端に色が変化する気がしている。キヤノンのような収まりの良さは感じない。中心の解像度はかなりいい。ちょっと目を見張るものがある。反対に周辺はガサガサする。開放で使わず一絞りくらい絞った方が安心かもしれない。AFは全く問題なし。動画でもAFがよく働くのはさすが。

本当は50mmF1.2もずっと考えていた。レンズグランプリも受賞して、ソニーストアでちょっと安くなっていたのだ。でも25万円くらいする。カートには入れてあったが、決済できずにいた。京都に行ったときにα1に50mmF1.2の組み合わせを触らせえてもらってからずっと気になっていた。でも55mmF1.8が来たことでカートから削除することができて一安心。でもあの組み合わせは最高だったな。値段も最高だけある。2B Channnelライブの最初の方で写真もアップしています。

 

<2017年6月30日の日記から>

学食は使えるらしい。「これから東大で勉強だから」と「東大」を強調してルデコを後にする。これから半年間、週に2、3度東大に通って毎回3時間の講座を受けることになった。「社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業」というもので、作家育成ではない。インタプリター(評論家)コースとマネジメントコースがあり、A群B群C群の「アート・ロジスティクス」「人文社会知」「実践プログラム」カリキュラムから必要なものを選択して最終的に終了プレゼンテーションをすることで終了となる。優秀者2名は海外研修まで用意されている。僕はインタプリターコースを選択したが、どちらのカリキュラムも受講できる。知りたいことが山盛り。しかも無料。中には実際に展覧会を作ったり英語プレゼンテーションのコースもある。

2010年に新進芸術支援制度を利用して海外で勉強してみようと思ったがあえなく失敗。その後も大学院に行けないものか思案していたが、費用と時間の制約が大きい。そこへ教えてもらったのがこの市民講座だった。期間、費用、内容と全て自分のためにあるんじゃないかという講座。おしむらくは学生証がもらえないこと(笑)。初回ガイダンスに集まった面々を見渡すと、やっぱり僕が最年長。若い人ばっかり。そりゃそうだろうな、人材育成講座だから。なので学生ばかりかなと思っていたら、自己紹介の時に意外と社会人も多いことがわかった。ちょっと安心。来週からさっそく授業が始まる。今年は2Bと東大に通うことになる。

「写真学生」がやって来た

朝=焼きベーグル、スクランブルエッグ、ソーセージとアスパラ炒め/夜=生姜焼き、晩柑とチーズのサラダ、厚揚げとズッキーニの出汁煮、豆腐のお汁

Youtubeをやっているある写真家から連絡があって、初めてお会いした。思ったより背の高い方だった。一緒に何かやりたいと言ってもらえたので、手始めに来週生配信をすることにした。本番があるので今日はあまり突っ込んだ話はしなかった。2B Channnelをやっていなかったら、接点がなかった写真家と話ができる。時代だなぁと思う。そこに企業やメディアが絡まないのだから。7月7日木曜日の予定。詳細が決まったらお知らせします。

暗室に寄って乾燥済みのプリントを回収。期限切れの印画紙だけど、いい感じに仕上がっている。これはちょっと楽しくなってきた。手持ちのエイトバイテンカメラを、夜に持ち出して撮影してみたい。夜、2B Channnelに登場する「写真学生」が、プリントのフラットニングにやって来たので、家で一緒にご飯を食べる。相変わらずのようだが、元気そうだった。来月、大学での卒業制作の審査があるそうなので、その話をまた2B Channnelで話してもらおうと思う。4回ほど出てもらっているので、写真学生ファンという存在が少なからずいる。

 

<2007年6月29日の日記から>

米沢から笹巻きが送られてきた。初夏だ。さて、アルルに行く日が近づいたが、相変わらずバタバタ。手ぬぐい、写真集ときて、今日は『旅するカメラ3』の見本刷りが20冊届いた。パラパラめくってみてみる。写真の印刷も大丈夫そうだ。今回の『旅するカメラ3』は本当に大変だった。最後の最後まで差し替えをして作り上げたので感慨もひとしお。『traverse』は7月6日、『旅するカメラ3』は7月10日全国一斉発売です。冬青ギャラリーへ展示写真の確認へ。マットと額の具合を確かめる。ガラスは入れたくなかったが、今回はニュープリントではなく、撮影当事のプリントが多く含まれるため、ギャラリー側からガラスを入れるようにお願いされた。購入してもらった写真は、ガラス入りの額に入るわけだからと納得した。展示の写真は、いまではなくなってしまった。エクタルアペーパーのものも多く含まれる。展示品以外でも注文があれば写真集の中のイメージを新たにプリント。

冬青を後にして中野の「フジヤカメラ」へ。注文しておいたオリンパスE-510が届いたと連絡があったのだ。アルルに何のカメラを持っていこうかと思っていたときに、オリンパスE-410が目に付いた。カメラ屋で繰り返し流れている宮崎あおいのCMに持ってかれたのだ。410にしようかと思ったら510もすぐに出るという。どっちにしようか悩んだあげく、アルルには510を持っていくことにした。なぜデジカメなのかといえば、今回のアルル行きは、アルルで写真を撮ってくるのが目的ではなく、アルルフォトフェスティバルがどんなものか見てくるため。そしてトークショーや媒体でそのことを伝えるつもりだ。それならデジタルカメラのほうがいいと判断した。で、どうせ持っていくなら新しいのがいいに決まってる。デジカメは最新のものが最良なのだ。色々他にも買うものがあったのだが、E-510の箱を受け取ると一目散にバスに乗って帰った。バスの中で我慢しきれす箱を開ける。久しぶりに新品のカメラだ。でも昔のカメラみたいに、あの独特のカメラのにおいってなくなったよなあ。残念。

もう梅雨明け

朝=おろし蕎麦/夜=玄米ドライカレー/夜食=セブンの汁なし坦々麺

杉並区に光化学スモッグ注意報がでた。こりゃ梅雨明けだな。予定がない日は何をしたらいいのかわからないので、動画を1本作る。たぶん、これは仕事であり趣味なのだ。ネタが決まれば3時間ですべて完了できるのだが、今日はネタをなんにするかで悩んでお昼から初めたのに、終わったのは4時を回っていた。

アップすると視聴回数が気になる。それにも増して視聴維持率といって、3日くらいすると出てくる数字があって、視聴者がどのくらいの時間見てくれたかという指標で、つまり面白かったかどうかがわかる。それによって何が求められているのかを探ることになる。好きなことをやっているようで、数字に左右されているところが大きい。かといって戦略的なんてものには遠く及ばない。

18時公開に予約してコーヒを飲みに出かける。妻が午後から出かけていて、ひとり飯なので何を食べるか悩む。いろいろ外食を考えたが、結局家に帰ってドライカレーを作ることにした。さらに、遅く帰ってきた妻と一緒に夜食を食べてしまった。セブンの汁なし坦々麺は今年の夏の定番になりそうだ。

 

<2011年6月28日の日記から>

毎朝11時にギャラリーに出勤すると、写真集コーナーの隅でパソコンを開く。そして黙々と『旅するカメラ4』の原稿を書く。すでに書き終えて編集部に出した、と以前日記に書いたが、内容は大幅に変更になった。なぜか? 今回、出版社の編集部ではなく、フリーでライター兼編集の仕事をしている妻が、僕の本の編集をすることになった。僕としては本意ではないが、出版社のほうと細かな連絡をとりあうのは面倒な作業なので、近くにいたほうがいいかと了解した。うかつだった。編集部に出してある、今まで書いたものを妻に見せた。するといきなり「これと、これはつまんない。ネタが古い」。それはアルルからビエンナーレ、パリフォトへのくだりであって、僕が『旅するカメラ3』以降に体験してきたほぼすべて。それを「つまらない」とバッサリ。実は自分でもウスウス気が付いていた。もう4年もたつと、アルルも古臭い話になっている。今更という気もしていた。しかし、そのあたりの章をなくすとなると、30ページ以上ごっそり抜けることになる。妻はこともなげに「短いやつで量をたくさん書いて」。それからは僕は毎日コラムを書き続けた。たまにクマのようにギャラリーをうなりながら歩き回る。ネタが出ない。短い文章で簡潔にというのが『旅するカメラ』の基本。電車で2駅から3駅ぐらいで1章読み切れる分量がベスト。となると1冊でネタは20本以上用意しなくてはならない。ボツになることを考えるとその倍。毎日書き上げては自宅にいる「編集者」に原稿を送る。そして自宅に戻ると「今日の原稿はいかがだったでしょうか」とお伺いをたてる。妻は台所から「まあ、いいんじゃない。最後のところちょっとグダグダになってるから赤字いれといた」。結局大幅な入れ替えで原稿を完成させた。編集部に「アルルからのくだりはやめて別なものにしました」と連絡すると「さすが奥様わかっていらっしゃる」だと。後書きは冬青ギャラリーで書いた。今月編集部に原稿をだし、来月デザイン入れ、予定では9月中旬発売予定だ。書下ろし多数! 結局、アルルからパリフォトまでの僕の数年間の経験は、後書きでわずか3行になっていた。