モヤモヤする

朝=大根おろし豆腐豚肉の雑炊/夜=親子丼、カリフラワーとササミと茗荷の和え物

2B Channnelのコメントに「写真の地位は低い、写真学校は偏差値が低い」という書き込みがあって、腹が立った。そこでちょっと大学のことを調べてみると「Fランク大学一覧」というのがあった。最近ネットなどでよく出てくるもので「行ってもしょうがない大学」ということみたいだ。そのFランク大学のリストを見て仰天した。ほぼ全ての芸術系大学がFランクにされているのだ。武蔵美や多摩美、造形大もFランクって、、何を考えているんだ? 行く必要がないっていうのか? 

その話をワークショップですると「今は人文系の大学は軒並み大変で、文学部などは予算が集められなくて」ということだった。芸術系はその最たるものなのだろうか。西洋では、ギリシャ・ローマから始まる「リベラルアーツ」を重要視するが、日本では実学と呼ばれるものでないと、就職に結びつかないからないがしろにされている気がする。山口周の『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』はベストセラーになっているのに。

なんだかモヤモヤする。僕は進学の時に「経済よりも法律よりも写真を学びたい」と、1年かけて親を説得して上京してきた。なんだかそれを全面否定される風潮は容認できない。かと言って、「いま写真学科は何を教えるべきか?」と問われても明快な答えは出ない。だから余計モヤモヤする。

 

<2017年7月4日の日記から>

東大での講座が始まった。今日のお題は「労働者としてのアーティスト」。アーティストというよりも、アートプロジェクトに関わる人たちの実情と問題についてだった。お金がなくて当たり前、好きなことをしているからタダでもいいよね、という状況は問題がある。あるけど解決は難しい。修士、博士を持っていても、常に不安定で一般よりもはるかに労働条件が悪いというのも夢がない。今回の一連の講座は、アートと社会を結びつけるのがメインだが、それをお金にする目的もある。アートプロジェクトに対し、フランスは行政がお金を大量投下、アメリカは行政は関わらず企業と個人の寄付でまかなう。イギリスはその半々で、日本はイギリスを手本と考えているが、行政は金を出さず、寄付は集まらず、だそうだ。

昨年アルルフォトフェスティバルに、当時の大統領オランドがやってきて驚いた。パリからアルルまで相当距離がある。間違いなく一日仕事だ。それくらいアルルフォトフェスティバルは重要だという認識があるのだろう。

アメリカのレビューサンタフェで「スポンサーは誰か」と尋ねたら「驚くかもしれないが全て一般の人達の寄付でまかなっている」と。寄付文化のことは話には聞いていたが、これがアメリカなんだなと実感した。アルルに行っている連中から、浮かれている写真が届く。いいなあ、楽しそうだなあ、行きたかったなあ。屋久島関連で2枚だけ展示していて、写真集を売ってもらっている。去年知り合った超有名フォトジャーナリストが『demain』を買ってくれたと連絡があった。「40ユーロは高いよ」と言ってたそうだ(笑)すまないね。台湾の展示も講座が始まったから結局いけそうもない。今年の半分は勉強だな。