最近のブームは豆。乾燥したのを戻してコトコ煮るとじわっとくる

だるい。

なんか体が重い。頭がぼーっとする。肩がこる。風邪?

熱を測ってみてが平熱。そして鼻がむずむずする。

花粉が飛んでるのだ。今年も律儀にやってきた。さっそく部屋に空気清浄機を出す。これで少しは落ちついたが1ヶ月は調子はあがらないな。やれやれ。

今日は日本写真家協会主催のセミナーに出てみた。「デジタル時代のモノクロプリント」。講師はプリンターの松平光弘さんだった。

松平さんは、周りにいる写真家の多くががプリントをお願いしているのでお名前はよく聞いていた。

講座前半1時間はレタッチについての概要で、後半1時間はピエゾグラフィーというアメリカで開発されたモノクロ専用インクをエプソン のインクジェットプリンタに搭載。特別なプリンタドライバで出力する高品質のモノク ロプリントの話だった。

ピエゾグラフィーは10年前くらいから知っていて、気になっていたので講座を受けてみた。結論からいうと個人が手を出すのは難しいようだ。

膨大なトラブルにひとつひとつ対処する必要があり、それなら松平さんにプリントをお願いするほうがいい。餅は餅屋ということだ。

デジタルプリントの講座に出てわかったのは、銀塩プリントって楽だなっていうこと。メカニカルトラブルということがほとんどない。

一度松平さんにプリントを頼んでみようと思う。雪のプリントや、demainの犬とか、ピエゾグラフィーでプリントするとどうなるか興味がある。

 

 

最後も赤門前の一番餃子でナスの揚げ物

昨年7月から通っていた現代アート講座の最終プレゼンテーションが終了。

2日間の発表会の後、シドニー行きをかけた優秀プレゼン賞2名が決まった。発表の際は会場に緊張感が漂っていた。

残念ながら選からはもれたが、最後までその場の中にいることができたのはとても幸せだった。56歳の挑戦は、これでひとまず終了。

半年間ずっと現代アートと社会の関わりあいを考えてきた。講座に出て展覧会を見てレポートをまとめて。たまに皆んなと飲みに行ってちょっとした連帯感が生まれて。最後に賞を取ったひとを素直に祝福できる。

これってなんかに似てるなあと思ったら2Bのグループ展そのものだった。やっぱり半年間作品作りをして、搬入ギリギリまでジタバタして展示。苦労があるからパーティでは笑顔と開放感にあふれている。

現代アートは結果ではなくプロセスにより重要性がある」というが、まさにそれ。何ができたかより、何を作ろうとしたのか。それを考え続けることを2Bでは求めてきた。

いつもはオーガナイザーだが、今回はプレーヤーだった。参加する大変さも楽しさもあらためて知ることができた。やっぱりプレーヤーはいい。

家に帰ると妻が、発表会に出た子供に言うように「今日は楽しかった?」と聞いてきた。

そんな顔をしていたんだろうな。

「ああ、すっごく楽しかったよ」

 

H1期の募集は3月上旬を予定

2B最後の58期が先週終了。14年と9カ月か。

ワークショップは続けていきたいので、4月からの新たなプログラムを考え中。暗室が使えないから2Bをベースにしながらも新しいことを考えないと。

2Bを始めた2003年から15年がたち、ちょうど新しいスタイルを考えなくてはならない時期なんだな。

露出の考え方が変わるわけでもないけれど「感度分の16」一本やりでは足りなくなってきた。

写真ができること、できないこと

これが新しい講座の1回目のプログラムで、Hの決意表明みたいなものだな。

 

ワークショップ2Bは、H(エイチ)と名前を変え2018年4月から新しくスタートすることになりました。場所も江古田から阿佐ヶ谷に変わります。

14年間58期まで続いたワークショップ2Bは、ビルの建て替えにともない2018年3月をもって終了することになりました。2Bは暗室ワークを中心にしたプログラムでしたが、Hではこれまで培ってきたことをベースに新しいことを考えています。

撮影実習では、お手持ちのデジタルカメラまたはフィルムカメラの好きなほうを使用できます(ハッセルブラッドローライフレックス、ライカなど多数の貸出機あり)

毎週土曜日と日曜日の午前10時から阿佐谷を中心に行います。

H1期の初回は4月7日土曜日8日日曜日から。
募集は3月上旬を予定しています。

参加費 各回5400円(税込) 当日支払い

予定されるプログラム (若干の変更あり)
1回目 座学 写真ができること、できないこと
2回目 撮影実習「ものの形」阿佐谷
3回目 撮影実習「ものの名前」阿佐ヶ谷
4回目 撮影実習 露出の考え方「町撮影 高円寺周辺」
5回目 ざっくり写真史 阿佐谷
6回目 撮影実習「ポートレート新宿中央公園
7回目 撮影実習 「浅草寺
8回目 プリント実習 デジタル1 阿佐谷
9回目 プリント実習 デジタル2 阿佐谷
10回目 セレクト実習 阿佐谷
11回目 ビューイング 作家のオリジナルプリントを見る「オリジナルとはなにか?」 写真のマーケットについて「写真はどのように扱われているのか」阿佐谷
12回目 座学 現在の写真の流れについて「なぜ4億円で売れる写真が誕生したのか?」阿佐谷

 

 

暗室番長フランスへ

2Bにはアシスタントじゃなくて、暗室番長という勇ましい呼び名のついた小柄な女性のSがいる。

Sは6年くらい前にワークショップに参加した後に2Bのあるビルに住むことになった。というか僕がそそのかした。

「ここに住むと暗室をいつでも使っていいよ」

その頃Sはあるカメラマンのアシスタントをしていてプロになることを目指していた。カラープリントがいつでもできて、撮影機材がなんでも使えるのは彼女にとって便利だったし、僕も荷物の受け取りや暗室の管理をおねがいできるのはありがたかった。

お互いの利害が一致して彼女は暗室番長となった。そういえば誰が暗室番長と言い出したんだろう?たしかにぴったりな愛称だった。

2Bのとなりに住むようになると、翌年彼女はワークショップのグループ展で作った作品をまとめてニコンサロンに応募して、東京と大阪で展示することができた。

アシスタントから一本立ちしてフリーカメラマンとなり、料理と人物を専門とした。パリやアルルでのグループ展や屋久島フォトフェスティバルの招待作家にもなった。フランスには多くの知り合いができて、中には超有名な写真家もいる。

彼女のスキルと人脈は同じ年齢の時の僕と比べると段違いに高いし、運もいい。おそらく同じ時期に生きていたら嫉妬してることだろう。

2Bのあるビルがなくなってしまうという状況に、Sが選んだのはフランスへの移住だった。1年間働きながら住むことができる、とても倍率が高いビザの申請を、フランスに住んでいた人の手助けもあって見事手にいれた。

うらやましくて目がくらむ。

彼女は50歳になったときにこう言えるのだ「パリもすっかり変わっちゃって、変わらないのはこのお店の味だけね」って。

僕は若い頃海外に住まなかったことに大きく後悔している。なんで行かなかったんだろう。でもその時はいろいろ言い訳を考えて「だから行けないんだ」と自分で納得していた気がする。

さてビザは取れてもどこに住むかは大きな問題だ。フランスは家賃も物価も高い。手持ちのお金には限りがある。でも彼女が「フランスに住む」と決めて、そのことを周りに話すと「僕の母のところに住みなよ」という人がすぐにあらわれた。

運がいい。でもこの運は偶然転がりこんだわけではないし、生まれつきのものでもないだろう。運がいいというのは自分が足りてない部分に、それを埋めてくれる人があらわれること。だから人見知りだと運が良くなるのはかなり難しい。

昨夜送別会があった。暗室でせわになった人たちがたくさん集まって海外移住を祝ってくれた。

そりゃ運も良くなるわけだ。そしてそれは6年間彼女が積み上げたものだ。

フランスでは楽しいことだけじゃないだろうが、おおむねはうまくいく。

なぜなら彼女は運がいいからだ。

駅弁はやっぱり「牛肉どまんなか」

なんで米沢へ行こうと思ったかというと、周りが「もう米沢を撮らないんですか」ということに反発している自分に反発したからなのだ。

ややこしいな(笑)

「はいそうですね」とは素直に言えないから、反発するようなことを言ったりしてしまうわけだが、それにさえ反発してしまおうということ。

すると元に戻るから言われたとおり米沢を撮るということになったのだ。それとアルル行きの計画が中止になったときに「これは国内だな」と思ったのも大きい。

米沢を撮ることを数年間やめていたのは『da.gasita』(2012年冬青社)以降、何を撮ってもその真似をしてしまうからだった。

これはやっていてうんざりする。枠組みから抜け出せないと自分で決めてしまっていたところがある。写真集は売り切ったところで大儲けできるわけでもないから、常に新しいことをやりたいというのが前提だ。

「旅するカメラ」は商業的にうまくいったので、そのフレームを使って8年間で4冊作ることができた。その構造体も時代の変化によって徐々に機能しなくなってくる。

『da.gasita』を出してからすでに5年たっている。その間に随分と世の中も変わったし、自分も変わってきた。

もしかしたら米沢を撮って新しいフレームを作ることができるかもしれない。これは直感だ。

列車で移動しながら、温泉に入りながら新しい本の形を考えていた。

二泊三日 da.gasitaの旅

そうだ、米沢へ行こう。

と思いついたので高校時代の友人に電話してみた。雪がすごいらしい。

とりあえず時間ができたので新幹線にのって無計画ながら昼はラーメンを食べることだけは強く決めて出かけたのだった。

東京でラーメンを食べるたびに、米沢ラーメンが食べたくなるのよ。鶏だしの醤油味に縮れ麺。

うまい、というか馴染むというか、これがノスタルジーなんだろうなどと思ってしまう。旅の間、毎日でも大丈夫だ。

用はないし外は寒いしで、ローカル線に乗って終点でいって折り返してまた戻ってと、とりあえず移動はしているが生産的な行動ではないことを繰り返す

泊まるのはいつもの小野川温泉1泊3000円の素泊まりの宿。食事は自炊場があるので町で買い込んできたものを食べる。温泉に入ってポカポカになってコタツで地酒を飲むのはこれ以上ない幸せ。

結局何をしに行ったのかわからないまま2泊後ローカル線で米沢から坂町まで出て、そこから新潟経由で東京に戻った。

米沢と坂町を結ぶ米坂線は、いつ乗ってもいい。町から山を抜け谷を渡り何度もそれを繰り返し平野に出る。季節ごとの良さがあるが、冬は見事な白一色の風景が続く。

見ていて飽きることはない。これに乗るだけでも米沢に行く価値があるくらいだ。

 

収穫はローライフレックスでトライXを8本。1本あたりの撮影経費は相当高いな。

 

カレーで打ち上げ

江古田から引っ越しする日が決まった。1ヶ月後の3月7日。前日に引っ越し業者に来てもらって梱包してもらうことにした。

とはいえ、2Bからもっていける量はほんのすこし。暗室用品はすべて処分となりそうだ。どうしたものかねえ。

これ以上自宅に物はいらないぞ。まあ捨てるのは得意だから。

今週は58期の最終回だった。4月から始めるワークショップのオペレーションを兼ねて皆に阿佐ヶ谷に来てもらって講座をやることにした。

やはり6人が限度だな。打ち上げを兼ねての食事会も家でやってみた。これは2Bより落ち着ける。色々できそうだ。

ますます仕事と生活の区別がつかなくなるが、もう区別をつける必要もなくなってきたからいいんだけどね。