エンブレム問題から見る社会学

昨年東大の講座を受けて修了証をもらったので、今年も座学を聴講できることになった。

 

昨夜は加島卓氏(社会学、デザイン史/東海大学文化社会学部准教授)による「エンブレム問題から考える社会とデザイン」の講義だった。

 

3年前に大炎上した東京オリンピックエンブレム問題について、専門家の立場から資料を集め「似てる、似てない」と白黒つけるのではなく、問題自体を考え直すものだった。

 

この講義の内容は「オリンピックのデザインマーケティング」(河出書房新社)がベースになっている。

 

アートとデザインは何が違うのか?これを日本のオリンピック委員会が理解していなかったためにおこった不幸だと言えるのではないか。

 

アートおいては「作者がどう作ったか」というプロセスはとても大事であり、見る側がどのようにとらえるかについては自由度が大きい。制作の決定権は基本的にアーティストが持つ。

 

一方デザインは「どう使われるか」がもっとも重要であり「作者がどう作ったか」などは見る側には何の関係もない。情報伝達に特化 され、デザインはクライアントが「使うもの 」であり、当然決定権はクライアントにある

 

あのときの釈明会見は「どのように作ったか」を修正案を公開するということまでして説明しようとしたが、炎上しているものにとっては「似てるかどうか」が問題であって、作者が「どう作ったか」を説明されたところで聞く耳はもたなかった。

 

問題となった佐野 研二郎氏のエンブレムは、丸三角四角を使ったモダニズムデザインであり、60年代に流行したものだ。本人も会見で1964年の東京オリンピックのオマージュであると言っていた。

 

東京オリンピックのときは天才デザイナー亀首雄策の「個人の卓越したデザイン」が有効だったが、現在ではデザインの完成度よりも、使い勝手の良さが求められる。

 

作り方の重視から使い方の重視へ、時代は変化しているのに選考委員は作り手の意図を重視しすぎた。実はロンドン大会でもエンブレム問題はイギリスで大炎上を起こしているが、ロンドン大会の委員会はは作り方ではなく、これからの使い方を説得することで沈静化させている。

 

結局、佐野氏のデザインは本人が取り下げ再度選考が行われた。選ばれたものは市松模様を使った一見地味なものだった。

 

市松模様をつかったデザインなど過去に無数にあるにも関わらず、一般的ゆえに似てる」問題とはならなかったのは面白い。市松模様であるがゆえに、誰でも流用可能であり、ユニバーサルデザインの様相を持っている。実に使い勝手がいい。

 

 

 

さて、これを写真制作におきかえてみよう。

 

行政が絡む芸術祭のように広く一般的に作品が使われる場合、作品の強度よりも、フレキシブルで使い勝手の良いものが必要になる。一点もののオリジナル性が高いものは管理上の問題から嫌われる。データでやり取りし、主催者側がプリントを作るのが主流だ。

 

使う側(フェスティバルの主催者つまりクライアしト)は、彼らの欲望を参加アーティストにはっきりさせる必要がある。そして最終的には、みんなが参加したという足跡が求められる。

 

主催者はテーマ(欲望)があるゆえ、作品を言葉、概念を使って見ようとする。「そういう風に見える」という定義づけが大事になる。ゆえに説明力が高いものは評価しやすいことになるだろう。

 

 

一方クローズドな空間、例えばコマーシャルギャラリーでは作品の強度が強いほうがいいし、作者は「どのように使われるか」を意識して制作しなくとも良い。言語的な説明行為もそれほど必要としない。造形の良し悪しが重要視される。

 

造形的な価値の追求は小さい規模で行う方がいいようだ。規模が大きくなればなるほど、私を捨てて私達になる必要がある。競争ではなく参加の意識だ。

 

発表する規模の大きさが作品の質を変えていく。唯一絶対的な作品というものは時代が求めていないのだろう。

 

 

 

痛くなったのが忙しくない時期でよかった

先週の水曜日は鎮痛剤なしには1ミリも動けなかったが、ようやく動かせる範囲が広がってきた。文字も右手で打てる。

 

お騒がせしました。

 

二日前ににブレンドしてもらったハーブの精油を患部に塗り始めてから炎症が小さくなっていった気がする。たまたま回復の時期と重なったのかもしれないが、塗り始めてからは、触れるだけで飛び上がるほどの痛みがピンポイントになってきた。鎮痛剤も必要なくなった。

 

痛くないって幸せ。

 

 

 

「わからない」ことをわからないままにする 態度の保留

 

Facebookの「ワークショップH」のページに投稿したものをここにもあげておきます。

 

「わからない」ということを考えるのに写真はとても便利なメディアだと思います。インスタレーションもそうですね。動画は向きません。わからない動画は苦痛ですから。

 

仕事でずっと「わかるように」に撮ってきたので、ずっと気がつけませんでした。近頃ようやく「わからない」ことを楽しめるようになってきました。

 

 

 

Hでは、写真の撮り方と同じくらいか、むしろそれ以上に写真をどう考えるかということを行なっています。

 

これは渡部さとるが近頃考えている見る態度ですし、作る態度も同じだと思っています。

 

1 出会う

2 違う考えがあることを知る

3 違う意見を理解するように努める

4 違いが理解できないことを知る

5 違いをわからないままにする

6 結論を出さない

 

1は、とにかく出会わないと、ものごとははじまりませんよね。出会いかたはさまざまです。絵画の始まりは壁画でした。それが板に書いた絵(タブロー)になり移動して他の場所で見ることができるようになり、複製可能な写真や映画が生まれたことで離れた場所でも同じものが共有可能になりました。そしてインターネットの普及は出会いかたを大きく変えてしまいました。

 

2は、出会うことによって、よくもわるくも「自分じゃ考えもつかない」ってことが起こります。違いがある、その差異を認識します。違いの容認です。これがダイバーシティ(多様化)ということです。同じ方向だけを向かない。

 

3は、その差異は何なのか、自分の経験や作者のテキストがあれば、それをもとに考えます。考えるには言語化が必要になります。言葉なしに考えることはできません。考えることは見る(作る)行為においてとても重要になります。

 

4は、どんなに考えても他者を(自分を)理解できない場合があることを知っておく必要があります。日本語で考えているのなら、日本語にないことは考えても理解できないことになります。

 

5は、わからないものを無理に自分のものさしで計ろうとしたり、わからないからといって排除することなく、わからないことが世の中にあることを認める。そしてそれを)ほっておく態度が必要です。日本語には白黒つけないという言葉がありますね。 近頃では態度を明らかにするということが良いとされていますが、曖昧くらいでいいんです。態度の保留です。

 

6は、わかったとか、わからないとか、簡単に結論を出さない。作者が何を考えているかなんて答え合わせをせず、モヤモヤは、モヤモヤのまま。大事なのは正解を出すことではなくて、問いを考えることであって、スッキリしなくてもいいんです。

 

 

良いものを見ると「誰かにに話たくてしょうがない」という衝動が生まれると僕は思っています。「受け取っちゃったから、返さずにはいられない。作者に直接返せないから、とりあえずこの気持ちを他の人へ」って感じです。

 

見ていて作者の「そうせざるを得ない」が伝わってくるときがあります。そういうものに出会えると「あれ、よかった」と人にいいたくなるんです。

 

そういうもの作りたいですね。

 

見ることと作ることは背中合わせなので、Hでは写真を見ることとを積極的に行っています。

 

上映会とコンサートの間は肩の痛みはなくなっていたのに、終わったらジンジンきた

ちょっとでも右手を動かすと激痛。1から10のレベルで言うなら8は余裕でいってる。

 

地下鉄の通路で急ぐ男性と肩がぶつかって、その場で悶絶。身動きが取れないくらい痛くてへたり込んでしまった。。夜寝るのも大変。寝返りなんてとんでもない。今日再度病院に行って痛み止めを打ってもらい、ちょっと落ち着いた。

 

毎日胃が痛くてやっぱり悶絶している友人と会って「こんだけ痛いんだからさ、すごくいいことが待ってるよね」と言ったら「なんでそんなに楽しそうなんだよ」と笑われた。

 

でも結局「そうだよね、なんかいいこと絶対あるよね」と確認しあうポシティブバカふたり。

 

昨夜は前々から予約していた映画「フジ子・ヘミングの時間」の上映会とミニコンサートを聴きに妻と読売ホールへ。数年前からクラシックが好きになった。きっかけは「のだめカンタービレ」だけど。

 

映画はソール・ライターのドキュメンタリーと同じくストーリーや演出のない独白のみの構成になっていた。パリ、ベルリン、東京、京都に自宅を持っていて、インテリアのセンスがすごい。

 

映画には14歳の時の絵日記が出てくる。絵もいいが、それよりも言葉の使い方に驚いた。才能のかたまりって感じ。父はスウェーデン人の建築家でイラストレーター、母は戦前にベルリンに留学していたピアニスト。ふたりはベルリンで結婚して、そこでフジコは生まれ戦後に日本に帰ってくる。弟は有名な役者さん大月ウルフだった。ちなみに本名。

 

でも早くに才能は認められていたのに、さまざまな出来事がじゃまをして開花したのは60歳を過ぎてから。

 

1999年のNHKのドキュメンタリー「フジコ あるピアニストの軌跡」をきっかけにブレーク。85歳になる(年齢は不詳となっている)今でも、年間60本ものコンサートを世界中で開いている。

 

フジ子・ヘミングは自らを「リストを弾くために生まれてきた」と言っている。その中でも「ラ・カンパネラ」。映画でもこの曲の重要性を語っている。

 

ミニコンサートでも当然「ラ・カンパネラ」が演奏された。ところが弾き出しから力がなく。ついには曲の前半で腕が止まってしまったのだ。会場に緊張がはしる。

 

苦しげに一瞬空を見つめ、再び弾きだす。素人でもわかるくらいずれてる。でも、今まで見た様々な演奏の中で一番ブルっときた。最後にかけてのフジ子・ヘミングの入り込みかたは圧巻、まさに映画的だった。

 

この曲を何千回、何万回と弾いてきたことは映画を見ていればわかる。体に染み付いているはずだ。だからこそ揺れながら詰まりながらも必死で弾く姿にやられてしまった。愛おしいとしか言いようがない。

 

千葉桜さんとのトークショーでは、バイアスを外して見ることを勧めたけれど、今回のフジ子・ヘミングの演奏は映画で彼女の背景を知った上での感動だったというのもあるから、感じるということは一筋縄ではいかないね。

 

僕にとっての伝説の一夜となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右手がまったく動かず、左手で文字を打っているしまつ

3日たって痛みが収まると思いきや、夜中に激痛で目がさめるありさま。鎮痛剤が手放せない。こんなに体が痛むのはひさしぶり。

 

数年に一度は怪我をしているな。当然ながら思いがけずだ。というかあとで思うと仕組まれているんじゃないかと疑ってしまうくらい「なるべくしてなる」。

 

これは勝手な思い込みだが、僕の場合怪我をしたあとにいい方向に局面が変わる。怪我が大きいと変化 も大きい気がする。

 

今回これだけ痛いんだから、相当いいことがまってるわけだ(笑)

 

勤めて楽観的に。でも本当にそうなのだ。

 

この頃「直感」ということを考えている。理解を積み重ねて判断するんじゃなくて、理解の前の判断。一目見て「これはいい」って思うのは直感が働いているということだ。直感というと根拠レスというネガティブな意味合いを含んでいる場合もあるが、今の時代にはとても重要だと思う。

 

理解してから判断では遅い場合が多いから、パッと決める。

 

近頃写真を見ても「これはいい」と直感で判断できるようになった。背景やテキストを見なくてもいい。

 

この直感が養われた理由のひとつにプリントを買い続けたことが大きいように思える。生活になんの影響もないプリントを「これはいい」と決断して買うのは美意識を高めてくれる訓練になるんじゃないか。

 

お金がたくさんあるから買えるかというと、そういうものでもない。決断できなければ買えない。お金が少なくとも買えるものはある。損得を超えた行為でものを買う経験だ。

 

だから「これは数年後に価値が上がるか」という損得勘定を基準に買おうとすると買えなくなる。「これは自分にとっていいものだ」という自信がないと買えない。

 

でも体が痛いと直感力も弱まるのがよくわかる。体で感じるわけだから。まずはニュートラルの状態に戻さないと。

 

 

 

この痛みは3週間コースだろうなあ

右肩の可動範囲が狭いので病院で教えてもらったトレーニングをしていたら、肩に激痛が走るようになってしまった。

 

やり過ぎた。手加減が分からずやればやるほどいいと無理をしたのだった。よかれと思ってが、裏目に出るやつ。

 

 

上腕二頭筋の炎症と診断される。じっとしていてもズキズキするし、肘まで痛む気がしてくる。

 

痛いと食べ物が美味しくないことがわかった。それどころじゃないっていう感じだ。たかだか肩の痛みでも影響が大きいというのがわかる。

 

やり過ぎたということは、体のセンサーがうまく作動してないんだろうな。

 

右肩が痛いと箸が使えない。ためしに左手でやってみたらけっこう使えることがわかった。しばらく箸は左手を使おうと思う。というか使わざるを得ない状況だ。

 

今年のマイブームは身体だからちょうどいい。左手をもっと使おうという6月だ。

釣りたての鯵をたくさんもらったので酢でしめた刺身となめろうを作った

「Optimism is wil(オプティミズム イズ ウィル)」という言葉があるそうだ。オプティミズムは楽観で、この場合のウィルは未来形助動詞ではなくて名詞で意思という意味になる。

 

直訳すると「楽観は意思」。これには「Pessimism is nature(ペシミズム イズ ネイチャー)」という対義語がある。「悲観は生来のもの」だろうか。

 

「楽観は意思」というのはいいな。ほっとくと悲観的になるから勤めて楽観的になろうということだ。

 

働きだしてから給料という形でお金を稼いだのは3年しかない。あとはずっと定職につかず、その場その場で30年やってきた。フリーランスになって給料のありがたみがよくわかった。

 

サラリーマン時代より何倍も収入があった時期もあったし、さっぱりのときもあった。計画性を持って暮らしたことなどない。

 

フリーランスは悲観的になろうと思えばいくらでもなれる。一年後のことすらわからないし、体を壊したら即アウト。景気にも大きく左右される。

 

これまで生きてこれたのはラッキーとしか言いようがない。

 

冬青の高橋社長に会うと「渡部さんはいつも明るいですよねえ」とよく言われる。というか半ば呆れられている。僕の置かれている経済的状況がよくわかっているゆえの心配なのだが、僕からは一向にそれが見えないというのだ。

 

「生活が苦しくて、なんて言ってたら誰もよりつかないでしょ。僕の仕事は人と会ってなんぼなんだから。いつも楽しいことだけ考えてますよ」と答えている。

 

もともと写真は楽しいからね。いい仕事だなと自分でも思う。

 

悲観というのは予測からおきる。まだ起こっていないことを先まりして心配してもしょうがない。フリーランスなんだから。2年前から先の心配はしないことにした。

 

意思を持って楽観的になることに決めたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴーグルをつけた観客がこちらを見ているのはSF的だった

金曜日に千葉桜洋写真展「指先の羅針盤」のギャラリートークのお相手に銀座ニコンサロンに向かった。

 

10人ちょっとくらいかな、などと思っていたら会場は超満員で、立ち見まで出てる。しかも前方には田中長徳さんが座っているではないか。ちょっと焦った。

 

千葉桜さんは耳が聞こえないので、手話通訳者が2名、バックヤードでは音声を文字起こしするかたがいて、その文字列は大型スクリーンにリアルタイムで映し出されるようになっていた。その他にも文字が映像としてゴールに映し出されるデバイスも希望者に配られていた。

 

いつものトークショーの雰囲気とは違う。初めてニコンサロンに足を運んだような方が多いような感じだった。

 

文字中継のおかげで千葉桜さんとの話はかなりスムーズにできた。始まる前に彼は「トークショーなんて初めてだから、渡部さんにしがみつきます」と言っていたが、なかなかどうして僕の質問に堂々と答えていた。

 

参加者の質問がよくて、トークショーは盛り上がりのうちに終わることができた。

 

僕が終始言っていたのが「耳の聞こえない人が撮った自閉症の息子さんの写真というフィルターで見ないでくださいね。そういったバイアスは写真を見るときにじゃまになります。作者の意図なんてわからなくていいんですよ」

 

障害者の写真という見かたをしなくていいのだ。

 

千葉桜さんもセレクトでは編集を手伝ってもらったカロタイプの森下さんと「うまく写っているもの、自意識が出過ぎているものははずした」と言っていた。

 

伝えたいものがあって、写真を使ってそれを表現していると思いがちだが、そうでない場合もあるし、むしろその方が面白かったりする。コントロール外の偶然を期待することが多い。

 

今回の写真展の中で時折風景写真が差し込まれているのだが、とても魅力的だ。それは息子と一緒に歩いているときに彼が立ち止まってじっと見ていた風景なのだ。何か特別なものは写っていない。なぜ立ち止まっているのか千葉桜さんにはわからない。

 

それを「彼は何を見ているのか」と同じ方向を向いて写真を撮る。つまり千葉桜さんは「わからない」ものを撮っていることになる。

 

わからないけれど、言葉にはできないけど面白いと思えるのは写真が持つ大きな魅力なのだと思う。

 

銀座ニコンサロンでの写真展は明日火曜日15時まで。

 

 

 

 

 

 

指先の羅針盤

ロラン・バルトの「明るい部屋」という本は写真関係者なら一度は聞いたことのあるはず。

 

そのバルトが言語についても別の本で熱心に書いていて、言葉にはラング、スティル、エクリチュールという3層があると言っている。

 

簡単に言うとラングは日本語や英語といった国語のこと。これを使うことで世界を認識し得る。スティルは発音の仕方や書きかたの癖と言った個人的な偏りのこと。

 

最後のエクリチュールは社会的に規定された言葉の使い方。少年が大きくなって、自分のことを「ボク」と言っていたのに「オレ」と言うようになると、それまで母親を「ママ」と呼んでいたのに「かーちゃん」とか「おふくろ」と「オレ」に合わせた言葉づかいになり、接しかたも変わる。甘えづらくなるのだ。

 

不良仲間に入り仲間内の言葉を使うようになると、思考も態度もそのようになる。言葉の運用は表情、感情表現、服装、髪型、身のこなし、生活習慣、さらには政治イデオロギー、信教、死生観、宇宙観にいたるまでが言葉に影響される。

 

バルトはそういったエクリチュールから離れた文章がいいと言っている。それを「白のエクリチュールまたは透明のエクリチュール」と呼び、最高の文章として芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」をあげている。

 

この文章には作者の意図や意思は何も入っておらず、ただ目の前のものを写生しただけ。社会的運用から離れているゆえに、まったく古びることなく現代まで語り続けられている。

 

前置きが長くなったが、今週銀座ニコンサロンで行われている千葉桜洋「指先の羅針盤」にその「透明のエクリチュール」を感じたのだ。

 

「何も言わない、何も足さない、何も引かない」

 

静かなモノクロプリントが並んでいる。コンセプトもストーリーも作者の意図や被写体の背景とかも見る上でまったく必要がない。

 

ただ見るということだけでいい。ひとりで見て、その後にだれかに話したくなる写真だ。

 

今月29日まで。

 

写真集も同時発売している。

http://yo-chibazakura.com/wander-in-the-silence/

 

おいしかったのは屋久鹿のバルサミコソース焼きと鯖の燻製サラダ

3日間の合宿型写真ワークショップその名も「朝から晩まで」。

 

屋久島で文字通り朝から晩まで写真漬け。朝起きて午前中は撮影実習、昼ごはんを食べると午後からびっしり座学、夜ご飯が終わると深夜まで雑談。いきなり夜の撮影実習となる。

 

屋久島なのに屋久島らしいところを撮りにいくわけでもなく、ひたすら写真にまつわることを考え続ける。参加者は鹿児島の人限定で募集し19歳の学生からベテランのカメラマンまで5名が集まった。その他に屋久島の方や東京からの人も。

 

単発のワークショップで呼んでもらうことは多いが、合宿型は初めてだった。「同じ釜の飯を食う」というが、ご飯を一緒に食べていると、いつのまにか一体感が出てくるから不思議。

 

例の「右とは何か?」という答えのない問いを出しても、臆することなくどんどん会話が広がっていく。ゲームが好きな若者の話が、現代アートのロジックに似ていることがわかるし、医学療法師が教えてくれる認知の仕組みが写真を見ることにつながっていく。うまく話が回れば僕は黙って相槌をうって聞いていればいい。やっていて気持ちがよかった。

 

今回のキーワードは「コモディティ、シンギュラリティ、AI、面、点、具象、抽象、はがす、レイヤー、概念、ダイバーシティ」など。普通の写真のワークショップでは出てこないものばかりだと思う。

 

10年間をかけて蓄積したものすべてに近いものを伝えた。これは僕が10年前に聞きたかった話だ。これを消化するには年単位だと思うが、写真の接し方がより楽しい方向に変わっていくと思う。

 

使った資料はすべて自由にダウンロードして使えるようにとパワーポイントデータを公開することにした。ここに自分たちで新たなものを追加して近くの人に伝えてもらえればいい。

 

ベースは僕のものを使ってもらい、それがどんどん更新される。いつの日かそれが僕の手元に戻ってくるときは、より強固なものになっているはずだ。

 

屋久島を出る時間になって雨がやみ、晴れ間が見えた。そろそろ空港に行かないと。今回も内容てんこ盛りの1週間だった。

 

 

 

 

 

 

今日のお宿は2段ベッドのドミトリー

屋久島4日目。

 

初めての屋久島が2014年。それから6回も来ている。米沢に帰るよりもずっと多いくらいだ。

 

屋久島国際写真祭(YPF)に2度参加していることから島に知り合いができて、妻も娘もお世話になっている。

 

前回は娘と、今回は妻と来ている。メインは土曜日から始まる3泊4日の合宿ワークショップなのだが火曜日から前乗りして島をたのしむことにした。

 

屋久島はご飯がおいしい。移住者が多いせいか味に多様性があって、東京でも飲めないような自家焙煎コーヒーもあるしレストランも居酒屋も好きなお店がたくさんある。

 

それに山に行くのもおいしくお弁当を食べるため。山の中で食べる笹にまかれたおむすびは塩味がきいていて最高だ。で、そのあとは共同温泉へ。十分お腹が空いてから夜ご飯を食べに町に出る。なので宿は素泊まり。

 

妻は今日朝一の船で鹿児島の友人のところへ行ったので、僕は一日中なにも用事がない。海沿いのカフェに行ったら11時からであと40分くらいある。

 

なので横の小道のカジュマルの樹の下の石段に座ってこれを書いている。

 

それはそれで風が通りぬけて気持ちがいい。今日もいい天気のようだ。

 

笹巻きをいただく。初夏だなあ。

同世代の写真家と今年の木村伊兵衛賞の話になった。

 

「受賞展見に行ったんだけどさ、床に敷いてある写真踏めなくて。ありゃどうかと思うよ。いただけないね。あんなの写真じゃないよ」

 

バライタ印画紙を踏むことはできないというので「じゃあRCペーパーは?」と聞いたら「バライタよりもいいかも」

 

「インクジェットだったら?」と聞いたら「ちょっと抵抗感は減る」という。どっちも変わりはないだろうと言うと「バライタは踐めない。いや踏んじゃいけないんだ」。

 

そういえば昨年のロバート・フランク展では、展示していたものを最後に全て廃棄するというパフォーマンスをやっていたな。あの時も廃棄することに抵抗感があるっていう同世代がいた。

 

この感覚ってなんだろうと考えてみた。我々の世代特有の「写真におけるアウラ性への信仰」みたいなものがあるんじゃないかと思えてくる。

 

アウラっていうのは「いまここにあるもの」という意味で、存在の絶対性を指す。「あの人にはオーラがある」っていう時のオーラも、もともと発音は一緒らしいから意味も似ているんだろう。

 

つまりプリントに「オリジナルプリント」という名前をつけて複製可能なメディアなのにユニーク性を持たせたのだ。

 

ここで言うユニークとはお面白いという意味じゃなくて「単一の」という意味。ネガ(データ)lからプリントは物理的には無限に近く作れてしまうわけだが、そこに1枚であることの意味づけをするのだ。

 

70年代の写真のありかたは、複製可能であることをいかに利用するかであり、プリントにユニーク性をつけて販売しようなんて考えられていなかった。

 

当時の自主ギャラリーの展示ではプリントは壁に無造作にピンで止められていて、床にもばらまかれていたそうだ。「写真なんていくらでも焼き直しが可能なんだから」ということだ。

 

それがバブル期の前後に「プリントは売れるもの」になった。丹念にプリントされたものは数百年保存が可能だとギャラリーが写真に商品価値をつけ扱うようになる。

 

そんな中を生きてきた我々の世代は「バライタプリントは神聖なもの」っていう思い込みが出来上がっている。

 

僕も同じイメージならインクジェットプリントよりもバライタプリントのほうを買ってしまう。自分のプリントもインクジェットは簡単に捨てられるがバライタプリントは捨てるのをかなり躊躇する。

 

バライタプリントは神聖なもの、それはただの思い込み。

 

でも我々の世代は人生の多くをその思い込みで生きてきたわけだから、時代が変わったからといって、はいそうですかと変えることは難しいんだろう。

 

 「こんなの写真じゃない」って言葉を繰り返しながら写真は新しくなっていく。