ベッドの中で閃いた

朝=クランベリーとナッツが入ったパン、ソーセージとスクランブルエッグ、トマト野菜スープ/夜=高円寺「フジ」のチキンソテー定食

布団に入ると10秒後には寝てしまえるお得な体質だけど、年に数回は途中で目が覚めて2、3時間寝付けないことがある。珍しくそれが連日続いた。そしてそういう時に、なぜかその後を決定するようなアイディアが浮かんでくる。何か始める時のアイディアは、大概ベッドの中で浮かんでくる。

今回の眠れない夜に思い浮かんだのは「新しい写真集を作ろう」。2019年に冬青社から出す予定で打ち合わせを重ねていたが、『じゃない写真』(梓出版)を書いていた途中だったので、2020年に出版しようと思っていた。ところがコロナ禍になってしまって、なんとなくその話は立ち消えになり、僕も出すタイミングを失ってしまった。一度機会を失なうと、もう一度同じことをやるのは意外と難しい。その間に考え方や感じ方はどんどん変わっていくから。

幸いにもコロナ中も『da.da』(松本広域連合)や『撮る力見る力』(ホビージャパン)を出すことができて、写真集のことはすっかり忘れてしまっていた。そして去年『da.gasita』を10年ぶりに再販したこともあって気持ち的には満足していた。

ところが新しい本のアイディアが寝ながら閃いた。それはどんどん具体化していって、ついにはタイトルまで決まってしまった。タイトルが決まれば写真集はできたも同然。さっそく、朝起き抜けにテキストを書いてみたら、もう完成形が見えた。あとは今年撮った写真に、これから撮り足して行って、それをデザインし、パッケージしてもらうだけ。来年に向けてやることが、ベッドの中決まってしまった。

<2021年11月15日の日記から>

2012年に出した僕の写真集に『da.gasita』というのがある。「だがした」と読むのだが、これは米沢の方言「んだがした」からきている。米沢に帰ると、もっとも耳にする言葉かもしれない。いいことも悪いことも「ああ、んだがした」と言って何かを断ずることなく全て受け流してしまう魔法の言葉だ。態度を明らかにせず、保留の状態を作るのは米沢の人の性格になっている気がする(笑)。僕がその言葉の凄さに気がついたのは、母の入院で病院に泊まり込んだ時だった。同室には他にもおじいさんがいて、夜になると何かとナースコールをする。その度に看護師さんはやってくるわけだが、ただ眠れないからという理由なので本来は対処のしようがない。それでも看護師さんはおじいさんの話に頷いて最後に「んだがした」という。それを何度か繰り返したあと、おじいさんは何か安心したように眠ってしまった。その語尾の柔らかい口調を何度も聞いた僕は、方言の凄さを感じてしまったのだ。何も解決していないのに、物事が丸く収まる力が「んだがした」にはあった。いま作っている松本市の写真集のタイトルにも方言を使おうと、担当者にいろいろあげてもらった。その中で松本市の人にはわかるが、他県の人には他の意味にも取れる言葉が見つかった。タイトルが決まったことで全体のイメージがにわかに立ち上がってきた。言葉は曖昧だけど役に立つ。