言葉は曖昧だけど役に立つ

朝 ひじきの炊き込みご飯、山芋の味噌汁、煮物

昼 セブンのあんかけ焼きそば

夜 土鍋の煮物、キャベツサラダ、最後にきしめん

2012年に出した僕の写真集に『da.gasita』というのがある。「だがした」と読むのだが、これは米沢の方言「んだがした」からきている。米沢に帰ると、もっとも耳にする言葉かもしれない。いいことも悪いことも「ああ、んだがした」と言って何かを断ずることなく全て受け流してしまう魔法の言葉だ。態度を明らかにせず、保留の状態を作るのは米沢の人の性格になっている気がする(笑)。僕がその言葉の凄さに気がついたのは、母の入院で病院に泊まり込んだ時だった。同室には他にもおじいさんがいて、夜になると何かとナースコールをする。その度に看護師さんはやってくるわけだが、ただ眠れないからという理由なので本来は対処のしようがない。それでも看護師さんはおじいさんの話に頷いて最後に「んだがした」という。それを何度か繰り返したあと、おじいさんは何か安心したように眠ってしまった。その語尾の柔らかい口調を何度も聞いた僕は、方言の凄さを感じてしまったのだ。何も解決していないのに、物事が丸く収まる力が「んだがした」にはあった。

いま作っている松本市の写真集のタイトルにも方言を使おうと、担当者にいろいろあげてもらった。その中で松本市の人にはわかるが、他県の人には他の意味にも取れる言葉が見つかった。タイトルが決まったことで全体のイメージがにわかに立ち上がってきた。言葉は曖昧だけど役に立つ。

<2016年11月15日の日記から>

魚が食べたいということで家で手巻き寿司

来年1月の写真展のためのプリントをギャラリーに納品。1980年、2005年、2016年に撮ったものを選んだ。写真集「demain(デュマン)」のカバーの色見本が上がってきていた。深い緑に写真が小さく入るデザイン。とても良い色合いだが、もう少し本番では濃くしてもらうことにした。表面を覆うPPと呼ばれるオーバーコートはマットを選んだ。高橋社長は「マットは光沢より傷が目立つんですよ」と言うが、中身がマット系の紙を使うので、ここはマットで。木曜日と金曜日は印刷立会いだ。緊張というわけではないが近頃体が重い。

新宿エプサイトで山下恒夫「日々Ⅲ」をやっているので見に行く。今回はデジタル。今まで彼の展示はずっと銀塩だったから気になっていた。2012年からの日々撮りためたもののセレクトだ。彼は大学の同級生で、僕が最初に遭遇した天才だ。いや天才というと語弊があるかもしれない。そうだな、写真の神様に愛されている男がしっくりくる。その才能に嫉妬する気にもなれない。普通のものを普通なものとして捉えることができる。でもその普通は普通じゃない。意味が通らないな。とにかく写真を見ていると「ホー」とか「ハー」と息が漏れる。友人が鎌倉で「香菜軒」というカレー屋さんをやっているが、彼の作る料理にどこか似ている。凄さを全面に押し出すことはせず、旨さを際立たせることもなく、控えめゆえにおいしい。食べ終わったあと口の中にも、胃の中にも何も残さず、気持ちが落ち着く。そのときの気持ちと山下の写真を見た時の気持ちが似ている。

渡「全部モノクロになるんじゃない?」
山「やっぱりそう思う? いけるよね」
渡「カメラはフジ? RAWで撮ってるの?」
山「ほとんどフジ。ニコンがちょっと混じってる。RAWで撮ってる。フォトショップでフジのRAWを開くと自動的にフィルムシュミレーションが出てくるからそれを使ってる。プリンターはエプソンPX5500。古いけど全然いける」
渡「クラシッククロームいいよね」
山「コダクロームを意識してるんじゃない。シャドーもちょっとだけ持ち上げて使ってる」
渡「用紙は普通っぽいね」
山「うん、純正の絹目」
渡「ああやっぱり。あれが一番色が安定して出るよね」
山「そうそう。いろいろ試したけど絹目が一番よかった。シルバーグレインもいいけど高い。あと色空間はsRGBにしてる」
渡「一緒。sRGBのほうがプリントのときコントロールしやすい気がする」

重かった体は少し軽くなった。足を伸ばして四谷三丁目のルーニーへ。ルーニーは来月四谷三丁目を離れ馬喰町のあたりに移転する。大きなスペースになるそうだから楽しみだ。ここでも同級生の中島恵美子が個展を開催中。彼女は毎年かかさずルーニーでやっていて、すでに12回目。もうこの時期の恒例になっている。銀塩モノクロ、カメラはハーフサイズのオリンパスPENとリコーGR。デジタルじゃないよ。両方ともフィルムカメラ。小沢太一さんやタカザワケンジさんも来ていた。12年は伊達じゃないね。