今回は、僕が2012年に出した写真集『da.gasita』(ダ・ガシタ)を紹介します。これまで出した写真集の中で、いちばん重要な1冊です。
『da.gasita』といえば、僕の中では「ノーモアノスタルジー」ということになるんですが、何のことか分からない方が多いと思うので、まずはその経緯を説明していきます。
『da.gasita』は、ローライフレックスで撮られた正方形のモノクロ写真41枚で構成されています。舞台は生まれ育った山形県米沢市を中心に、東北各地の風景が収められています。『da.gasita』というタイトルは、米沢の方言「んだがした」という軽い相づち。地元では、日常の会話の中でよく使われる「そうですね」というような意味合いの言葉です。
そしてこの写真集は、僕の幼い頃の記憶を元にしていますので「ノスタルジー」がべースになっているというわけです。
出版は2012年ですが、僕は2010年頃から現代写真というものがさっぱりわからなくなっていて、アメリカ留学を本気で考えていました。というのも、当時の日本では、まったくといっていいほど現代写真の情報は入ってきませんでした。
雑誌『IMA』が創刊されたのが2012年ですから、それ以前に現代写真に触れようと思ったら、ヨーロッパかアメリカに行く必要がありました。
そのため、語学の勉強も本気で取り組んでいて、寝ても覚めても英語漬けの日々。家族があきれるほどにやっていました。
しかし、それもあの2011年の東日本大震災の影響や様々なことがあって、結局は断念せざるを得ませんでした。そこで考えたのが、「もしアメリカ留学をしていたらできなかったことはなんだろう」ということ。
そのとき唐突に「そうだ写真集を作ろう」と思い立ちました。
写真は2004年から撮りためていたものが200枚から300枚程、プリントした状態でありました。それを冬青社に持っていき高橋社長にプレゼンを行い、なんとか本を作ってもらえることになりました。
それがこの『da.gasita』です。
出版直後から評判もよく、いろいろなメディアに取り上げてもらうことができ、大きな写真賞の最終ノミネートまで残ることもできました。
僕自身にとっても、とても満足のいく写真集となりました。発売2年ほどで、初版はすべて売り切ることができました(現在は新品での購入ができなくなっています)。
『da.gasita』発売の翌年2013年、僕はこの写真集を持って、アメリカの西海岸サンタフェで開かれる「レビュー・サンタフェ」に行くことにしました。
「レビュー・サンタフェ」とは、世界中から応募を募り、100人の写真家を選んでアメリカの主要な美術館やギャラリー、出版社などの写真関係者が、その作品をレビューするという大きなイベント。
アレック・ソスやロス在住の渡邊博司さんが「レビュー・サンタフェ」をきっかけに世界デビューを果たしたことでも有名です。
留学できなかったリベンジというわけでもないんですが、僕はアメリカの写真関係者に『da.gasita』を見せたいと思ったわけです。
ネットで行われた審査を通過し、僕は100名の中に入ることができたのですが、実はのちにわかったのが、その100人中7人が日本人だったんです。通常、毎年審査に通る日本人は、一人か二人ぐらいなものなんですが、僕が参加した2013年は異例の年だったようです。そう考えると、この年がいかに日本の写真が注目されていたかがわかりました。
さてサンタフェで、僕は9人のレビュワーに写真を見てもらうことができました。内訳は、6人が美術館関係者、2人が出版社、1人がフリーのキュレーターでした。
レビューは概ね評価で、僕自身も満足できる状況だったのですが、実はある1人の女性キュレーターだけが、僕の写真を見ると怒ったように「なんで日本人っていうのはこうもノスタルジーが好きなの? ノスタルジーの写真に何の意味もない」と言うと、さらに語気を強めて「ノーモアノスタルジー」と叫んだんです。
これには正直驚いたし、腹ただしくも感じました。
そうですよね、自信作を一刀両断に切られたわけですから。しかも、作品の善し悪しではなく、ノスタルジーかノスタルジーじゃないかで判断された。
でも同時に、とても不思議に感じたことがあります。それは、レビュワーは参加者に対してネガティブな意見を言ってはいけないんです。「優しく対応しなさい。相手のやる気をそぐような発言は絶対にしないこと」という申し送りをされているのを僕は知っていたんです。
にもかかわらず、この女性キュレーターは僕の作品をバッサリ切ってきた。しかも彼女は怒りすら僕にぶつけてきた。
だから僕は「これは絶対ノスタルジーに隠された何かがあるはずだ」と確信しました。
一般的に、ポートフォリレビューでの褒め言葉は、直接のオファーに繋がらない限り、あまりあてにならなかったりします。
帰国後、僕は“ノスタルジーとは何か”ということを調べるようになりました。
そこで驚いたのが、ノスタルジーという概念を持たない、もしくはそれを疎む社会、民族があったことです。
ここでそのことについて詳しくはふれませんが、以前はノスタルジーを「悪魔の神経症」だと診断されていたこともあったそうで、常に前を向くフロンティア精神のアメリカでは、ノスタルジーというのは、あまり好まれるものではなかったようです。
ただし、最近の研究資料によると、アメリカ人にもノスタルジーという意識が芽生えてきたという記事もありました。
日本におけるノスタルジーはというと、昔々から文学に取り入れられてきたし、“大好物”と言ってもいいかもしれませんよね。それはほぼ同じ言葉、同じ生活習慣から生まれた共通の認識というものでしょう。「わかるわかる」の世界です。
でも多民族、多言語、多宗教の国では「わからない」ことが前提になるから、共通のノスタルジーなんてないわけです。
それなのに僕は、他の国ではわからないノスタルジーをベースにした写真を持っていてしまったんです。あのキュレーターが叫んだのは、「あんただけ分かるもの持ってきてどうする」ということだったんでしょう。
おおげさですが、僕はこの「ノ−モアノスタルジー事件」をきっかけに宗教、哲学、歴史をあらためて勉強し直すことになりました。
さて、ここからは『da.gasita』の話です。
この写真集のカバーは真っ赤です。ちょっと珍しいかもしれませんが、表紙には写真も使っていません。タイトルが入っているだけです。
実は僕は当初、カバーは白のイメージで考えていました。デザイナーにもその旨を伝えて何種類か見本をつくってもらいました。そして出来上がってきた見本を前に、冬青社で編集会議をしたところ、「悪くはないけど、よくもない」という印象でした。「イメージは白」と言った手前、いまさら変更するのもどうかとためらっていたら、冬青社の高橋社長が、写真集のダミー本にクルリと赤い紙をまいて「これはどう?」と言ってきたんです。
これには驚きました。同時に「これはありだ!」と直感しました。僕は、自分では考えつかないものが提示されたら、それを受け入れたほうがいいと常に考えています。だから今回もそうしました。想像外の提案には、面白いことが多いんです。
『da.gasita』のカバーが赤になったのは、そんな経緯がありました。この表紙は本当に気に入っています。
『da.gasita』を作るときは、流れをかなり意識しています。映画のように、スタートがあってエンドがあるようなつくり方です。だから、バラバラと見るよりも、最初の1ページ目から見るように構成されています。
まずちょっとおどろおどろしい風景で始まります。
ここは青森県八甲田山の麓にある「地獄池」。
その後は、黒っぽい写真と白っぽい写真が交互になるように並んでいます。でもあまり違和感はないはずです。なぜかというと、どちらの写真も、最大の白から最大の黒までの差、いわゆるコントラストの幅が同じにしてあるからです。連続して見ても違和感はないはずです。
この写真集は、コントラストの幅を使って構成しています。
頁のスタートは初冬です。コントラストは低く、黒もあまり黒くなくて白もあまり白くない。それが徐々に季節とともにコントラストが上がっていき、春の写真では白はまだあまり白くはないんですが、黒は段々深くなっていく。それが白はより白く黒はより黒くなっていき、最後の1枚、大きな吊り橋がかかっている写真は、同じ黒っぽい写真でも、最初の1枚目とはコントラストが大きく違います。
『da.gasita』は、コントラストが低い状態から始まって、コントラストが高い状態で終わりになっている写真集というわけです。
さらに、最後の大きな吊り橋の写真の後には、「雪の日」と題したテキストを入れ、そのあと唐突に、1枚だけ冬の電車の写真を入れています。
実は、このシリーズが始まったきっかけはこの1枚だったんです。なので、どうしても入れたかったのですが、コントラストが他と合わなかったので、入る場所がなかった。それで、最後の最後にもってきました。
そして、そこに誘導するように、「雪の日」には僕の幼い頃の冬の記憶を書いています。そうすることで、初夏の写真で終わっているイメージを、テキストでもう一度冬に戻し、電車の写真に繋げています。
これもひとつの流れをつくっているということになると思います。
頁のところどころに短いテキストも挿入しています。写真は見開きの右側だけなので、デザイン的にバランスをとる役目をこのテキストに与えました。さらに言うと、テキストを読んでもらうことで、その頁で目をとめて時間を費やしてもらいたいとの狙いもあります。
つまり、僕が「見る人の頁をめくる速度をコントロールしている」ということにもなります。つい、読んでしまいたくなるように、テキストは一瞬で読めるような短さにしています。すると自然と時間の流れを誘導することができるわけです。
その頃僕は、写真集というのは作者が読者を誘導する、リードするのがいいことだと思っていたんです。作者には伝えたいことがあって、それをどのように伝えるかが構成だということです。
でも、どうもそれだけではないことに、徐々に気がつき始めました。
そのきっかけになったのは、先に話した「レビュー・サンタフェ」での経験でした。
あのときサンタフェで、僕は直接的な結果を残せなかったので、数十万円をかけてアメリカに行ったレビューとしては失敗だったかもしれません。
でも「ノーモアノスタルジー」のおかげで、それ以上のものを手に入れることができたといまは感じています。
なぜなら、あのときの「ノーモアノスタルジー」をひっぱり続けて、現代写真を考えるまでになり、結果的に『じゃない写真』が生まれたわけですから。
その後の僕は「ノスタルジーに依存しないで写真集を作るには」ということも考えるようになりました。
それで生まれたのが、5冊目の写真集『demain』(デュマン)ということになります。その話も次回してみたいと思います。