本棚設置

朝=プレーン入りヨーグルト/夜=ガレージでバーベキュー

本棚が三竿届いた。しかし、僕と妻では手に負えないことは明白。ということで頼りになる友人を招集。

1階にふたつ、2階の配信部屋にひとつ設置。おかげで段ボールにしまい込まれていた本が日の目を見た。しかし、物置にもダンボールふたつ分の本が眠っている。5年前に事務所を引き払った時に、本は半分くらいまで減らしたのに、「2BChannel」を始めてからまた増え始めた。このデータの時代に本の質量が半端ではない。

夜に友人と話していたら、いま企業では労使間の問題が深刻だそうだ。新人教育の際に「その指導はパワハラです」と言われてしまうと、もう指導の立場の人が「どう接すればいいのかわからない」となってしまうそうだ。

もうこれまでのような、場をなごますつもりの冗談は通じないし、いままでのように黙って受け流してもくれない。「そんなことを言ったら何も話せない」という人もいるけど、言わなくていいことは何か、を自分の中に持つ必要がありそうだ。冗談を言わなくてもコミニュケーションは十分取れるから。おそらく、この問題に一番深刻に悩んでいるのは大学の先生じゃないだろうか。お金を払っている学生に対して先生は、「お客さん」だと思っていないと、トラブルが出てくる。「お金を払っているのになぜ否定されるのかわからない」と思うはず。友人に有効な解決策はあるのか聞いてみたが、現状ではないそうだ。マニュアルを作ってしまうとそれがまた火種になるから、曖昧な部分を残しておくのも重要なんだそうだ。そう考えると、わかりあえないことを前提に接する必要があるみたいだ。

<2021年6月11日の日記から>

「なぜ爺ちゃんは道端を掃除して庭いじりをするのだろう」とずっと思っていた。なのに自分が還暦になったら同じことしてる。不思議だ(笑)。草むしりとか非効率だと思っていたので、ずっとやってこなかったのに、今では毎日せっせと手入れをしている。何か「ジジイスイッチ」とかあるんだろうか? 草むしりが全然苦にならないどころか楽しくさえある。今住んでいるのは借家なのだが庭木がある。都会では珍しいかもしれない。大家さんが小さい頃うっかり埋めたアボガドの種は、今では2階の屋根を越えそうな勢いだ。残念ながらというか、幸いというか、実はならない。実がなっていたら大変なことになっていただろう。妻がホームセンターで買ってきた金木犀も大木になり、その横にはモクレンとハナミズキがそこそこ大きくなりかけている。素人がうっかり庭に木を植えてジャングル化するっていうのは本当。毎年秋口に、知り合いの庭師にばっさり切ってもらうのだが、どの木も翌年はより大きくなっている。アボガドの落ち葉も膨大だ。掃除をしながら葉っぱを集めては「これはお札、今日もたくさんお金が降ってきた」と妻に言うと「人前では言わないでよ」と釘をさされる。イメージですよ、イメージ。お金がザクザクのイメージ。と、こんなこと書くとまた怒られるな。

<2006年6月10日の日記から>

来週からモンゴルへ行く。面白いのは「モンゴルへ行ってくる」と言うと全員が「いいなあ!」と感嘆と憧れのまなざしを僕に向けるのだ。こんなこと初めてだ。でも「モンゴルってどんなところ?」と聞かれてもさっぱり分からない。今のところ僕がモンゴルで連想できるのは「馬と羊と朝青龍」だけだ。どんなところへ泊まって、どんなものを食べれるのかまったく想像がつかない。こんなことは初めての海外でバリ島に行った時以来だ。あの時も情報がなくて「ココナッツミルクで炊いたご飯が出てくる」とおどかされて、ココナッツ嫌いの僕は本気で悩んだ。モンゴルは羊の肉を食べる、それは知っている。焼かないで塩味で煮て食べるのもテレビで見た。でもそれだけ? ご飯はたべないの? 野菜は? モンゴルを案内してくれる人に聞いたら「モンゴルで料理と言ったら肉料理のことです。野菜や穀物だけを調理したものはありません」と言う。ということはずっと羊肉だけ食べるのか? ラムは好きだがマトンはどうなんだ? 朝は何を食べるのだろうか? 泊まるところも初日と最終日はウランバートルのホテルだが、後は旅社と呼ばれるゲストハウスか、ゲルだ。トイレはどうするんだろう。ヘッドライトとトイレットペーパーは必須らしい。夜はトイレに落ちないように注意が必要だと言われる。草原は巨大なトイレでもある。夜と昼との寒暖差が大きくて、服装は冬と夏の用意をしなくてはならない。「地球の歩き方」には寝袋はマストアイテムと書いてある。しかし一日の移動が悪路数百キロということもあるので荷物は最小限にしなくてはならない。毎日バックに荷物を出したり入れたりしている。妻には大変だよ〜と言いつつ、実はすごく楽しかったりする。来週、分からないだらけのモンゴルへ行ってきます。