朝=焼き鮭、半熟卵、納豆、白米、味噌汁/夜=大黒屋の天丼弁当
炊飯器を買い直した。まだ壊れてはいなかったが、お釜の中があちこちはげてきたので。ネットではなくて吉祥寺のヨドバシで現物を見て購入。パナソニック製で2万円ちょっと。すごいのは10万円もしていて、ちょっと気になったが、家電に10万円はねえ。カメラなら平気なんだけど(笑)。
吉祥寺はいい街だ。大きくもなく小さくもなく、ちょうどいい。家からは電車で三駅なので、最近の買い物は都心ではなく、こっちに行くことが多い。大学時代には友人が住んでいたので、よく遊びに来ていた。僕が住んでいた西武線界隈と比べてなんとなく華やかで、いずれここに住みたいなと思っていた。
子どもが生まれる前に、一度吉祥寺の第二公園の中にあるマンションに住もうと思ったことがあるのだが、いざ物件の内見中に、そこからは車での移動が大変だということがわかった。その当時、仕事には車が欠かせなかったし、現像ラボに必ず行く必要があったので、諦めてしまった。今はもうく車を手放しているからわかるけど、車がなくてもさほど不便は感じない。あの時、車を手放すという選択もあったんだなあと今となっては思うわけだが。まあ、無理だよね。カメラマンは車も機材の内だと思っていたから。
<2021年6月8日の日記から>
杉本博司が構想10年、建築に10年かけた「江ノ浦測候所」に行ってきた。2017年にオープンしてからずっと気になっていたのだが、場所が小田原にあり、入館が完全予約制ということもあってタイミングがなかなかつかめなかった。でもこの杉本博司のインタビュー動画を見てどうしても行きたくなった。https://youtu.be/Ft2yE4BrjEg これは写真家の鈴木心さんが撮ったもののようだ。自粛期間で物事が動かない今こそ、絶好の機会だと泊まりがけで出かけた。車がないので東海道線で真鶴まで出てタクシーで5分ちょっとくらい。江之浦測候所は、海を見渡せる山の中にあった。行ってみて初めてわかったことがある。ここは「美術館」ではないのだ。てっきり杉本博司の写真がたくさん見られるかと思ったら、なんと10枚くらいしかない。では、拍子抜けしたかというと、そうではない。3時間たっぷりと楽しむことができた。もともと蜜柑畑だったため、敷地内に高低差がある。そこをめぐる旅のようなもので、そこここに置いてあるものすべてが杉本博司が長年コレクションしていたもの。見栄えがいいから置いてあるというのではなく、コンテキストがある。例えば「亀石」と呼ばれる自然石の頭の部分が向いているのは、海を隔てた東京。亀は「永遠」の象徴だ。それが見据えている東京がいつの日か滅びた後も、この亀石の頭は変わらず東京を見続けている。杉本博司作品の基本コンセプトは「時間」。刹那から永遠まで、作品ごとに対象を変えながら表現している。この場所が「美術館」ではなく「測候所」というのもその現れで、原始の人間が初めて世界を意識し始めたのは「太陽の運行の規則性」からだと考え、この施設は冬至と夏至に合わせて建物の方向が作られている。美術館のことを揶揄する言葉として「作品の墓場」ということがある。しかしここは杉本博司の作品が収められている「墓場」ではなく、作品そのもの。「江之浦測候所」は2016年に東京都写真美術館で開かれた杉本博司『ロストヒューマン』展の拡大版だ。今回は初夏だったが、季節を変えて訪れてみたい。真夏には風景を見る回もあるそうだし、夏至の日の出もみてみたい。そして海外の友人が日本に来たときに連れていきたい。盛り上がること間違いなしだ。
<2009年6月8日の日記から>
実に久しぶりにフェイリンに英語のレッスンをうけた。お互いがあちこち行く用があるので時間を合わせるのが難しい。でもレッスンを受けると、眼からうろこが1枚はがれる。ああ、そうなの、と思えることが多い。萎えてしまいそうな英語の勉強に刺激が生まれた。彼女は後半年でインドに行ってしまう。それまで何回会うことができるか。レッスンの後、編集部を2か所まわる。モルジブの言い訳と作品の回収。そこでペンタックスの新製品デジカメK7の話を聞いた。ものすごいメカだ。すごいとしかいいようがない。CCDを磁石で浮かすなんて。手ぶれもゴミ取りもシフト操作までできてしまう。もう画面の水平を取るのに三脚は必要ないことになる。このカメカを、もし645デジタルが受け継ぐとすればプロユースデジカメの勢力分布は大きく変わるぞ。