質問に回答「アートと写真の関係性」

 

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先日、始めてzoomを使ってのオンライン講座「アートとお金」の配信してみました。おせじにもスムーズとはいきませんでしたが、問題点などがだいたいわかりました。

 

YouTube Channelでは、皆が早口で話をしているので、僕もだんだんそうなってきていると思います。でもオンライン講座はゆっくりやったほうがいいようです。

 

Zoomには、チャット機能があってコメントをつけられます。

先日もそれを使って視聴してくれた方とやりとりをしていたのですが、その中で「写真は撮って、撮って、撮りまくるのが早道だと言われますが、美術史を学ぶ意味はなんですか?」という質問を受けました。

 

たしかにその通りなのですが、「作品を制作する」ということで考えていくと、フィジカル(肉体)とロジカル(論理的という意味)、そのふたつが必要になります。

 フィジカルについては、“撮って撮って撮りまくって”機材が体の一部になる必要があります。「好きなように撮ればいいんだ」という話もありますが、たとえばピアノを前にして「音楽なんて好きなようにやればいいんだよ」と言われ、何も知らずにピアノを弾いても全然楽しくないでしょう。

 

楽しく演奏するには、その楽器に慣れる必要があります。僕はいまウクレレを弾いていますが、毎日毎日弾くことで、徐々に体に馴染んできました。

 

カメラも同じで、フィジカル的要素がすごく強い。仕事で撮影をする場合でも、その場の状況を把握して、瞬時に露出やアングルを決めなくてはなりません。慣れないカメラだと使い方が分からず思うようには撮れませんよね。

 

撮影行為はフィジカルなんです。

アメリカを代表する写真家アレック・ソスは、「カメラの操作にはマッスルメモリーが必要。筋肉に記憶させるのに10年かかった」と言っています。たしかにフィルム時代はどんなセンスの持ち主でも10年かかりました。

 

僕も本当の意味でカメラを使えるようになったのは、35歳のとき。写真の大学で4年間勉強したあと、新聞社で3年、その後フリーランスになって10年たった頃でした。

いまはデジタル時代なので、3年から5年もあれば習熟できると思います。

 

カメラを自由に扱えるようになるのは、楽器を自由に弾けるようになるのと一緒。そこから人前で演奏することになるわけです。

 

ただ、音楽と写真がちょっと違うのは、音楽は耳から入ってきて脳にダイレクトに届きますが、写真は視覚なので、画像の把握に実はかなり複雑な処理を必要とします。音楽のようなダイレクト感は薄く、脳は画像を理解しようと働くんです。

 

そのため作品制作には、「テーマ性」や「コンセプト」といった、理解を助けるためのものが要求されるわけです。

 

とはいえん、別にそんなのなくてもいいんです。写真は写真ですからね。でもそれだと自分勝手なものしか生まれない可能性が高い。可能性です。

 

ひとつの解決策として、自分は撮るだけで、あとのロジカルな部分はキュレーターにお願いするという方法もあります。でも誰もがキュレーターにみてもらえるわけでもないですし、そもそもキュレーター(日本では学芸員と呼ばれる方々)といった、その筋の専門家と会っても話が通じないでしょう。

 

キュレーターだけでなく、編集者やギャラリストでも同じです。誰かのサポートによって作品ができることは多々あります。たとえば赤々舎の姫野さんのような人に認めてもらえれば、作品が形になることもあるでしょう。

 

でも自分勝手に撮ったものは、おそらく彼らの目にはとまりません。彼らと会話をすることもできないでしょう。

 

それを知るには、天才的な表現者ならともかく、ロジカルな部分を増やすしかないと僕は考えています。

 

そのロジカルな部分を支えるのが歴史です。これは間違いないです。

時代はどう動いているのか知るためには、その前の時代を知る必要があるし、その一歩前の時代を知るのは、その前の時代を知る必要がある。

 

ロジカルな部分を理解したからと言って、決していいものが作れるわけではないですが、フィジカルだけに頼ると、危険なのが「昔はこうだったから、今もこのやり方が正しい」と思ってしまうことです。

 

撮って、撮って、撮りまくってフィジカルな部分を鍛え、さらに美術史を知ることでロジカルな部分を鍛える。海外の大学では当たり前に行っていることです。

海外の方が偉いわけではありませんが、写真表現は、やはり欧米を中心に廻っています。

 

2020年、木村伊兵衛賞を受賞した横田大輔さんは、フィジカルとロジカルのバランスがとてもいいと思います。そのへんのところは『じゃない写真』で詳しく書いていますので、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。

 

写真が好きで、好きで、何十年もやってきて、それでも全然最近の写真は分からないとい時期が僕の中にありました。

 

それを救ってくれたのがロジカルの強化だったんです。美術史って面白いですよ。

 

僕が登録している「写真系チャンネル20」

 

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 今日は僕がYouTubeで登録している「写真系のチャンネルの20」の紹介です。他にもたくさんあると思うので、お勧めのチャンネルがあったら教えてください。

 

 僕が「2B Channel」を始めたのは、20199月です。きっかけは、写真系チャンネルが少なかったから。

YouTubeを見るようになったのは2017年くらいからです。以前は調べ物をするときはネットで検索することが多かったのですが、いまではYouTubeを先に見るようになりました。

 たとえば「石油ストーブの芯の変え方」とか。

ネットでも検索すれば出てきますけど、動画のほうが全然分かりやすい。つい最近では「zoomの使い方」を調べました。すごい便利。あっというまに理解できるんです。

 

当然、写真関連も観たいと思って探したのですが、これが検索で中々引っかからない。「写真家」とか「写真の」とかで入れてみても、カメラの機材や新製品を紹介するチャンネルしか出てきませんでした。

 

その中で、これは面白と思ったのがイルコさんのチャンネル。

『Ilko Allexandroff』イルコさん

https://www.youtube.com/user/ilkophoto/videos

 

写真系にも関わらず登録者が10万人以上。ソニーユーザーなら見ている人は多いと思います。

ブルガリア人ですが、流ちょうな日本語で「めっちゃうれしでーす」というフレーズとともに手をパッと振っているのをみて、思わず笑っちゃっいました。それに自分のことを「光の魔術師」と呼んでいるのもいい。アクションもそうだけど、日本人にはちょっとできないことをサラッとやってのけています。

 

内容はポートレート撮影に特化していて、そのために必要な機材やライティング、ノウハウを語っています。

年前から写真を始めたそうですが、めちゃくちゃ上手いんです。特に、超広角レンズを使ったポートレートは、すごく面白い。ライティングも独特でイルコ流というか、僕たち世代ではやってこなかったようなことをどんどんやっています。

 

僕もファッション関係を撮影していた時期があるけど、その場合は服を見せるためにモデルには極力ポーズをつけないし、タレントだったらその人中心だから、やっぱり大げさなポーズやライティングはしない。出版社や広告主への忖度があったわけ。

ところが、イルコさんの写真はまったくそのへんの事に依存していない。撮りたい写真を追求しているみたいで新鮮に思えました。

 

彼の名前は、最近業界関係者の間でも「イルコ、観ておいたほうがいいよ」と言われているみたいです。間違いなくYouTubeが生んだスターですね。

 

 

★最写真系を検索していてお勧めに上がってきたのがこれです。

 

「ジェットダイスケ」さんのチャンネル

https://www.youtube.com/user/jetdaisuke

 YouTube初期から動画をアップしていて、登録者は27万以上。もっとも影響力のあるインフルエンサーでしょうね。

先日、僕の著書『じゃない写真』をジェットダイスケさんが紹介してくれていて、びっくり。その日のうちに登録者が100人増えてさらにびっくりです。

 

その動画の中でも言っていますけど、彼の編集手法に「ジェットカット」というのがあります。YouTubeの編集は、饒舌なところをどんどんカットしていってジャンプするように編集するんですが、その方法を最初に考えて名付けたられたのが「ジェットカット」。いまではそれが、動画編集の手法のひとつとして認知されるようになっているそうです。内容は新製品紹介レビューが多く、ご意見番的存在になっいるようです。

 

 ★次はこの方!

 

「サンセットスタジオTV」

https://www.youtube.com/channel/UCPCzTNwFZ9afU98GhRGRb7A/videos

 ナカモトダイスケさんと言う方が、奥さんの「ちゃんまり」さんとアシスタントの「ジョンジ」さんとやっていて、登録者数が10万人の大台を超えているチャンネルです。

 

ナカモトさんって、すごくさわやかな感じなんですけど、前身タトゥーが入っていて謎すぎるのがまたいいんです。

 内容は初心者向けの機材や撮影のレクチャー。「女の子を可愛く撮るには」とか、こんな感じに撮りたいという一般の人の欲求に応えるタイプの動画です。「なかもとふうふ」というサブチャンネルもあります。

 

ナカモトさんは沖縄から配信しています。イルコさんは神戸から。そしてジェットさんは滋賀からです。

 

実は、僕はそれに気がついたときにかなり驚きました。「そうだよなあ、もう東京でなくてもいんだよな」と。

写真をやるなら東京じゃないとできないとずっと思い込んでいたんです。ところがいまや、あきらかに影響力のある人が地方から出てきています。

YouTubeを見直すきっかけになりました。

 

★そのほかにも見ていたのがこれ。

 

「伴貞良」さん

https://www.youtube.com/user/vantherra/videos

プロカメラマンの方で、ずっとひとりで20分くらい写真のことについて話している動画をたくさん上げています。僕は何かの作業用をしながら、ラジオのように聞いていました。なんとなく癖になる話し方と内容なんです。

 

 

★動画用マイク問題に悩んでいたときに検索で出てきたのは

 

「瀬戸弘司の動画」

https://www.youtube.com/user/eguri89

カメラや機材のガジェット系なんですが、紹介の仕方がとても上手。登録者100万人以上! 同じくガジェット系では「カズチャンネル」も観てまいすけど、どちらも聞いていて、全然いやな気持にならないのもすごい。

瀬戸さんの動画はきれい。カメラやマイクのレビューはかなり参考になります。

 

 ★女性の方のチャンネルで登録しているのは

 

imagenica by yoko

https://www.youtube.com/user/nikond750userch

写真集のレビューや機材のことなどいろいろありましが、いずれも編集がとても丁寧。滑舌もいいし、こういうチャンネルいいなあと思ってしまいます。海外の写真系YouTuberって、もの凄く凝った作りが多いんですが、彼女のはまさにそんな感じ。英語で解説している動画もあるので、海外に住んでいたことがあるのかもしれません。

 

★海外のYouTubeでは、最近知ったのがこれ。

 

Parker Walbeck

https://www.youtube.com/channel/UCw9zJ3qnebPPGsutiEAvu5Q

話も上手だし絵もすごくきれい。テクニカル的な点もくわしく説明していて、英語ですが、よくわかります。英語の勉強にちょうどいい。わからない英語があっても、写真のことに関しては、観ていれば理解できますしね。

このチャンネルに限ったことではなく、海外のYouTubeは、ライティングがとても上手くて、日本とは違うなと感じます。

 

 

★日本のテクニカル系では

 

「写真家夫婦上田家」

https://www.youtube.com/channel/UCCJwhcZZ9YFtAXVnhXM7D9Q/videos

おふたりとも、パナソニックやニコンの仕事をなさっている写真家で、交代で動画を上げています。僕はひとりでやっているので、羨ましい。あっという間に15千人近くまで登録者が増えています。このチャンネルも動画のクオリティが高くて、良い機材を使っている感じです。

 

 

★解説系ではもうひとり

 

「塙真一」さん

https://www.youtube.com/channel/UCzAp8D-yOMf6CebPVvq2w6g

雑誌で人気のある写真家なので、富士フィルムの新製品「X-PRO3」の動画をアップすると、わずか数日で登録者1000人越えていました。その後も新製品レビューをたくさんやっています。

 

 

★ここまで紹介したのは、どれもカメラ系やテクニック系です。

写真のことを語っていたり、作品の解説をしている動画はないかと探していて教えてもらったのがこれです。

 

「トモコスガ言葉なき対話」

https://www.youtube.com/user/tomokaflex

オランダのアムステルダムに住んでいて、海外のフェスティバル、写真集や作品のレビューなどをしています。

かなりガチです。作家を紹介している公開ポートフォリオレビューなどを観ていると、こっちがドキドキしちゃいます。

 

最近では写真集レビューが楽しみで、齋藤陽道さんの『感動。』がよかった。でも最高だったのは深瀬昌久『家族』のレビューでした。この動画を観るちょっと前に、ゴールデン街の「こどじ」で、彼の写真集を見ていたのでなおさら面白かったです。

 

★トモコスガさんの動画を観ていたらお勧めに出てきたのがこれ。

 

「写真虎の穴ハマチャンネル」

https://www.youtube.com/channel/UCGt-QiMUUPGqwG2t9Y8GB7A

 

コンテンツが『2Channel』と似てる気がして見ています。こういうことやってくれる人が増えると面白いし、盛り上がるんだけどなあ。

 

 ★先日みつけた超変わり種のチャンネルが

 

「プリンティングディレクター高柳昇」

https://www.youtube.com/channel/UCGLCdJbLVbzZXJ2hpjSX2nQ

東京印書館の高柳といえば、写真数制作に携わっている人ならみんな知っているくらいの伝説の印刷ディレクター。鬼海弘雄さんの『PERSONA』をはじめ、クオリティの高い写真集に関わっている方です。

 

フォトショップの使い方の解説がマニアックすぎて面白い。ものすごく大事なことをサラッと言っていてかっこいいんです。「わかるかなあ、わかないんだろうなあ」っていう内容。他のフォトショップものとは一線をかくす、本物のノウハウがわかるような内容です。

 

 ★最近では大御所カメラマンも増えてきたました。

 

『横木安良夫』さん

https://www.youtube.com/user/fabianay1949/videos

 

『山岸伸』さん

https://www.youtube.com/user/yamagishiminisuka/videos

 

『野村誠一』さん

https://www.youtube.com/channel/UCn9p78Bi9qgzeR-BoPyF9vA

 

若いけど大御所の『鈴木心』さん

https://www.youtube.com/channel/UCX7gk9K2-vWvynN6pPNNwqw

 

横木さんのチャンネルは実験的で面白いです。1枚の写真をじっくり見るために、その背景を横木さん自身がナレーションしています。

 

山岸さんと野村さんとは、プロカメラマン中のプロカメラマン。そのおふたりが語る機材論というのは、とても説得力が他とは違います。

 

鈴木さんが出している『写真がうまくなっちゃう7つのこと』は、僕も読んでいて、いい本です。その解説動画もあるので、写真を始めたばかりの人にお勧めです。都内にある「平間至写真館」をルポした動画も、とても面白かったです。

 

 ★「2Channel」にも出てもらった方々もお勧めです。

 

「水谷充」さん 

https://www.youtube.com/channel/UCVMmbie6OjveDYhd2r_33Hg

 彼のチャンネルはちょっと変わっています。プロカメラマンが、テクニックを語る動画は山ほどありますが、彼はテクニックよりも、どうやってカメラマンとしてお金を稼げるようになるかという体験談を語っています。

奥さんがインタビュワーなんだそうです。かなり的確に質問していて気持ちいい。

 

 

鈴木麻弓さん


『La cocina de Mayumita』

https://www.youtube.com/channel/UCCVNLmLC5hy_uZS1ZYPRr_A

 彼女は写真家なのですが、自らを「マユミータ」と名乗って料理チャンネルをやっています。僕が彼女に勧めました。彼女は写真と同じくらい料理家の才能があるんです。実は彼女のパートナーは有名な動画クリエーターなのですが、一切手伝ってもらえないそうです。全部ひとりで撮って編集をしていると言っていました。

編集もうまいし、何なにより天性のタレント性がある割に、登録者数は伸び悩み中。是非登録してあげてください。

 

 山縣勉さん

TSUTOMU YAMAGATA

https://www.youtube.com/user/yamagata126

写真の話ものもあるけど、基本は「ソロキャンプ」。

僕とのインタビュー中にも話していましたが、ソロキャンプが写真制作においてメンタル的に役に立っているそうです。ワイドアングルビジョンの話は面白いですよ。

 

 最後にひとつ。

UZUMAX

https://www.youtube.com/user/uzumax999

「どうもウズです」というのにはまっていた頃があります。レビュー系動画ですが、プロじゃないのがいいんです。

 

こんな時期ですから、週末はYouTubeでも見てゆっくりしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウィリアム・クライン、森山大道、田中長徳 「オリジナルプリントについて」

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ウィリアム・クライン、森山大道、田中長徳

「オリジナルプリントについて」

 

 

写真展などで「オリジナルプリント」という言葉を聞いたことがあると思いますが、この「オリジナル」ってなんでしょうね。

 オリジナルがあるっていうことは、オリジナルじゃないプリントもあるということですよね。

 

僕自身、作家活動を始めたばかりの頃は、その差はなんだろうと思っていました。どうしてかというと、写真は絵画と違って、複製が可能であることが特徴なわけですから。

 

絵画ではわざわざオリジナルなんて言い方はしませんよね。

「モナリザ」はルーブルにある一点だけで、他にあったらそれは偽物です。

 

でも写真は、同じものが複数枚存在させることができます。

つまり複製可能なのに、オリジナルってなんだろう?

 

それがギャラリーシステムの中で生まれた言葉だったというのを、僕は随分あとから知りました。

ギャラリーでプリントを「作品として販売するとき」に必要な概念だったんです。

 

「これは作家のオリジナルプリントです。だから価値があります」

 

いわば言葉によって新しい価値を創作したわけです。​写真作品において「オリジナル」とは、サインがあるかどうか​の1点につきます。作者がそれを自分の作品として、世の中に流通することを許した証がサインというわけです。

 

一般的な感覚としては、「作家が自分でプリントしたものじゃないとオリジナルとは呼べない」という風潮もありますよね。でもマーケット的には誰がプリントしたかよりも、サインがあるかないかの方が最も大事なんです。

 

作者が亡くなっている場合は、親権者のサインでもかまいません。

サインがあるかないかで、プリントの価値は10分の1になったりもします。

 

これは僕が経験したことですが、あるギャラリーに「マン・レイ」のプリントが販売されていました。どれも一点90万円以上です。

 

そのプリントには、マン・レイが亡くなったあとに管理者になった奥さんの青いスタンプが押されています。マン・レイが存命の頃はプリントにサインをするという習慣はなかったし、そもそも複製可能なプリントに価値がつくとは思っていなかった頃です。

 

さて、話をもどしますが、そのギャラリーオーナーは、1枚のプリントを奥から持ってきて「これもマン・レイのプリントだけど7万円でいいから買わない?」と僕に言ってきました。

 

彼の他の作品は90万円もするのに、「なんでそんなに安いの?」と聞いたら、オーナーはプリントの裏を見せてくれました。

 

そこには何も書かれていません。

 

「図録には載っているからマン・レイの作品であることは間違いない。

でも人気の絵柄でもないし、一番問題なのはサインがないからこの値段になってしまう」というのです。

 

どうやらこのプリントは雑誌用に貸し出されて、それが返却されずに流通してしまったようです。もしこのプリントにサインが入っていたら、間違いなく10倍の価格になったはず。

 

そのくらいサインって流通させるときに大事なんです。

 

さらに言えば、プリントの裏に「撮影年」、「プリント年」、「タイトル」、「エディション数」があるのが望ましい​とされています。

 

この「エディション」という耳慣れない言葉は、版画のシステムから来ています。

版画は原板から複数の作品が生まれます。そこで作品の流通量を制限する意味もあって、最初に刷る枚数を決めてしまいます。

 

作品に番号をふるには、たとえば1枚の原板から100枚刷った場合、20枚目の作品ならば、100枚中の20枚目ということで、20/100という表記になります。

分母が総発行枚数、分子がその中の何枚目かを現しています。

 

写真も、1枚のネガからほぼ無限にプリントをすることができます。

すると、お金と一緒で価値が下がるので、最初にプリントする枚数を決めようというのが「エディション」なんです。

 

版画にはあまりないようですが、写真の場合は「ステップアップエディション」と呼ばれるシステムがあります。

 

たとえばエディションを10とした場合、1枚目から5枚目は5万円、6枚目から8枚目は10万円、9枚目は20万円、最後の1枚は40万円というように、最初に買った人は安く、徐々に人気が出ると値段が上がるというものです。

 これを採用している写真ギャラリーや作家は多いですね。

 

最近の傾向としては、エディションは少なめです。以前は15枚くらいが普通だったのですが、海外では15枚は多すぎると言われる場合があります。

 「5枚、もしくは3枚がベストだ」というギャラリストもいます。

 たしかに、1枚のプリントが15枚売り切れるというのは現実的にはありません。

 むしろ、売り切れてしまう作品が多い方が、ギャラリーとしてはセールストークとして使いやすいんです。

 

「この作家はすぐに売り切れてしまうから、買うなら今しかチャンスがないですよ」という感じです。

 

僕が始めて買った作家のプリントは、6枚セットのウィリアム・クラインのプリントです。彼のサインもちゃんと入っています。

 エディションは「22/80」となっているので、80枚プリントした中の22枚目ということになります。「ん? 80枚?」って思いますよね。先ほど、15枚でも多いと言いましたから。

このプリントを購入したのは、2000年です。

 

これは実は、1996年にニューヨークで「6枚組ボックスセット」として企画販売されたもの。サインが入っているからオリジナルプリントなのは間違いないのですが、彼自身がプリントしたものではないのです。6枚セットで80組だから、枚数が多いので、僕でも買える値段でしたけど、エディション数が少ない通常のプリントなら、1枚数百万円はするでしょうね。

 

もうひとり、僕が持っているのが森山大道のニューヨークです。

 サインはありますが、エディションや他の情報は記入されていません。1971年に撮られたことは資料で分かっています。

 

現在の森山さんのプリントへのサインはローマ字ですが、これには楷書で「森山大道」と書かれています。かなり初期もののようです。

 

オリンパスペンワイドというハーフサイズカメラで撮られているので、ザラザラとした粒子が出ています。これがかっこいい。ウィリアム・クラインを彷彿させます。

 

通常、市場に流通しているプリントは、バライタ印画紙を使いますが、これはRCペーパーです。森山さんは、長年月光のRC印画紙を使っていました。

 

そして最後は田中長徳さんのニューヨーク。5枚組です。

1981年に文化庁の芸術家派遣制度で1年間ニューヨークに滞在していたときに撮られたものです。

 

撮影しているカメラは8x10インチの大型カメラ。それを居候先のアパートメントでベタ焼きをしたそうです。よく見るとうっすらフィルムの後が見えます。

 

印画紙は、当時店頭で投げ売り状態だったアグファのエクストラハードの印画紙です。

 ニューヨークでのエピソードは、長徳さんのエッセイにたびたび出てきます。

 

このプリントは100枚セットの中から選んで買ったものです。ニューヨークから帰国後にギャラリーで展示したものが巡り巡って僕の手元にきました。

 

実はこれを購入したときにプリントにサインが入っていませんでした。

 まだ長徳さんに面識がなかったころなので、講演会に押しかけてそこでサインをいれてもらいました。

その際に、撮影年とプリント年を入れてもらいました。1981年ですから29年前になります。

 

実は撮影プリントから30年経過したプリントを市場では“ヴィンテージプリント”と呼んで、貴重品扱いします。

 

10年でも20年でもだめで30年。これは別に法的に決まっているわけではなくて、ギャラリー界隈の商習慣みたいなものです。

 

それに対して「撮影は30年前だけど、プリントは最近した」というのは“モダンプリント”と呼んで区別します。

 

“ヴィンテージプリント”という概念は、ギャラリーが作り上げた価値の創造ですね。たしかにヴィンテージというと、ありがたい気がしてきます。

 

この3人のプリントを購入したことがきっかけで、僕は毎年、数枚ずつですがプリントを集めています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月12日から全13回でスタートするオンライン「美術史」講座のご案内です。

 

zoomのオンライン有料講座 (全13回 2020412日〜711日)

「美術館に行くのが楽しくなる美術の歴史講座」

 

今回の講義は、主に美術史になります。写真史はざっくりの解説で、さらに詳しい写真史については、本講座終了後にあらためてやる予定です。細かい事象を取り上げるのではなく、まずはとにかく美術史の流れを重視した内容になります。

実は、ここさえ分かっていれば、たとえ知らない作家でも、制作の年代を見ただけで、それが描かれた背景を理解できるのでとても面白い発見があり、美術館に行くのも絶対に楽しくなります。

*本講座では、受講者からの質疑応答も可能です。

 

<受講料>

全13回 28000円

 

<申し込み方法>

 「美術史講座受講」と明記の上、下記アドレスまで。

workshop2b10th@yahoo.co.jp

 

 氏名・電話(緊急時用)もお願いいたします。

 受講料の振り込み(下記参照)が確認した上で、視聴アドレス等をお送りします。

 

<支払い方法は以下の2通り>

@クレジットカード払い 「BASE」から

https://2bh.base.shop/items/27504169

(リンク先で価格表示がでない場合は、中央の画像をクリックしてください)

@銀行振り込み払い

三菱UFJ銀行 江古田支店 普通 4896183

口座名 ワタナベサトル

(振り込み手数料はこちらで負担します)

 

<全講座予定> 

*時間 20時〜22時 *<再>=見逃した方の再講座(土日ともリアル配信)

(講座は、こちらで録画したものを後日、YouTube上に受講者限定配信)

 

1回目 412日(日)/<再>418日(土) 「ざっくり美術史」 

 一度おおまかに全体像を把握。今回の講義では、美術の歴史=西洋史

■2回目 19日(日)/<再>425日(土)「ルネサンスってなんだ?」

 商業の発展とキリスト教の世界観 

 #ダヴィンチ#ボッティチェッリ#メディチ家#ローマ教皇

■3回目 26日(日)/<再>5月2日(土) 荒ぶるバロック」

 調和が優先されたルネサンス絵画から、動きのあるバロック絵画へ。突如花開き、あっという間に散ったオランダ絵画たち。 #カラバッジョ#ルーベンス#レンブラント#フェルメール

■4回目 日(土)/<再>5月9日(土)「フランス革命が変えた世界観」

 産業革命とブルジョワの誕生が生んだ絵画の変革。写真の誕生。意識改革が興った時代

 #印象派#ゴッホ#ゴーギャン#超重要画家セザンヌ

■5回目 10日(日)/<再>5月16日(土)「二度の世界大戦がすべてを変えた」

 ダダイズムがもたらしたものとは。現代美術がここから生まれた。

 #デュシャン#ピカソ#ロシアンアバンギャルド#バウハウス

 

■6回目 17日(日)/<再>5月23日(土) 「アメリカファーストの時代へ」

 なぜアートはパリからニューヨークへ移ったのか。抽象表現主義の時代。

 #ポロック#ロスコー#CIA

■7回目 5月24日(日)/<再>5月30日(土)「コンセプチュアルアートってなんだ?」

  概念こそがアートになる。ミニマリズムと禅。大量消費社会へ。

  #ジャスパー・ジョーンズ#ウォーホール#リキテンシュタイン

■8回目 5月31日(日)/6月6日(土)「ついに何がなんだかわからなくなる現代のアートへ」

 多様性と社会との関係生。すべては今の時代を反映している。だからこそ経済界の人は現代アー  

トを好む。

■9回目 6月7日(日)/6月13日(土)「ざっくり日本アートの歴史」

 日本の美術の歴史をいっきに解説します。日本独自の美術から西欧化へ。

 #狩野派#浮世絵#明治の近代絵画#藤田嗣治#岡本太郎#オノヨーコ#草間弥生

10回目 6月14日(日)/6月20日(土) 「ざっくり写真史」

 テクノロジーが変えた表現の革命。写真の誕生から現在まで。

 #ニエプス#アジェ#スティーグリッツ#キャパ#シャーマン#杉本博司

11回目 6月21日(日)/6月27日(土)「思想と哲学」 

 難しいと思っている人が多いけれど、かなり楽しい思想と哲学の世界

 #プラトン#デカルト#ニーチェ#フロイト

12回目 6月28日(日)/7月4日(土)「現代思想」

 ここがとっても大事。近代の理解がないと、脱近代(ポストモダン)が分からない。これさえ知っていれば今行われていることは大体理解できる。

 #サルトル#レヴィ=ストロース#バルト#ソシュール

13回目 7月5日(日)/7月11日(土) 「宗教」

 宗教とアートは密接に繋がっている。世界を動かす宗教の力。

 #ユダヤ教#キリスト教#イスラム教#仏教#神道

オンラインでプレ講座をします

4月5日のオンライン講座は、定員となりましたので募集を修了いたします。ありがとうございました。
 
 
新型肺炎コロナウィルスの悪化にともなって、「H」のワークショップは現在開講することができず、非常に残念な状況になっています。
そこで、以下のような試みを始めました。興味のある方は、ぜひ参加してみてください。
 
 
オンライン「プレ美術史講座」のお知らせ
今話題の“zoom”を使ったオンラインで「美術史・写真史講座」のプレ版を4月5日(日)の午後8時から60〜90分の予定で行います。
 
ご希望の方はこちらのformへ。参加費は無料です。
(申し込みは、4月5日の13時まで受付可)
*なお、formに飛ばない場合は、下記のアドレスでも受け付けています。
「オンラインプレ講座申し込み」と明記してご連絡ください。
workshop2b10th@yahoo.co.jp
 
視聴に必要なものは、パソコン(win、Macどちらでも)またはタブレット。
パソコンの場合、“zoom”のソフトをインストールする必要はありません。Webブラウザ上で視聴できます。
タブレットの場合は事前に“zoom ”のアプリをインストールしておいてください。
内容は美術史プレ講座「アートとお金の話」です。
この内容は2018年度に慶応大学ビジネススクールで講演したものです。
お金という、まずは身近なキーワードからアートに触れることでるので、深く知るきっかけを作ってみてください。
そして講座を気にいっていただけたら、是非4月12日から始まる「オンライン 美術史・写真史講座」(有料)にご参加ください。
「現代アートがよく分からない、最近の写真は何がいいのかさっぱり理解できない」そんな悩みを解消します。この講座は、僕が主宰するワークショップ内で5年間続けていた講座で、とても評判の良いものです。
 
期間は4月12日(日)から3ヶ月13回の連続講座で、毎週日曜日の午後8時から行い、翌週の土曜日午後8時から見逃した方のために、もう一度同じ講座を開きますので、時間のやりくりがしやすいと思います。
参加費は13回で28,000円(税込み)。
オンラインクレジット決済でのお申し込みになります。詳しい内容はプレ講座に参加者に各自メールでお知らせします。
 
受講後は、美術館に行くのが楽しくなります。安心して集まったり外出できるようになったら、実際に美術館に行く講座も考えています。
週末外に出ることが制限されている今だからこそ、新しいことを始めてみませんか。

 

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今回はウィリアム・クラインの話です。

 

様々なことが1950年を境に大きく変わっていきます。写真の世界でも例外ではなく、ロバート・フランクとウィリアム・クラインが大きな転換点になりました。

 

ロバート・フランクは語られる機会が多いのですが、ウィリアム・クラインはあまり語られることがないので、今回は写真集『RETROSPECTIVE』(レトロスペクティブ)から彼の写真を見ていきたいと思います。

 あの森山大道もクラインから大きな影響を受けていると言っているほど、フランクとクラインの写真は世界中の写真という概念を変えてしまったんです。

 

さてウィリアム・クラインは1928年にニューヨークで生まれています。ロバート・フランクは1924年、ソールライターは1923年に生まれています。

 この3人の共通点を上げるとしたら、ファッション雑誌で仕事をしていたということ。それともうひとつは、3人ともユダヤ人であることです。

 

実はヨーロッパでは、ファッションに関わる産業でメディアやデザイン、縫製、素材系の90パーセントは、ユダヤ人が占めているのではないかと言われています。また、アメリカでもリーバイスをはじめ、ラルフ・ローレンやカルヴァン・クライン、ダナ・キャランはユダヤ系だと言われています。

 アメリカのファッション業界はヨーロッパ移民によって築かれたものです。

これは15世紀の頃からユダヤ人がヨーロッパの織物産業を牛耳っていたからで、昔からファッショのトレンドを作っているのはユダヤ人だとも言われているくらいです。

 

ロバート・フランク、ソール・ライター、ウィリアム・クラインが写真の仕事を始めようとするときにファッション誌というのは入り込みやすかったのではないでしょうか。

 

クラインは雑誌『ヴォーグ』のデイレクター、アレクサンダー・リーバーマンに見出されてファッション写真を始めることになります。

ところがクラインは写真の専門的な教育を受けていません。

彼は第二次世界大戦後、赴任地であったパリのソルボンヌ大学で社会学を学んだのち、なんとキュビズムの画家、フェルナンド・レジェに弟子入りして画家としてパリやミラノで個展を開いています。

 

レジェの描く絵は、太い輪郭線と単純なフォルム、明快な色彩を特色とする独自の様式なのですが、それはそのままクラインの写真を表するときに使われる言葉です。

 

彼は、画家の仕事をしているうちに写真と関わりを持つようになり、あのカルティエ・ブレッソンのライカを借りて写真を撮っていたということです。

 

そしてアメリカに渡り『ヴォーグ』の仕事をするようになるのですが、最初はカメラマンではなくてグラフィックデザイナーでした。

そこから1955年にニューヨークの写真を撮り始めると、翌年には初の写真集『NY』が『ヴォーグ』を発行するコンデナスト社から発売され、大きな話題を呼びます。

 

クラインの『ニューヨーク』はフランクの『THE AMERICANS』と同様、写真集の歴史を切り開いた一冊です。言い換えれば写真集の歴史はこの2冊から始まったと言ってもいいくらいです。

 

クラインの写真の特徴は「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれる“反”写真的要素です。

 それまでの商業写真はできるだけ解像度が上がるように大型カメラを使い、陰翳と遠近感を出すことで「いかにリアルに見えるか」を競っていました。

 

クラインの写真はその真逆です。ピントは合っていなくて、ブレていて何が写っているか判別できず、平面的な構成で、グラフィック的な要素が強い。

 

もちろんこの方法論がすぐに受け入れられたわけではなく、大きな反発もあったようです。これはフランクの『THE AMERICANS』も同じでした。

 

しかし1950年代というのは、文学の世界でも「ビートジェネレーション」と呼ばれるジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグ、ウィリアム・バロウズがそれまでの価値観をぶっ壊すことを始めます。

この時代は旧世代の価値観を壊すことが使命だったのです。

 

美術の世界でも、クラインがパリで勉強していたキュビズムはすでに古くさくなり、戦前からのダダイズムがアメリカ抽象絵画を生む時代です。

ダダイズム美術の根幹は「反美術」です。

 

クラインは写真でダダイズムを実践していたように思えます。

 それまでの高度な写真技術の追求が素晴らしい作品を生むという考えを根底からひっくり返してしまいました。

 

感度が400になったコダックのモノクロフィルム、トライXが1950年初頭に発売されると、クラインはトライXの高感度性能を生かし、これまでは写らなかった夜や室内のシーンを積極的に撮影し、トリミングや増感処理をすることで銀の粒子がザラザラとするプリントを作りあげました。

 このザラザラとした質感は、絵画で言えば「マチエール」。絵の具の盛り上がりを連想させます。

 

クラインの写真集『ニューヨーク』は、発売翌年の1956年にフランスのもっとも権威のある写真賞である「ナダール賞」を受賞します。

 

その後、ローマ、モスクワ、東京、パリを同じ手法で撮影し、写真集化しています。

 この写真集を見て特徴的だなと思ったのが、横位置がほとんどで縦位置の写真が少ないこと。同世代のロバート・フランクや、ソール・ライターの写真は縦位置が多くを占める印象があります。

 

さらにクラインの『ニューヨーク』では、個人が特定できるような撮り方ではなく、人物を群像として扱い、極めて平面的にものごとを捉えようとしています。

 

ところがクラインの写真には縦が少ない。唯一『東京』だけは別で縦位置が多いくて人がひとりだけのものが多い。

 非西洋の文化にふれたクラインには日本は珍しかったせいで、それまでのスタイルとは違ったものになったのかもしれません。

 

クラインの写真を評するときに、“写真と社会に関わり合いから切り離す”というものがあります。写真が聞雑誌に依存することなくアートになりうる可能性をしめしたと言われています。

 

看板やポスターで溢れる 欲望の街というのは、その後のアンディ・ウォーホルが試みたポップアートに通じるものです。

個人ではなく群衆でとらえていたり、 大胆なトリミングをしているのは、人物を記号として扱おうとしていたから。事象を記号化する行為は1950年代の美術で語られていたことです。

 

さて、ロバート・フランクの『THE AMERICANS』とウィリアム・クラインの『NY』が、どれほどの影響を日本の写真界に与えたかと言えば「おまえはフランクか? クラインか?」と二択を迫られたということからも分かります。

 森山大道や中平卓馬が『PROVOKE』を作ることになるのも、クラインの影響が多きかったはずです。

 

ファッション写真にも大きな影響を与え、ヘルムート・ニュートン、 デヴィット・ベイリーが生まれました。

 

しかしそのクラインは1965年から10年以上写真から離れ、映画を撮り始めます。

これはフランクも同様です。『THE AMERICANS』の成功後は写真から動画に移り、ソール・ライターも1970年を境に、ファッション写真をやめて、隠遁生活に入ってしまいます。

 

これはひとつに、メディアの主流がその頃からテレビに移り、雑誌の影響力と資金が少なくなりカメラマンの自由度が極端に狭まったことが上げられそうです。

1950年から60年にかけてのファッション誌業界は、カメラマン発掘に糸目をつけずにジャブジャブお金を使っていたそうです。

やりたいことはなんでもできた時代。僕らには想像もできませんが、そんな時代があったんです。

 

僕はクラインを2008年のパリフォトのときと、2016年のアルルの街で見かけました。

2008年のパリフォトでは、僕の写真集『traverse』にクラインのサインを入れてもらって、写真も撮らせてもらいました。

会話をしたはずなのですが、緊張していて何を話したかはすっかり忘れてしまいました。

 

実は僕はウィリアム・クラインのプリントを6枚持っています。

その話は次回、「オリジナルプリントってなんだ?」で触れたいと思います。

 

 

 

 

 

「dp」と「fp」 SIGMA 比べてみました

https://youtu.be/rhgcnV9CcCA

 

youtu.be

 

今日はシグマの「fp」と「dp」の話です。

 

知ってました? フィルム時代にもシグマはカメラを作っていたんですよ。主に海外輸出用だったのか、日本ではほとんど目立たず、周りに使っている人もいませんでしたが、デジタルカメラになって突然個性を発揮し始めました。いまでは特別な存在になっています。

 

2019年に発売された「fp」は「世界最小最軽量のレンズ交換式フルサイズミラーレスカメラ」と話題になっています。この大きさでフルサイズですよ。センサーはどうやって入れたんでしょうかね。

 

「fp」の名前の由来は「フォルテシモ・ピアニシモ」、様々なアクセサリーとドッキングさせてフォルテシモとしても使えるし、単体でピアニシモとしても使える、そういう二面性を持ち合わせるというコンセプトだそうです。

 

プロモーション動画を見ると分かりますが、まるで映画用カメラのようです。というか、立派に映画用。

 

写真も撮れる動画用カメラでもあるし、動画も撮れる写真用カメラとも言える。

この「fp」を使ってみたいと思っていたら、シグマファンの方にしばらく貸してもらえることになりました。彼は初代「dp」からシグマを使い続けている"フォヴィオンマニア”なので、「dpのほうが好きだな」と言ってました。

 

さて、「fp」と「dp」では何が違うかというと、センサーの構造です。フルサイズとか、APSとかの大きさじゃなくて元々の成り立ちが違う。

 

先ほど"フォヴィオンマニア”と言いましたが「dp」は「フォヴィオンセンサー」を搭載しています。この形式のセンサーはシグマだけで他のメーカーはすべて「ベイヤー配列」と呼ばれるものになっています。

 

その違いというのは、フォヴィオンはセンサーがレイヤー構造というか、立体的になっていて、ベイヤー配列は平面構成。

 

図を見てもらうとわかるけど、フォヴィオンはセンサーが上から青、緑、赤の順番に重ねてあります。

 対してベイヤーは平面上に赤、緑、青のフィルターが貼り込んだセンサーが1:2:1の割合で並んでいる。この割合がベイヤー配列と呼ばれています。

 

お気づきでしょうか。ベイヤー配列の場合、例えば赤一色のものを撮った場合、赤のセンサーが反応するのは全体の5分の1でしかありません。

 緑と青のセンサーは赤の波長に反応しないので、おかしなことになる。

 でもそれを計算で補っているわけです。「赤と赤に挟まれた緑と青のセンサー部分も赤」という具合に考えるわけです。

 

メリットとして平面構成のため計算しやすく、処理も速い。

しかも現在のCMOSセンサーは省電力で高感度にも強い。

 

いいことずくめなので、シグマを除いたメーカーはべーヤー式を採用しているわけです。コンデジも、携帯もデジタルカメラはベイヤー配列です。

 

ちなみにこの“ベイヤー”というのは、コダック社の研究員の名前です。1976年にこの方式を発明しました。個人名がつくくらい画期的なセンサー配列だったんです。

 

いいことづくめのベイヤー配列に、唯一反旗を翻すのがフォヴィオンセンサーというわけです。正式にはフォヴィオンX3センサーと呼んでいるのかな。

もともとは「フォヴィオン」というベンチャー企業が開発していたセンサーを会社ごと買い取ったようです。それ以来ずっと育て続けている。

 

ベイヤーが計算で色を出しているのに対して、フォヴィオンはそれぞれのセンサーが色をキャッチするので、理論的な正しさがある。この三層構造はフィルムと同じです。

 

青の波長は青のセンサーが、緑の波長は緑のセンサーが、赤の波長は赤のセンサーがそれぞれ反応します。なんかすっきりするでしょう。

だから理系のおじさんが大好きなんです。

 

そしてフォヴィオンは圧倒的な解像感が得られる。これは使った人じゃないとわからないけど、本当にすごい。「dp」で撮ったものをパソコンで等倍にして「こんなとこまで写っている」とニヤニヤするんです。

 

RAWで撮ることが勧められているけど、クワトロシリーズからはJPEGでも十分感動できる。でも、しかし、残念ながら、問題が山積みなんです。

まず致命的なのは感度が上げられない。現在のベイヤーセンサーは感度を6400にしてもなんの問題もない。「fp」もそうです。

 

ところがフォヴィオンセンサーはいまだに感度400が限界。800にすると目に見えて荒れてきます。なにせ推奨値が200までですから。100と200しか選べない。ベイヤー配列とは、感度にして5段分のハンデがある。

 

実はこのフォヴィオンのようなレイヤー式のセンサーは、各社で研究はしていたようで、ソニーとオリンパスが共同で着手しているというニュースも流れていましたが、どうにもこうにも感度が上がられなくて断念したようです。

 

それに立体構造のフォヴィオンセンサーは画像処理の計算に時間がかかります。センサーが三層なためかバッテリーの消費も激しい。動画も撮れない。

ベイヤーのメリットはすべてフォヴィオンのデメリットなわけです。

それでも、一度でもフォヴィオンの味を知ってしまったら、もう他のカメラじゃ物足りなくなる。

 

そんなシグマ=フォヴィオンと思っていたところに、「fp」がでてきたわけです。しかも「fp」はベイヤー式センサーを積んでいる。

 

発表時にはフォヴィオン界隈で激震が走りました。

「フォヴィオン界隈って、どこだよそれ」って言われそうですが、シグマがフォヴィオンを捨てたって、みな大騒ぎでした。

 

しかも動画に力を入れているのは明白。実はここ数年、シグマのシネマレンズは動画業界で高評価を得ていて、当然の流れではあるんですが。

 

 さてここで実際に「fp」と「dp2クアトロ」を使ってみました。便利だったのは両機のバッテリーは同じものを使えるということでした。

同じように撮っていて「dp2」がバッテリー切れをおこしたときに、「fp」はまだひとメモリ分余力がありましたが、バッテリーの持ちに関してはそんなに大きな差はありませんでした。

 

「do」も「fp」も、オートフォーカスがお世辞にも早いとはいいがたいですね。

さらに「fp」も「dp」も、止まっているものを撮影するにはストレスはほぼないのですが、動いているものにはあきれるくらい迷う。

 

「fp」の動画撮影で、ちょっと被写体が動くと迷ったあげくに大きく外すを繰り返します。瞳AFもついていますが、それを使わないほうが追随します。その辺の検証動画はYoutube にたくさん出ていると思うのでそちらをどうぞ。

 

動画撮影ではマニュアルを使うのが前提なんでしょう。動画のプロはマニュアルフォーカス、マニュアル露出、マニュアルホワイトバランスが基本みたいなとこがあるりますからね。

 それと「dp」の場合は、少々遅くても「dpだからね」と我慢できます。

不思議なカメラです。

 

ホールディングに関しては、意外と近未来デザインっぽい「dp」のほうがバランスがいいと思いました。「fp」は世界最小最軽量のミラーレス機なのですが、質量は感じます。それも悪い感じではないけど。

 

今回「fp」には別売りのグリップをつけましたが、これがないと滑って落としてしまいそうです。

 

「fp」は許容範囲のレベルですが、「dp2クアトロ」の液晶モニターは晴れた日にはつらい。露出や構図がわからいときがあります。

 

そこで意外と役に立ったのが、「dp2クアトロ」専用の外付けファインダー。液晶ではなく、ただのガラスの素通しですが、こっちのほうが構図は決めやすかった。

 露出モードをオートにすると、ほぼほぼオーバーに写ります。基本マイナス0.7から1くらいで撮っていました。

 でも結局は、それも面度くさくなって、露出はマニュアルで撮ることのほうが多かったです。

 

色調は空を写すと顕著ですが、カラーモードがスタンダードだと「fp」のほうが若干マゼンダよりで、「dp」のほうがシアンぽい。どちらも深みのある色がでますね。

 

気にいったのが「fp」のカラーモード「シネマ」と「ティールオレンジ」。とくにシネマはちょっと黄色がかって、昔のコダックの発色。ティールオレンジは全体が青っぽくて、主要な赤と黄色が浮いてみえる。これは面白い。次回はポートレートで使ってみたいと思います。

 

「dp」にも欲しいと思ったら、ファームアップでJPEG撮影時に「シネマ」が選べるようになっていました。これも使ってみたい。

 

「fp」は動画と静止画がワンタッチで切り替えられて、表示される画面情報もまったく違うものになるジキルとハイド的な感じがあります。てっきり動画のほうがメインかと思っていたら静止画の解像感がすごくて驚きました。

 

「fp」で使っているレンズは、キットレンズの45ミリF2.8 。そんなに高いレンズではないのに、びっくりするほどよく写ります。

 

「fp」はベイヤーだからフォヴィオンにはかなわんだろうな、という思い込みがあったけど、レンズは小さいのにボディとのマッチングが最高にいい。「dp」と比べても遜色がないんじゃないか。

細かいところを見ていくと、たしかにハイライト部分の白の粘りは「dp」に分がありそうですが、全体的には似ている気がします。

 

今回はちょっと試しただけで追い込んでいないので、なんともいえないのですが「fp」は静止画でも面白い気がします。

 

ただ、フォヴィオンはある一定の条件下で爆発的な威力を発揮することがあるので、単純には比べられないんです。

 

実は周りの「fp」の評判がそんなに高くなくて、「どうかな?」と思っていたのですが、毎日触っているうちに徐々に愛着が出てきてしまいました。

 

動画を撮ってみても、あきらかにパナソニック「GH4」とは違う。もっとも、センサーサイズが4倍なわけですからね。

 

「GH4」での悩みのひとつが、ハイライトの描写なんです。ちょっとしたことですぐに白飛びしてしまう傾向がある。

 

さすがに「fp」ではそんなことはありません。粘るようなハイライト描写です。

動画性能だけでいうなら「ブラックマジック」のような専用機には及ばないだろうし、ソニーのAF性能は驚くべきものがあるけれど、おそらくこれからは“フォヴィオン愛”を語るように“fp愛”を語る人がでてきそうな感じです。

ローライフレックス2.8F「プラナーとクセノタール」

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今日は、「ローライフレックス」の話です。

 ローライ社は100年前の1920年に創業したドイツのカメラメーカーです。その中でも2眼レフの「ローライフレックス」はいまでも使われています。特に女性に人気のカメラで、僕のワークショップでも愛用者が多くいます。

 

コンパクトカメラの「ローライ35」や、一眼レフタイプのシリーズもありますが、「ローライフレックス」はレンズがふたつあるので2眼レフ。上のレンズはピントや構図を確認するためのもので、下のレンズが撮影用で、フィルムサイズは6x6センチの正方形。そういえば2眼レフのデジタルカメラってありませんよね。あれば面白いんだろうけど、まあ意味がないか。

 2眼レフカメラは構造が簡単なので、戦後は日本もたくさん作っていました。いまGRを出しているリコーも、「リコーフレックス」という大ヒット2眼レフを作っていましたね。

 

 僕が「ローライフレックス」を最初に買ったのは29歳の時ですから、もう30年間ずっと使っています。実は、当初ローライは高くて買えなかったので「華中」という中国製の2眼レフを使っていました。たしか当時で8000円ぐらい。それを使ってグラビアの仕事もしていました。いい感じに描写が甘いんです。それでお金を貯めてローライを買えるようになったんです。

 

2眼レフタイプのカメラはマミヤを除いてレンズ交換ができません。これが同じ6×6で人気機種の「ハッセルブラッド」との大きな違いです。

ハッセルはコンポーネントカメラなので、合体ロボのようにレンズ、ファインダーやフィルムバックなどが変えられますが、2眼レフのローライは買ったらそのまま。アクセサリー類が限られています。

 

アメリカのファッションカメラマン、ヴルースウェーバーがファインダーとグリップをつけて撮っている画像を見て、思わずそのセットを買ったのですが、ファインダーは重いし、グリップをつけるとフィルム交換はできないしで、早々に売ってしまいました。

 

でもかっこいいんですよ。ローライ好きとしては、一度は欲しくなるアイテムです。

1960年代まで、「ローライフレックス」はファッションカメラマンが好んで使っているカメラでした。アーヴィングペンもリチャードアベドンも使っています。

 

2眼レフのローライはレンズ交換が出来ない代わりに、広角と望遠レンズがついた機種も発売していました。「ワイドローライ」と「テレローライ」。

これはレンズ交換が可能なハッセルブラッドに対抗してのものだそうです。

 

コレクター心はそそられるのですが、仕事の撮影でもない限り正方形のフォーマットで標準レンズ以外は、ほぼほぼ必要ないと言い切っても大丈夫です。

個人的には、レンズ交換可能な「ハッセルブラッド」ですら、90パーセント標準レンズでしか使っていませんでした。

なんとなくワイドアングルローライに憧れる気持は分かりますが、持てあますこと請け合いです。

 

面白いのは2眼レフローライには標準レンズが、4パターンも用意されていることです。焦点距離が75ミリで開放がF3.5 のものと80ミリF2.8のものがあります。そして、それぞれにプラナーとクセノタールのレンズが選べます。これはとても不思議です。

数字的には75ミリと80ミリではたった6パーセントしか変わらないし、F2.8とF3.5の絞りは半絞り分でしかありません。

でも、アーヴィングペンはカメラを80ミリから75ミリに持ち替えたときに「世界が違って見える」と言ったそうですよ。

 

僕は90ミリ派です。75ミリは使いません。理由は80ミリつきの方がデザインが好きだから。レンズが大きいせいでバランスがいいんです。

シャッターフィーリングは75ミリの方がいいんですけどね。

75ミリにするか80ミリにするか。これは完全に好みの問題でしょう。

 

先ほどレンズにはプラナーとクセノタールの2種類あるといいましたが、これはレンズを供給しているメーカーの違いです。

 ローライ社は自社ではレンズを作らず、同じドイツにあったカールツアィス社とシュナイダー社にレンズ設計を頼んでいました。

カールツアィス社製がプラナー、シュナイダー社がクセノタールです。1980年くらいまで新品が買えたそうですが、その時はプラナー付きの方の価格が若干高かった。そのせい中古でもプラナーが人気で値段もちょっと高い。

 

よく「プラナーの方が柔らかい描写で、クセノタールはシャープだ。ポートレートにはやっぱりプラナーだよね」とか言われますが、30年使って山ほどプリントしても、あとで見たらプラナーとクセノタールのどっちで撮ったかなんていまだにわかりません。これも誤差みたいなもんです。

 

これを言うとローライ好きには怒られそうですが、どっちのレンズもハッセルに比べたらたいしたことありません。

ハッセルの標準レンズも、カールツアィス製のプラナー80ミリf2.8で、レンズ構成は変わらないはずですが、ハッセルの方が、あきらかに発色がいいし、プリントしやすい。全然違います。これはレンズコーティングの差なんでしょうかね。

1枚プリントするのに、ハッセルだと3枚でOKが出るとしたら、ローライはその倍以上かかる感じです。

 

それでもローライを使い続けているのは、形が可愛いから。ローライをぶらさげていると、カメラ好きの人たちが近寄ってきて声をかけてくれます。人を魅了するデザインなんでしょうね。目玉がふたつあるというのが大きいのかも。

それと壊れづらいし、交換レンズを考えなくていい潔さがあります。

さっきは、たいしたことのないレンズだと言いましたが、その辺も可愛い要素のひとつ。優等生のハッセルに比べて、なんにつけも個性派です。

 

2眼レフのローライを使って作品を撮っている作家というと、やっぱり川内倫子さんでしょうね。彼女の写真に憧れてローライを手にしたと言う人は多いはず。

 

ハービー山口さんといえばライカなわけですが『代官山17番地』ではローライを使っていました。

あとは硬派なところで有本伸也さん。写真集『西蔵から肖像』や新宿のポートレートでローライを使っています。

 

でもあらためて考えてみると、「ローライフレックス」って有名な割には作品として残っているものが意外と少ない気がします。これがハッセルで撮った作品というと山ほどあるのですが。

 ちなみに僕が出した5冊の写真集は、すべて2眼レフローライで撮影したものが入っています。もしかしたら珍しい存在かも。

 

ここで僕が使っているローライを紹介します。いままで2眼レフタイプのローライを4台使ってきました。

 先ほど話した30年前に手に入れたローライは、2.8Fクセノタール。80ミリのレンズ付きです。銀一カメラで26万円しました。使ってみたらとてもしっくりきて、翌週に28万円の2.8Fプラナーを買いました。29歳のときです。クレジットカードの限界額を超えていたので、買うのにひと苦労しました。

 

なんでそんな高いものを、続けて2台も買ったかというと、まず1990年当時はローライがあまり売っていなくて、コレクター用の美品しか置いてなかったのと、仕事のカメラは2台必要という思い込みです。

フィルム時代は必ず同じカメラを2台以上揃えていました。

 

ローライを手にしてからというもの、仕事でもプライベートでもローライがメインカメラです。その2台で撮ったのが南の島のシリーズ『午後の最後の日射』。僕の初の写真集です。

 

それから10年後、クセノタール付きは当時のアシスタントにあげてしまって、残ったプラナー付きを使っていたのですが、落っことして壊してしまいました。そこで新たに2.8Eのクセノタールを買いました。

2眼レフのローライはタイプが数種類あって、いま流通しているのはFタイプが多いと思います。年台によってA、B、C、D、E、F、T、GX、FXとあるんです。

 

2.8Fじゃなくて2.8Eした理由は安かったから。Fに比べてEタイプはファインダーとスクリーンが交換できません。大きな違いはそのくらいなのですが、値段が2〜3割違います。それで撮ったのが3冊目の写真集『da.gasita』です。これはすべて2.8Eのクセノタールで撮りました。

 

2016年に、あらたに2.8Fプラナーを友人から手に入れ、また2台体制になりました。これには改造したマミヤRZ67のファインダースクリーンが取り付けられていて見やすいので、近頃はプラナー付きを使うことが多いです。

 

2台使っていても、相変わらずレンズの違いは分かりません。

アクセサリー類として普段使っているのは、レンズフードとストラップくらい。

モノクロ用のレンズフィルター数種類と、クローズアップ用のローライナーを持っていますが使うことはありません。

 

最短距離が1メートルの「ローライフレックス」ではローライナーが必需品と言われていますが、経験上クローズアップでまともな写真を撮れたことがないので使いません。

むしろ最短距離1メートルはリミッターだと思っています。僕はローライを使うときには1メール以内のものは視野に入れません。だからリミッターなんです。

 

当時のローライ社の技術力がすごかった例として、フィルムの装填が上げられます。ハッセルはフィルム交換にかなりの慣れを必要としますが、ローライはフィルムをゲートに通してスプロールの先端に差し込むだけで確実に巻き上がります。失敗したことはありません。

 

通常、ブローニーフィルムと呼ばれる幅広のフィルムを使う場合、スタートマークというものをガイドに会わせる必要がありますが、ローライは1枚目を自動検知するので必要なし。フィルムの厚みを感知する仕組みです。

 

ローライは手早く装填できます。ハッセルの方は、最初のうちは必ずと言っていいほど失敗します。

 

それからローライのストラップは、ワンタッチで取り外しができるのです。このカニの爪とよばれる方式はワンアクションでカチリとボディにつけられて、ワンアクションで取り外せる。すごいですよね。こんな手の込んだストラップは他にありません。

 

ちなみに僕のプラナー付きの方は、露出計の出っ張りが邪魔だったので修理の時に外してもらって蓋をしています。内蔵露出計は使ったことはありませんが、結構使えるという人もいます。

 

2眼レフローライは、ほぼメンテナンスフリーと言えるのですが、一旦壊れると内部が時計のような複雑さなので、修理のできる人が限られています。

以前は都内にそういう人がいたのですが、やめてしまったので、今は熊本の「中村光機」さんにお願いしています。

この2台も先日オーバーホールしたばかりで絶好調です。

 

 

お昼はカップヌードルで作るチャーハン。今日はシーフード味。

3月11日水曜日 今日の気温は20度くらい。東京では桜が咲き始めているようです。とはいえ、外に出ていません。

 

YouTubeを見ていたら写真系YouTuberではもっとも有名な『ジェットダイスケ』さんが『じゃない写真』を紹介してくれていて、びっくりしました。すると登録者数が一気に上がり、さすがだなと。

www.youtube.com

すぐにジェットダイスケさんに連絡してお礼かたがた話を聞かせてくださいとお願いしました。

地方にお住まいなので、すぐには実現しませんが、いずれインタビューさせてもらえると思います。

 

色々なイベントも中止になっているしーワークショップHの7期も先週から始まる予定でしたが延期することにしました。

こんなご時世だから「オンラインワークショップ」をできないか思案中です。ZOOMというオンライン会議サービスを使うといいと教えてもらったので登録してみることにしました。

座学はオンラインでやって、撮影実習は、通信教育のスクーリングみたいな感じで行う。そんな形もいいかなと。

ただ問題は収録。無観客だと講義ができない。声はちっちゃくなるし、カミカミになるし。収録は相手がいたほうが全然楽。

 

さて先月の終わり頃にやった八戸のワークショップは大盛況でした。3日間でトークイベント3回、撮影実習1回。これは今後の地方ワークショップのひな形になりそうです。

トークイベントの内容は『現代アートってなんだ?』『肖像権と著作権』『写真集を読む アメリカ写真の系譜』の3本立て。決して簡単な話じゃないはずですが、八戸の皆さんは前のめりで聞いてくれました。

 

とくに撮影する人には身近な肖像権については、4人一組になってもらってジャンケンをしてもらい、2対2になって最近話題になった「ある事例について」議論をしてもらいました。

ジャンケンで買った方は擁護、負けた方はそれについて非難してもらいます。役割を決めて話合うことで自分の考えが意外ともろいものだと感じてもらうことができるのが目的です。ディベートに近いかな。

良い悪いというものは立場によって変わるもので、ものごとは曖昧な部分が多いということを感じてもらいました。

もうこうなると写真のワークショップの領域ではないのですが、僕のワークショップではこういうことを常に考えています。

 

次回の八戸ワークショップは2021年8月に開催するということになりました。知り合いも増えて、年一度の楽しみになってきました。

今年はすでに札幌開催の日程がほぼ決まり、他にも栃木の足尾、鹿児島、屋久島、天草、新潟などで動いてもらっています。

とにかく一刻も早く収束して、また元通りの生活になることを願います。それまでは免疫力高めることくらいしか、やることがないので。

 

 

八戸ワークショップに参加者の感想をいただきました

2020年2月22日~24日

 

  • 今回このような大変貴重なワークショップに参加する事が出来て、本当に嬉しく思っております。たまたま開いたFBのタイムラインでお見かけした案内に、滑り込みで申し込みが出来て本当にラッキーでした。私は、写真を撮るのは大好きなのですが、まだまだ技術的にも知識的にも全然でしたので,そんなレベルで参加しても大丈夫だろうかと少し不安でしたが、渡部先生のお話はとてもわかりやすくまた今後に活かしていける事ばかりで、非常に勉強になりました。構図のお話など、なんとなくふわっとしか分かっていなかったので、目から鱗と言いますか、なるほど、そう言うことか~!と(完全ではないと思いますが)自分なりに理解することができました。カメラも全然使いこなせていないので、今回教えて頂いた事を反復しながら、これからの作品に活かして行きたいです。さっそくストロボ買おうと思って探し中です(笑)

まずは、フェルメールラインを探しに行きたいなと思っております!ガチガチに緊張して参加したのですが、スタッフの皆様にも、気さくにお声がけ頂いたりと大変良くして頂き、とても気持ち楽に臨むことができました。

素晴らしい機会を頂き、本当にありがとうございました!渡部先生にも、どうぞお礼をお伝え頂ければ幸いです!またワークショップなど企画がある際はご案内頂けるとのことで嬉しいです。SNSやチラシなどはタイミングによって見逃しがちなので、大変ありがたいです。お手間おかけしますが、ぜひとも宜しくお願いいたします!参加者の皆さんとの懇親会も楽しみにしております!以上、長々と申し訳ありません。この度は本当にありがとうございました!

 

  • 皆さんにただただご迷惑をおかけしたんでは?!と心配です。心に残ったことは、逆光で撮るということです。「逆光だから、立ち位置変えて。」とよく言ったり言われたりでしたが、全然良いんじゃん!!写るじゃないか!と驚きでした。

 

  • この度のトークイベントは、とても面白かったです。

ウクレレコンサートから入るという意外性も、場の雰囲気が和らいで良かったです☆渡部さんのお話の中でも、「人は、定義したモノしか見えない」ということが、衝撃的でしたが、物凄く納得しました。あまりに衝撃的だったので、あれから会う人ごとにこの話をしています(笑)こうしてみると、「お茶会の茶托」の話も、よくわかります。私自身が、感銘を受けた体験を、他者に「伝えて、拡散する」からです。渡部さんは、今の世の中を分かりやすく見せてくださいましたので、もっと、多くの人に聞いて欲しいと思いました。こういう貴重な機会にお誘い頂き、本当に有り難うございました。

渡部さとるさんに、是非またお越し頂きたいですね

 

 

  • 私はカメラワークショップなるものに参加するのは初めてでしたが、大変楽しく参加でき、勉強にもなりました。ありがとうございました。ポートレート写真の実践では、人を撮ることを通して、光の方向や扱い方を学ぶことができました。また、同時に参加者同士でコミュニケーションもとることができ、楽しく学ぶことができました。構図の講座では、理論なところも触れながら、レイアウトの使い方など実践的な部分も学ぶことができ、興味深く聴くことができました。他の参加者同士の写真を例に挙げながら、写真の評価・改善点など、先生のアドバイスを頂けて良かったです。また、参加者の写真の個性にも触れることができ、面白かったです。運営につきましては、参加者の皆さん一人ひとりに丁寧にお気遣いしていて、とても良かったと思います。個人的には、講座の初めに参加者・運営側の自己紹介などがあれば、もう少し緊張をほぐしやすいのかなと思いました。プロの先生から写真のお話しを聴けて大変良い経験になりました。本当にありがとうございました。今後もこのようなワークショップなどがあればぜひ参加してみたいと思いました。

 

 

  • 何の知識もなく参加しましたが、一番心に残った事は、お茶会の時のアート写真でした。今や写真から飛び出して、その時の空気が伝わる作品が受賞する。そんな話しから、視点を自由に表現してみたくなりました。

 

  • 私もすごい体験をさせていただき感謝しています!ウクレレもみんな結構必死に練習してかなり上達できたと思います、今回の企画のおかげです。渡部さんのお話は、淡々と事実を積み重ねまさにそのまま起きている現象をカメラで記録して並べているような、何も手を加えない、わからないものは、わかる時まで解釈しないという謙虚さがとても、参考になりました。また、お会いしたときに色々感想を伝えたいです!まずはありがとうございました。

 

  • 楽しい時間をありがとうございました!

写真や現代アートの事、とても楽しかったです。渡部さんの話口も優しく、聞きやすかったです。本当に楽しく、とても勉強になり、とても良い1日になりました。最近iPhoneやコンデジばかりでしたので、「カメラを持とう」という気持ちが再燃しました、笑。(コンデジもカメラですけど。。。ここのところはスマホのような感覚で使っていたのは確かです)

写真を撮っているみなさんに出会えたのもとても嬉しかったです。

 

  • 私は自分のカメラを持つようになって1年なのですが、誰かと一緒に撮るというのをした事がほとんど無くて、和気あいあいとした雰囲気がよかったです。渡部先生もすごく話しやすい方で、座学実習ともに楽しかったです。

参加者の方で写真を持ち寄るというのもよかったと思います。水中写真やタイムラプスは幻想的でしたし、自分で現像してらっしゃることにも驚きました。私は本当に知らないことがたくさんあって…写真の奥行きや深さを感じました。いろんな見方、撮り方があってもっともっと撮りたくなります。感想が長くなってしまいました…まだ言い足りないこともあるような気がしますが笑

 

 

今年は不思議と花粉症にならない。人参食べてるせいか?

なんだかテレビでニュースを見ていると世界の終わりみたいな感じで、まるで映画ワンシーンのようだ。今週末から始めるよていだったHの7期は延期することにした。もう個人でどうこうできる状態じゃないね。

 

参加するはずのイベントも中止となったし、ワークショップもできないし、かといって時間ができたからどこか海外に遊びに行くというわけにもいかないよなあ。

いつもなら3月はアートバーゼルとブックフェアで香港に行くことになっているのだが、当然それも中止。やることないので、YouTubeの編集ははかどる。今は小林紀晴さんのインタビューの編集中。新しい写真集がどのうように作られたかを話してもらった。

 

動画の編集はやたらと時間がかかる。50分で集中が切れるので、10分間お休み。学校の授業と同じだ。あの時間割は結構理にかなっているのかも。その10分間は新しいカメラで遊んでいる。

 

『シグマfp』世界最小のフルサイズミラーレス機だ。専用レンズの45ミリF2/8 つき。あるシグマファンの方から貸してもらったのだ。

 

昨年の新製品発表会では大きな話題を呼んだ。でも発売されるとソニーのミラーレス機と比べられてしまって分が悪い。シグマのカメラを他のメーカーと比べるのはナンセンスなんだけどね。

もっとも僕もちょこっと触っただけだが「まあ、これを買うことはないな」と思っていた。

ところが実機を触っていくうちに、ちょっとづつ意識が変わり始めてきた。最初の評価が低かったせいか、すべてが加点方式になる。これが最初の期待値が高すぎるとちょっとしたことでマイナスポイントになるわけ。

今時手ぶれ補正もついていないし、静止画はまだしも動画でのAF性能はお世辞にもよくない。フラフラとAFが迷い、あげく盛大にピントを外すことが多い。

僕のインタビューの動画撮影でAFを使うことは難しそうだ。

静止画も2460万画素と今時のカメラとしては物足りない数字だ。これといった際立つものはないのだけれど、データをパソコン上で確認すると、びっくりするほど解像感がある。なんだかフォヴィオンぽいい。

そして圧倒的に気に入ったのがカラーモードの「CINEMA」と{ティールアンドオレンジ}。「CINEMA」は若干イエローが入っていて、昔のコダックフィルムの発色だし、人物撮影には{ティールアンドオレンジ}がぴったり。全体はシアンで顔色あけ黄色と赤が出る設定になっている。

 

まだまだ休み時間に部屋の中を撮っているくらいだけど、日に日にかわいく思えてきた。

 

 

 

 

『じゃない写真』発売記念トークイベント

『じゃない写真 現代アート化する写真表現』発売記念 トークイベント

2020年2月5日 

銀座蔦屋書店

 渡部さとるx山田裕理 (東京都写真美術館学芸員)

 

  • 「愛について アジアンコンテポラリー」展

 

渡部 こんにちは、渡部さとるです。今日は、僕の『じゃない写真』の出版記念として、東京都写真美術館(以下、都写美)の学芸員山田裕理さんにお越しいただきました。伺いたいことがいろいろあって楽しみです。よろしくお願いします。

山田 よろしくお願いします。

渡部 山田さんは、早稲田大学を卒業後に「IZU PHOTO MUSEUM」に入られたそうですが、留学経験は?

山田 海外作家を担当することが多いので、よくそう聞かれることがあるんですが、実はないんです。

渡部 現代作家を扱うキュレーターの方々はイギリス、オランダ、ドイツなどに留学経験の方が多いようですね。

山田 そうですね、森美術館の館長である片岡真美さん、ブリジストン美術館(2020年1月に「アーティゾン美術館」へ名称変更)の副館長、笠原美智子さんなど、留学していた方は多いですね。

渡部 笠原さんは、以前は都写美のトップとして活躍していた方ですよね。山田さんは、その笠原さんと入れ替わりで入ってきたそうですね。

山田 はい、そうです。

渡部 笠原さんの後任として来たっていうのは、すごいですね。

山田 私は「IZU PHOTO MUSEUM」に3年半ほどいてから、都写美に来たのですが、決まった際に、笠原さんから「あなたは私の後任だから」とお電話をいただいて。もうその時は、「はい」とも「いいえ」ともお返事できず(笑)

渡部 笠原さんにそう言われたらしかたないですよね(笑)。そして都写美で、山田さんが最初に手掛けたのが『じゃない写真』の中でも取り上げている「愛について アジアンコンテポラリー」(2018年10月〜11月)展だったんですね。

山田 はい、そうです。

渡部 この展示の構成スタイルは、僕が2010年ぐらいに海外で見ていた展示とそっくりだったんですよ。実は当時僕は、なんでこの方式が海外でこんなにも受けているのかがわからなかった。写真自体は、地域及び身近な人たちを扱ったポートレートなんですが、どれも無表情で、写真を見ただけでは、なにも伝わってこない。それでテキストを読むとその背景がわかる。だけど、それがわかったからと言って、スッキリはしなくて、何かモヤモヤしたまま終わっちゃうということが多かったんです。海外に行ってテキストを読んでも、細かいところまで理解できなかったこともありますが、「なんでこれが写真なんだろう」とずっと思い続けていました。

 それが、今回出版した『じゃない写真』を書く、ひとつのきっかけにもなったことです。だから、2018年に「愛について アジアンコンテポラリー」をみたときに、「そうか! 都写美もとうとうここまできたか!」と(笑)。

山田 「愛について アジアンコンテポラリー」展は、中国、韓国、在日コリアン、シンガポール、日本、台湾の6つの地域の女性写真家にフォーカスした展覧会でした。笠原さんから引き継いだ企画でしたので、すでに日本の作家以外の5名については決まっていました。私は、そこに日本の作家を1名入れるようにと、笠原さんからのお題をいただき、構成しました。

 笠原さんは、社会学を学んでいたということもあって、ビジュアルよりは、いま、渡部さんがおっしゃったように、みるだけではわからない、その裏にある社会的な背景ですとか、難しい言葉出言うと、コンテクストを重要視する学芸員だなと感じました。

渡部 コンテクストを日本語に訳すと、「文脈」となるのだけど、これが非常に難しい。たとえば、アジアの中で台湾はどういうものなのか、香港はどういうものなのか、そういうことを知らないと読み解けないものが多いですよね。わかりづらいというか、どうみたらいいのかと。この写真展の評判はどうだったんですか? 

山田 タイトルが「愛について」だったんですが、それがまずひとつの難関。壁を越えなければいけなかった(笑)。女性のアジアの作家で、さらに「愛について」ってどういうことだっていう戸惑いが来場者に多かったのではないでしょうか。

渡部 要は「愛」っていう漠然とはしているものの、皆さんが持っている「愛の写真」とはまったくかけ離れた作品で、見てもさっぱり癒やされないし、心が温かくもならない。どちらかと言えば、冷たい表情の写真が並んでいましたからね。

山田 そうです。愛って人それぞれで、たとえば、荒木経惟さんの写真が「愛だ」っておっしゃる方もいれば、そう思わない方もいる。「愛」という言葉から思い浮かべる作品や作家は人それぞれですよね。さらに、あまり日本に馴染みのない作家を紹介したということもあって、戸惑う方もいらっしゃったかと。いい意味でね。

渡部 僕自身は、あの写真展はニヤニヤしながらみてしまった。たぶんほとんどの人がクビをひねってみて行くぞってね(笑)。なぜかというと、さっきも言ったように、10年前に僕もこういう展示を見たとき、ずっとそうだったから。そしてそれを理解するにも、結構な時間がかかりましたから。

 解決策というわけではないのですが、この展示について、僕なりに仮説を立てて『じゃない写真』の中で、ひとつのコラムとして書いていますので、最初に読んでもらうと、わかりやすいかもしれません。

山田 私たち学芸員も展覧会を構成していく中で、たとえば、「愛について」なら、この6人の作家たちの「愛」はすごく力強くて、何かを超えなければいけないもの、“愛は決して生ぬるいものじゃない”ということを伝えてくれる作家たちだと感じ、どうやってそれが伝えられるかを考えながら構成していきました。

 そういう意味では、『じゃない写真』は、ひとつの手がかりになると思います。実は、私たち自身も常に考えてモヤモヤしていることを、渡部さんが率直な言葉で表現してくださっているので、「そうそうそう」って思いながら読めました。

渡部 評論家の方に「我々には書けない」と言われちゃいました(笑)。あまりにもうかつなことばかりで、こんなふうに物事を切り取っていいのかっていうことなんでしょうね。でもしょうがないですよね、長年写真を生業にしている僕が困ってしまった話なので。率直にこういうことで困ったので、解決としては、こうじゃないかと書いちゃった。

 

  • 杉本博司の「今日写真は死んだ」

 

山田 この本の中で、杉本博司さんのことが書かれた「今日写真は死んだ」のコラムがとても印象的でした。2016年に都写美のリニュアルオープン時に行ったのが、杉本博司さんの展覧会だったのですが、そこでの渡部さんの感想が綴られていました。あらためてお伺いしたいのですが。

渡部 最初にその告知を知ったときには、杉本さんと言えば、日本を代表する写真家なので、当然の人選だと思いましたし、杉本さんの写真は森美術館でクロニクル的な展示を見ていたので、都写美もそうか思っていたんですよ。半分はそれを期待していました。劇場シリーズも自然史シリーズも全部観たいとね。でも、いざ行ってみたら3階には、写真がほとんどなかった。そこは見世物小屋のようになっていたんです。それも、彼がコレクションしているアンティーク物。化石から始まって戦後ぐらいまでの自身のコレクションが展示してあり、迷路のような感じで会場を巡っていく構成でした。

 2階に降りていくと、部屋が斜めにパーテーションで仕切られていて、片方の面には、「新劇場シリーズ」が展示してありました。これは、朽ちてしまった実際の劇場にスクリーンを張って、映画1本分映写するその光で、劇場内を撮っている作品です。

そしてもう片方の面には、京都の三十三間堂の千仏体を撮った作品が展示されていました。周囲の壁には、写真はありませんでした。

 まず感じたのが、片方は映画1本分の“刹那”で、もう片方の千仏体は“永遠”をあらわしていて、これは杉本さんがずっと考えている“時間”という概念を、非常にうまくレイアウトしているなと。

 だから、いまや杉本さんは、世界を代表するアーティストで、自らも「写真家」ではなく「美術家」とおっしゃっている方が、都写美のリニュアルオープンだからといって、クロニクル的なことを唯諾々とやらないということも理解できたし、ちょうど、その頃から僕自身、海外の写真展がどこもお化け屋敷化しているのを観てきていたので、抵抗はなかったですね。

山田 私もあの展覧会は、ある種の出来事的だったと感じています。写真美術館というのは、ある種の「権威」でもあって、ここで展示を行ったというのは、歴史となっていくもの。そういった場で、あのような展示ができたことは、大きな意味があったのだと感じています。

 もちろん、実際には賛否両論があったのですが、「これは写真じゃない」「これは写真だ」の境目がだんだんなくなってきている中で、現代アートの中の写真として位置づけていく第一歩だったのかなという印象はありました。

渡部 あれから、都写美がどんどん現代アート化していくのがみえて、いますごく好きなのが、2階に上がると、現代アート化している展示で、3階に行くとコレクション。地下は、いわゆるみんなが楽しめる写真を用意しているところ。みたい場所を選べるのがいいですね。

 

  • 展覧会は5年という期間をかけてつくりあげる

 

山田 渡部さんは、都写美のことをよくご存じでびっくりします。でも渡部さんのお話を聞いていると、ただここの展示をみているだけでは、絶対にわからないことですよね。海外のフェスティバルなどにもずいぶん行かれているからなんでしょうね。

渡部 香港で毎年行われているアートバーゼには5年間、写真だけではなくて、現代アートを含めて見に行っています。それからアルルのフォトフェスティバルも好きです。2020年も行く予定ですが、ここを体験すると、いま何が起こっているのかわかりやすいんです。美術館と違って、フェスティバルは、比較的すぐに開催できるものですから。先ほど、山田さんがおっしゃったように、美術館は権威あるものだから、企画にも時間がかかりますよね。どのくらい期間をかけるんですか?

山田 都写美では、5年前ぐらいに企画を出します。そこから徐々に展覧会に向けて動き出します。美術館によってばらつきはあるのですが、作家との関係を築いていくには、そのくらいの時間が必要になります。

渡部 2007年に海外の美術館関係者と会ったとき、同じ質問をしたことがありますが、やっぱり「短くて3年、普通は5年ぐらい」と言っていました。ただし、その年月をかけて作家と作品を作り上げていくので、「出来上がっている写真はいらないのよね」って衝撃的な話をされて、びっくりですよ。当時の僕は、完璧なプリントを目指していたので、完璧な作品をつくってプレゼンしようと思っていたら、「そういうのはいらない」って言われちゃったんです。

 「いまここにあるものを面白いから使わせて」っていうのがフェスティバルだとしたら、美術館は長いスパンを考えている。つまり、いま出来上がっているものは5年後には古くなってしまうから、その間に一緒につくっていきましょうというスタンスだった。それにすごくびっくりしました。

山田 作家を選ぶ段階で、その方が、5年後にもしっかり作品をつくっていけると判断しているということですよね。

渡部 都写美で毎年やっている新進作家展についても、5年前に作家を選ぶんですか?

山田 企画自体やコアな作家は5年前ぐらいに決めるますが、そこから変更したり追加したり。フィックスされるのはだいたい1年ぐらい前ですね。

 

  • テキストレスとお化け屋敷化する写真展

 

山田 渡部さんは、2007年から、そうやって海外で様々なことを見聞きされていましが、いま行かれると、また変わってきていますよね。

渡部 そですね。「愛について」のときはまだテキストがあったけど、最近ではこれがなくなってきた。読み解きを個人にゆだねることが多くなってきていますね。2018年の新進作家展「小さいながらもたしかなこと」は、テキストレスになっていましたよね。

山田 はい。ご覧になってどうでしたか?

渡部 実は、自分でやっているワークショップで、少し前に「これからはテキストレスの時代がくるぞ」って断言していたんですよ。それで見に行ったら、そうなっていた(笑)

山田 すでに先を読んでいたんですね(笑)。

渡部 なぜかと言えば、海外の展示がファンタジー化しているのを感じたていたからなんです。それまでは、先ほども言いましたが、社会的背景をベースにして、テキストをはっきりさせた作品が多かった。それがどんどん曖昧になってきて、いわゆる、現代アートというか、いろいろなものに依存しないタイプのものが増えてきた。何にも依存していないのであれば、テキストはいらなくなる。たとえば社会とか概念などに依存していると、それをカバーしていくようなテキストが必要になるけど、それをまったく無視しているから、「次が来た来た」って感じがしていたんです。

山田 写真は特に難しいですよね。私たちは、文字の情報に強い。たとえば、よくわからないポートレートがあったとして、そこにたとえば、「愛」とタイトルがついていたら、これはなにか「愛」を表現している写真なんだと思ってしまうものです。でも、私は、そういう見方はもったいないかなと感じていて。もちろん、作家さんの意図するものがあって、そういうふうに仕向けたいという場合もあるとは思いますが、そうではない場合は、まず文字から入ってしまうのは、もったいないと感じています。

渡部 実はね、我々の世代には呪いの言葉があってね(笑)。それが「あなたはこの写真で何をやりたいんですか」。これ、ずっと言われ続けてきたんです。そんなものはないのに、ムリムリ言語化が必要で、それを説明する行為が必要だと言われてきました。でも、最近の若い作家たちがいとも簡単に「ないです」って答えるようになってきましたね。

山田 たとえば、小説家は文字を書き言葉によって何か伝えるプロ。であるなら、写真家は言葉ではなくて、ビジュアルのイメージから何かを伝えるプロだと思います。もちろん、写真家の方で、言葉が上手な方もいらっしゃるんですが、それがマストではないと私自身も感じています。

 

  • 未来を予測し、いまの展示を考える

 

渡部 いま、都写美では写真をどのように考えているんですか? 先ほども「権威」という言葉がでてきましたけど、都写美に展示される写真は、もっともよい作品だと皆が思うし、たとえば、新進作家展に選ばれるということは、次世代を期待される写真家だと思ってみに来るわけですよね。都写美は、どういう基準で作家を選考しているんですか?

山田 現在、都者美には、13名の学芸員がいます。その中で写真、映像、それから、ワークショップなどを担当する教育普及と、大きく3つの部門に分かれています。展覧会は皆で関わりますが、作家選定については、学芸員にほぼゆだねられています。学芸員それぞれによって基準といったものは違っていると思いますが、私自身は、まずは美術館である以上、写真の歴史を作っていかなくてはいけないと思っていいます。

 ですから、金子隆一さん、飯沢耕太郎さんなど、近代写真のメイストリームをつくってきた方々は大事にしたい。加えてそこからこぼれ落ちているところは何かを考えて、それを拾い上げる作業も大事にしています。

 平行して、現代の作家のなかで、今後、何十年経ってから重要になってくる作家は誰だろうと考えながら選定しています。未来を想像しながら、いまの展覧会がどうあるべきかを意識して、現代作家の展覧会をやっていく必要があると私自身は考えています。

渡部 新進作家展は、毎年気になってみに行っています。

山田 新進作家展は、学芸員によっては、ベテランの方を選ぶ年もあれば、本当に新進の方を選ぶこともあるんです。写真家の方々にとって、登竜門的な展覧会になればと思っています。

渡部 2019年末の新進作家展「至近距離の宇宙」展では、わかりやすく言えば、ゲームの中のデジタル画像をキャプチャーして、それを一度モノクロネガに起こしてからゼラチンシルバーに焼き付けるという手法を用いた作家がいましたね。つまりこれは、現実を撮ってないわけですが、トークショーでこの作家の相川勝さんに「今後、あなたは写真家としてどのような活動をしてきますか」といった旨の質問をしたらしいんです。すると彼は驚いたように「僕は自分のことを写真家だと思ったことはないです」って答えたそうです。だからもう、写真家とか現代アーティストとかの概念がぜんぜんなくなっている感がある。それはある意味、ずっと写真を続けてきた者からすると、戸惑うというか、恐怖すら覚えるようなこと。これから写真はどこへいっちゃうんだってね。

 

  • 再び“記憶する、記録する写真”から離れようとする作家たち

 

山田 写真は、芸術や美術の中でもとても特殊なメディアですよね。なぜなら、何かを記録したい、記憶したいという欲望によって生まれたものなので。19世紀の早い段階で芸術としての写真は出てくるんですが、普通の方々にとっては、本当に記録するものでしかない。そういった環境のなかで、現代アートがはいってきて、どう一緒に考えていかなければいけないか、難しいですね。

渡部 だから写真は、過去に何度も何度も、“記録する”ということから抜けよういった試みがありましたね。昨年都写美でやっていた「山沢栄子 私の現代」展(2019年11月〜2020年1月)でも、自分で紙を折ったり絵の具を使ったりしたものを撮っていましたね。抽象画の方法論ですが、“現実を捉える、記録するものが写真だ”ということから、離れようとしているのがわかって、すごく面白かったです。

 それから同時期に、先ほども話した「至近距離の宇宙」(新進作家展)をやっていたんですが、この中で、作家の濱田祐史さんが、アルミホイルでつくった“山”を撮っていましたね。実はこれは、「山」とはこういうものだという概念を、皆がもっているから、それが“山”としてみえてしまう面白い展示方法でしたが、僕は、山沢さんと濱田さんがやっていたことは、地続きというか、しきい値が非常に低いように思えました。

 『じゃない写真』の中でも書いていますが、森山大道さんも中平卓馬さんもそれをやろうとしていたんじゃないかと僕は思っています。

山田 そうですね。やっぱり記録するものから離れたいという意識はすごく強かった人たちなんだと私も思います。

渡部 でもわからないのは、森山さんが「記録」という写真集を連続で出していること。そのへんが矛盾しているように思うんですが、それでも『プロヴォーグ』(3冊目で廃刊)を見ていると、あきらかに写真から離れようとしていたようにみえます。2018年に『プロヴォーグ』が再版されて、はじめて3冊をじっくりみることができました。それで3号目になると、もはや写真が写真として成立する限界のところをつくっているのがわかります。情報量を減らして減らして、たぶんコピーを重ねているんでしょうか、物であるかどうかわかるかわからないか、ギリギリのところで、止めている。

山田 それは、どの時代もありますよね。

渡部 それが最近、また強くなっているのを感じています。『じゃない写真』でも取り上げていますが、横田大輔さんの写真も、『プロヴォーグ』と同じ考え方なんじゃないかと。何度も何度もプリントを複写して、情報量を落としていくことをやっています。だから、また写真から離れようとしているんだなと。

 

  • “何事にも線を引いて右左に分けない”

 

山田 都写美で、昨年「イメージの洞窟 意識の源を探る」(2019年10月〜11月)と題した展覧会を行いました。企画・構成したのは、当時学芸員だった丹羽晴美(2020年より、東京都現代美術館に在籍)で、私が実務的なことに落とし込んでいくという役割で関わりました。6名の作家の作品を展示していましたが、その中のオサム・ジェームス・中川さんの作品は、沖縄の洞窟を撮影した「ガマ」でした。観に来てくださった方は印象に残っていると思いますが、入り口すぐの天井から、墨を染みこませたりサビをつけたりした和紙に「ガマ」がうっすらとプリントされている作品を半円状にして吊しました。実は、ジェームスさん自身もおっしゃっていましたが、来場していただいた方から「これは写真じゃない」って言われること多かったですね。

 では、何をもって写真と言うのか、ということがすごく難しくなっている時代なのですが、今後も、版画と写真だったり、和紙と墨だったり、違う物がミックスされているハイブリッドの作品はたくさん生まれてくると思います。でもそれを「写真じゃない」と否定したところで、何も生まれないですよね。

 『じゃない写真』を読んで感じたのは、タイトルは「じゃない写真」なのに、読んでみると、すべてを受け入れている。否定的な意味で「じゃない写真」を使っていないんですね。そこが現代的だなと。

渡部 それは、たぶん、ずっとわかなくていろいろと調べていくうちに、先ほども言ったように、ヨーロッパの写真を知るのは、宗教の勉強をしないとわかないと思って宗教を調べたていくと、今度は哲学を知らないといけなくなる。それで哲学を勉強していくうちに現代思想までたどり着いた。そしたら、ここで言われている唯一のことは「線を引かない」だったんです。

 だから、現代思想の根幹のようなところで感じた、“何事にも線を引いて右左に分けない”ということが、僕は一番の本質だと思ったんです。ということは、写真もそうなんだなって。「至近距離の宇宙」では、ついに写真ですらない作家がいましたよね。

山田 はい、そうですね。

渡部 観た方います? 八木良太さんという方の作品の中に、パンチングメタルの立方体があったんですが、これ、ただ置いてあるだけだったんです。その視覚効果が面白くて、これも写真だなって思ったら写真になってしまった(笑)。

山田 そう考えてみると、新進作家展や先ほどお話しした「イメージの洞窟」などは、「視覚芸術」なのかなと。

渡部 そうね、写真とはとらえずに視覚芸術と言ってしまったほうがわかりやすいですよね。

山田 最近は、体験型インスタレーションも増えてきていて、耳から入る作品もたくさん扱っています。私たちも現代写真寄りの展示では、視覚って何だろう、写真ってなんだろうと、問いなおしている展示が多いんです。

渡部 いまの若い現在作家は本当に面白いことをしていますね。「こんなの写真じゃない」って言わないで、食いついて噛んでみるとすごく楽しいですよ。

 

  • イメージを壊したティルマンスの『コンコルド』

 

渡部 現代写真がわかりすらいと思っている方は、この本の「ティルマンス」のコラムを読んでほしいです。彼の写真は、写真的にとても美しい。自身で写真を撮らない写真家として有名なトーマス・ルフが、「僕もティルマンスぐらいうまかったら、自分で撮っているよ」といった冗談めいた発言があったくらいティルマンスの写真はすごいんです。

その彼の写真集『コンコルド』が、書店に山積みされていた時代がありました。90年代中盤の頃で、僕は当時、商業カメラマンで作家としての活動はしていませんでした。だから、「コンコルド」と聞いたら、機体の美しさとか、メタリックな輝きなどを写した写真かとおもきや、なんと、コンパクトカメラで撮ったもの。しかも、ブレてるし、写っている機体はとても小さい。「なめてんなこいつ」って思ったら、当時の学生がこれにものすごく食いついていたんです。のちに僕のアシスタントになった子から、「学生の頃にコンコルドブームがあって、みんなこぞってこの写真集を買い、展示があると若い子たちで一杯でしたよ。でもある一定の層からから上は誰もいなかったんです」と聞かされて驚きました。

僕はこれがね、現代写真の「黒船」的な存在だったんじゃないかと、いまは思っています。そこに最初に飛びついたのが学生だった。なぜかというと、彼らはまだ写真のコンテキストを持ってなかったから。「これが写真だ」という言い方をしなくてよかったからね。加えて、ティルマンスは、ストリートファッション雑誌で有名なカメラマンだったんで、学生が知っていたというのもあるんでしょうけど。

山田 “かっこいいコンコルドの写真”と思ったら違ったといういまの渡部さんのお話、まさにそれが写真の面白さだと思います。普段、自分たちが持っているイメージが壊される(笑)。日常と写真に写っているものが、相互に関係していく面白さですね。

渡部 そう、コンコルドって言われた瞬間に、僕たちの世代が頭に思い描くのは、かっこいいコンコルドの機体ですよね。でもその情報が裏切られてしまう。

山田 いい意味でね。

渡部 そうそう。実はこの写真集をみてから、僕は実際にロンドンでコンコルドをみたことがあるんです。ヒースロー空港の端のほうに小さくね。そうしたらね、本当にティルマンスのコンコルドに見えちゃった(笑)。僕の頭のなかで、コンコルドに対するイメージを見事に書き換えてしまったという意味では、ティルマンスの力、恐るべし(笑)。

 

  • 新しい写真の流れは、実はひとつ下の世代から始まっていた

 

渡部 僕は1961年生まれです。僕と同じ世代の尾仲浩二さんは、「CAMP」という森山大道さんたちがやっていたワークショップの最終メンバー。つまりここが境目で、僕たちは、ある世代の一番下なんだと思っています。というのも、ひとつ下にホンマタカシさん(1962年)、ふたつ下が鈴木理策(1963年)さんがいて、皆さんご存じのように、彼らはこの世代の先端になるわけですよ。

山田 過渡期の世代なんですね。

渡部 そうね、それを意識するようになったのは、僕の下の世代が、あきらかに今までと違うことをし始めたからです。だから気にはなっていたけど、ホンマタカシさんたちの世代が、90年ぐらいからやろうとしていたことが、僕にはなかなか理解できなかった。2000年あたりから、それが薄ぼんやりとわかり始めてきてきた感じです。

 面白いのはね、ホンマさんも初期作ではタイの少年ボクサーを撮った、ストレートなモノクロポートレートがあるんです。それは旧来のドキュメンタリー風たけど、そこからずいぶん変化していきましたよね。

山田 ええ、2011年に新宿のオペラシティで、個展をされたときには、「ニュード・キュメンタリー」というタイトルが付いていましたね。

渡部 従来のドキュメンタリーじゃなくて、もうひとつ別のドキュメンタリーを考えようとしていたのが、ひとつ下の世代からというのが、ちょっと面白いなって思っています。

先ほど、ホンマさんが2011年に刊行した写真集『その森の子供 マッシュルーム フロム ザ フォレスト』の新装版を見ていたんですが、彼は本当に写真が上手いなぁとあらためて感心してしまった。だから、僕たちのように、美しさを追求した世代の写真をちゃんと受け継ぎながらも、違うものを入れ込めた最初の人なんでしょうね。

山田 渡部さんが、先ほど、最近の人はコンセプトを聞かれても「そんなのない」って答えるというお話がありましたが、ホンマさんもそういう方ですよね。「これ、どういう意味ですか?」って伺っても、「なにもないよ」ってはぐらかされてしまうことがあったりします。

渡部 あ、そうかもね(笑)。そう考えると、実は新しい写真の流れって、僕のひとつ下の世代からもうすでに始まっていたんだよね。

 

  • 「あ、これ、じゃない写真だ」

 

渡部 現代アートをみるときは、いろいろな人と一緒に見て話すほうが楽しいですよ。僕のワークショップの講座の中にも、「美術館めぐり」として7〜8人で都写美に行く日があります。そのための知識として、こんな作家がいて、こういう作品があるということを話した上で行くんですが、そうすると、みんな会場で話をはじめます。自分の感想と違うことを誰かが言うと、「あ、そうか」と、もう一度写真を見直す。そうするとまた違った感じに思えることもあったりして、会場を行ったり来たり(笑)。これがひとりで見に行くと、いまの都写美の2階の展示はつらい(笑)。クビをひねって帰ってくることになる。だから少なくとも、3人以上でいくと、かなり楽しいです。なぜかというと、答えがないから。

山田 答えがないっていうことがわかるからですね。

渡部 そうそう。それがわかっちゃうとすごく楽しくなります。だけど皆さん、どうしても美術館の作品には、答えがあるものだと思い込んでいでる。これはたぶん、僕らは、名画の解説とかをずっとみていたからかもしれませんね。たとえば、テレビでやっていた「美の巨人」を知っていますか? あれは、こういうストーリーがあって、作家のこういう思いがあって、心血を注いだ作品がこれですっていう番組なので、そういうものが現代写真にもあるって考えてしまうのかもしれませんね。そうなると、理解できないような難しい作品を鑑賞したら、苦しくなっちゃいますよね。

山田 そこが博物館と美術館の違いですね。博物館は歴史的なことで、私たちがまだ知らないたとえば西洋についての解説があったりして、そうした知識を得られる楽しさがある。一方美術館というのは、感覚的に愉しむ場でありたいと私は思っていて、その作品自体の面白さを得られる場が美術館ではないでしょうか。

渡部 昨年の新進作家展はまさにそうで、あれは、本当に楽しかった。さっきも言ったパンチングメタルの立方体などは、目を近づけたり離したりすると、干渉という現象で、模様が見えるんですよ。

 現代写真をみるキーワードのひとつは、これは「視覚芸術」だと思って、思考をちょっとずらして考えること。額面どおりに「何が写っているんだろう」と思いながらみると、怒りだす方もいる(笑)。では、どうやって思考をズラしたらいいか。頭が堅いとなかなかズレないんですよね。だから、いろいろなことを見聞きすることが大事だ。僕がいまの都写美の展示をみていて面白いと感じるのは、ずらすことに成功したからだと思います。

山田 現代写真と呼ばれるような展覧会では、「こんなの写真じゃない」ではなくて、「あ、これ、じゃない写真だ」と思ってみていただいたら、すごく面白いと思います。

 

 

山田裕理 (やまだ ゆり)
千葉県生まれ。東京都写真美術館学芸員。専門分野は現代美術史、近現代写真史。早稲田大学文学研究科修士課程修了。IZU PHOTO MUSEUM(静岡)にて「フィオナ・タン アセント」展(2016)、「テリ・ワイフェンバック」展(2017)、「永遠に、そしてふたたび」展(2018)を企画。東京都写真美術館にて「愛について アジアン・コンテンポラリー」展(2018)を笠原美智子と共同企画した。共著に『ロベール・ドアノーと時代の肖像 喜びは永遠に残る』(ベルナール・ビュフェ美術館、2016)など。