ウィリアム・クライン、森山大道、田中長徳 「オリジナルプリントについて」

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ウィリアム・クライン、森山大道、田中長徳

「オリジナルプリントについて」

 

 

写真展などで「オリジナルプリント」という言葉を聞いたことがあると思いますが、この「オリジナル」ってなんでしょうね。

 オリジナルがあるっていうことは、オリジナルじゃないプリントもあるということですよね。

 

僕自身、作家活動を始めたばかりの頃は、その差はなんだろうと思っていました。どうしてかというと、写真は絵画と違って、複製が可能であることが特徴なわけですから。

 

絵画ではわざわざオリジナルなんて言い方はしませんよね。

「モナリザ」はルーブルにある一点だけで、他にあったらそれは偽物です。

 

でも写真は、同じものが複数枚存在させることができます。

つまり複製可能なのに、オリジナルってなんだろう?

 

それがギャラリーシステムの中で生まれた言葉だったというのを、僕は随分あとから知りました。

ギャラリーでプリントを「作品として販売するとき」に必要な概念だったんです。

 

「これは作家のオリジナルプリントです。だから価値があります」

 

いわば言葉によって新しい価値を創作したわけです。​写真作品において「オリジナル」とは、サインがあるかどうか​の1点につきます。作者がそれを自分の作品として、世の中に流通することを許した証がサインというわけです。

 

一般的な感覚としては、「作家が自分でプリントしたものじゃないとオリジナルとは呼べない」という風潮もありますよね。でもマーケット的には誰がプリントしたかよりも、サインがあるかないかの方が最も大事なんです。

 

作者が亡くなっている場合は、親権者のサインでもかまいません。

サインがあるかないかで、プリントの価値は10分の1になったりもします。

 

これは僕が経験したことですが、あるギャラリーに「マン・レイ」のプリントが販売されていました。どれも一点90万円以上です。

 

そのプリントには、マン・レイが亡くなったあとに管理者になった奥さんの青いスタンプが押されています。マン・レイが存命の頃はプリントにサインをするという習慣はなかったし、そもそも複製可能なプリントに価値がつくとは思っていなかった頃です。

 

さて、話をもどしますが、そのギャラリーオーナーは、1枚のプリントを奥から持ってきて「これもマン・レイのプリントだけど7万円でいいから買わない?」と僕に言ってきました。

 

彼の他の作品は90万円もするのに、「なんでそんなに安いの?」と聞いたら、オーナーはプリントの裏を見せてくれました。

 

そこには何も書かれていません。

 

「図録には載っているからマン・レイの作品であることは間違いない。

でも人気の絵柄でもないし、一番問題なのはサインがないからこの値段になってしまう」というのです。

 

どうやらこのプリントは雑誌用に貸し出されて、それが返却されずに流通してしまったようです。もしこのプリントにサインが入っていたら、間違いなく10倍の価格になったはず。

 

そのくらいサインって流通させるときに大事なんです。

 

さらに言えば、プリントの裏に「撮影年」、「プリント年」、「タイトル」、「エディション数」があるのが望ましい​とされています。

 

この「エディション」という耳慣れない言葉は、版画のシステムから来ています。

版画は原板から複数の作品が生まれます。そこで作品の流通量を制限する意味もあって、最初に刷る枚数を決めてしまいます。

 

作品に番号をふるには、たとえば1枚の原板から100枚刷った場合、20枚目の作品ならば、100枚中の20枚目ということで、20/100という表記になります。

分母が総発行枚数、分子がその中の何枚目かを現しています。

 

写真も、1枚のネガからほぼ無限にプリントをすることができます。

すると、お金と一緒で価値が下がるので、最初にプリントする枚数を決めようというのが「エディション」なんです。

 

版画にはあまりないようですが、写真の場合は「ステップアップエディション」と呼ばれるシステムがあります。

 

たとえばエディションを10とした場合、1枚目から5枚目は5万円、6枚目から8枚目は10万円、9枚目は20万円、最後の1枚は40万円というように、最初に買った人は安く、徐々に人気が出ると値段が上がるというものです。

 これを採用している写真ギャラリーや作家は多いですね。

 

最近の傾向としては、エディションは少なめです。以前は15枚くらいが普通だったのですが、海外では15枚は多すぎると言われる場合があります。

 「5枚、もしくは3枚がベストだ」というギャラリストもいます。

 たしかに、1枚のプリントが15枚売り切れるというのは現実的にはありません。

 むしろ、売り切れてしまう作品が多い方が、ギャラリーとしてはセールストークとして使いやすいんです。

 

「この作家はすぐに売り切れてしまうから、買うなら今しかチャンスがないですよ」という感じです。

 

僕が始めて買った作家のプリントは、6枚セットのウィリアム・クラインのプリントです。彼のサインもちゃんと入っています。

 エディションは「22/80」となっているので、80枚プリントした中の22枚目ということになります。「ん? 80枚?」って思いますよね。先ほど、15枚でも多いと言いましたから。

このプリントを購入したのは、2000年です。

 

これは実は、1996年にニューヨークで「6枚組ボックスセット」として企画販売されたもの。サインが入っているからオリジナルプリントなのは間違いないのですが、彼自身がプリントしたものではないのです。6枚セットで80組だから、枚数が多いので、僕でも買える値段でしたけど、エディション数が少ない通常のプリントなら、1枚数百万円はするでしょうね。

 

もうひとり、僕が持っているのが森山大道のニューヨークです。

 サインはありますが、エディションや他の情報は記入されていません。1971年に撮られたことは資料で分かっています。

 

現在の森山さんのプリントへのサインはローマ字ですが、これには楷書で「森山大道」と書かれています。かなり初期もののようです。

 

オリンパスペンワイドというハーフサイズカメラで撮られているので、ザラザラとした粒子が出ています。これがかっこいい。ウィリアム・クラインを彷彿させます。

 

通常、市場に流通しているプリントは、バライタ印画紙を使いますが、これはRCペーパーです。森山さんは、長年月光のRC印画紙を使っていました。

 

そして最後は田中長徳さんのニューヨーク。5枚組です。

1981年に文化庁の芸術家派遣制度で1年間ニューヨークに滞在していたときに撮られたものです。

 

撮影しているカメラは8x10インチの大型カメラ。それを居候先のアパートメントでベタ焼きをしたそうです。よく見るとうっすらフィルムの後が見えます。

 

印画紙は、当時店頭で投げ売り状態だったアグファのエクストラハードの印画紙です。

 ニューヨークでのエピソードは、長徳さんのエッセイにたびたび出てきます。

 

このプリントは100枚セットの中から選んで買ったものです。ニューヨークから帰国後にギャラリーで展示したものが巡り巡って僕の手元にきました。

 

実はこれを購入したときにプリントにサインが入っていませんでした。

 まだ長徳さんに面識がなかったころなので、講演会に押しかけてそこでサインをいれてもらいました。

その際に、撮影年とプリント年を入れてもらいました。1981年ですから29年前になります。

 

実は撮影プリントから30年経過したプリントを市場では“ヴィンテージプリント”と呼んで、貴重品扱いします。

 

10年でも20年でもだめで30年。これは別に法的に決まっているわけではなくて、ギャラリー界隈の商習慣みたいなものです。

 

それに対して「撮影は30年前だけど、プリントは最近した」というのは“モダンプリント”と呼んで区別します。

 

“ヴィンテージプリント”という概念は、ギャラリーが作り上げた価値の創造ですね。たしかにヴィンテージというと、ありがたい気がしてきます。

 

この3人のプリントを購入したことがきっかけで、僕は毎年、数枚ずつですがプリントを集めています。