音声ミスで冷や汗

朝=明太子のパスタに納豆/夜=冷しゃぶ、サラダ、モロヘイヤ、白米

「2BChannel」の収録が続いている。ロケじゃなくて我が家にゲストをお呼びする形。何のお礼もできないので、収録後はウチでご飯。

「2B Channel」でいつもお世話になっている渡邊浩行さんに「石川竜一の絶景」の話を、そして石井朋彦さんとは林忠彦賞と木村伊兵衛賞をダブルで受賞された新田樹さんとのインタビューに同席していただいた。実は、新田さんのインタビュー収録は、僕の操作ミスでなんと3回も撮り直しをしてしまったのだ。1回目も2回も、音が録れていないという異常事態が発生してしまった。貴重な素晴らしい話をしていただいているのに、収録後のチェックで僕を含めた3人の中で、なぜか新田さんの声が入っていない。個々のマイクを使っているので、ケーブルやらミキサーやらのトラブルというか、単に僕のミスで音が入っていない。今の時代、写真撮影で「撮れていませんでした」というのはあり得ない。でも動画は単純なミスで最後に青ざめてしまうことが多々ある。カメラマンと音声さんとディレクターと出演者を一人でやるのがYoutube。久々に冷や汗がでたけど、このインタビューはとても良いものになった。どちらも近日公開します。

昨日はある番組のコメント収録のためにテレビクルーがやってきた。カメラはソニーのFX3だった。やっぱりカメラマンの他に音声さんもいる。ディレクターを含め3人の分業になっている。どんなにカメラ性能が上がっても「全部ひとり」というのは難しいんだろう。ちなみに三脚はやっぱりザハトラーだった。もうそれだけでプロというか、かっこよかった(笑)

<2021年6月30日の日記から>

先週の土曜日に塗った食堂の壁に写真を掛けた。レーザー水準器を使って壁にレイアウト。僕がこういった壁全体を使って写真を展示する時にはこんなこと考えてます。●壁全体に楕円を描くイメージを持つ ●中心を作る ●安定感を作りたい時は大物を右下に配置 ●動きを出したい時は大物を左上に配置する ●右上から左下へかけての対角線上に重要なポイントを持ってくる ●空いた隙間は小物で埋める

以前は大掛かりな展示の時は縮小版を作ったりしていたけど、最近は目見当でやることのほうが多い。するとちょっとズレてそれが味になったりするからだ。そんなことやっていたら、あっという間に夕方になってしまった。夕ご飯は、鹿児島の友人夫婦から送られてきたイサキを使っのて蒸し鍋。彼は趣味を通り越して漁師のような船を持っている。鹿児島は野菜も美味しいし、魚も獲れるしいいところだよなあ。

<2010年6月29日の日記から>

モンゴルから無事帰国。今回で3度目となるモンゴル。同じところに3度も行くというのは自分としては珍しい。モンゴルは2005年、2006年の二度の旅で十分満足していたはずなのに、どうしてももう一度行きたくなってしまった。今回は西のロシアとの国境付近へ行きたかったのだが、スケジュールの都合もあり、一度目にに行ったハラホリンというウランバートルから南西へ300キロ離れた所へ向かった。季節も一度目と同じ6月下旬。この時期は天候が安定していてカラッと晴れ、日中は30度を超すが朝晩は過ごしやすくモンゴルに行くには絶好の時期だ。2005年にお世話になった牧民の家を再び訪ねるることにしていた。当時は見ず知らずの我々を歓待してくれて遊牧生活の素晴らしさを教えてくれた。彼らに会えるのをとても楽しみにしていた。ところが今回訪れると、同じ場所であるのに関わらずなんだか様子がおかしかった。どこがおかしいとは分からないのだが前回と勝手が違う。喜んで出迎えてくれたのだが、表情がさえない。疲れているように見える。以前は溢れるようにいた羊や牛の姿がわずかしか見えない。話を聞いたら今年1月下旬、この付近ではめったに降らない雪が40センチ以上積り、家畜がほとんど死んでしまったそうなのだ。幸い馬だけは別の場所に移動することで難をのがれたが、羊や牛はほぼ全滅。雪解け後、死んだ家畜の後始末が続き、そのうえ新たな家畜を仕入れるのに銀行から借金をしなくてはならなくなった。近くに住む牧民の半数が全ての家畜を失ったという。家畜を失うということは、生活の全て全てを失うと等しく、もはや遊牧では生きてはいけない。5年前に一緒に飲み歌った牧民のひとりはここでの生活を捨てウランバートルで暮らしているという。あれほど牧民であることにに誇りを持っていた彼がその暮らしを捨てなければならなかったのだ。ここ5年でモンゴルは砂漠化が激しくなり遊牧生活をおびやかしている。以前は小さな花が一面に咲いていた草原に、もはやその姿はなく、草の色も褪せている。その速度はすさまじく、南のほうから浸食するように砂漠化が進んでいる。ここでいう砂漠は砂丘化ではなく、草が生えないといことを指す。1年中で一番過ごしやすいはずの6月だというのに気温は40度を越し、日中に外に出ることは不可能なくらいだった。そのせいか以前はいなかった蚊がいたるところで大量発生していて悩まされた。