銭湯にでも行こうかな。。

朝=ホタルイカとトマトのパスタ/夜=高円寺のベンガルカレー

ヒマなような、そうでないような。取り立てて忙しくはないので、妻がガレージのブロックにペンキを塗るというので手伝う。いい感じになった。外でご飯を食べる季節だ。家を建てるなら外と一体化したようなのがいいな。

この間「渡部さん、野望ってありますか?」と聞かれた。野望というと大げさだけど、目標みたいなことなんだろう。それが全くない。確かに50代の頃は何かしらあった。本を出すとか展示をするとか、評価の対象になるものを作るとか。でも今はない。だから気分的には晴れ晴れしているけど、それってどうなんだろうね。やっぱり野望とか野心とか目標とかあったほうがいいんだろうか。別に達観している訳ではないけど、もっと前からこの気持ちで生きていたら楽だったろうなあとは思う。むやみに明日の心配をしないことにした。いまは、今日は何を食べるかが一番大事。あとは全部成り行きまかせ。こんなんでいいのかなとは思うけど、考えてもしょうがない。答があって考えられることと、考えても無駄なことがあるというのがようやくわかってきた。

<2021年5月30日の日記から>

写真をやっている若い人の中には、コミニケーションが苦手という人が少なからずいたりする。人付き合いが苦手とか、集団生活がうまくいかないとか。自己中心的と言ってしまえば身も蓋もないが、写真は個人での作業だからそういう人に向いているのかもしれない。そうは言っても卒業したら否応無しに社会に出ざるを得ない。僕も3年で会社勤めを逃げるように辞めてしまった口なので、若い子の「会社勤めできる気がしないんです」というのがよく分かる。もっとも彼らと僕が違うのは、僕は「できると思っていたのに全然出来なかった」ということだけど。「どうしたらいいんでしょう」と彼らに聞かれると決まって答えているのが「3年だけ会社員やってみれば。どんなにキツイ仕事でも20代ならなんとか3年は持つから。それ以上シンドイことを続けると、いろんなところに問題が出てくるからさっさと辞めてしまう。3年勤めたという経歴があれば、再就職も可能だけど、勤務経験ないと後々大変だよ」。てっきりフリーランスの良さを教えてもらえると思っているから驚かれるが、社会経験無しにフリーランスはちょっと無謀。3年で辞める気で勤めていれば、何かあっても「これは社会調査」だと思えばいい。たとえば朝の体操が馬鹿らしいと思っても、引いて見ていると、真面目にやっている人や、手を抜いてやっている人とか見えてきて面白い。そうやって社員に点数をつけていくとか楽しみは見つけることができそうだ。僕はそれに気づけなくて、当時は本当に苦しい思いをしていた。以前この日記で、映画のスチールカメラマンの経験をした時の話を書いたけど「これは旅行だ」と思うことで目の前で起きていることが楽しくなった。僕は3年間の会社勤めの経験で、その後、フリーランスとして生きていくことができたのは間違いない。でも、「もしあの頃に戻れたらこうするのに」と思わない日はない。この歳になっても、あの時の3年間はやり残した気持ちでいっぱいだ。卒業後、最初の3年間をどこでどう過ごすかはとても大事な気がする。

<2004年5月30日の日記から>

金曜日、一日かけてようやく原稿を書き終えた。行数の調整もすみ、後はゲラを見るだけだ。カメラのブツ撮りをしたら手を離れる。予定通り7月発売が可能になった。書き終えたところへ、結婚式の写真を受け取りに元アシWがやってきた。餃子屋につきあってもらう。いつも混んでいて入れないところだ。ビールが旨い。Wの仕事も順調のようだ。笑ったのが、くる仕事が男性と年配の女性のポートレートでブツはこないということだった。それって師匠と一緒。「このままだと儲からないよ」土曜日、ワークショップポートレート実習日。いい天気で気持ちよかった。前回は雪が降っていたのに。2ヶ月でこうも違うものか。ロイヤルホストで生ビールとタイ風チキンライス。風なのだが、おいしくなかった。その後エプサイトへ。エプソン カラーイメージングコンテスト2003大賞受賞展。今まで見たエプサイトの展示のなかでも出色の出来。犬とポートレートが面白かった。有名作家の写真を無理やりデジタルプリントにして展示するより数倍いい。日曜日、快晴。娘の運動会。D60に135ミリ付き。あんまり晴れすぎて「光化学スモッグ注意報」が出て、あやうく途中中止になりかけた。撮影後すぐにプリントに出す。色の出方はよくなかった。