「有り難し」

朝=あんかけ肉うどん/昼=梅のおにぎり、ナッツ/夜=おろし蕎麦

写真展に通うのも慣れてきた。昨夜は夜9時までギャラリーを開けてもらって、ちょっとしたパーティになった。昨年まではまだコロナ禍で、恐る恐るという感じだったが、今年は封印域が和らいでいて心地よかった。冬青はコマーシャルギャラリーで、売り上げがないと経営が成り立たない。2006年から17年間も冬青でやらせてもらえているのは、ずっと誰かにプリントを買っていただいたから。プリントを買ってもらえてなければ僕はここに座っていることはできなかった。ありがとうございます。

 

以前、仏教を調べていた時に「ありがとう」は「有り難し」からきていて、「滅多にないこと」なんだそうだ。

「人間に生まるること難し 。やがて死すべきものの いま生命(いのち)あるは有難し」から取られており、人として生まれたことに感謝して生きようということから、一般的に感謝を表すときに使われるようにった」という記述を見つけた。

明石家さんまがよく言う「生きてるだけで丸儲け」みたいだなと思ったことがある。

ここに座っていられるのは「有難い」ことだと思って今日も冬青に出勤している。

 

<2018年4月13日の日記から>

水曜日に「作家の頭の中見せます―本棚が語る作家の素顔―北桂樹編」に参加してきた。これはもともと北さんが考えたもので、ギャラリーで展示する当月の作家が自分の本棚から好きな本をセレクトしてギャラリーに運び、みんなに見てもらうことで作家の背景を探ろうというものだ。もう6回目となり、僕も1月におこなった恒例となっている企画だ。今回はほとんどが初めて見る本で、貴重なものばかりだった。写真集は、いわゆる名作じゃなくて、コンセプト重視のものばかり。北さんは「本を買うときには結果としてのクオリティはそんなに重要じゃなくて、それが持つコンセプトに共感できるかどうか」と言っていた。それは自分の作品作りにも大きく反映されている。活字だと写真史や、現代アート論がほとんど。僕自身この企画を実際やってみたからわかるが、持ってくる本のセレクトには本当になやむ。それだけに残る本というのは自分のコアな部分だとおもう。この本棚の企画は作家を知る大きな手がかりになる。さて写真展タイトルの「AA+A」のAAとは単3乾電池のことだ。AAは世界中の90パーセントが使っている国際規格。これほど浸透している規格はめずらしい。誰もがその形から使用用途が理解できる。そのパッケージデザインは、国によってメーカーが変われば当然変わってくる。世界中でAAは作られていて、お国柄のようなものがあるのかもしれない。そのデザインを北さんが自分で作ったプログラムにより数カ国のAAデザインをオートマチックに変化させてひとつにまとめている。このオートマチックというのが肝だ。トーマス・ルフの作品が好きだったり現代アートをよく見ている人なら理解できるだろうが、写真だけやっていると「こんなの写真じゃない」と言ってしまうかもしれない。そういう人には「では写真ってなんですか?」と聞いてみたくなるけどね。今回の北さんの写真は今までの冬青の展示とは大きく異なる。単3乾電池を被写体にしているが、出来上がった結果は単3乾電池の実態(イメージ)ではなくて、概念(コンセプト)。アンディ・ウォーホルやトーマス・ルフを下敷きに構成されている。「踏む」という行為がすべての根底にある。何を下敷きにするか、そこにどのように新しさを積み上げられるか。もしこの日記を読んでいる人で「近頃の写真はちっともわからない」と感じている人がいれば、冬青に行って北さんからAAの制作過程を聞くといいとおもう。話を聞くことでそのコンセプトが理解できて、面白いと感じたら写真集を買ってプリントを買うと、より理解できるはず。世界はどのようなマーケットになっていて、若い作家はどのようなアプローチをするべきかを踏んでいる次世代の作家だ。ここ数年彼の活動を間近に見ているだけに、今回の本棚イベントは面白かった。