毎日写真に浸っている

朝=コメダでモーニング/昼=サーモンフライ/夜=寿司屋

京都グラフィー2日目。朝9時にホテルを出て、2万歩以上歩いて会場を回り、夜10時にホテルに戻る。京都生まれ二人に案内してもらっているので、行きたいところを効率よく回ることができた。その中でもアーヴィング・ペンの展示は質、量とも最高だった。いろいろ書きたいこともあるのだが、もう眠くてしょうがないので、会場入り口にあったペンの言葉を紹介して今日は寝ます。京都グラフィーの様子は2BChannelで。

 

アーヴィング・ペン

いい写真とは、

何かしらの事実を伝え、

心を揺さぶり、

その写真を見る前の自分には戻れなくするものだ

 

<2017年4月20日の日記から>
京都グラフィのKG+サテライトでYPFブース。僕の写真も出ている。今日は冬青で6月に台北1839ギャラリーで開かれる6人展の打ち合わせ。天井が高いギャラリーなので今回は大全紙に挑戦してみようと思う。6月17日のオープニングに行けるように予定を調整しないと。1月冬青、2月アムステルダム、3月ミュンヘン、4月京都、5月福岡、6月台北、7月アルルと7ヶ月連続展示になる。さらに9月の台湾アートフェア参加の話もある。声をかけてもらえるのはとても幸運な境遇だ。長いことずっとフィルムで撮ってプリントして、という作業を積み重ねていけば、ゴールにたどり着けると思っていたところがあった。ところがそれは幻想なんじゃないかと思えてきた。そもそも設定していたゴール自体が曖昧だったということもある。撮った写真をまとめて写真集にして、いろいろな場所で展示しているうちに、足長おじさんのような自分のことを理解してくれる人が現れて、、、というくらいのものだ。我ながら「子どもか!」と言いたくなる。それでも、これまでは積み重ねによってある程度までは達成できた。つまり山を一歩一歩登ってきたら開た場所に出たという感じだ。するとそこは茫漠たる場所で、はるか、はるか向こうに霞むように巨大な山が見えてきた。そんな心境なのだ。今は新しいルートを次々と開拓して疾走している若い作家を横目で見ながら、いまだに山へ向かう地図を作っている状態だろうか。やればやるほど難しさは増し、分かったと思えた瞬間さらに奥が見えてくる。「学んでいよいよ迷い、極めていよいよ苦しむ」。まさにこの心境。今日ルーニィ247に山下恒夫写真展「15歳の日々」を見に行った。彼は大学の同級生だ。つまり同い年。彼が15歳の時に撮った写真の展示。彼の写真は中学生の頃から完成されてるんじゃないかと思えてくる。その頃一年に100本、3年間で300本撮っていたと言っていた。素直にカメラを撮りたいものに向けている。山下恒夫の写真は今でも同じ目線だ。まさに究極の積み重ね。積み重ねに限界を感じて知識として学んだつもりでいたものが、実は余計なものを身につけただけなんじゃないかと思えてくる。かなわんなあ。帰り道、リハビリと思って持って歩いたローライで、神田駅のホームから街並みを一枚だけ撮った。