ネズミの写真

朝 お赤飯、きんぴられんこん、茗荷と胡瓜の胡麻和え、卵ととろろ芋のお汁

夜 餃子、茹でキャベツの塩昆布和え、味噌ラーメン

銀座リコーアートギャラリーでオノデラユキ『そこにバルーンはない』を見に行った。以前リングキューブと言っていた場所はアートギャラリーと名前を変えて、写真だけではなくコンテンポラリーアートを展示するスペースになっている。今回はリコーの多層インクジェットプリンターで出力されていて2.5次元作品になっている。表面が盛り上がっているのだ。twitterに写真を上げたが、モノクロ写真の上に黄色いペンキのようなものが付着している感じ。時期が時期だけに、その浮遊物はまるでコロナウィルスのように見えてくる。見えないウィルスが目に見えたらそんな感じではないだろうか。

新宿ニコンサロンで、昨年の伊奈信男賞の受賞展。昨年度、もっとも素晴らしかった展示に与えられるもので、原啓義さんの『まちのねにすむ』が受賞。都会に住むネズミを撮ったものだ。カラスやノラネコの写真は見たことはあっても、ネズミの写真は初めてだった。渋谷や新宿といった都会の街も、人間が作り出した自然。手付かずの自然だけではなく、人間が介在したことで生まれた自然を撮る行為は、1975年くらいからアメリカを中心に行われている。原さんの写真はネズミがいる風景写真だった。隣のブースでは中高生のコンテストの受賞展をやっていた。グランプリより入賞の写真が良かった。審査員は誰だと見てみたら藤岡亜弥さんだった。

帰り道、中野で降りて「フジヤカメラ」へ。何も買うつもりはないのだが、なんとなくパトロール。以前はハッセルとかローライ、ライカが置いてある本店2階へ真っ先に行っていたが、近頃は本店向かいのAV店にまず足が向く。レンズ一体型のカムレコーダーと呼ばれるハンディな業務機がずっと気になっている。インタビューだけならミラーレス機よりいいよなあ。レンズと単体で買うと6万円もするXLRマイクアダプターが付いて30万円。α7Ⅳのボディと同じ値段。中野から自宅まで30分かけて歩いて帰る。「夜は餃子を焼く」と言われていたので運動の代わり。

 

<2003年3月30日の日記から>

2日間スタジオ撮影。昨日に至っては開始9時半、終了が23時。ひさしぶりに働いた気がした。隣のスタジオも同じような撮影で、同じ時間にスタートしやっぱり同じ時間に終わっていた。ちょっと親近感をおぼえる。スタジオマンは、昼休憩一時間、中休み15分以外ずっと立ちっぱなし。「座っていていいよ」と言っても立ち続けていた。僕らは今日休みだが彼は土日も仕事が入っているといっていた。どんなに大変な仕事でも撮影している時だけは楽しい。どんな時でも写真を撮っていればそれでいい。仕事で一緒にバイクで走りに行った冒険家加曽利隆さんの一言が心に残っている。世界中をオフロードバイクで走破している彼は「秘境に行くだけが冒険じゃない、僕は何処であろうとも次の峠をこす楽しみを知っている」。29歳の時、ランタンの灯るテント中で聞いた、僕の人生の中で一番大切な言葉。
友人のカメラマン海原さんが事務所を引っ越すと言うので元アシWと遊びに行った。目的はいらなくなった機材をいただくため。Wは新品のエアーコンプレッサーを破格値で譲ってもらう。以前は印画紙乾燥機もタダでもらっている。Wはいつの間にかシノゴのカラー引き伸ばし機、シノゴのモノクロ引き伸ばし機、CP31、乾燥機、エアーコンプレッサーを、ほとんどタダ同然で揃えてしまった。一種の才能かも。海原さんは上海にも事務所を作り、中国と日本を行き来すると言っていた。9年来撮っている上海の写真を見せてもらう。立派な暗室を持っていた彼だが、今では全てのネガをスキャナーで読み込んでパソコンで出力している。そのまま印刷原稿に使えるクオリティだ。反射原稿とデータ原稿で入稿したモノクロ写真の印刷物を見せてもらったが、まったく区別が付かない。彼の今度の事務所には暗室は作らないという。
肥大化した我が暗室がなくなる日は来るのだろうか。