これは「決定版だ」と言い切れる

朝 鮭の玄米パスタ、人参スティック

夜 ひじきの炊き込みご飯、野菜の煮物、豚汁

北桂樹さんと石井朋彦さんの対談動画を夢中で編集。25分間、全く無駄な箇所がない。ちょっとだけ美術史の知識が必要だけど、こんなに分かりやすい現代アートの解説動画はほかにないと思う。アニメの歴史は、アメリカと日本では全く違っていて、ディズニーも手塚治虫も最初は線画だけど、宣伝用のイラストを見ると、ディズニーは最初から絵を立体的な3Dとして書いている。できるならアニメも立体的に描きたかったが、テクノロジーがなかった。それを、ピクサーがコンピューターグラフィックで3D化に成功すると、以降は3Dが当たり前になっていく。しかし、日本は3Dアニメをあまり歓迎せず、相変わらず 2Dの平面が主流だ。

西洋人の認識としては世界を立体で捉えようとするが、日本は古来から線と面で表そうとしていた。西洋は彫刻が長い間主流だったし、日本は絵巻物から独自の表現が始まっている。絵巻物、浮世絵、漫画、アニメすべて平面で表そうとしている。平面で表されたものを日本人は脳内で立体化し、リアリティを感じている。リアルの追求ではなくてリアリティを求める。「らしさ」の追求だ。その脳内のリアリティを、現実世界に取り出して提示したのが村上隆のフィギュアになる。

西洋の彫刻は、時間によって変化する物質を、大理石のような変化しない物質に置き換えるものだから立体的に。村上隆の作品が「2.5次元彫刻」と言われているのは 、ニ次元のリアリティを三次元にとり出そうとしているから。西洋とは全く反対のアプローチになる。すべては脳内で起きたリアリティを、どのように表そうとするかの歴史だと言える。こうした話を、北さんと石井さんが実例を交えながら語っている。面白くないわけがない。宮﨑駿のアニメと、西野壮平の作品の共通点など、興味深い話が続く。20日(日)夕方に公開予定。

 

<2017年 2月20日の日記から>

量子論と「君の名は」 ググってみたら案の定たくさんあった。フィンランドエアの機内映画の中に「君の名は」があった。評判は聞いていたがまだ見ていない。これで2時間は楽しめそうだ。泣ける、感動した、3回見たというのが周りにたくさんいて、そうなると見るときにバイアスがかかってしまうもんだが、それを超えて面白かった。単に男女が入れ替わる物語ではなかった。時間と空間という壮大なスケールに落とし込んでいて、伏線が周到に張り巡らせてある。冒頭におばあさんが組紐をよりながらつぶやく、実はこの映画の全体の構成を表す重要なシーンだ。

「縒り集まってかたちを作り、捻れて、絡まって、時には戻って、途切れて、また繋がり」

「それがむすび。それが時間」

あらー、これって量子論に出てくる「量子のもつれ」と「量子のエンタングルメント」そのものじゃないか。それと日本の神話にも出てくる考えだ。僕が写真集の"demain"を作るときに、時間という概念をしばらく調べていた。すると量子論にいきついて、時間がどういったものであるかを大雑把に捉えることができるようになった。それは、にわかに信じられないようなものだった。「量子のもつれ」の理論を使うと時間が一方方向、つまり過去から直線的に流れているというのは幻想で、それは複層的に重なり合っているということが分かる。そして量子レベルでは瞬間的な移動(テレポーテーション)がすでに観測されている。つまり空間をジャンプできるのだ。すると複層的に絡み合った時間のなかも移動可能になるわけだ。過去が未来に影響を及ぼすことを我々は当たり前のことだと理解しているが、実は未来が過去に影響を及ぼすことも理論的には可能になる。タイムマシンは夢物語ではなくなっているのだ。そして一旦なんらかの理由で結びついた量子同士は、空間を超えても絶えず影響しあっていることも分かっている。これが量子のエンタングルメント。そして日本の神話の根幹は「結びと解き(ほどき)」。結びと解きが絡み合い、物語が編まれていく。最新の科学と神話(仏教も)は結構同じことを言っていたりするなとずっと思っていたが、それを目に見える形、映画として提示しているように見えた。だから日本人にヒットしたのかな、などとと思いつつ2時間楽しんだのだった。