エンディングの曲が頭の中でループしている

朝 リンゴ

昼 ベトナム麺のパッタイ

夜 鶏肉ニラ玉ねぎの黒酢炒め、サラダ、赤飯、豆とトマトのスープ

 

午前中にヨドバシカメラに行って冷蔵庫を買う。まさか一年で二度も冷蔵庫を買うことになるとは。娘が引っ越しをして新生活を始めるのでそのお祝い。

他にも買ってやると言っているのに「いい」と断られた。

子供の頃から毎月のお小遣いをあげたことがない。お年玉も。もちろん必要なものは買い与えていたけど「お小遣いをくれ」と言われた記憶がない。たまに祖父母からもらっていたが、中学生の頃から自分で作ったケーキを知り合いの喫茶店に卸していたり、高校時代はパン屋やステーキ屋でずっとバイトしていた。

お金に関しては我々夫婦よりよほどしっかりしている。

 

その後「Imax新宿」で再び『シンエバンゲリオン』を見た。今度はドルビーサラウンドの迫力映像だ。600円高いのけど、元の料金が60歳以上1200円なので問題ない。

先週月曜日に初めて見て以来ずっと『シンエバンゲリオン』が頭に残っていて、この1週間は、ずっと過去作と関連動画を見続けた。前回は何も知らずに見たので、今回は背景やら世界観を詰め込めるだけ詰め込んで見た。

お陰でほとんどの伏線は回収できたし、物語にもついていけた。でも残念ながら一度目の痺れるような感動は味わえなかった。

なぜ前半の村での暮らしをあんなに丹念に描いたのかだけは伝わってきて、何度でも見たくなる。できればそこだけ見ていたい。なぜ綾波レイがあんなにも人気があるのか全体を通して見てよくわかった。


そして今回、僕は完全にシンジではなく、父親ゲンドーの目線で映画を見ていた。多くの少年の物語は、「彼が属している社会から逸脱し」、「旅の中でふたり(三人)の友人と出会い」、「特別な力を魔法使いによって与えられ」、「二度の試練と三度の克服の末に元いた社会へ帰る」というのが原則のようになっている。そこには「権力の象徴である父親殺しのメタファー」が根幹にあると言われている。

『シンエバンゲリオン』においても同じ構成になっていて、劇中の台詞にも「子どもが父親にできることは、肩を叩くか、殺すことしかない」とあった。

「ああ、僕は今や殺される立場なんだなあ」と思いながら見ていたわけだ。