ピコーンピコーン

静岡で撮影。

静岡は25年前、新聞社の新人カメラマンとして2ヶ月間ホテル暮らしをしたことがある。名前はオレンジホテルだったな。毎日高校野球を予選が始まる前から決勝戦まで各高校を回って地方版を作っていた。支局とはいえ各自の部屋がオフィス代わり。

ホテルの部屋に暗室を作り、そこから写真電送までやっていた。デジタル時代じゃないから現場から帰って来てフィルムを現像してそこからプリントを作ってキャプションをつけて本社に送る。この全工程をわずか30分で行わないと締め切りに間に合わない。地方版は締め切りが早いのだ。

当たりをつけたフィルムから4本単位で現像するのだが、それにたいしたものが写っていないと次々と現像しなくてはならなくなる。現像液は印画紙のものをそのまま希釈して使うこともあった。水2リットルに現像液はボトルのキャップ一杯で23度5分で現像できる。停止は無で、そく定着2分であげて水をざっとかけると濡れたまま当たりのカットを探す。ホテルのバスタブには残りのフィルム数十本がワカメのように揺らいでいる。

これだなと思ったのが見つかったら無水アルコールにつけてスポンジで拭う。これでほとんどの水気が飛ぶのだ。後は使う場所だけドライヤーをかけ30秒で乾かす。それをキャビネに焼いて電送機(FAXの写真版)に巻いて送るのだ。始めに本社の伝送部に地の白のデータを送り、確認が取れると写真を流す。そのときのピコーンピコーンという発信音は忘れられない。

これが渡り鳥のような出張だと、暗室道具から電送機までもちろんカメラ、レンズ、一切合財担いで移動し、ホテルホテルで移動支局を作らなければならない。引き伸ばし機はさすがに持ち運べないので、ニコンF3の裏蓋を外し、そこに特注のランプハウスとネガキャリアをつけ、三脚に取り付けて引き伸ばしていた。マクロ55ミリのレンズをつけるとキャビネまで伸ばすことができた。

社の先輩で、痩せていて小柄なカメラマンがいた。彼は夏だったから暑くてホテルの部屋のドアを少しだけ開けて伝送していたらしい。やっぱりピコ-ンピコーンさせていたんだろう。

それを通りがかった宿泊客がフロントに飛び込んで「ス、ス、スパイがいます。宇宙人かもしれません!」

なんだかのんびりした時代だったな(笑)