それでも撮ることはやめられない

朝 サンマの玄米パスタ、焼きベーグル

夜 高円寺「フジ」のチキンソテー

久しぶりに銭湯へ。もう水風呂は無理な季節。

昨日収録した「写真学生」シリーズ4の編集はなかなか面白かった。編集作業は話を何度も何度も聞くことになる。それでもなお聞くに値するところを残していくのだが、写真学生の言葉は編集ポイントが見つからない。そのせいで30分動画になってしまった。彼はその中で、写真と自分の関係性について語っている。彼の言葉を拾ってみた。

前回は褒められるとは思ってもいなかった

褒められたことで、もう元の状態に戻れない自分がいる

だから同じ行為をしても違うものになってしまう

今撮っている写真を言葉にしようとすると違ったものになると感じている

「流れている」と言われた

「うまいね、でもそれは褒め言葉じゃないよ」とも

ライフワークという言葉は好きじゃないが、そうとしか言いようがない

ステートメントに室生犀星の詩を引用した

光を追いかけるんじゃなくて実存を

うまく生きていくことができない

それでもなお撮ることはやめられない

このシリーズは思いがけない方向に向かっている。僕は最初、高円寺の安アパートに住む彼が世に出られるような手助けをしようと考えていた。でも彼にそんな必要はないことが収録を重ねることでわかってきた。生きることと写真を撮ることが直結している。ただ、彼の言葉と写真を残しておくことには意味があると思っている。

<2009年12月14日の日記から>

ピコーンピコーン

静岡で撮影。静岡は25年前、新聞社の新人カメラマンとして2ヶ月間ホテル暮らしをしたことがある。名前はオレンジホテルだったな。高校野球の取材で、予選が始まる前から決勝戦まで、毎日毎日各高校を回って地方版を作っていた。ホテルの部屋が支局となりオフィス代わり。その部屋に暗室を作り、写真電送までやっていた。デジタル時代じゃないから、現場から帰って来てフィルムを現像して、そこからプリントを作ってキャプションをつけて本社に送るわけだ。この全工程をわずか30分で行わないと締め切りに間に合わない。地方版は締め切りが早いのだ。当たりをつけたフィルムから4本単位で現像するのだが、それにたいしたものが写っていないと、次々と現像しなくてはならなくなる。現像液は印画紙のものをそのまま希釈して使うこともあった。水2リットルに現像液はボトルのキャップ一杯で23度5分で現像できる。停止はなしで、即定着2分であげて水をざっとかけると、濡れたまま当たりのカットを探す。ホテルのバスタブには残りのフィルム数十本がワカメのように揺らいでいる。これだなと思ったのが見つかったら、無水アルコールにつけてスポンジで拭う。これでほとんどの水気が飛ぶのだ。後は使う場所だけドライヤーをかけ30秒で乾かす。それをキャビネに焼いて電送機(FAXの写真版)に巻いて送るのだ。始めに本社の伝送部に地の白のデータを送り、確認が取れると写真を流す。そのときのピコーンピコーンという発信音は忘れられない。
これが渡り鳥のような出張だと、暗室道具から電送機までもちろんカメラ、レンズ、一切合財担いで移動し、ホテルホテルで移動支局を作らなければならない。引き伸ばし機はさすがに持ち運べないので、ニコンF3の裏蓋を外し、そこに特注のランプハウスとネガキャリアをつけ、三脚に取り付けて引き伸ばしていた。マクロ55ミリのレンズをつけるとキャビネまで伸ばすことができた。社の先輩で、痩せていて小柄なカメラマンがいた。彼は夏だったから暑くてホテルの部屋のドアを少しだけ開けて伝送していたらしい。やっぱりピコーンピコーンさせていたんだろう。それを通りがかった宿泊客が聞き、フロントに飛び込んで「ス、ス、スパイがいます。宇宙人かもしれません!」
なんだかのんびりした時代だったな(笑)