ニコン

僕が写真を始めた頃、つまり高校生だ。考えてみたら40年前じゃないか。

16歳のときにカメラの新製品広告が見たくてカメラ雑誌を買った。当時はカメラ自体が見開きで大きく掲載されていて、これがかっこよく見えたものだ。カメラは金属の塊で、見た目にもずっしりとした持ち重みのするものだった。

広告の定番は最高級機を中心にレンズやアクセサリーといった全製品が一堂に並べられたもので、顕微鏡から宇宙までカバーするそのラインナップは田舎の高校生の心を大きくくすぐった。

オリンパスOMー1を持って上京すると、周りはニコンキヤノンばかりで驚いた。20歳になるとオリンパスからキヤノンへと移り、以来ずっとキヤノン派だ。ニコンはどこか権威的で堅物のイメージがあって「二番手」だったキヤノンにしたのだ。

ニコンは仕事を始めた1年間だけ会社からの支給品で使っていたことがある。新聞報道でニコンは絶対的な存在だった。会社の機材ロッカーには高校生の頃雑誌で見たレンズがズラリと並んでいた。中にはひとりで持ち運ぶのが困難な超望遠レンズや、奥の方にはレンジファインダー機もあった。

個人支給品はニコンF2チタンモータードライブにF3P、28ミリと80-200のズームレンズ。300mmf2.8は標準レンズのようなものだった。

でも辛い事しかない新人時代だ。何かを変えたくて2年目からはカメラをキヤノンに変えた。だからといって状況は何も変わらなかったけれど。ニコンを見るとあの時の張り込みの日々を思い出す。



近頃はニコンからソニーに切り替えたというカメラマンの話をよく聞く。高級コンパクトデジタルカメを発売直前でやめたり、広告が男性中心だとネットで炎上していた。もうニコンの時代は終わってしまったんだろうか。

先日ニコンサロンに写真展を見に行ったときに、ショールに置いてあった新製品のD850を触ってみた。

ボディを握った瞬間、これは凄いものを作ったものだと驚いた。良いカメラに共通しているバランスと言えばいいのだろうか、ボディが手の中にきれいに収まる。

ファインダーを覗くとそれは確信に変わる。スクリーンに電気信号ではなく、実像そのものを見る幸福。デジタルカメラの中で最も美しいファインダーと言ってていい。

シャッターに指をかけるとオートフォーカスがスッと滑らかに動く。指先に力を入れるまでもなく、脳と連動しているかのようにシャッターが切れる。

ミラーレスカメラの優位性が語られて久しいが、明らかにD850は別次元のカメラだと思う。撮影したわけではないから発色とかは分からないが、間違いなくいいはずだ。なぜならボディだけ素晴らしいなんてことはないから。

ニコンってすごい会社なんだなあと改めて思った。40年の間、様々なカメラを使ってきた。それでも触っただけで驚くような一眼レフが作れる会社なのだから。

今朝は随分スッキリと目が覚めた。80パーセントくらい。

ここ数日、どうにもこうにも体がフラフラするというか自分の体じゃないというか、端的に言うとボロボロ。

起き抜けから体調は悪いし、人に会ってもうわの空だし、漢方薬も効かないし。

色々な変化が体調を崩しているのは明白で、だからといってどうしていいものやら。とにかく胃腸の動きが悪い。頭ではなく、言うなら内臓から異変が起きている感じだ。

今日東大での講座で英語プレゼンテーションの最終発表があって、懸案がひとつ減った。ついでにもうひとつの問題もクリアにしておこうと帰り道で考えた。

家に帰って妻と娘に「ネコ飼おうか」。

ふたりともビックリしていた。というのも、そのことに対して強固に反対していたのは僕自身だから。

新しいネコが欲しいと言うふたりに「次にネコ飼ったら死んじゃうのは俺たちが70歳のときだよ。もう耐えられる年齢じゃない。そもそもこっちがそこまで生きられる保証だってないし」そう言い続けていた。でも内心はそうではなかった。そのことに自分で論理的だと言い聞かせて蓋をしていた。

でももうね、先の心配をするのはやめることにしたの。問題がおきたらそのときに対処する。悲観より楽観。自分の直感というか、胃腸を信じることにした。内臓判断である。

ネコを飼う宣言をしたら、途端に胃腸が動き始めた、、、気がした。もうこれからは何かを決めるときにはロジックではなく、。内臓に聞くことにすることにする。

朝、バナナヨーグルトとトマトパスタ。夜、江古田で焼酎と焼き鳥。

蒼穹舎のブックストアを物色していると気になる表紙の写真集があった。作家名とタイトルを見ずに中をバラバラっとめくっていくと、何の目的も持たない写真が続いていた。ここはどこなのか、何のため作られているのか一切の説明がない。ノーテキスト。

でも作者が誰なのかはすぐに分かった。藤岡亜弥の新作写真集「川はゆく」(赤々舎)だ。

よくもこれだけ意図を排除して作れるものだ。何かを訴えるために編まれてはいない。こんなすごい写真集を作れるのは藤岡亜弥と赤々舎しかない。

ストーリーテリングの重要性、テキストの必要性、訴えるものの必然性が主流となっている現在、ノーテキスト、ノーストーリー、ノーコンセプト。潔いというか挑戦的というか、ずっと僕が考えていたことがそこにある気がした。

5400円を払って購入し、事務所でじっくり見る。以前見たニューヨーク時代の写真と撮影方法は似ているのだが、受ける印象がまったく違う。

ニューヨーク時代の彼女の写真は遠くに光がある。自分が冷たいところにいて、暖かな場所を探しているように見えた。

今回の地元の広島を撮ったものだ。そして全編に渡り彼女は暖かな場所にいる。

バラバラに思えるこの写真集に唯一通底しているものがある。この写真集は暖かい。ゆえに気持ちがいい。



実は最近ワークショップの撮影実習で繰り返し言っていることがある。「暖かいところを撮って」だ。

その場所で一番暖かいと思うところを探す。暖かいところには光のエネルギーがある。そしてそれは時間や状況によって刻々と変わっていく。例えば昼間の室内で一番暖かなところは窓辺になるし、夜は電灯の真下になる。被写体の顔が熱源に向っていれば暖かいし、反対側を向いていれば冷たい。

露出とかじゃなくて温度。暑過ぎてもいけないが、冷たいところではフィルムがうまく化学反応を起こさない。デジタルなら冷たいところでも写るには写るが訴求力は弱い。

「暖かい」は写真において重要だと僕は感じている、というか信じている。

長いこと曖昧な感覚としてはあるのだが、言葉で説明することができなかった。ワークショップを始めて14年、ようやく「暖かい」というキーワードにたどり着くことができたのだ。

浅草寺に40年間通っているという男

2Bでは撮影実習として浅草寺に行く。目的は露出のおさらいなのだが、もうひとつ「鬼海さんの壁」詣でをかねている。

鬼海壁とは、写真家の鬼海弘雄さんが40年間ポートレートを撮り続けている浅草寺社務所の壁のことだ。モノクロポートレートを撮るのに完璧な条件が揃っている。

2B講座の初回には必ず鬼海弘雄写真集「PERSONA」を見せる。初めて鬼海さんの写真に接する人でも、何か特別なものだという印象は残る。それがどうやって撮られているかというのを実習を通して理解していくのだ。だから浅草寺実習は総仕上げの意味合いもある。

浅草寺に行くたびに鬼海さんいないかなと思うのだが中々会えない。数年前に「渡部さとるさんではないですか」とちょっと東北訛りのアクセントで話しかけてくる人がいて、顔を向けると鬼海さんがいて驚いた。

鬼海さんは写真はもとより人間的に大好きな人だ。なんだろう、話していると気持ちがよくなるというか、同じ山形の出のせいか親戚のおじさんのように思えてしまう。

昨日も浅草寺実習で境内を歩いているとまたしても「渡部さとるさんではないですか」と声をかけられた。鬼海さんだ。

近頃体調が思わしくないのではという噂を聞いて心配していたのだが、とても元気そうだった。

もう嬉しくて嬉しくて。人にあってこんなに嬉しくなったのは久しぶりだ。鬼海さんは「山形帰ってるか?帰ってないなら決着をつける意味でもまた雪の写真撮りに行けばいいんじゃないか」と言ってくれた。その表情は米沢から離れている僕を優しく諭す親戚のおじさんそのものだ。

鬼海さんの持っていたハッセルを見せてもらった。40年間使い込まれているだけにあちこちメッキが剥げ落ち、風格すらある。

「鬼海さんお願い、写真撮らせて」と例の鬼海壁の前に立ってもらった。ローライフレックスで2枚だけ撮った。それで十分だ。

とてもいい日になった。存在するだけで人を幸せにするなんて。大人ってこういう人をいうのだろうなと思ったのだった。

チェキSQ10

今回の伊豆旅には買ったばかりのチェキSQ10を持って行った。

SQの意味はスクエア。6.2センチ角のインスタントプリントができる。そういえば正方形サイズのデジタルカメラはPhase1P20以来だ。

「正方形のフォーマットは正面を探す装置だ」と名言を言った人がいた。誰だったかな?実に的確に正方形フォーマットの性格を言いあらわしている。

ローライフレックスを使って30年、体に正方形が染みついている。SQ10の液晶ファインダーを見るとしっくりするのだ。近頃は毎日持ち歩いている。

SQ10の味付けは濃い目になっている。コントラストと彩度はかなり高め。これはインスタントプリントしたときにちょうどよくなるように仕上げてあるのだろう。ホワイトバランスはとてもいい。さすがフジ。

ピクチャーエフェクトも色々選べるのだが、ノーマルを選択、コントラストは一番低く設定した。画素数はおよそ400万画素。モニターで見るにもプリントするにもちょうどいいサイズだ。

もうね、旅行に4000万画素はいらないの。10分の1で十分。バッテリーは1日使う分くらいはある。モバイルバッテリーでも充電できるのはいいね。

SQ10はインスタントプリントカメラなのだが、撮影するたびにプリントされるわけではなくて、気にいったもにだけ選んでプリントできる。記録カードに他のデータを入れればそれもプリント可能。誰かにあげても、もう一度プリントが作れる。

画質はといえばiPhoneに遠く及ばない。でもこのくらいの画質がちょうどいいのだ。真っ白けに飛ぶなんて久しぶり。どんどん飛ばず潰れずになってきて、それに伴いカメラがつまらなくなってきた。

チェキを買ったときにFacebookに写真をアップしたのだが、その中で「作品を作るときのポイントって何ですか?」という質問があった。

僕は「近頃は無邪気であり続けることができればと思ってますけどね」と返信した。

ステートメントから作品を作り上げるプロジェクト型が主流のようになってきて久しい。社会の問題や、痛みの共有というものが根底にある。ここ10年はそれらの制作の成り立ちをずっと調べてきた。

そういうことを全部知った上で自分がやるのは「初期衝動に基づく言語化できないもの」に絞ろうと思いはじめている。

「なぜこれを撮る必要があるのですか?」と聞かれたら「なんでだろうね、撮りたかったんだよ」と答えるしかないもの。これからはそんな写真を撮りたい。

高校生のときに毎日学校にカメラを持って行った。撮りたいものだらけだった。あのときの高揚感をチェキはちょっとだけ味あわせてくれる。

メメントモリ

中世のヨーロッパでは、長らくペストが蔓延し、多くの人が亡くなっている。3人から4人にひとりというから、明日は我が身だと感じていたに違いない。

ペストというのは発症から3日で死に至る病だそうで、昨日まで元気だった人が明日亡くなってしまう。皮膚が青黒くなることから、黒死病と呼ばれていた。当時は原因が分からないから、得体の知れない大きな力が作用しているとしか思えなかっただろうね。

そんな時期に「メメントモリ」という言葉が出てくる。死を想え」という意味だ。明日死ぬことを理解して今日生きろ。絵画で髑髏が描かれるのもそういう意味合いがある。日本でも一休和尚が「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と骸骨の付いた杖をつきながら詠んだ。

藤原新也の著作に「メメントモリ」という写真と短い文を組み合わせた著作がある。初出は1983年、その後も版を重ねている。

その中で「死は病ではないのですから」という言葉に20代の僕は驚いた。死ぬことなど想像もしていない、いや、できるだけ意識の外に置いて置こうとしていた頃だ。

ガンジス川のほとりだろうか、行き倒れになって白骨化している写真に

あの人骨を見たとき、
病院では死にたくないと思った。
なぜなら、
死は病ではないのですから。

以来この文章はいつでも頭の隅にある。

内田樹「困難な成熟」にも死を想いながら生きることが書かれていた。僕は56歳だ、明日死ぬことだって十分あり得る。そう想って生きることにした。別に何も変わることはない。ただそう想っているだけだ。

19日の祝日は札幌で開かれるイベントにお呼ばれしていて、終わったら妻と小樽にでも行ってみようと予定を立てていた。

しかし台風直撃。予定は全てキャンセルになり、旅行も中止になった。天候ばかりはいかんともしがたい。ハシゴを外された形になった妻は「しょうがないよね」と言いつつ、顔はまったくそうは言っていない。

予定は空いているのだからと、近場の温泉に行くことにした。2泊の予定を1泊にし、食事のおいしそうな伊豆河津の宿をとった。米沢の温泉以外に行くなんて、いつ以来だろう。

「これが最後かもしれない」と思いながらの旅は、これまでとはまったく違ったものになった。
https://www.facebook.com/satorwphotography/posts/1603563813034150

2週間前、風太郎が死んで、札幌のワークショップが中止になり、夫婦で温泉に来ることなど、まったく、これっぽっちも想像できなかった。

2週間先のことすら分からないのなら、漠然とした未来を思い悩むことなどまったくの無駄ということになる。

これが最後の食事、これが最後の撮影、これが最後の暗室、これが、、、

そう想っていると人生は随分と違ったものになるのかもしれない。

夕方、プアハウスでカレー

水温がフィルム現像するのにちょうどよくなってきた。8x10(エイトバイテン)カメラで2Bを撮影。

以前は11x14インチカメラで挑戦していた。デカけりゃいいかというと、どうもうまくいかない。フィルムサイズと2B内の情報量が噛み合わない感じなのだ。フィルムの持っているポテンシャルが使いきれていない。

そこでサイズダウンして8x10インチで再撮影することにした。6枚撮影して現像。D761:1で20度9分。良いネガができた。

暗室で現像したりプリントしていると「これは仕事と呼んでいいのだろうか?」といつも思う。平日昼間にやっていると罪悪感すらある(笑)

江古田からの帰りにギャラリー冬青に寄る。 伊藤計一『茶碗の中で』。http://www.tosei-sha.jp/TOSEI-NEW-HP/html/EXHIBITIONS/j_exhibitions.html

伊藤さんはプラチナプリントで作品を作っている。今回はそれがうまーく噛み合っている。被写体とプリントの情報量がちょうどいいのだ。一番最後に展示してある「景色」がとてもいい。

今日の夜は自宅に僕ひとりだけ。玄関を開けるときがちょっとだけ寂しい。

牛丼とカップ麺と缶ビール。

一週間たってようやく落ち着いてきた。メンタルが弱いっていうのが家族に露呈してしまった。

いなくなった喪失感ばかりが全身にとりつくが、そんなとき脳機能の話を思い出した。

人間はふたつの感情を同時に持ち得ない。笑いながら怒れないというやつだ。二重人格であってもそれは交互に出現し、同時に起こることはない。脳はそういう点で単機能だ。

これに従えば悪感情がもたげてきたときに、そこへ別感情を放り込んでやれば悪感情は出てこれないことになる。

そしてもうひとつ、言葉のすり替えをしてみる。

これに気がついたのは友人と英語習得の話になったときだ。海外経験もあり、長年英語のレッスンをやっているはずなのに「渡部さんと違って私は英語が話せない」と言い張る。僕も流暢に話すことはできないが、今は気後れして黙りこむことはない。なにかしら話し続けることはできる。

友人はTOEICのテストであれば僕よりはるかに点数がいいはずなのになぜか、ということになった。話しているうちにわかったのは、友人の話そうとしていることが複雑すぎるのだ。

たとえば相手に断りの意思を示すのに、予算もないし最近別件のことで時間を取られていて来月のスケジュールが一杯になっている等々、とやたらと説明が長い。

「スケジュールいっぱいだからできない」でいいんじゃない?」というと「えっ、それってなんて言えばいいの?I can not,,えーとschedule full???」

「ちがうよ来月は忙しいって言えばいいんだよI will be busy next month.」

「そうか、それでいいんだ!」と友人はいたく感心していた。

日本語を単純にすれば大抵のことは言うことができるというのを僕は割と早い段階で知ることができ、4年前くらいから自分の中にジェネレーターができあがってきた。ひとつのことを多くても3通りのルートで説明すれば言いたいことはほとんど通じる。

要は英語のスキルではなくて日本語の言い換えの技術なのだ。細かい日本語の機微など伝わるわけがない。はなからそこは諦めて、情報をたくさん提供することだけを考える。ジェスチャーもとても有効だ。

そのことをメンタル面でも試してみた。喪失感に襲われると、まず言い換えを始める。「風太郎がいなくなって辛い」から「風太郎は14年間幸せを与えてくれていた」に言い換える。この2つは同じことなので何の矛盾もない。

すると失ったことよりも、与えてもらっていたということになるので気持ちは明らかによくなる。何パターンも言い換えているうちに悪感情はいつの間にか消えていった。

エリックの写真集に「明天会更好-明日よくなる」というのがあったなあ

月曜日までそこにいたのに。

朝起きても家の中は静かだ。家の中にいると、特にひとりでいるのが辛い。妻と美術館やギャラリーをはしごする。食事も外食ですます。娘も仕事はいいが家に帰って来たくないという。

脳は開いた穴を、なにか物質的なもので埋めようとするようだ。妻は携帯を変え、僕は前から気になっていた富士フィルムのスクエアチェキを買った。

6.2センチ角の正方形チェキのプリントは、6センチ角のローライで撮ったカラーベタのサイズとほぼ一緒。馴染みがある。

こういう時はネットショッピングではダメで店舗で買わなくてはならない。新宿ヨドバシに行って価格交渉をして買うことを楽しんで手に入れた。

すぐに喫茶店に入り箱からカメラを取り出してセッティング。フィルムを入れて向かいに座る妻を撮ってみた。暗い店内なのにとても発色がいい。ちょっと広角な画角も使いやすいし、かなり寄れる。でも感度は固定式のようで、そんなに高くない。

デジタルカメラインスタントカメラのハイブリッド(古い表現だなあ)で400万画素のデータが残る。そのくらいで十分だ。16ギガのメモリーを入れれば1万5千枚撮れる。カードの交換とか消去とかしなくていい。

家に帰ってチェキを触っていると「ああ、もっと早く買っておけばあいつを撮れたのになあ」とまたメソメソするのだった。

風太郎

月曜日の夜は珍しく娘もいて、僕の大学の講座もなくて皆で夕食を食べた。

家族が揃うと必ず風太郎という飼いネコも側にやってくる。もう14歳(人間で言ったら75歳くらい)になるが病気ひとつしない元気な子だ。顔を僕の足に擦り付けて「撫でて」いつものお約束だ。尻尾の辺りをポンポンと軽く叩くとお尻を持ち上げてゴロゴロと喉を鳴らす。

その日はお酒もご飯もおいしくて本当にいい夜だった。

翌朝娘が玄関に倒れている風太郎を見つけた。もう息をしていなかった。抱き上げるとまだ暖かくて柔らかかった。亡くなってすぐだったのだろう。

苦しんだ形跡もなく、喉に詰まらせた様子もなく、ただ眠っているように見えた。

どんなに「寿命であった」と言い聞かせても気持ちの整理がつかない。こんな爆発的な感情が自分の中にあったのかと驚くくらいに泣いた。彼の存在を感じさせるものが目に入るたびにどうしようもなくなる。

全ての始末を終えて出前の夕食を食べた。なんの味もしない。前夜と違うのはただ風太郎がいないだけ。ネコなんていてもいなくても生活に支障はない。でもなんなんだこの喪失感は。破壊的だ。

もうただ時間が過ぎるのをじっと耐えるしかない。

よく生きるのではなく、ただ生きる。もうそうすることしかできない。

ひとりでいると、いなくなった風太郎を部屋の中に探している自分がいる。


こんなこと読ませてしまって申し訳ありません。彼を可愛がってくれた方も多いのでご報告もあって。どうかメール等はご遠慮ください。

三ノ宮でサウナ付きカプセルホテル。快適だった。

六甲山国際写真祭を見に神戸に行ってきた。http://rokkophotofestival.com/blog/

六甲山国際写真祭は今年で5回目となる。六甲山の特徴はポートフォリオレビューを山中の宿泊施設で密に行うことだ。

ディレクターの杉山さんが新しいギャラリーを作ったというのも、場所探しをしている僕には興味深々だった。

三ノ宮駅前から10分くらいの好立地に「ミラージュギャラリー」はあった。窓が大きくて気持ちのいい、しかも天井高のある理想的な作りだ。東京でも見たことがない。ブックショップもあるし、ワークショップスペースもある。とても良い空間だ。

ミラージュギャラリーの他にKIITOとCAPで行われているフェスティバルの展示を見に行く。大判のキャンバスにプリントアウトされたイメージが天井から吊るされている。過去には屋外展示もあったそうだ。

一部オリジナルプリント(作家が直接コントロールしたもの)があったが大半は写真の質感ではなく「何を表現するか」ということに重きが置かれている。そうなるとテキストがとても重要な意味を持ってくる。

メインゲストのザルマイはスイスの写真家でアフガニスタンの出身だ。幼い頃スイスに両親と亡命し、現在も移民難民問題をテーマにしている。とても力強い写真だ。宗教画にすら見えてくる。

彼のトークイベントを聞き、メディアのことについて質問してみた。メディアとは器のことで、主に新聞、雑誌、テレビ、インターネットなどを指す。「どのメディアに出すことがもっとも重要だと考えているのか?」

彼は「それはとても重要な問題だ」とし、たくさんの人に触れて考えてもらうことが一番大事であり、インスタグラムというメディアも否定はしないと言っていた。また動画も積極的につかっているという。

その後のパーティでも彼と話すことができた。52歳になる彼は14歳のときにカメラマンになることを決意し、その後専門的な教育を受け、新聞や雑誌などのメディアで仕事をしてきた。僕は56歳だから背景はほぼ同じだ。

戦場の写真にはまったく興味がない、難民だけではなく色々な問題を取り上げるが戦場にいくことはないそうだ。

彼の写真は問題を提起するには完璧なものだが、果たしてこれを既存メディアが大きく取り上げるかというと難しいだろうと思う。かといってインターネットでは一瞬の情報として流されてしまい考えるきっかけとはなりづらいのではないか。

意外と写真フェスティバルのような装置がこのような写真には向いていると思えてくる。ただし深く問題を知ってもらうということには適していても、広くということについては日本の写真フェスティバルは極めて限定的であり、作家にお金が回らないという重大な問題もある。

静止していて平面という写真の特性は、印刷メディアとの相性が最高だった。ザルマイや僕らの世代は、キャリアをスタートさせる頃に印刷メディアのことだけを考えていればよかったのだ。

それが200年以降、印刷メディアの支配力が急速に低下すると同時に写真における考え方も変化せざるを得なくなった。

何かを伝える役目は動画に取って代わり多くのジャーナリストはカメラと一緒に動画も使う。いや、むしろ比重の重きはは動画にあるだろう。印刷メディアから離れて写真はどうやって成立させることができるんだろう。

今後写真はどうなる?神戸にいったのもそこが知りたいからだった。

三宅島のお土産は島唐辛子。

お盆がすぎて夜が涼しくなり、足のズーズーはなおった。

ちょうど昨年の今頃に、なぞの心身不調に陥って慌てた。まあ症状としては全然大したことはなくて、買い置きしてあった漢方を飲んで「効いた気がする」と言っていたくらいだ。

ちょうど写真集を作る時期と重なって、やることが次々と出てくる時期で「落ち込んじゃって」なんて言っていられなくなった。打ち合わせが続き、不具合も出て、その解消に追われているうちに年が明けていた。

今年の1月まではめまいがあったが写真展が終わる頃にはなくなっていた。

あきらかにこれは加齢にともなって起こる心身の不調だろう。バランスの変化だ。誰にでも起こりうる。そう思うとちょっと面白くなって哲学と宗教を再び調べ始めた。永遠の課題でもあるわけだから、多くの人が考え続けているんじゃないかと。

その延長上に19世紀後半からアメリカで起こるプラグマティズム(行動が心に影響を与える)があり、日本では自己啓発と呼ばれていることを知った。「幸せだ」と言い続けていると幸せになれるというやつだ。

2500年前から皆が口を揃えて言っているのが「過去を悔いるな、明日を思い悩むな、今日を生きろ」。それと自己啓発本は「人に優しくしなさい、感謝しなさい、ネガティヴ なことを言うのはやめなさい」というのが基本だな。

確かにできそうでできない。だから延々と言われ続けているんだろうが。とにかくこれさえやっていればいいそうだ。

そして最後には宇宙に繋がる論になる。「宇宙は波動でしょ」(笑)

宇宙という単位と個々の生活の単位は著しくサイズが違うから同一視するには無理がある。だからといってまったく繋がりがないかといえばそうでもないだろうし。

この手の話は素粒子の話と似ている。近頃は物理好きの同好の士も増えてきて酒のツマミにはもってこいなんだよな。