メメントモリ

中世のヨーロッパでは、長らくペストが蔓延し、多くの人が亡くなっている。3人から4人にひとりというから、明日は我が身だと感じていたに違いない。

ペストというのは発症から3日で死に至る病だそうで、昨日まで元気だった人が明日亡くなってしまう。皮膚が青黒くなることから、黒死病と呼ばれていた。当時は原因が分からないから、得体の知れない大きな力が作用しているとしか思えなかっただろうね。

そんな時期に「メメントモリ」という言葉が出てくる。死を想え」という意味だ。明日死ぬことを理解して今日生きろ。絵画で髑髏が描かれるのもそういう意味合いがある。日本でも一休和尚が「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と骸骨の付いた杖をつきながら詠んだ。

藤原新也の著作に「メメントモリ」という写真と短い文を組み合わせた著作がある。初出は1983年、その後も版を重ねている。

その中で「死は病ではないのですから」という言葉に20代の僕は驚いた。死ぬことなど想像もしていない、いや、できるだけ意識の外に置いて置こうとしていた頃だ。

ガンジス川のほとりだろうか、行き倒れになって白骨化している写真に

あの人骨を見たとき、
病院では死にたくないと思った。
なぜなら、
死は病ではないのですから。

以来この文章はいつでも頭の隅にある。

内田樹「困難な成熟」にも死を想いながら生きることが書かれていた。僕は56歳だ、明日死ぬことだって十分あり得る。そう想って生きることにした。別に何も変わることはない。ただそう想っているだけだ。

19日の祝日は札幌で開かれるイベントにお呼ばれしていて、終わったら妻と小樽にでも行ってみようと予定を立てていた。

しかし台風直撃。予定は全てキャンセルになり、旅行も中止になった。天候ばかりはいかんともしがたい。ハシゴを外された形になった妻は「しょうがないよね」と言いつつ、顔はまったくそうは言っていない。

予定は空いているのだからと、近場の温泉に行くことにした。2泊の予定を1泊にし、食事のおいしそうな伊豆河津の宿をとった。米沢の温泉以外に行くなんて、いつ以来だろう。

「これが最後かもしれない」と思いながらの旅は、これまでとはまったく違ったものになった。
https://www.facebook.com/satorwphotography/posts/1603563813034150

2週間前、風太郎が死んで、札幌のワークショップが中止になり、夫婦で温泉に来ることなど、まったく、これっぽっちも想像できなかった。

2週間先のことすら分からないのなら、漠然とした未来を思い悩むことなどまったくの無駄ということになる。

これが最後の食事、これが最後の撮影、これが最後の暗室、これが、、、

そう想っていると人生は随分と違ったものになるのかもしれない。