ブルーオーシャン

朝=カレーうどん/夜=ポンカンのサラダ、温野菜蒸し、玄米カレー

キャラリー冬青の写真展に若い人がやってき来た。大学院進学が決まっていたのに写真をやるために地方から東京に出てきたそうだ。でもどうやって糸口を見つけていいかわからず、僕が写真展会場に常駐していると知って来たそうだ。彼は東京に住む親族の家に居候しながら機会を伺っているというが、そんなにうまい話が転がっているわけでもないから少々焦りもあるみたいだ。

「どうしたらいいでしょう?」と言われても、この時代に写真だけで生活していくのはほぼ無理。返答に困っていると「写真家のアシスタントになるのがいいのか、アルバイトで生活費を稼いで写真を続けていくのがいいのか」と聞かれる。

結論はどっちも無理。今の商業カメラマンに専従アシスタントを賄える余裕はないし、必要ならその時に専門知識がある人を臨時でお願いすればいいことで、一から教えていく手間をかけなくてもいい。アシスタントが必要なカメラマンは動画もやっているごく一部の広告カメラマンだけ。

かといって、アルバイトしながら写真を続けて行ったところで、生活に追われて数年で挫折することは目に見えている。そうやって続けている人は人に相談なんかしない。儲かるとか儲からないとか関係なしに、やらざるを得ないと思っているから続けているだけの話。じゃあどうすればいいんだろう? 答えに窮する。

僕は「技術を磨いたところで、それはあっという間に陳腐化してしまう世の中でしょ、20年前には画像の電線を消すと言うだけでお金になったけど、今はその技術になんの価値もない。写真学校というのは技術を教わるというよりも、写真を取り巻く環境にいることができるという意味合いが大きいんだと思う。僕はそれを界隈と呼んでいるんだけど、普通の人は学校を出てしまうと界隈にいることができなくなってしまう。界隈自体はたくさんのところにあって階層もあったりする。そこに入れてもらうには、その階層にあった言葉を持つ必要があって、その言葉って経験からくるもの。今の時代なら写真以外の経験が豊かな方がいいと思う」と答えた。

彼は明らかに戸惑っているみたいだった。せっかく写真をやろうとしているのに、写真以外のことをやった方がいいって言っているわけだから。でも写真だけで生きていくなんて、これから極々少数の選ばれた人しかできなくなる。そんな人たちは「どうやったらいいですか?」とは聞かないはず。そういう問いが出た時点で、もうその道は半ば閉ざされたみたいなものだから、他の経験と組み合わせることでしか生きていけない。

彼の話を聞いたら、地元でものすごい経験をしていた。「なんでそれやらないの?」と言ったら「レッドオーシャンで揉まれた方がいいかと思って東京に出てきた」というので、「まずは地元に帰って、今の話を写真と動画にまとめた方がいい。そうしたら誰かがそれを見て声をかけてくるから。レッドオーシャンに飛び込むよりもブルーオーシャンで泳いでいた方がいいに決まってるよ。君の居た場所は青い海なんだから」

どの道を選択するかは彼次第なわけだけど、可能性があるっていうのは眩しいわけです。

<2022年4月6日の日記から>

ひさしぶりに銭湯。帰りにちょっとお寿司。今年の京都グラフィに2枚だけ写真を展示することになったので、搬入に行くことにした。プリントはインクジェットで、ひとつ1mx1m、もうひとつは60x60cm。和紙に印刷してもらった。原版は6x6cmのフィルムなので、1mx1mに伸ばすために凸版印刷でドラムスキャンしてもらった。データは2億画素くらいある。ちょっと前ならびっくりするような容量だが、ハッセルで撮った5000万画素のデータに4枚のレイヤーを重ねると2億画素になってしまう。毎年、個展やルデコのグループ展をやっているので搬入は慣れていそうなものだが、そんなことはない。いつでも現場でてんやわん。でも搬入はいつだって面白い。だからわざわざ京都まで行くんだけどね。搬入の時に動画を回そうとカメラを準備している。SONY ZV-1でいこうと思っていたけど相変わらず揺れる。せっかくだからα7Ⅳかなあ。GR3Xも外せないし。2015年のルデコのグループ展パーティの動画が出てきた。7年しかたってないのに、もう二度と戻れないんじゃないかというくらい動画の中のみんなは底抜けに楽しそうだった。妻が当時はまっていたiPhoneのアプリで、音楽に合わせて3秒くらいの動画が繋がっているだけ。全部で3分にも満たない映像。でもこれは動画じゃないと伝わんないものだった。撮っておいてもらってよかった。カメラじゃないね。