7年前の動画

朝 あんかけ肉うどん、茹で卵

夜 お寿司、つまみいろいろ

ひさしぶりに銭湯。帰りにちょっとお寿司。今年の京都グラフィに2枚だけ写真を展示することになったので、搬入に行くことにした。プリントはインクジェットで、ひとつ1mx1m、もうひとつは60x60cm。和紙に印刷してもらった。原版は6x6cmのフィルムなので、1mx1mに伸ばすために凸版印刷でドラムスキャンしてもらった。データは2億画素くらいある。ちょっと前ならびっくりするような容量だが、ハッセルで撮った5000万画素のデータに4枚のレイヤーを重ねると2億画素になってしまう。毎年、個展やルデコのグループ展をやっているので搬入は慣れていそうなものだが、そんなことはない。いつでも現場でてんやわん。でも搬入はいつだって面白い。だからわざわざ京都まで行くんだけどね。搬入の時に動画を回そうとカメラを準備している。SONY ZV-1でいこうと思っていたけど相変わらず揺れる。せっかくだからα7Ⅳかなあ。GR3Xも外せないし。

2015年のルデコのグループ展パーティの動画が出てきた。7年しかたってないのに、もう二度と戻れないんじゃないかというくらい動画の中のみんなは底抜けに楽しそうだった。妻が当時はまっていたiPhoneのアプリで、音楽に合わせて3秒くらいの動画が繋がっているだけ。全部で3分にも満たない映像。でもこれは動画じゃないと伝わんないものだった。撮っておいてもらってよかった。カメラじゃないね。

 

<2009年4月6日の日記から>

メディアには耐用年数があるのだと近頃実感する。もう誰も紙媒体でアルバイトを探さない。『フロムエー』という雑誌が3月をもって休刊になった。「アルバイトから始めよう」でフロムエー。アルバイトの求人雑誌で、お世話になった人も多いだろう。僕が大学2年生の時に創刊した記憶がある。あれから28年か。ここ最近は仕事をすることもなかったが、フリーになりたてから15年以上関わっていた雑誌だ。
フリーなりたての頃、ある遊びで知り合った友人がフロムエーの編集部にいて、そこで仕事をするようになった。当時求人情報の前後60ページくらいは記事ページになっていた。そのころの編集方針は「求人と関係ない記事を作る」。いかにバカバカしいことを真面目に記事にするかというサブカル誌のようなテイストだった。週1回の発行はバブルとともに2回になり「カーカキンキン」のCMが連日のようにテレビに流れていた。景気は絶好調、求人募集は引きも切らず、掲載できる限界をはるかに超える出稿申込みががあり、営業の仕事は「いかに丁寧にお断りをいれるかだ」とさえ言われていた。その恩恵で製作費に気を使う必要はまったくなく、ついには耐久カーレースに自社チームを出し、ルマンまで参加していた。外タレの公演、プロスキーチームのスポンサード、イベントの開催、各種アワード、それらにまつわる全ての事柄の撮影をしてきた。バブルが去り、ネットが普及し、そのたびに規模が縮小されついに休刊。でもこれは時代的に仕方のないこと。感傷的にはならない。

そしてもうひとつ、雑誌『セブンシーズ』も先月号で休刊。ここでは連載で撮影し、パリやスイスに行った。ハイクオリティ雑誌の象徴的な雑誌のひとつで、書店には並ばず年間定期購読者のみに配布していた。雑誌メディアに依存して僕は22年間生きてきた。大した営業もせずに生きてこれた最後の世代かもしれない。メディアにも耐用年数があるように、カメラマンにもそれはある。それが切れるときは一瞬だろうということは容易に想像できる。しかし僕は少なくとも今後15年は写真というメディアで生きていかなければならない。いま読んでいる本が『新世紀メディア論』。いまの自分にとてもタイムリーな内容だった。著者の小林さんから頂いた本で「ワイアード」や「サイゾー」といった紙媒体の出版人であり、創世記からネットに携わっている彼の話は、メディアとはなにかを教えてくれる。読んだからといって、これからのカメラマンとしての耐用年数が延びるわけではないが、ボーっとしている間におきている変化に気がつかないと「昔は良かった」の人になってしまいそうだ。