石油ストーブの上ででお餅を焼く。

フジX-T2が欲しくなったのは、山下がフジX-Pro2を使っているから。単純だな。

あれだけ入れ込んでいたソニーα7とライカレンズの組み合わせは近頃ちょっと飽きてしまっていた。売ってしまってフジを買おうかなと思っていたときに、台湾の歌手クラウドを撮影する仕事で久しぶりに使ってみた。

これがいいのだ!ズミルックス50ミリを感度2500、絞り開放からF2くらいで使ったのだがポートレートによく合う。レンズの癖が良い方に転んでくれる。中心のシャープさと背景の独特な2線ボケ。軽いし発色もいい。それとマニュアルでピントを合わせる行為というのは、撮影の意識を高めてくれるところがある。

でもα7には手ブレ補正がついていないから盛大にブレる。どんどん撮ってたくさんのカットを使うには難しい。α7Ⅱには手ブレ補正がついてるなと思うと心が揺れる。

なんて考えていたらオリンパスOM-D E-M1 Mark IIが発売になるとアナウンスがあった。5軸での手ブレ補正は6段半の効果があり、手持ちで2秒でも大丈夫だと聞いた。2秒の6段半と言えば1/45秒。確かに理論的にはブレない。これは面白そうだ。

感度を上げてブレないようにするのか、感度を上げなくてもブレないようにするのか。 メーカーのスタンスがはっきりしてきた感じだ。

ネットニュースでは、レンズを使わず同心円状にプリントされたフィルムで撮影するカメラが発表され話題になっていた。それによってピントを合わせるという概念も消失するらしい。ピントは後から選択できるものになってきた。

画像解像度も小さなファイルから高精細にするデジタル補完技術も大きく進化している。

長い間ピントが合っていてブレていない写真が良い写真だとされていた。それはほんの先の未来では当たり前のことになる。おそらく5年とかからない。

そのときカメラは、写真はどうなるんだろう。一瞬のチャンスを、なんてことも言わなくなってくるだろうし、それこそ初めて見る風景というカテゴリーもなくなる。そんなとき僕はどんな写真を撮っていけばいいんだろう。

その問いを見つけるために美術史も写真史も哲学や宗教までも勉強してみた。でもやればやるほど、知れば知るだけ写真は撮れなくなってくる。常に頭の中に浮かんでくるのは「こんなもの撮ってもしょうがないじゃないか」。



どんなにデジタルが進んでもフィルムと印画紙は残っていて欲しい。カメラにフィルムを詰めて知らない土地を歩きたい。帰ってきたらそれを暗室でプリントするんだ。それが溜まったら展示をして、考えがまとまったら本にする。

写真は何かを伝えるためのものでなくてもいいし、撮っている人は全てを理解していなくてもいいと思う。「あなたは何を表現したいのですか」という問いに対して、考え続けることは必要でも正確に答えられなくてもいいんじゃないか。そもそも質問に無理がある。

そう言えば『旅するカメラ3』の後書きの最後にこう書いた。「新しい写真できたよ。見て見て」。

昨日見た同級生ふたりの展示はまさにそうだった。