高校生とは40年も離れてるのね

仕事柄年に何回か審査を依頼されることがあり、昨日もある県の高校写真部合同展の審査と講演をしてきた。

 

昔もここに呼ばれたなあと思っていたら14年前だった。『旅するカメラ』が出たばかりの頃で、その時は仕事にまつわる写真の話をした。内容はまったく覚えていない。多分聞いていた高校生もきれいさっぱり忘れているだろう。

その合同展には、毎回ゲストで写真家が呼ばれて講演をするのだが、全員自分の仕事の話をするそうだ。だからというわけではないが、今回はちょっと変わった話をしてきた。

 

「良い写真ってなんだ?」

審査というのは善し悪しを分けるものだが、スポーツと違って明確な判断基準がない。結果は審査員の好みで随分と変わってくる。今回の審査は、各学校の写真部の顧問の先生20名ほどと僕とでポイントをつけていくもので、得点が多い順から最優秀、優秀、奨励となる。

明確な判断基準がないけれど、上位はなんとなく「写真的要素が強いもの」になっていく。選ばれる写真は審査員の良い写真の定義に合ったものということになる。

 

僕は講演会で、その「良い写真の定義」を疑ってみようという主旨だった。高校生だからと忖度せず、あえて専門の大学や社会人向けの内容にしてみた。

 

写真は見てから善し悪し、好き嫌いを決めているのではなく、あらかじめ頭の中にあるものを目の前の写真にあてはめて見ている。写真に限らずほとんどの定義は時間と場所によって大きく異なる。だから常に「良い写真」を疑ってみる。定義は更新し続ける必要があるよ。

 

ということを、参考写真を交えて話していった。たぶん難しかっただろうなと思う。でもいいたいことは言えた。その後、展示会場に移り、彼らの写真を見ながら3時間以上会話した。これは面白かった。

 

入賞者の8割は女子で、マクロ撮影が多い。男子は望遠レンズが好き。どちらも色と形をうまく切り取っているものが入賞していた。スナップではなく、考えてから撮るコンストラクテッドフォトもある。

 

彼らにずっと言い続けていたのが

○ 寄ってうまくまとめた写真なんて、数十年経って見たらつまらないよ

 ○ 余計なものが写っている写真ほど、あとで見て楽しいもの

○ 背景がボケているほうがいいと思っているようだけど、ボケてるってことは情報がなくなっているってことだよ。もったいなくない?

○ コンテストに入賞するような写真が「役に立つ写真」だとしたら、意図的に「役に立たない写真」を撮ったほうがいい

○ いまはどこか特別な場所に撮りにいくよりも、学校を撮ったほうがいんじゃない

○ 教室とか廊下とか体育館とかグラウンドとか

○ 学校って特別な場所。後で撮りたいと思っても撮れない

○ 渡り廊下って学校以外で見たことない。今は普通だと思っていても、特別なものってたくさんある

○ みんなが写真を撮る時代に、写真部の役割はアーカイブすること

○ 自分のための写真以外に、みんなのための写真を考えて撮るのは写真部の使命だから

 

意図しないかぎり写真は残らない。だからそれを残すのが写真をやっている者のつとめ。撮って分類してアーカイブする。それはコンテストの入賞よりもずっと大事だと思う。