「アップデート型って呼んで」

朝=ベーグルのホットサンド、フォーガートマトスープ/夜=タコの玄米炒飯、とろろ芋のスープ、万願寺とうがらしとササミのオイル焼き

水曜日は夜にライブ配信があるくらいで、昼間の用事がない。そうなると動画を撮ってしまう。ぼんやりできない体質になってしまった。これはちょっと問題だ。今回の動画のネタは「なぜ僕の言うことはコロコロ変わるのか?」。これは冬青社の高橋さんのブロブのネタにされたので(笑)。僕は本当に言うことがコロコロ変わる。つまり影響されやすい。見たり聞いたりすることを「すっごいんですよ」と高橋さんに言うものだから「いつも幸せそうでいいですよねえ」と呆れられている。確かに本質を追い求めないで、今起きてることを楽しむというか。なので「アップデート型って呼んで」と言っている。本質なんて玉ねぎの皮みたいだって言うじゃない。だから僕は玉ねぎを剥いて本質を確かめたりしないで、おいしく食べることにしている。

 

<2021年9月22日の日記から>

5分間の映画、やってみようかな。普段、寝る前に日記を書いているのだが、19日の夜は飲みすぎて使い物にならなかった。アルコールは思考力を奪うね。ちなみに飲んだのはYoshiki「X」。これしか飲むものがないと妻が開けてしまった。20日に見た映画は「Between Yesterday」。東中野の「ポレポレ座」でやっている15人の映像作家のオムニバス映画だ。各作家には「3日間で撮影しナレーションをつけ5分にまとめる」」という約束事が与えられている。震災後10年にあたり企画されているが、直接震災と結びつくものでないものも多い。作者=撮影者であり、撮影者の身体がどのように反応するかという映像的な試み。

製作者のコメントから  “2011年の震災直後、「ある一日を撮影、前日に声を録音、あくる日に声を録音」という指示書を基に、多数の短編映画が制作された。10年の時を経て、そのプロジェクトに参加した監督が同じ指示書を基に新作を制作。再び福島を訪れた者、いま生きる町、コロナ禍の移動。ある一日の記録が普遍性を帯びる不思議なオムニバスムービー“

ある制約の中で作られる映像制作は、器が決められている料理づくりみたいなもので、ちょっと前に書いた「形が先にあって、そこから写真集を作る」というものと同じだ。内容より形式を優先するやり方は映像作品にもあった。5分という時間は絶妙だった。これが15分だったら饒舌すぎるし、3分だと短すぎる。それとナレーションは音楽よりも映像に有効に機能することがあることを再認識した。写真のスライドショーには音楽が使われることがほとんどだが、最近それが疎ましく思っていたところだった。今回、人間の声の面白さを感じた。

 

<2003年9月22日の日記から>

今日はある映画専門誌の表紙撮影。モデルは田口トモロヲ。生の声を聞いて「プロジェクトXだあ!」と一人興奮してしまった。本当にいい声。この頃は日没が早い。夕方5時半にはもう暗くなってしまう。日が暮れるギリギリの日差しを使って外で3カット。ハッセルとマミヤ6でネガカラーを4本。室内のセットでポジを4本撮影。季節が変わったかのように冷える。明日はお彼岸だ。「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が頭に浮かぶ。昨日の日曜日はコダックフォトサロンに写真展を見に行く。遠藤晶「西への旅」。ワークショップの参加者から「友人の写真展です」と案内状をいただいていたのだ。案内状の写真が美しいモノクロプリントだったので見に行くことにしたのだ。ひさびさに美しいプリントを見た。聞けばヤシカの古い2眼レフで撮ったと言うではないか。ヤシカで撮るとこうなるのかと思うと欲しくなる。