HALさんの写真は聖母子像に見えた

朝=あんかけ肉うどん、茹で卵/夜=ゴーヤとエノキの煮物、鰹と野菜のオイル炒め、玄米鮭炒飯、もずくのお汁

久しぶりにカメラマン仕事。一番大事なのは遅れずに現場に行くこと。今日はハッセルジャなくてソニーα7Ⅳを使う。ソニーを仕事で使っていて一番いいのがiPadのアプリに瞬時に転送してくれること。100枚くらいの転送ならあっという間。なんでこんなに早いんだろうか? iPadの大きな画面で細部をチェックできるから安心だし、バックアップにもなる。転送という面ではソニーのカメラは本当に使いやすい。

撮影終了後、水道橋から総武線に乗ったら、中野駅終点の電車だった。なのでそのまま下車してフジやカメラへ。別に買うものはないが、パトロールというやつ。最近は動画フロアから始まって2階の用品館へ行って、時間があればカメラ館へ寄る。半年前にあった物欲は消えてしまった。とりあえずいまある機材でやりくりできる。またしばらくしたら疼くのだろうけど。

ギャラリーに置きっぱなしのものがあることを思い出して、そのまま冬青へ。ちょうど今日からPHOTOGRAPHERHALさんの展示が始まった。先日、HALさんが僕の展示に来てくれたときに、今回の展示のことを聞いていたが、実際に観るとやっぱりすごい。HALさんの代表作のひとつになるのは間違いない。日本ヨーロッパで評価を受ける作品だと思う。HALさんは、ギャラリー冬青の看板作家で海外から多くのオファーがある。今月もノルウエーのフェスティバルに招待されている。何がすごいのかは展示を観てほしい。この感覚だけはネットで見てもわからない。突然雷雨になったが、ギャラリーでのんびりしているうちに雨雲は通りすぎた。

 

<2004年6月4日の日記から>

今日、17年ぶりに日刊スポーツへ行った。『旅するカメラ2』に使う、新聞社時代に撮った写真を借りるためだ。編集者が同行してくれるはずだったが、仕事が抜けられず、僕一人で行くことになってしまった。車で新聞社の前を通るだけで体が痺れてしまうのに… 昨夜から心配だった。
新富町で降りて築地へ歩く。数年間通った道だ。周りはあんまり変わっていなかった。社の隣には「女王ラーメン」がまだあった。編集部がある旧社屋も変わっていなかった。フォトサービスという、新聞で使った写真を貸し出す係に行くと資料室に通される。昭和60年日航機墜落事故の写真を探す。ベタ焼きのスクラップには懐かしい写真が並んでいた。当時このベタ焼きを貼っていたのは、一昨年急逝したスポーツライター岩田暁美だ。長島監督の横にいつも張り付いていたあの女性である。その頃はまだ写真部でアルバイトをしながらラジオ局の仕事をしていた。そんなことを思い出しながら写真を探す。三浦和義の写真、神宮花火大会の写真の後に日航機墜落の写真はあった。

ヘタクソで見るに耐えないものばかりだ。もうちょっと何とかならんのかと思う。当時デスクはそんな気持ちで見ていただろうなと初めて気がついた。本当にヘタクソだ。でも、上手くなったいまは、もう御巣鷹山に1日で2度も登れない。そんな体力があるわけがない。ヘタクソだったが体力はあったのだ。上手くなったかわりに失ったものも大きい。縦横2枚の写真を選び、プリントをお願いした。暗室はもうすでになく、スキャナーで読み込んで出力するということだった。

写真部に顔を出してみる。懐かしい顔を見つけた。もう昔の写真部ではなくコンピューターの林立する、デジタルルームだった。「これになってから劇的に変わったよ」とニコンD1Hを指差した。次の撮影のため15分しかいることができなかった。でも会えてよかった。帰り際、昔暗室のあった場所に行ってみた。そこはもう会議室になっていた。地下鉄の駅に戻ると放心状態になった。張り詰めていたものが切れた。「トラウマ」という言葉がよぎる。こういうことを言うんだろうなあと思えた。もし、もしあのまま会社勤めを続けていたら… 歩むことのなかった違う人生を想像してみる。