雨の1日

朝=ライ麦パンのバインミー、トマトスープ/夜=高円寺「フジ」のチキンソテー

やらなければならないことはだいたい済んで、しばらくは「2BChannel」の動画を作るくらい。それと写真集作り。とは言っても自分の本ではない。偶然知り合った方の長年撮り溜めていた写真が凄くて「写真集を作りましょう」と思わず提案してしまった。その方も「やるなら最高なものを作りたい」ということで制作が開始した。誰の本であれ、写真集を作るのは面白い。自分の本でないから編集作業も冷静になれるし。ダミーを作っている最中なのだが、これはいいものになる。ありそうで、どこにもない写真集ができそう。今年秋には出版できるように進行中。

写真集を作っているおかげで「カメラ欲しい熱」は引いている。最近買った機材はSONY FX30用のハンドルユニット。 半額で買えたのでつい。

<2021年5月23日の日記から>

ようやく、お茶の水の「ギャラリーバウハウス」でやっている「パノラマ展」に行くことができた。デジタル作品はなく、全て銀塩プリント作品。参加メンバー12名がパノラマ写真縛りで展示している。パノラマは携帯のカメラ機能にも付いているから馴染みがあるはず。パノラマ撮影には2種類あって携帯でパノラマ画像を撮るときのようにレンズを扇型にふって撮るタイプと、画面の上下をカットするタイプ。動画のシネモードなんかがこれにあたる。カメラとして代表的なのは、首ふりタイプは日本製のパノンとロシア製のホリゾント。上下カット型は、富士フィルムのTXとハッセルブラッドのX PAN。どちらも中身は同じで、デザインが多少違うだけ。これはレンズ交換ができるし、通常の35ミリサイズとパノラマサイズを、裏面の操作で変えることができる。首振りとカット型でいうと、圧倒的に首振りタイプのほうが面白い。レンズがぐるっと半周して画像を作るから、遠近感が上下カット型とまるで違う。不思議な遠近感。僕も一時仕事の撮影で様々なパノラマカメラを使っていた。ブローニーサイズのノブレックスというロシアの首振りカメラでは、迫力の画像が撮れた。「バウハウス」のオーナー、小瀧さんが「コロナで海外に行けなくなったけど、パノラマカメラを手にしたら日本が新鮮に見えてきた。今まで見過ごしていた風景がまったく違うものになった」と言っていたのが印象的だった。カメラを変えることで世界の見え方が違ってくる。これは写真をやっている人の特権みたいなものだろう。世界は今見たり聞いたりしている視覚聴覚の現象が全てではなく、メタな存在であることを写真をやっていると実感できる。メタとは、メタフィシュカ(形而上)という哲学用語で、最近よく耳にするようになった。認知している外側にも世界は存在する。夢の世界も同じ世界だから、夢を積極的に描こうとした時代がある。展示はモノクロ作品が多かった。見ていたら暗室に入りたくなった。現在自宅に暗室はない。新宿のある個人の暗室をお借りしているのだが、もう一年以上そこに行ってないことに気が付いた。これは由々しき問題で、やっていないと勘を取り戻すのに時間がかかる。すぐに連絡して6月の頭に入ることにした。いつでもできるように、家に暗室を作ろうかなあ。

<2013年5月23日の日記から>

今週火曜日まで銀座ニコンサロンで写真展「ネパリ」をやっていた小川さんが個展会場での様子を日々Facebookにあげていて、それを読むのが毎日楽しみとなっていた。小川さんの3月コニカミノルタでの展示の時は「前ボケ論争」がおこり、今回は「シャドー部分の階調再現」に端を発し「なぜ写真をやっているのか」ということまで話は広がっていた。それにしてもメーカー系ギャラリーには色々な人がやって来るものだ。大御所写真家から評論家、雑誌の編集者、自説の正しさを訴える写真好きの人。作者のまったく知らぬ人が見にきてそれぞの感想を述べて去っていく。そもそも見に来ている人も作者のことを知らないことが多い。会場にいると毎日数百人の人と会うことになる。展示している立場からすれば99%の好評よりも1%の酷評が気になるものだ。たった一言を長い間ずっと引きずることになる。自分の興味がない作品と判断すると入ってきてすぐに踵を返すように会場を出て行ってしまう人もいる。「こんなの写真じゃない!」と怒り出す人だっている。人の趣味はそれぞれと頭ではわかっていてもグサッとくる。誰にでも分かるようなものは存在しないし、そんなものを目指す気はない。でも、できることなら、ちょとでもいいから、分からなくてもいいから、受け止めて欲しいというのが本音。 「あなたはなぜ写真をやっているのですか?」この質問に僕はどう答えようか。よくアーティストと呼ばれる人は「たくさんの人に勇気や感動を」 と言う。僕は今までそんなこと思ったこともない。表現していなければ死んでしまうというような情動が突き動かしているわけでもない。でも僕は20年間ずっと「誰にも頼まれていない」写真を出し続けている。なんでお金をかけて写真展をやるのか。一度展示をすれば数十万円単位でお金が出て行く。たとえメーカー系のギャラリーでやったとしても額装費や展示準備にかなりのお金がかかる。僕が今まで展示や出版にかけた費用はおそらく数百万円。ここ数年は企画展示をやってもらえるようになって、ようやくお金がかからなくなったが、それでも今までで、ベンツくらい余裕で買えるお金を使ってきた。今回のサンタフェだって準備も含めて40万円くらいかかるだろう。でもベンツより魅力的だから続けている。なんでそこまでして展示や出版をするのか自分でも不思議に思うことがある。展示をしたところでビジネスチャンスが生まれるなんてことはほとんどない。お金と時間をかけてやった個展が終わった時の憔悴感といったら、、、本音を言えば僕の行動理由の大半を占めているのは誰かに認めてもらいたいという欲求なんだと思う。もっと分かりやすく言えば「褒めてほしい」のだ。誰でも小学校を卒業するくらいまでは褒めてもらえる機会が多いはずだ。それが突然競争を強いられ、勤勉で立派であることを求められる。段々誰も褒めてくれなくなる。親も先生も周りの大人も「しっかりしろ」と繰り返す。勉強かスポーツで秀でていなければ自分を肯定できることは少ない。好きで始めた写真が高校生のときに全国紙の写真コンテストで2位になった。自分の写真を認めてもらえたことが、そのまま自分を認めてもらえたことのように感じた。存在理由が見つかった気持ちだった。それまでは「なれたらいいけど無理」と自分の気持ちを抑えていたのに、認めてもらえたことでふっきれた。写真で生きていこうとその時に決めたんだと思う。写真なら褒めてもらえるかもしれない。それからずっと写真を撮っては展示をして本を作ってきた。たくさんの人に見てもらいたいと思うし、褒めてもらいたい。日本で褒めてくれなければ海外までだって持っていく。「旅するカメラ3」の後書きにこう書いた。2007年、アルルの写真フェスティバルに行く直前のことだ。"この本に合わせて、2冊目の写真集「traverse」が出版される。それを持って「アルルフォトフェスティバル」に行くつもりだ。7月のアルルには世界中から写真好きが集まってくる。お互いの写真を見せ合ったり、キュレーターが写真を見てくれる場所もある。海外進出を目論んでいるわけではないが、なんだか楽しそうではないか。アルルで評価をされたいわけじゃない。作ったばかりの写真集を持っていき、色んな国の人に「見て見て」と言いたいだけのだ。バスの終点がどこにあるのかは、誰にも分からない。でもどこかに向かってるのは間違いない。「旅するカメラ4」があるかどうかは分からない。でもまた何かの形で写真を発表し続ける。そしてやっぱりこういうのだ。「新しい写真できたよ。見て見て」"  2013年は「da.gasita」を持ってサンタフェに行ってくる。