1枚だけの家族写真

朝 あんかけ肉うどん

おやつ たい焼き

夜 熊肉とジャガイモをなんかしたやつ、鳥レバニラ、キュウリとブロッコリースプラウトと韓国海苔のサラダ、玄米

5日前に始めたtwitterのあるツイートが、2日でいいね4000、RTが600以上。ちょっとだけバズった。  内容はこちら。

“写真の大学に入って最初の夏休みの宿題が「自分も入れた家族写真」だった。家族全員をあつめるのはけっこう手間で、僕は不機嫌そうな顔で写真に収まっている。数年後父親が急逝したときに家族全員が写っている写真を探したら、それ1枚だけだった。その時に課題の意味がはじめて理解できた“

これって覚えている方もいると思うけど『旅するカメラ』シリーズに書いたもの。あの夏の日のことは鮮明に覚えていて、友人から借りていたウィスタのシノゴに安いフジナーの135ミリをつけて 外付けのセルフタイマーを使って2枚撮影した。室内だと引きが取れないので玄関先に集合して撮った。夏休みの課題は「実家に帰って、自分を入れた集合写真を撮ってこい」というものだった。もうその家もなくなり祖母も父も母もいなくなり、写真だけが唯一全員が写った写真として残っている。 

30歳の時にソニーから発売されたハンディカムという8ミリビデオカメラに飛びついた。記録用としてロケハンとかモデルのオーデションなどに使っていた。でも撮影はできるが編集ができない。まだパーソナルコンピューターなどなくて、ワープロがようやく普及したばかりの頃だから。かなり撮影したはずだが、再生するデバイスがないので当時の映像を見ることができない。わざわざ業者に出してデータ化するほどのものでもないが、見たら面白いだろうに。プリントはデバイスが必要ない。そこが大きなメリットだ。デジタルデータで上映されるアニメ映画も保存用にフィルムに焼いて残しているところがあるそうだ。きっと人類が滅びた後に異星人がやってきても、フィルムなら光に透かして見ることができるはず。そういえば杉本博司も同じコンセプトで私設美術館の「江の浦測候所」を作っていた。

 

<2018年3月16日の日記から>

木村伊兵衛賞が発表されると、もう春なんだなあと思う

今年の木村伊兵衛賞が発表された。小松浩子さんと、藤岡亜弥さん。先月発表されたノミネート6名が全員女性だったのは驚いた。もっとも注目が集まる賞だ、誰が取るかは写真好きの格好の話題になる。小松さんは写真を使ったインスタレーション作家であり、写真家というよりもアーティストと言ったほうがしっくりする。最新号の雑誌IMAでもインスタレーションが第一特集になっている。海外の大きな展示で、壁に額にいれてある写真が行儀よく並ぶようなことはもうないと言っていい。平面である写真は飛び出し、吊るされ、揺れ、音を立て、見ているものを誘引していく。アーティストはインストールレーターと呼ばれる専門家とチームを組んで会場作りをしていくのも当たり前のようになってきた。小松さんは、写真の進んでいる方向性を捕まえていることが評価されたのだろう。藤岡さんは今年、林忠彦賞も受賞していてダブル受賞になる。ひとつ取ったからという忖度はなかったようだ。彼女のことはずっと注目していて「彼女は天才」といい続けてきた。見る目があったね(笑)。

この日記にも再三書いていて、数えてみたら10本あった。http://satorw.hatenadiary.com/search?q=藤岡亜弥

今回の『川はゆく』(赤々舎)は言葉の外側を行っている。これは相当に大きなことだ。事務所部屋に藤岡さんの「さよならを教えて」のプリントを、一番見えるところに昨日飾ったばかりだった。好きな作家が賞を取ってくれて本当によかった。

 

<2004年3月16日の日記から>

朝からプリント。カラーを大四つ切に伸ばす。4カットを色のパターンを2種類づつ変えて計8枚。ここにきて望む色が出るようになってきた。カラープリントをやり始めて12年たつ。
ネコの具合が心配で早めに家に戻る。しばらくしたら妻も早帰りしてきた。ゴロゴロとのどをならすが立ち上がれなくなっていた。朝はしっかりご飯をねだりにきていたが、もう鼻先にご飯を寄せても食べようとはしなかった。自分達用に買ってきたサンマを焼いてあげたら一口だけ食べた。夜8時、息が荒くなる。口を大きく開け空気を吸い込もうとしているのが分かる。それがおさまると穏やかな息になった。そして8時半、静かに息を引きとった。「小太郎」16年と半年の寿命だった。寝床の下に敷いてあったマットやエサ箱を片付けたら急に部屋がガランとした。明日から家に帰っても小太郎は出迎えてくれない。