朝 野菜オムレツ、人参スティック、リンゴとセロリのサラダ、クロワッサン
おやつ 焼き芋
夜 ナスと人参のチャプチェ、お雑煮
先日話を伺った石川竜一さんの動画を編集。1時間近く聞いたものを13分にまとめる。石川さんは能弁じゃないけど、言葉に力がある。声も魅力的で引き込まれる。業界内に石川竜一ファンが多いわけがわかった。
週末の美術史講座の配信の時は夕方5時半くらいに食事をとって1時間前に準備をする。資料を一から見直してチェックし、いざzoomに入ろうとしたらトラブル発生。まず3万円もするドックステーションと呼ばれる高級ハブが壊れた。何をやっても電源が入らない。ここにはカメ太やマイク、SSDなど多くのケーブルが繋がれている。
PCからドックを外して通常のUSBハブにケーブルを差し込んだらMac book Proの挙動がおかしい。何度か再起動をかけるが直らない。ソフトを立ち上げるとクルクルとインジゲーターが回って動かない。配信時間は刻一刻と迫ってくる。バックアップ機として用意してある古いMacbbok Proを取り出して配信設定をしようとしたが、ZOOMのパスワードが記憶されていなくて慌てる。アワアワしながらなんとかセットアップ。ZOOMが開いたのが配信3分前。なんとか最後まで問題なく進めることができたがヒヤヒヤものだった。終わってからメインのMacbbok Proを操作したが動きが緩慢。そこで繋いでいたUSBのハブを取り除いたら問題なく動き出した。回復してよかった。ドックステーションの買い替えだけでも痛いのに、本体もいかれたら立ち直れないところだった。バックアップ機を用意してあって本当に助かった。しかし3万円のドックステーションは日々使う物なので再注文になりそうだ。
<2019年12月12日の日記から>
「ハービー・山口インタビューを終えて」の動画用の原稿から
2019年12月10日火曜日
本格的に寒くなってきましたね。寒いのは嫌いだけど、石油ストーブは好き。20年前に岩手で買った南部鉄瓶でお湯を沸かして、お餅を焼く。最高です。ネコがそのへんに転がっています。さて、三夜連続の「ハービー・山口」ロングインタビューの配信は見ていただけたでしょうか。
第3話「撮りたいという思い」
第2話「Glorious Days」輝く日々
第1話「ネガをポジに変える生き方」
収録したのが12月4日水曜日、一話目をアップしたのが6日金曜日です。話を伺っているときから「これはすごい」と思っていて、一刻も早くアップしようと編集をしていました。そのくらい、心に響くインタビューだったんです。編集作業はまったく苦になりませんでした。ハービーさんと知り合ったのは2004年なので15年前になります。もちろん「ハービー・山口」という存在は僕が30歳の時から知っていました。これは僕のエッセイ集『旅するカメラ2』にも書いたのですが、最初は本屋さんで見かけた「吉川晃司」の写真集でした。アメリカで撮られたその写真集はすべてモノクロで構成されていて、新鮮に見えました。ミュージシャンのポートレートに憧れていた僕は、音楽専門誌でたびたびハービーさんの名前を目にすることになります。僕がモノクロでポートレートを撮るようになったのはハービーさんの影響なんだと思います。ハービーさんがエッセイ集を出していることを知って『ずっと探していた』『女王陛下のロンドン』を読みました。その中で偶然地下鉄でジョー・ストラマーと出会ったときに「撮らせてください」とふりしぼるような思いで声をかけたハービーさんに「撮りたい物はすべて撮るんだ、それがパンクだ」とジョー・ストラマーが言ったというくだりを読んで、僕は震えました。その言葉はまるで自分にむけられたように感じたんです。その後、僕もエッセイを書くようになったのは、やっぱりハービーさんの影響なのかもしれません。
インタビュー中にずっと思っていたのは「人生はすべてはつながりの中にある」ということでした。これはよく聞く台詞だし、自己啓発の本には必ず書いてありそうな言葉です。でもハービーさんの生き方を聞いていると、とても納得いくものとして届きます。「過去は変えられない」。あたりまえです。誰でも知っている。でもつい思ってしまう。「あのとき、こうすればよかった。なんでやらなかったんだろう」と。思えばいつも後悔の連続でした。なんでもそうでしょうが、クリエイティブな仕事、僕が生きてきた写真の世界は、才能ある人がたくさんいます。そのキラキラした才能を間近で見るから、自分の才能のなさに落ち込んでしまうわけです。“もっと才能があれば” “もっとうまく世の中を立ち回れたら” “もう一度20歳に戻してくれれば今度はもっとうまくやれるのに”。最近まで毎日のように思っていました。でも僕がもっと才能があって、世の中をうまく立ち回れる人間だったら、間違いなくワークショップをやっていません。やったとしても長続きしないでしょう。もしハービーさんがハービーという名前を自分につけていなかったら、学生のときに就職が決まっていたら、まるで違う人生だったように、僕に才能があったらもっと違った人生になっていたわけです。
今年になってワークショップを通じて親しかった人がふたり亡くなりました。ワークショップを通じての出会いだから、やっていなかったら絶対にふたりとは出会ってない。ということは彼らと過ごした馬鹿みたいに楽しい時間はないってことになるんだと気がつきました。屋久島やアルルで僕は彼らと本当に楽しい時間を、代えがたい時間を過ごしました。それがないなんてありえない。彼らが僕の人生に関わらないなんて考えられない。だから僕の人生はこれでよかったんだと思えるようになりました。才能がある人を、もううらやむ必要はなくなりました。
そう思った矢先のハービーさんのインタビューでした。だから3話目での冒頭の言葉になったんです。いつもならカメラの話を聞くのですが、今回はしませんでした。インタビュー前は「ハービーさんだからライカの話をしよう」って思っていたけれど、もうその必要はないって話を聞きながら思いました。
願わくばこのハービーさんの動画をたくさんの人に見てもらいたい。今つらい思いをしている人に聞いてもらいたい。もしかしたらちょっと元気が出るかもしれない。聞いたときはなんでもないけど、あとで思い返すことで考え方が変わるかもしれない。YouTubeを始めてよかったな、とあらためて感じたインタビューでした。