酷評された写真

朝 肉そば、茹で卵、お餅

夜 キムチ玄米チャーハン

2Bchannnelのコンテンツのひとつに「写真学生」というものがある。高円寺在住の写真を学んでいる若者に話を聞くシリーズで、すでに3回アップしている。彼の部屋と彼が撮る写真のギャップに徐々にファンが出始めた。最近は撮影仕事もしているようだ。本日4回目の収録は「写真学生に写真を見せてもらう」の続編。前回大学に提出した作品は先生方から高評価を得た。ベタ褒めだったそうだ。ところが次の提出では、同じようなものを撮っているにもかかわらず酷評。というか怒られたそうだ。それが何かを検証してみようということになった。

彼が撮り続けているのは路上であったり風景であったり日常であったり。いわゆるスナップと呼ばれるもの。何が良くて何が良くないのか、言語化が難しい。

でも複数いる先生方全員がダメ出しをするにはわけがある。それを考えてみようというもの。褒められた時の提出物と怒られた時の提出物にどのような差があるのか。果たしてそれは言語化可能なのか。ということをやってみた。近日公開予定。

<2017年12月13日の日記から>

新潟佐渡のお酒「至」

居間は今、掃除機が支配しているのでベッドに避難している。買ったばかりの東芝トルネードの音が階下から聴こえてくる。寝室はオイルヒーターがちょうど良い温度になっていて、窓からは陽が差し込んできて、なかなかいい具合だ。

友人に誘われて行った横浜美術館の石内都展は良かった。ザラッとした手触りというのが一貫しているのがわかる。皮膚感覚、触れているという身体行為。母の遺品の口紅が象徴的だ。断片でしか見ていなかったものが繋がった。傷のシリーズがあんなに美しいとは。コレクション展も見られるというので何気なく入ったら本気度バリバリの展示だった。シュールレアリズムとその周辺。1920年くらいから40年までなのだが、美術の大転換点が起きた時代だ。横浜美術館はかなりの量のマンレイを収蔵している。。印刷でしか見たことのないイメージばかりだ。シュールレアリズムの提唱者アンドレ・ブルトンのポートレートがいい。あのソラリゼーションの技法は今でも十分通用するんじゃないか。今回は1500円の入場料以上のものを見ることができるはず。石内都とシュールレアリズムを肴に、友人と高円寺のベトナム料理。贈与と返礼から連句、白川静、アフォーダンスへと飲むのも忘れて話続ける。頭を使ったら急に腹が減ってきてフォーを注文。彼と話すのはいつも頭のストレッチのようなもの。その日はぐっすり眠れた。