見えないものを救い上げるのが現代写真

朝 焼きベーグルサンド、人参のポタージュ

夜 天草のメザシ、餃子、レンコンとズッキーニ炒め、キュウリキムチ、白米、味噌汁

今年は映画を見ようということで映画館によく行っていたが、せっかくプロジェクターを導入したので食堂をホームシアターにした。映画好きから「ポランスキーの『ナインゲート』は傑作です」と言われたので見ることにした。彼のおすすめは外すことがない。ジョニーデップ主演のミステリーものかと思ったら、最後はすごいオチになっていた。映画の中では16世紀の古書が1億円するという設定になっていたが、同じことがなんとライカで起きた。

1957年製のライカMPがオークションで1億5千万円で落札されたのだ。ちょっと信じがたいが本当のようだ。古書にせよカメラにせよ、同じような性能のものは数万円レベルで手に入るわけだけど、コレクターにしかわからない欲求が市場に価値を創っている。そういう意味ではなんだってそうか。お金だってそのもの自体は紙だし、なんならデジタルの暗号だったりするしね。

水曜日の夜は用事があったので木曜日の夜にライブ配信。週一でやる習慣を崩すと「めんどくさいからまあいいか」となってしまう。「水は低きに流れる」ってあったな。ライブの話題は主にいま東京都写真美術館でやっている新進作家展について。あの展示は「新しい風景写真論」だと思っている。風景写真の拡張。不可視なものを取り出す行為が写真。制度的、認識的に不可視だったものを取り出せたらそれが写真。

でもそれって1980年以降、さまざまなアプローチで現代アーティストがやってきたこと。それをベースに写真が拡張しようとしているようにも見えてくる。

<2012年12月10日の日記から>

日記10周年

2002年の12月9日にこの日記を始めた。昨日で10年がたった。僕の嫌いだった言葉に「継続は力なり」というのがある。中学校の体育館の壇上横に掲げられた標語で、中学生の僕はあれを見るたびにうんざりしていた。校長先生は講話の度に「継続は力だ」と言っていた気がする。それが近頃ではインタビューを受けると自分から「続けることの大切さ」なんて言っているわけだから歳をとったわけだ。考えれば歳を重ねたものができるのは、続けることだけなのかもしれない。

2000年にwebサイトを作り、そこでコラム形式で写真やカメラのことを書いていた。その頃はまだブログという形式もなかったころで、テキストのアップはデザイナー経由だった。そこへ「さるさる日記」というサービスが始まり、毎日自由に書けるということで2002年の12月から書き始めた。

42歳、まだワークショップも始めておらず、一冊写真集を出したことのあるフリーカメラマンの日常雑記だった。一眼レフデジタルカメラのキヤノンD60(60Dではないよ。600万画素のデジタルカメラ)を買って半年くらいの時期で、まだまだシノゴやハッセルがメインカメラだった。その頃はフリーカメラマンの生活を満喫していたのに、翌年にワークショップを始め、『旅するカメラ』を出して、突然目を悪くするという今から考えたらジェットコースターのような人生になるとは、日記を始めた頃は想像もしていなかった。

10年ひと昔。10年前に描いていた未来とはとずいぶん違ったものになっているな。そもそもいったいどうなりたかったんだろう。今日から10年後、2022年には僕は62歳になっている。ずっと写真を撮る人でいたい。それだけが願いだ。