思惑違い

朝 野菜トマトリゾット

夜 山菜おこわ、鳥の唐揚げ、豆腐のお汁

シグマの桑山さんのインタビュー動画を編集したり、ルデコの相談を受けたり。実を言うと3階の学生のフロアはあまりうまく進んでいない。それまでの2BやHの延長と考えていたら見当が外れた。今までもワークショップで学生を相手にしていたが、それは社会人に混じってやろうとしていたので、特に「学生だから」と言うことを考えずに接してきた。そしてそれが良い方向に働いていたと思う。でも今回は学生相手ということをもう少し考えるべきだったかと悩んでいる。「好きな時にいつでも相談に乗る」という今までのやり方は明らかに失敗だったようだ。毎週末は常にZOOMと対面のために時間を空けているのだが。残り1ヶ月になっても、僕に連絡をしてくるのは二人だけ。あとはオンライングループ内で呼びかけても全く反応がない。これにはかなりまいってしまった。ルデコでやる意義を伝えきれていなかったのが原因なのか、それともそもそも何かがずれてしまっていたのか。

勝手の違いに僕も戸惑っているが、学生たちも同じ気持ちなのかもしれない。11月22日の搬入まで、少しはそこを埋めることができるのか。

 

<2018年10月24日の日記から>

お店にかけられた看板には「Coffee Curry Wine」とある

19歳のときに東京に出てきて2年以上アパートに電話がなかった。もっとも自分だけじゃなくてアパート暮らしの学生はみんなそうだったからそんなに困ったりはしない。

大家さんにとりついでもらえたし、そもそも電話が必要なことってなかった。ただ風邪をひいて倒れたりすると大変。若いけど慢性的な栄養失調だから抵抗力が弱い。毎年のようにインフルエンザで倒れていた。そうなると3日間ほぼ絶食状態になる。すると誰かが様子を見にやってきて、慌てて食料を買ってきてくれた。とはいえカップうどんくらいだが。それとポカリ神話のようなものがあって、風邪をひいたらポカリだった。

アパートには何もない、テレビもない、パソコンなんて影も形もない時代だ。レコードとラジオがあるくらい。だから学校には授業に出なくても毎日行っていた。誰にも会えない日曜日は嫌いだった。

当時、江古田は喫茶店の密集率が日本一、と雑誌に書いてあった。それぞれに「行きつけの店」のようなものがあったものだ。

僕は「プアハウス」というお店に行っていた。同じ学年で演劇学科だった三谷幸喜も来ていた。癖になる辛いカレーと粗食という謎のメニューがある。トマトのスパゲティと鰯のトースト。ワインやウィスキーもあったしチーズの盛り合わせもある。

深夜、閉店の11時近くになると常連客がやってきて、そのまま1時くらいまで遊んで帰る。ホッケーゲームだったりダーツだったり。そのときそのときのブームがあった。夜中に光線銃を持って二子多摩川でサバイバルゲームをやっていたこともある。かと思えば、そのままオフロードバイクで奥多摩まで走りに行っていたこともある。

そんなことができるのは、サラリーマンじゃなくてフリーランスだけ。ライターやカメラマンやミュージシャンや役者や何をやっているのかわからないものばかりがお店に集まっていた。

僕が新聞社をやめたのも、彼らを見ていて「なんとかなるだろ」と思ったから。ご飯の食べ方もお酒の飲み方も音楽も遊びもプアハウスで教えてもらった。

19歳で通い始めたお店は今年で幕を閉じることになった。40年続いたというのに、店主も内装もメニューも味もまったくといっていいほど変わらなかった。カウンターに座って見える景色は19歳の時と同じ。娘ができたときに「この子が大きくなったらプアでバイトできたらいいな」と思っていた。その夢は今年かなった。日曜日のバイトが足りず2カ月ほど手伝うことになって、僕は一度だけお店に見に行った。

プアハウスは昨年、店主の体調の問題で閉じて、今年つかのま再オープンしたがまた閉じて、ついに今年いっぱいで引き払うことになってしまった。2Bのあったスタービルは取り壊しが始まり、去年まで江古田のランドマーク的存在だった「おしどり」もすでにあとかたもなく、どんどん江古田が遠くなってくる。

後片付けを手伝いにいったときにお店で使っていた食器をわけてもらった。ちょっと重めの黒塗りがきれいなカレーとスパゲティと粗食の器とコーヒーカップだ。