お店にかけられた看板には「Coffee Curry Wine」とある

19歳のときに東京に出てきて2年以上アパートに電話がなかった。もっとも自分だけじゃなくてアパート暮らしの学生はみんなそうだったからそんなに困ったりはしない。

 

大家さんにとりついでもらえたし、そもそも電話が必要なことってなかった。ただ風邪をひいて倒れたりすると大変。若いのだけど慢性的な栄養失調だから抵抗力が弱い。毎年のようにインフルエンザで倒れていた。

 

そうなると3日間ほぼ絶食状態になる。すると誰かが様子を見にやってきて、慌てて食料を買ってきてくれた。とはいえカップうどんくらいだが。それとポカリ神話のようなものがあって、風邪をひいたらポカリだった。

 

アパートには何もない、テレビもない、パソコンなんて影も形もない。レコードとラジオがあるくらい。だから学校には授業に出なくても毎日行っていた。誰にも会えないから日曜日は嫌いだった。

 

当時江古田は喫茶店の密集率が日本一、と雑誌に書いてあった。それぞれに「行きつけの店」のようなものがあったものだ。

 

僕は「プアハウス」というお店に行っていた。同じ学年で演劇学科だった三谷幸喜も来ていた。癖になる辛いカレーと粗食という謎のメニューがある。トマトのスパゲティと鰯のトースト。ワインやウィスキーもあったしチーズの盛り合わせもある。

 

深夜、閉店の11時近くになると常連客がやってきて、そのまま1時くらいまで遊んで帰る。ホッケーゲームだったりダーツだったり。そのときそのときのブームがあった。夜中に光線銃を持って二子多摩川にサバイバルゲームをやっていたこともある。かと思えばそのままオフロードバイクで奥多摩まで走りに行っていたこともある。

 

そんなことができるのはサラリーマンじゃなくてフリーランスだけ。ライターやカメラマンやミュージシャンや役者や何をやっているのかわからないものばかりがお店に集まっていた。

 

僕が新聞社をやめたのも、彼らを見ていて「なんとかなるだろ」と思ったから。ご飯の食べ方もお酒の飲み方も音楽も遊びもプアハウスで教えてもらった。

 

19歳で通い始めたお店は今年で幕を閉じることになった。40年続いたというのに、店主も内装もメニューも味もまったくといっていいほど変わらなかった。カウンターに座って見える景色は19歳の時と同じ。

 

娘ができたときに「この子が大きくなったらプアでバイトできたらいいな」と思っていた。その夢は今年かなった。日曜日のバイトが足りず2カ月ほど手伝うことになって、僕は一度だけお店に見に行った。

 

プアハウスは昨年体調の問題で閉じて、今年つかのま再オープンしたがまた閉じて、ついに今年いっぱいで引き払うことになってしまった。

 

2Bのあったスタービルは取り壊しが始まり、去年まで江古田のランドマーク的存在だった「おしどり」もすでにあとかたもなく、どんどん江古田が遠くなってくる。

 

後片付けを手伝いにいったときにお店で使っていた食器をわけてもらった。ちょっと重めの黒塗りがきれいなカレーとスパゲティと粗食の器とコーヒーカップ。

 

ふと思ったのだが、僕がワークショップをやっているのもプアハウスからの影響なのかもしれないな。