キノコ鍋。〆はトロトロに煮込んだお餅。

『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』を渋谷ユーロスペースに見に行った。

近頃というか今年は自分の展示に追われて人の写真を見る気にさっぱりならなかった。多分写真展は月に一度くらいしか見ていないし、写真集も5冊しか買っていない。

それが来月の個展の目処がついた途端、他の人の写真を見に行きたくなった。『ヴィヴィアンマイヤーを探して』(同じく渋谷ユーロスペースでやっている)も気になっていたが、見に行った人が「寂しい結末だった」と言っているのを聞いてソールライターのほうが幸せそうだと思ったのだ。

映画は彼の一人語りで進む。途中でインサートされる写真はとても「美しい」。ガラス越しのレイヤー構造の構図が得意だ。ガラス越しを狙った写真を撮る人は多い。大抵は揺れる心理状態を表すもので、重い絵になるのだが、ソールライターの写真に意図はない、ただ美しい。近頃は美しさに懐疑的になっているアートシーンを見ていたから無邪気にさえ思える。

彼は写真の意味合いを聞かれるのが大嫌いで、評論家の「なぜ、なぜ、なぜ」攻撃には吐き捨てるように「つまらない」と言う。これもステートメントありきの現在の表現から考えると新鮮ですらある。

ソールライターは60年代から80年代まで、ハーパスバザーのファッションカメラマンだった。ハーパスバザーといえばヴォーグと並ぶ世界トップのファッション誌で、カメラマンとして最もステータスの高い仕事のひとつだ。

「成功したカメラマン」はあまり成功を喜んでいない。有名なカメラマンよりも自由に撮れることを優先してしまう。ありそうな話だが、これは珍しいことだと思う。フリーカメラマンという職業を選んだものは常に上をを目指すし、金銭的な成功を夢見るものだ。ましてアメリカ。成功を追いかけるのはアメリカ人の使命みたいなものだ。

自由に生きてきたと人生を飄々と振り返る彼が、亡くなった奥さんの話になると突然顔が曇る。「妻はバケツを蹴飛ばしたんだ(kick the bucket)」という台詞がある。それを聞いてドキっとした。

kick the bucketとはスラングで自殺を意味する言葉で使われることがあるのだ。首を吊る時、最後に踏み台のバケツを蹴ることからきている。もしくは、ただ死を意味する場合もあるのだが、文脈からするとどうやら後者のようでちょっと安心した。

彼は妻を幸せにできなかったと悔やむ。自分は金銭的な成功を望んでいないと言っているのに「妻は俺じゃなくお金持ちと結婚したほうが良かったんだ」と言う。一方で「唯一自分の才能を信じてくれた人だった」と振り返る。後半になるにつれ揺れる心境が出てくる。淡々とした映画だなと思って見ていたのにすっかり引き込まれてしまった。

写真家が自分の作品作りを語る映画ではなかった。タイトル通り人生を語るものだった。

散歩用に使っていたデジタルカメラはなんだったんだろう?オリンパスかな?ミラーレスみたいなのだが。