MASTE RPIECE

朝=新玉の玄米トマトリゾット/夜=ナスとキュウリのゴマポンあえ、おぼろ豆腐のあんかけ煮、オクラの豚巻と新玉炒め、月山筍の炊き込みご飯、卵味噌汁

近頃、朝起きるたびに「今日はラーメン食うぞ」と思うのだけど、朝ごはんが10時で夜ご飯が18時という生活をしていると、外でラーメンを食べる隙間がない。8月の頭に東北に行くから、その時は毎日ラーメン食べてやる。

7月に行われるトークイベントの打ち合わせがあって新宿へ。当日は、同時に2B Channnelから配信することになった。少しづつメディアとして認識されてきた。2019年の6月にYoutubeをやろうと決めて準備を始めてから3年が経つ。一体何本投稿したんだろう? 少なくとも週に1本から2本は欠かさずアップしている。機材はほぼ揃ったような気になっていたが、最近、メインのMacbook Proから動画がアップできなくなっている。ファンの音がうるさいという大問題もあるので、今度発売されるMacbook Airを買おうか悩んでいる。半年前のMac Studioは見送ったが、 Airで再度思案中。メリットは30万円以下に抑えることができるので経費として楽。ということを自分の中で買うことの言い訳にしている。

打ち合わせの後、お茶の水のギャラリーバウハウスに「広川泰士/小瀧達郎 MASTER PIECE」を見に行く。タイトル通りの内容。すごいモノクロプリントばかり。小瀧さんの最近焼いたというプリントは黒がちゃんと締まっている。「最近の印画紙は銀の量が少なくて」というのは、ただの言い訳なんだな。ここにちゃんと実例がある。広川さんのマイルス・ディビスとTIMESCAPEの4枚もすごいとしか言いようがない。まさにMASTE RPIECE(傑作、名作)だ。こういうプリントを見ていると自宅に暗室を作りたくなる。Macbook Airどころじゃないかも。

 

<2018年6月18日の日記から>

Facebookのワークショップ「H」(現在は募集していません)のページに投稿したものをここにもあげておきます。

 「わからない」ということを考えるのに写真はとても便利なメディアだと思います。インスタレーションもそうですね。動画は向きません。わからない動画は苦痛ですから。仕事でずっと「わかるように」に撮ってきたので、気がつけませんでした。近頃ようやく「わからない」ことを楽しめるようになってきました。「H」では、写真の撮り方と同じくらいか、むしろそれ以上に写真をどう考えるかということを行なっています。これは渡部さとるが近頃考えている見る態度ですし、作る態度も同じだと思っています。

 ①出会う ②違う考えがあることを知る ③違う意見を理解するように努める ④違いが理解できないことを知る ⑤違いをわからないままにする ⑥結論を出さない

①は、とにかく出会わないと、ものごとははじまりませんよね。出会い方はさまざまです。絵画の始まりは壁画でした。それが板に書いた絵(タブロー)になり移動して他の場所で見ることができるようになり、複製可能な写真や映画が生まれたことで離れた場所でも同じものが共有可能になりました。そしてインターネットの普及は出会いかたを大きく変えてしまいました。②は、出会うことによって、よくもわるくも「自分じゃ考えもつかない」ってことが起こります。違いがある、その差異を認識します。違いの容認です。これがダイバーシティ(多様化)ということです。同じ方向だけを向かない。 ③は、その差異は何なのか、自分の経験や作者のテキストがあれば、それをもとに考えます。考えるには言語化が必要になります。言葉なしに考えることはできません。考えることは見る(作る)行為においてとても重要になります。 ④は、どんなに考えても他者を(自分を)理解できない場合があることを知っておく必要があります。日本語で考えているのなら、日本語にないことは考えても理解できないことになります。 ⑤は、わからないものを無理に自分のものさしで計ろうとしたり、わからないからといって排除することなく、わからないことが世の中にあることを認める。そしてそれを)ほっておく態度が必要です。日本語には白黒つけないという言葉がありますね。 近頃では態度を明らかにするということが良いとされていますが、曖昧くらいでいいんです。態度の保留です。 ⑥は、わかったとか、わからないとか、簡単に結論を出さない。作者が何を考えているかなんて答え合わせをせず、モヤモヤは、モヤモヤのまま。大事なのは正解を出すことではなくて、問いを考えることであって、スッキリしなくてもいいんです。良いものを見ると「誰かにに話たくてしょうがない」という衝動が生まれると僕は思っています。「受け取っちゃったから、返さずにはいられない。作者に直接返せないから、とりあえずこの気持ちを他の人へ」って感じです。見ていて作者の「そうせざるを得ない」が伝わってくるときがあります。そういうものに出会えると「あれ、よかった」と人にいいたくなるんです。そういうもの作りたいですね。見ることと作ることは背中合わせなので、「H」では写真を見ることとを積極的に行っています。