結論のないお題を考える

朝=へぎ蕎麦/夜=親子丼、トウモロコシ、野菜味噌汁

対面ワークショップ「H +」の2回目。宿題の「右」について話してもらう。位置としての右、方向としての右、二元論からの右、脳科学からの右、いろいろ出てきて面白い。誰にも結論が出せないお題を考えると「正解はこうでした」という落ちにならないので話が盛り上がる。右脳が損傷すると、そこにあるものが何であるか認識できなくなるそうだ。100年前の人が携帯電話を見ても「すべすべしたもの」という感触でしか語れないのと同じようなことだろう。事物は認識がないと存在しないのと同じ。なので今回のお題は新しい枠組み得るためのもの。これをやると、どんな人かわかって仲良くなれるという副産物もある。

同じように数人で行う「対話型美術鑑賞」というものも、絵画を見るときに全体をまとまりよく捉えるのではなくて、細部から突っ込んでみていく。すると今まで感じていた「こういうものだよね」を外すことができる。これにも答えがないので正解探しをせずに済むから話が広がる。広がりっぱなしでいいのだ。撮影するという行為は、基本的に対象物を見るころから始まるので、その幅が狭いと、同じものしか見えないから同じものしか撮れなくなる。しかし同じようなものを撮っているようでも、小さな差異を見出せる人は飽きることがない。

夜はオンライン「美術史講座」(全13回)の最終回で「音楽、建築、映像の歴史」。美術も音楽も建築も、全部の繋がりを知ると、今まで気がつかなかったことが見えてくるから、楽しくなるはず。そして日曜日の夜からは「写真史」の講座が始まる。

 

<2013年6月12日の日記から>

レビューサンタフェが終わった。最後のレビューが終わってクロージングパーティーになると外の芝生にビール片手に座って話をしたり、テーブルのところで写真を見せあったり、そこへ夕陽が差し込んで、それはそれはまるで映画のワンシーンのような素晴らしい光景だった。出発数日前から、ずっとレビューが楽しみでワクワクしていた。こんな気持ちに なったのは初めてかもしれない。現地についたら、それは緊張のドキドキに変わっていった。レビューを受けるのは2007年のアルル以来6年ぶりで、今回は通訳をお願いしたので言葉の面での不安はなかったが、人に写真を見せるという行為はいつまでたっても慣れるものではない。いざ本番が始まると2日間9名のレビューはあっという間だった。6人の美術館キュレーター、ふたつの出版社、ひとりのコーディネーターに見てもらった。

初日は3名の美術館キュレーター。ひとり目から評価は非常に高く、特に写真集のクオリティの高さに驚かれた。ふたり目は一番会いたかったマサチューセッツグリフィン写真美術館の女性キュレーター。ここではオンラインの個展を開き、写真を収蔵してもらっているが、実際にキュレーターに会ったことはなかった。彼女は僕の写真をよく覚えていてくれていた。美術館を紹介してくれたギャラリーオーナーに、あなたに会っということを知らせたいと、僕が写真を持っているところを写真に撮ってくれた。非常にフレンドリーな対応で写真の評価も写真集の評価もとてもよかった。3人目もほぼ判を押したように、同じ感触。まるで裏で相談していたかのように、同じところで写真を見る手が止まり、ほぼ同じ意見を言う。ちょっと怖いくらいだった。

初日のレビューが済むと、夕方からオープンポートフォリオレビューといって、体育館くらいの大きさの場所に参加者100人がそれぞれの作品をテーブルに並べて見てもらうイベントが始まった。夕方5時から8時まで作者は3時間立ち通しで見に来る人の対応に追われる。100人の参加者に対し44人のレビュワーがいるのだが、実際にセッションができるのは9人だけ。しかしオープンレビューなら他のレビュワーに注目してもらえる可能性がある。一般の人も会場に入ることができ、品のいい年配の夫婦が楽しそうに見ている。サンタフェは小さな街にも関わらず100を越すギャラリーが存在し、写真に対する意識も高い。見てくれる人に対応しながらも、その隙を縫って自分も他の作品を見て回る。ここには多くの中から選ばれた100人がいるわけだから、どの作品もクオリティが異常に高い。

レビューサンタフェは新人作家の登竜門的な存在かと思っていたら、主催者側はきっぱりと「新人作家のためのものではない。ここはキャリアのある優れた写真家のために用意されている」と言っていた。これは聞いていてちょっと痺れた。それを裏付けるように年齢層も高めで、中には60歳はゆうに超えている人も見かけられた。中には大学で教えていたり、写真集を何冊も出したり完成されたキャリアの人もいる。そして関係性を維持するために何度もやってきている人も多い。ここでも僕の写真は好評で、ある出版社の人は長い間写真集を見た後「めくっていて鳥肌がたった(It gave me goose bumps)」と言ってもらえた。午後8時に終了すると、時差ぼけも合わさって立っているのもしんどいくらいになる。

2日目は午前午後で6人に会う。ひとり20分のセッション。基本は写真を見てもらって質疑応答していく。今回は12枚のブックマットにいれたオリジナルプリントと写真集を持っていったのだが、これはとても有効だった。質問として聞かれたのは極めて単純なことばかりだった。どこで撮ったのか、タイトルの意味は何か、自分でプリントしているのか、写真だけで食べているのか、このシリーズで展示をしたことはあるか、写真集の文章は自分で書いたのか、出版はセルフなのか企画なのか。9今回は質問に答える以外には、こちらからは銀塩プリントであるというアナウンスしかせず、細かい説明はなしでずっと黙っていた。プリントを見てもらって十分引きつけておいて写真集を渡すと、文中のキャプションから最後のショートエッセイまでじっくり見てくれる人がほとんどだった。キャプションの「da.gasita」の説明のところでは、必ず笑顔になりこちらを見て微笑んでくれる。午前に3人が終わってすべて好感触なのだが、具体的な提案は出てこない。

本来、レビューは直接的なやりとりよりも、これからの関係性を築くものだとされているが、アメリカに住んでいない自分としては何かしらの直接的な結果をレビューに求めてしまう。それとあまりにも褒め言葉が続き、しかも昨日とまったく同じ反応なため少々イライラしてきた。これはもしかして「褒めごろしではないのか?」

昼食後、最後の3人に会う。ひとり目はコーディネーターとかオーガナイザーをやっている女性。プリントを見せると1枚目から、かなりぞんざいな見方になっているのがはっきりわかる。具体的には写真と顔の距離が、見るごとにどんどん離れていくのだ。最後にはそっくりかえるような感じになる。これは以前アルルで何度も経験している、あきらかに興味がない時の態度だ。

写真集を見せるとついに怒り出した。

「なんで日本人って、どいつもこいつもノスタルジーばかりなの? もうたくさん! ノーモアノスタルジー!」

ちょっと腹がたってiPadにあらかじめいれておいたTOKO LNDSCPEを見せてノスタルジーだけではないことをアピールしようとしたがこれも興味なし。

何か質問は? と聞かれたので「あなたは日本の写真家の作品をたくさん見ているというが、その中で求めているものを日本人で表現しているのは誰か?」と聞いて見た。すると大笑いして「そんなの誰もいないわ」。もっと違う新しいアプローチを探すべきだと言われたが「僕はもう52歳だからこのまま自分の道を行くよ」と答えた。すると「別に怒らせたいわけじゃないの。もっと違うこともしてもいいかなと思って」。というところでちょうどよく時間終了。握手をするも名刺交換は無し。このネームカードをもらえるかどうかは、気に入ってもらえたかの判断にもなる。実はレビュワーはわざと名刺を持ってこない人もいるようだ。気に入ったら連絡先のメモを渡し、そうでなければ「あいにく名刺を切らしているから何かあったらこちらから連絡する」と言うのだ。

「ノーモアノスタルジー」これはズシンと響いた。痛いところをついてくる。これは自分の持ち味であり、反面大きな弱点でもあるのは気づいていた。しかしなぜノスタルジーがいけないかは実ははっきり分かっていない部分でもあった。しかし思いっきり否定されてスッキリした気持ちになった。気に入らないならはっきり言うスタイルはいっそ気持ちがいい。否定を受けたことで他がお世辞ではないといことも確認できた。午後のふたり目は出版社。前のことがあってちょっと緊張気味だったが、プリントを見せるとレビュワーの顔がほころんだ。そして写真集については「印刷、構成、デザインすべてにおいて素晴らしい。欲しいのだがこれはどこかで買えるのか?」と最大級の賛辞を送ってくれた。「多めに持ってきているので差し上げます」というと、満面の笑顔で喜んでくれた。「da.gasita」は全部で6冊持ってきていて、今までで3冊を本当に気に入ってくれたと思える人に渡していた。本当はもっとたくさん持ってきたかったのだが、荷物の重量で諦めざるをえなかった。

「 モノクロが素晴らしいのはわかったが、カラーは撮っていないのか」と聞かれたので2007年に出した写真集「traverse」を見せてみた。するとページを開くなり「これはアメリカではなくて、パリでうけるはずだ」と言い出した。驚いて「実はこの本がアルルで評価されてパリのビエンナーレに招待された」と言うと

「やっぱりね。私にはパリの写真関係者のほとんどを知っている人がいるからこの本を紹介したい」と言ってくれた。「最後にもうひとりレビューが残っているのですべて終わったら差し上げます」と言って別れた。

一旦落とされた後の救いだったので初めて通訳の人と「いい感触だった」と笑顔になれた。そして大トリがSFMOMA。アメリカ西海岸で初めての20世紀の芸術作品のみを展示する美術館「サンフランシスコ美術館(San Francisco Museum of Art)」として1935年にオープンしている。当然希望リストの上位に入れておいた。SFMOMAの人に見てもれる機会など、こういった場所でなければありえない。いったい僕の写真をどう感じてくれるのか? 男性だと思っていたら女性のキュレーターだった。とても優しそうな人に見える。なにせ「ノーモアノスタルジー」が頭に響いているから顔色が気になる。プリントを見ている彼女の表情を伺うと、唇の端が上がり、目尻が下がり微笑んでいるように見える。どうやら第一印象はいいようだ。「これはどこで撮ったのか」程度の質問以外はずっとプリントを見ている。そして今まで美術館キュレーターに見てもらった時とまったく同じことを話す。6人中6人すべてが同じプリントで目が止まるのには驚いた。コンポジションの正確さ、プリント技術の確かさ、構成力を評価してくれた。そして写真集を差し出すと1枚目からすべてのページをゆっくり見て、プリントにもある雪の写真を見て「私はこれが一番好き」と言ってくれた。そして写真集の中のキャプションで「da.gasita」の意味を説明するくだりでは納得するように笑い、「da.gasitaっていってみて」とリクエストしてきた。

まさかサンタフェで「んだがした」と言うことになるとは夢にも思っていなかった。笑顔で写真集を見てくれているのがSFMOMAの人かと思うと、ザワザワと鳥肌が立つような気持ちになった。これは2007年のアルルのレビューでまったく同じ体験をしている。彼女は最後のショートエッセイまで全て見て、プロフィールに目を通すと「珍しい経歴ね。ケブランリー美術館に作品がコレクションされるなんて」。「ケブランリー主催の展示に参加したので収蔵してもらいました」というと大きく頷き、そして「SFMOMAでも日本人の写真家を多く集めています。モリヤマ、アラキ、ハタケヤマもいます。そこにあなたの写真も加えるよう、そのセクションの同僚と協議してみます」。頭の中でドーンと音がするようだった。最後の最後で超特大ホームランが出た。資料として必要なものを聞くと「この写真集があれば十分」

協議の上とはいえ、彼女が気に入ってくれたことは間違いない。可能性は高いと言っていい。もし、もし、SFMOMAに収蔵が決まったら、、、アルルの時と同じように両手で握手を交わして別れた。日本に帰ったらギャラリー冬青にもバックアップメールを送ってもらわなければ。夢見心地で先ほどの出版社の人に「traverse」を手渡すと、「昨日オープンポートフォリオレビューであなたの写真を見た人と、さっきあなたことを話していて、何か形にできないか相談しようということになっているの」と言ってくれた。それは昨日の「鳥肌がたったよ」と言ってくれた人だった。会場を出た時は晴れ晴れとした気持ちだった。結果的には9人中8人にプリントと写真集を高く評価してもらうことができ、次に繋がる話も出た。この上ない成果だったと言える。そして終わってみれば本当に楽しい時間を過ごすことができた。今回はプリントもさることながら、写真集「da.gasita」の存在はとても大きかった。以前も感じたが、写真集が出版されていることは作家の信用になる。そして8人全員が印刷クオリティに驚いていた。つまり冬青で出版されてる写真集の印刷レベルは世界レベルということになる。帰国後に報告に行くのが楽しみだ。