「わからない」ことをわからないままにする 態度の保留

 

Facebookの「ワークショップH」のページに投稿したものをここにもあげておきます。

 

「わからない」ということを考えるのに写真はとても便利なメディアだと思います。インスタレーションもそうですね。動画は向きません。わからない動画は苦痛ですから。

 

仕事でずっと「わかるように」に撮ってきたので、ずっと気がつけませんでした。近頃ようやく「わからない」ことを楽しめるようになってきました。

 

 

 

Hでは、写真の撮り方と同じくらいか、むしろそれ以上に写真をどう考えるかということを行なっています。

 

これは渡部さとるが近頃考えている見る態度ですし、作る態度も同じだと思っています。

 

1 出会う

2 違う考えがあることを知る

3 違う意見を理解するように努める

4 違いが理解できないことを知る

5 違いをわからないままにする

6 結論を出さない

 

1は、とにかく出会わないと、ものごとははじまりませんよね。出会いかたはさまざまです。絵画の始まりは壁画でした。それが板に書いた絵(タブロー)になり移動して他の場所で見ることができるようになり、複製可能な写真や映画が生まれたことで離れた場所でも同じものが共有可能になりました。そしてインターネットの普及は出会いかたを大きく変えてしまいました。

 

2は、出会うことによって、よくもわるくも「自分じゃ考えもつかない」ってことが起こります。違いがある、その差異を認識します。違いの容認です。これがダイバーシティ(多様化)ということです。同じ方向だけを向かない。

 

3は、その差異は何なのか、自分の経験や作者のテキストがあれば、それをもとに考えます。考えるには言語化が必要になります。言葉なしに考えることはできません。考えることは見る(作る)行為においてとても重要になります。

 

4は、どんなに考えても他者を(自分を)理解できない場合があることを知っておく必要があります。日本語で考えているのなら、日本語にないことは考えても理解できないことになります。

 

5は、わからないものを無理に自分のものさしで計ろうとしたり、わからないからといって排除することなく、わからないことが世の中にあることを認める。そしてそれを)ほっておく態度が必要です。日本語には白黒つけないという言葉がありますね。 近頃では態度を明らかにするということが良いとされていますが、曖昧くらいでいいんです。態度の保留です。

 

6は、わかったとか、わからないとか、簡単に結論を出さない。作者が何を考えているかなんて答え合わせをせず、モヤモヤは、モヤモヤのまま。大事なのは正解を出すことではなくて、問いを考えることであって、スッキリしなくてもいいんです。

 

 

良いものを見ると「誰かにに話たくてしょうがない」という衝動が生まれると僕は思っています。「受け取っちゃったから、返さずにはいられない。作者に直接返せないから、とりあえずこの気持ちを他の人へ」って感じです。

 

見ていて作者の「そうせざるを得ない」が伝わってくるときがあります。そういうものに出会えると「あれ、よかった」と人にいいたくなるんです。

 

そういうもの作りたいですね。

 

見ることと作ることは背中合わせなので、Hでは写真を見ることとを積極的に行っています。