「保存できませんでした」

朝=ホットカレーサンド、野菜スープ/夜=キュウリと茗荷のごまのサラダ、レバニラ炒め、玄米、塩ラーメン

「6月6日に雨ザーザー降ってきて」という歌があったな。朝から雨で外に出る気がしない。午前中は食堂のプロジェクターで動画を見ていたが、何もしないのも後ろめたいので動画を1本撮ることにした。セッテイングを新しくして量産できる形を作れている。まずは原稿を1500字ぐらい書いてから本番。編集を含めて2時間くらいで作ることができた。

このペースなら週に数本作れると思っていたら、何度やってもYoutubeにアップロードできない。3時間くらい設定を変え、保存設定を変え、パソコンを変え、いろいろ試したのだが受け付けてくれない。twitterで他にも同じことが起きていないか調べても出てこない。諦めきれずに夕食後に再チャレンジするが失敗。「保存できませんでした」と出てしまう。それでも繰り返していたら、ようやくアップロードに成功。何が悪かったのかは全く不明。次回もこうだと困ってしまう。半日以上Youtubeに振り回されてしまったが、作った動画が無駄にならずにすんでよかった。

 

<2018年6月7日の日記から>

昨夜は前々から予約していた映画「フジ子・ヘミングの時間」の上映会とミニコンサートを聴きに妻と読売ホールへ。数年前からクラシックが好きになった。きっかけは「のだめカンタービレ」だけど。映画はソール・ライターのドキュメンタリーと同じく、ストーリーや演出のない独白のみの構成になっていた。パリ、ベルリン、東京、京都に自宅を持っていて、インテリアのセンスがすごい。映画には14歳の時の絵日記が出てくる。絵もいいが、それよりも言葉の使い方に驚いた。才能のかたまりって感じ。父はスウェーデン人の建築家でイラストレーター、母は戦前にベルリンに留学していたピアニスト。ふたりはベルリンで結婚して、そこでフジコは生まれ戦後に日本に帰ってくる。弟は有名な役者さん大月ウルフだった。ちなみに本名。でも早くに才能は認められていたのに、さまざまな出来事がじゃまをして開花したのは60歳を過ぎてから。

1999年のNHKのドキュメンタリー「フジコ あるピアニストの軌跡」をきっかけにブレーク。85歳になる(年齢は不詳となっている)今でも、年間60本ものコンサートを世界中で開いている。フジ子・ヘミングは自らを「リストを弾くために生まれてきた」と言っている。その中でも「ラ・カンパネラ」。映画でもこの曲の重要性を語っている。 上映終了後、ご本人が登場しミニコンサート。当然「ラ・カンパネラ」が演奏された。ところが弾き出しから力がなく。ついには曲の前半で腕が止まってしまったのだ。会場に緊張がはしる。苦しげに一瞬空を見つめ、再び弾きだす。素人でもわかるくらいずれてる。でも、今まで見た様々な演奏の中で一番ブルっときた。終盤にかけてのフジ子・ヘミングの演奏は圧巻、まさに映画的だった。この曲を何千回、何万回と弾いてきたことは、映画を見ていればわかる。体に染み付いているはずだ。だからこそ揺れながら詰まりながらも必死で弾く姿にやられてしまった。愛おしいとしか言いようがない。千葉桜さんとのトークショーでは、バイアスを外して見ることを勧めたけれど、今回のフジ子・ヘミングの演奏は、映画で彼女の背景を知った上での感動だったというのもあるから、感じるということは一筋縄ではいかないね。僕にとっての伝説の一夜となった。