上映会とコンサートの間は肩の痛みはなくなっていたのに、終わったらジンジンきた

ちょっとでも右手を動かすと激痛。1から10のレベルで言うなら8は余裕でいってる。

 

地下鉄の通路で急ぐ男性と肩がぶつかって、その場で悶絶。身動きが取れないくらい痛くてへたり込んでしまった。。夜寝るのも大変。寝返りなんてとんでもない。今日再度病院に行って痛み止めを打ってもらい、ちょっと落ち着いた。

 

毎日胃が痛くてやっぱり悶絶している友人と会って「こんだけ痛いんだからさ、すごくいいことが待ってるよね」と言ったら「なんでそんなに楽しそうなんだよ」と笑われた。

 

でも結局「そうだよね、なんかいいこと絶対あるよね」と確認しあうポシティブバカふたり。

 

昨夜は前々から予約していた映画「フジ子・ヘミングの時間」の上映会とミニコンサートを聴きに妻と読売ホールへ。数年前からクラシックが好きになった。きっかけは「のだめカンタービレ」だけど。

 

映画はソール・ライターのドキュメンタリーと同じくストーリーや演出のない独白のみの構成になっていた。パリ、ベルリン、東京、京都に自宅を持っていて、インテリアのセンスがすごい。

 

映画には14歳の時の絵日記が出てくる。絵もいいが、それよりも言葉の使い方に驚いた。才能のかたまりって感じ。父はスウェーデン人の建築家でイラストレーター、母は戦前にベルリンに留学していたピアニスト。ふたりはベルリンで結婚して、そこでフジコは生まれ戦後に日本に帰ってくる。弟は有名な役者さん大月ウルフだった。ちなみに本名。

 

でも早くに才能は認められていたのに、さまざまな出来事がじゃまをして開花したのは60歳を過ぎてから。

 

1999年のNHKのドキュメンタリー「フジコ あるピアニストの軌跡」をきっかけにブレーク。85歳になる(年齢は不詳となっている)今でも、年間60本ものコンサートを世界中で開いている。

 

フジ子・ヘミングは自らを「リストを弾くために生まれてきた」と言っている。その中でも「ラ・カンパネラ」。映画でもこの曲の重要性を語っている。

 

ミニコンサートでも当然「ラ・カンパネラ」が演奏された。ところが弾き出しから力がなく。ついには曲の前半で腕が止まってしまったのだ。会場に緊張がはしる。

 

苦しげに一瞬空を見つめ、再び弾きだす。素人でもわかるくらいずれてる。でも、今まで見た様々な演奏の中で一番ブルっときた。最後にかけてのフジ子・ヘミングの入り込みかたは圧巻、まさに映画的だった。

 

この曲を何千回、何万回と弾いてきたことは映画を見ていればわかる。体に染み付いているはずだ。だからこそ揺れながら詰まりながらも必死で弾く姿にやられてしまった。愛おしいとしか言いようがない。

 

千葉桜さんとのトークショーでは、バイアスを外して見ることを勧めたけれど、今回のフジ子・ヘミングの演奏は映画で彼女の背景を知った上での感動だったというのもあるから、感じるということは一筋縄ではいかないね。

 

僕にとっての伝説の一夜となった。