目に見えない、触れることもできない

朝 大豆ヨーグルト

昼 ベーグルのバインミー

夜 切り昆布と糸コン煮、ところてん、生姜焼き、ご飯、味噌汁

 

少し前の日記に「NFTアート」についてちょっと触れたが、それを使ったとんでもないオークションでアートが売買された。

 

 

”イタリアの芸術家サルヴァトーレ・ガラウは、今月初めに「Io Sono」(I am)というタイトルの作品を販売した。当初は6000ユーロを見込んでいたが、競売で値段が釣り上がり、最終的な売却額は1万5000ユーロ(約200万円)に。購入者には本物であるという証明書を渡したという。

この彫刻は照明や空調のないプライベートな1.5メートル四方の空間に展示されることを想定している

この作品の特徴は目に見えないことだ。だが、ガラウは作品がないわけではなく、「真空」なのだと説明する。彼は、「真空とはエネルギーに満ちた空間にほかならない」と語る。”

(Yahoo!ニュース COURRiER より抜粋)

 

実体がないデータをブロックチェーンの技術で「唯一製」を持たせるのが「NFT」なわけだが、とうとう「何もないもの」に証明書を発行してNFT化することで売買を成立させてしまった。これは、最初に気がついてやった人だけのもので、二番煎じはない。

1960年代にジョン・ケージという音楽家が『4分33秒』という無音の音楽を作り出した。これにはちゃんと楽譜が存在していて、4分33秒の演奏時間中、音符はすべて休符記号になっている。楽譜は現在でも購入可能で、何度も「演奏」されている。

なぜ「演奏」かというと、それが演奏されるときの、観客の咳払いや椅子のきしみが会場に響くことによって「音楽」となる。音楽は演奏者の奏でるものではなく、観客や会場の音をジョン・ケージは音楽と考えた。もうこれ以上そぎ落とされることのない音楽。これを「無音楽」と呼んでいるが、その上をいく「王様は裸だ」のアートが生まれたことになる。

 

なんでも最初に考えた人ってすごいと思う。ばかばかしいことを真面目に考えるって、相当難しい。だから現代アートは馬鹿馬鹿しくて難解。