朝=ホットサンド、根菜トマトスープ/おやつ=カレーヌードル/夜=炒飯、蒸し鶏とニラソース、胡瓜と茗荷の和風サラダ
昨日の日記について、「最近のカメラマンは高画素になったことで、後でトリミングをすることを前提に構図を緩めに撮影して欲しいと要求される」というコメントをもらった。決定権はカメラマンにないわけだ。ちょうど過去日記にアーティストチェックの話をしている。2005年はまだフィルムを使うことがほとんどだった。この年の暮れにキヤノンEOS5Dが出て、様相は一変し、デジタル化の波が押し寄せてくる。
映画監督の紀里谷和明が雑誌の取材を受けたときに、いちいち編集者にチェックを求めるカメラマンに対して「君が撮りたいように撮ればいいじゃないか」と言ったそうだ。そのカメラマンはデジタルネイティブでチェックをするのが常識化していたんだろう。ホンマタカシは「カメラマンはピッチャー。自分が投げなければゲームは始まらない」と言っていたけど、もうカメラマンはピッチャーではなくなった。
一人の才能が全体を動かすのでなくて、集合値が求められる時代だ。5年前くらいから「コレクティブ」という言葉をアートシーンでよく耳にする。今年のターナー賞の候補者は全てコレクティブな集団だった。コレクティブは集団で活動するが、明確なリーダーは存在せず、緩やかに繋がっている。
もしかしたら数年後の木村伊兵衛賞もコレクティブ集団が受賞するかもしれない。そこまで賞が存続すればだが。
<2005年4月18日の日記から>
ある雑誌の撮影で撮ったミュージシャンの事務所から「写真の点数が少なくて選べない」とクレームがついた。全部で4カット必要だったのでプリントしたものを各2枚、計8枚を納品していた。編集部が「ある程度こちらで選んでお見せしています」と言ってくれたのだが、先方は「写真は全てこちらで選びます!」とえらい剣幕で怒られたらしい。ネガでの撮影が主なので、すべてプリントするわけにもいかず、かといってベタ焼きは小さくて慣れないと、どれがいいカットなのか判断するのは難しい。なので1カットにつき2枚焼いて選んでもらおうとしたのだが、それがお気に召さなかったようだ。そこまで言うならしかたないので、スキャナーで撮影したカットを全て読み込んで、データにして先方に渡し、選んでもらうことにした。指定されたものを再プリントしたが、どう見ても最初に納品した方がいいように思える。先方も怒った手前意地になっているのかも。「アーティスト」と呼ばれる人たちには「アーティストチェック」と呼ばれるものがあって、マスコミに出るイメージをコントロールしている場合が多い。場合によっては撮影するカメラマンが決まっている場合もある。どの媒体でも同じカメラマンが撮影するのだ。