「そこそこをたくさん」

朝 ホットサンド、野菜スープ

夜 イノシシの生姜焼き、マッシュポテトのようなもの、白米、野菜の味噌汁

先日公開した北桂樹さんと石井朋彦さんの動画は反響があって動画にもたくさんのコメントがあったし、あれを見て会いたいと言ってくれる方も出てきた。その方と早速zoomで話を伺って、3月になったら収録させてもらうことになった。内容は「日本写真と浮世絵の関係性について」。北さんと石井さんの話にも繋がるし、思わぬところに話が着地する。

最近僕は「写真的解決」と言っているが、いろんな問題を写真によって解決するのも写真家の仕事で、コンテンツ制作者というよりも「器」としてのメディアを作り出す人が必要とされるんだと思う。何でも屋みたいな感じでもある。歌って踊れて、リフォームもできて、農業もできて、写真も撮る。全部そこそこでいい。そんな人が地方にいたら、みんなの役に立てる。だから写真を勉強するよりも、まずは農業やったりするほうが後々いろんなことで役に立つと思うし、役に立てるんじゃないかと。

「写真で食べていくにはどうしたらいいんでしょう」と聞かれると、その人の一途な思いがわかるから、「農業とかいいんじゃない」とも言えないけど、内心では思ってる。20歳代ならなおさら。地域の協力隊に入っていろいろ経験したら、それで30歳代を食べていける。僕らの時代は「脇目もふらずひとつのことに集中してプロフェッショナルになる」というのが正しかったけれど、今はプロの手業があっというまにAI に取って代わられるから「そこそこをたくさん」のほうが生きて生きやすいんじゃないだろうかね。

 

<2003年2月24日の日記から>

無念さを胸に野菜炒めを作る。悲しくておいしい。 寒い寒いと思っていたら雪がちらほら。東京では今年10回目の雪だそうだ。
暗室で仕事をする気にもなれず、自宅で確定申告のための帳簿づけ。今日で領収書の打ち込みが終わった。後は通帳の整理だけ。来月頭にはなんとかなりそうだ。年商はここ数年ほとんど変わりなし。いいんだかわるいんだか。いっぱいいっぱいの生活には変わりはないな。写真集見本を持って出版社に売り込み。午後5時に約束をもらってある。この出版社は、この出版不況のなか写真集やビジュアルブックを積極的に発売している唯一の会社といっていい。ダメでもともと、とは思っていたが2割くらいの望みを抱いていたのも本当のところ。重苦しい雰囲気の中、編集者が写真集見本のページをめくる。ゆっくりゆっくり一枚一枚見ていく。僕は本と編集者を交互に見ながら、ハラハラと様子を伺うしか出来ることはない。なにも口をはさまず、黙って見ていた。編集者は見終えると開口一番、この本の出版はないときっぱり言い切った。写真集を出版すると言うことは、大きなお金が動く上にリスクもかなり大きい。その中であえて出版するだけの新しさを感じないということだった。そこまでいうと、ほっとしたようにもう一度本をめくりだした。新大久保の写真を見て「ここの道をずっと通っていたんです」。高円寺の写真では「この間行ったらこの辺が随分変わっていてビックリした」。外苑前の写真では「あーこの裏が246か。すごいね。ビルの後ろがお墓になってるんだ」。新宿の南口の写真では「この辺はちょっと前まで怖いところだったんだよね」と話がとまらない。
僕が期待していた反応だった。本を通して東京についての話題が膨らむ。これこそが製作意図だ。この本は、以前東京で暮らしたことのある地方の人に見てもらいたいと思っている。暮らしていたことがある人なら必ず知っているところだけが写っている。誰もが知っている東京がそこにはある。一時間ほどで編集部を辞した。ダメでもともと、とは思っていたが無念さは残る。そしてこれからの前途の多難さに呆然ともする。とうとう扉を開けてしまった。暗くて先はなにも見えない。でも、もう前に進むより他にないのだ、と自分を奮い立たせた。